2020.3.23(月)晴れ
江戸時代(それより以前もそうだが)の百姓は裾の短い木綿の着物を一枚羽織り、裸足で粗末な家に住み、さぞかし寒かったろうと常々思っていた。11月の寒い日に猪苗代湖畔の会津民俗館で箱床(はこどこ)と言うのを見た。土間に置かれた箱の中で眠るのが一般的で昭和の時代まで続いたと言うことである。展示された箱床には布団が敷かれていたが江戸時代はおそらく藁だったろう。この箱床と同様のものが上林にもあったそうで、それはお産の時に使われていたそうで、産床(さんどこ)と呼ばれていた。(故渡辺綱さん言)これは明らかに若狭からの産小屋文化の名残と思われるが、元は会津で見た箱床と同様の使われ方をしていただろう。暖かい寝具も、寝間着もない、底冷えのする土間でずいぶん寒かっただろうと不憫さを感じたのだが、最近彼らはさほど寒くはなかったのではと思っている。それは彼らが裸足か草鞋で暮らし、一日中歩き回っていたと考えられるからだ。きっと彼らの足裏はぽかぽかと暖かくて、土間の藁布団でもぐっすり眠れたのではないかと思う。
会津民俗館の古民家と土間に置かれた箱床(2006.10.31)
わたしが素足、地下足袋履きの進化するじょんのびウオーキングを始めて、一ヶ月めぐらいから足裏がジンジンカッカして寒い季節になっても靴下、タイツなど暖かい衣類、湯たんぽや電気ストーブなど不要になり、ついにはパジャマもいらなくなった。「雪国の人は裸で寝る」と言うのを聞いたことがあるが、裸で寝るのは本当に暖かくて、実際にそうだったんだなあと感心している。
そんなだから、裸足で歩き回っていた昔の人は、我々が思うほど寒くはなかったのではと思っている。
寒がりになったのは靴や靴下が登場してきた明治以降で、地方では戦前ぐらいまで裸足に近い生活が残っていたと聞く。現在はあらゆる暖房器具が揃い、衣類も新素材やダウンなど格段の進歩がある。最近は電気で暖まる靴や上着が登場している。しかしそのたびに人の足は弱くなり、体も弱くなっていることに気づいてほしい。
【今日の”のびちゃん”】NO.28
老富町のミツマタが満開なのだ。のびは山に入ると妙に張り切る、いったい何なんだ?