晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

バスで行く大栗峠-2 5/1

2018-05-01 | 山・峠

2018.5.1(火)快晴

 10年近く綾部をめぐる山や峠をめぐっているが、公共交通機関を利用して行った憶えは無い。自家用車、チャーターされたマイクロバスがすべてで、公共交通機関を利用しようという意識が最初から無い。7年前に和知から大栗峠を越えて上林に帰ってきた際も佐々木さんの自家用車で上粟野まで送ってもらったものだ。モータリゼーションに毒されたこの山行形態はいかにもいびつである。便利に便利に楽に楽に山や峠を楽しもうという姿勢からは往時の山に生きた人や峠を越えた人の心情は理解できない。おおいに反省して今回の峠行を行った。先に紹介した行程と経費をよく観察して欲しい。車で行くとしたら、まず二台の車で上粟野まで行って1台を駐車しておき、上林に戻って登るという行程になる。その労力を考えればバス電車を使った山行がいかに効率的で有意義であるかが解る。最初から車を利用することしか考えていない山行を今一度考え直してみることが必要だ。
 さて、偉そうなことを息巻いたが準備をしていると山田さんから電話があり、観光センターまで車で行くから迎えに行くということだ。バスで5,6分のことだからまあいいかと甘えることにする。バスで行ったと同様の時間に歩き始めることとした。6年前山田道を歩いたとき(2012.5.18参照)は6名の人数だったのでアプローチもよく憶えていない。林道目白線の入り口が解らずに、谷の右岸の方まで行ってしまった。元々の道はそれでいいのかもしれないが、林道に入るには左岸のフェンスゲートを開けて入らなければならない。このあたりアプローチの道標が見当たらない。始めて来る人にはまず解らないだろう。それに地元では承知の防獣フェンスも、開閉の作法があるのでその辺も注意書きしておくといいだろう。

フェンスを開けて入る、「迷ワン」の絵文字石柱、道標はしっかり。
 山田道取り付きから先は植林の中の作業道を歩くのだが、実に立派な道標が分岐ごとに立っていて、間違うことはない。6年前は随分ルートファインディングに苦労したものだ。植林地帯を過ぎると気持ちのよい古道をキリキリと登っていく。竹原道の分岐を見つけたかったが解らずじまいだった。

気持ちのよい尾根道、道幅は170cm、展望台からは弥仙山
 やがて今回の整備で作られた展望台に着き、小休止。城山周辺の集落と上林川右岸の前衛峰、その向こうに弥仙山が見える。気持ちのよいところだ。その後も尾根上の気持ちのよい道が続くが、もう一つの目標の街道ウォッチングをする。「大栗峠考」で書いてきたが、弓削道、和知道は荷車の通る産業道路、山田道は城下をむすぶ政治的な道路、志古田道は本来の大栗峠道だと考えている。そのためには山田道は弓削道のように広い必要は無い、荷車通行の無理な部分があってもいいという見方が出来るはずだ。しかしながら領主の権威の道であるから貧相であってはならないとも思える。概ね予想通りの道だと感じられ満足する。
 この尾根道に気になるところがある。道の真ん中に実生の大木があるのだ。このような状況は他の道には見られない。これは山田道が荷車道ではなくて歩き道であったという風にとることも出来るが、明治以降いち早く使われなくなった道であると考えればよいかと思う。弓削以奥の集落では戦後まで大栗峠が使われており、上粟野、仏主(ほどす)などが通婚圏だったようだ。それに対して山田、石橋などのいわゆる城下(しろした)は上林街道、あるいは堀尾峠方面の利用が重きをなしてきたのでは無いだろうか。これは少し考えすぎかもしれない。
 思いをめぐらしているうちに弓削道との分岐にでる。「南無大師遍照金剛」の石碑のところで写真を撮る。初めての行者歩きの記念である。つづく

地下足袋に金剛杖

コメント
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