2018.5.3(木)曇り 大栗峠考(44)
地下足袋登山は50年近く登山をしていて初めての経験である。ウオーキングを研究し始めて、5本指ソックス、地下足袋、金剛杖が最も理想的な歩きであることに気づき、実験的に今回歩いたのだが、実際の山行について問題点となる事項を挙げておこう。
1.舗装道路には合わない。
人間の本来の歩きに最も近い歩きが出来るが、舗装道路は自動車や自転車のタイヤにあわせた道路であって、地下足袋で歩くのは痛める可能性が大である。従って今回の場合もウオーキングシューズを別に持参しアプローチ等では履き替えることとした。
2.防水性はゼロ。
積雪期には絶対無理。無雪期の短期間の登山に限られる。
3.耐久性に注意
靴底の接着性、布部分の耐久性、コハゼの留め糸など着用前に確認しておく。古くなって危ないようなら新品に換える、代用を持って行くなどの対策が必要。
4.ダニ、毒蛇対策には抜群
12枚ハゼを使っているが、足首からふくらはぎを覆うのでダニ、マムシ対策には効果的。登山靴の場合スパッツを着け、ダニよけのスプレーなどしていたが地下足袋だと不要である。マムシも噛まれるのは踏んづけた際に多いようだが、地下足袋の分厚さなら大丈夫かなと思う。
歩行についての効用は別項で紹介したい。
地下足袋は長所と短所をわきまえて利用すること、また、改良の余地もある。
弓削道分岐から大栗峠への道は大栗山(わたしは大栗峠の頭と呼びたい)の下をトラバースする。この部分こそ山田道、弓削道が大栗峠の後進的な道であると言うことを示していると思う。綾部温泉の露天風呂から大栗峠の山並みを古代人の気持ちになって眺めたらすぐに理解できる。どこにも道が無い時代あの山を越えてその先の村に行こうとしたらどこを通るだろうか?志古田道に決まっている。志古田谷なら何も迷う必要は無い、ただひたすらに谷を詰めればあの山稜の一番低いところに到達できるのだ。大栗峠の峠名は志古田の小字大栗に由来する、大栗とは崩壊地名である。地滑り地帯であり、現実に現在も大規模な崩壊が有り通行不能である。直線的で最短である志古田道だが、崩壊が繰り返され傾斜もきついので牛馬、荷車が通行することは不可能である。そこで登場したのが弓削道である。弓削道は傾斜部分の距離は長いが緩やかである。尾根道だから水による崩壊は少ない。岩石の部分が無いので索道も容易である。人の背に担いで通行している時代には志古田道でよかったのだが、産業が発達し大量の物資運搬、つまり牛馬荷車による輸送が必要となったとき、志古田道では間に合わないので弓削道が作られたのだろう。ところが主稜線を越えた先はやはり大栗峠和知道を利用しなければならない。弓削道が主稜線に上り詰めた後辿ったのがこのトラバース道なのである。
この関係は木住峠における遊里道と清水道と全く同じ状況である。田辺(西舞鶴)ー岸谷ー木住峠ー清水ー大町ー弓削ー大栗峠ー上粟野が近世後半の上林における主要産業道路であったと考えられる。ただ人物のみの移動であれば、遊里道、志古田道が主流であったことは想像に難くない。
トラバース道をすぎるといよいよ大栗峠に着く。いつ倒れたのか解らないが例の石柱が今回の整備で立てられていた。大変喜ばしいことだと思う。始めて大栗峠を訪れたときからあの石柱は立てなければと思っていたのだ。つづく
右わち 左志こだの石柱、文政7年(1824)の銘があり、倒れていたものが今回の整備で立てられた。
【今日のじょん】29日に来じょんの大くんバーニーズの8ヶ月、でかいから大くんかと思ったら五山送り火の日に生まれたからだって。
一緒に来たのはご存じももちゃん。