晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

あやべ水無月まつり 7/22

2017-07-22 | 文化に触れよう

2017.7.22(土)晴れ

 花火大会の季節である。西村さんがバーベキューを催してくれるおかげで毎年の参加となっている。さすがに歳をとって今年はお誘いがないのかなと思っていたら、バーベキューはできないが居酒屋で飲んで花火を見ようということになった。この日だけは綾バスの臨時便が出るので、ゆっくり飲めるわけだ。 さて出かけようと言うとき朗報が入った、花火観覧の招待券が手に入ったということである。

招待券もらっちゃった、ビール付き

過去に何回もこの花火を見ているが、神宮寺町の高台から眺めているので、本来の花火の醍醐味が無かったのである。
 駅近くの居酒屋で仕上げて、会場の丹波大橋に向かう。おそらく綾部の街が最も賑わう瞬間だろう、こんなに人が居るんやと驚く。

いそいそと居酒屋を出る

大橋下の会場ではセレモニーが始まっており、いよいよ点火というときであった。椅子席は埋まっており、ブルーシートの席へ急ぐ、ここだと寝っ転がって鑑賞できる。
 川面を渡る涼しい風があり、いただいたビールを飲みながら最高の花火鑑賞だ。やっぱり花火は下から見るもんやなあ。


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最勝河原-6 7/22

2017-07-22 | 上林たんけん隊

2017.7.22(土)晴れ

 佐比の葬地はいったいどのあたりだったのだろうか?平安京道祖大路(佐井通り)の南端であり、現在の吉祥院西ノ庄を冠する地域と思われるが委細は不詳とある(角川地名辞典)。葛野川(桂川)を挟んで乙訓郡となりそこには渡しがあったとされ交通の要所でもあったようだ。賽(さい)が地域の境界、生死の境界を表す言葉であることから佐比の地名が着いたと考えられる。
高山寺には西院の河原旧跡とあるが元々淳和院跡であり、賽の河原の体をなすのはもっと後世であろう。
 ところが角川地名辞典、佐井通りの項に次の文章がある。
 この大路を(佐井通りのこと)京南に延長し、桂川につきあたった現在の南区塔の森付近は紀伊郡佐比里・佐比河原と呼ばれた葬送の地で、佐比寺という寺院や橋もあった(三代実録)
 古地図を見ると下佐比里は十条から十一条の間にあり、佐比寺もこの範囲にある。ところが上佐比里、佐比津というのはそこから南に延びていて、十三条まで続いていて、西国橋という橋もみえる。つまり佐比の地は吉祥院から塔の森までの相当広い範囲であったわけだ。葬地でもあり牧でもあったというから納得できる。
 塔の森と言えばそのほとんどが市の下水処理場となっているが、塔の森の起こりと言えば、かつて後鳥羽院に仕えた主殿(とのも)というものが居住していて、主殿村(とのもむら)と称していた、それが転じて塔の森となったということだ。(沿革取調書)
 この地が葬地であれば、そのまま塔の森と考えてもいいのではないだろうか。千本通りが千本(多くのという意味)の卒塔婆が立ち並んでいることから来ているように。つづく

【今日のじょん】ビフォアアフター
 年に一度府道の草刈りが行われるので刈らないで残しておいた。例年より遅いようでジャングルみたいになってきたのだが、先日ようやく草刈り隊がやってきた。へたくそな草刈りだがまあ一応は刈り取られた。
 

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