晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

杞憂であれば 3/30

2020-03-30 | 健康

2020.3.30(月)曇り

 新型コロナウィルスのニュースを聞く度に恐怖が身近に迫ってくるのだが、3月初め頃は確かに「そのうち治まるだろう」と楽観的に考えていた。おそらく多くの人々も同様だろう。それが段々深刻な恐怖となってきたのは、各地での感染者の増加や身近な街での発症もあるが、やはりヨーロッパの状況が続々と報道されたことが大きい。
 イタリアなどの惨状を見ると、医療体制の貧弱さだとか対応の遅れだとか生活習慣の違い(握手、ハグなど)だとか言われているが果たしてそうだろうか?ヨーロッパのウィルスは日本のものとは型が違うんじゃないかという意見も聞かれ、人種による耐性の違いがあるのではとも思われる。
 しかしそうではなくて、ヨーロッパの状況が日本の近い将来の姿であったとしたらどうだろう。そう考えていたところ国内の感染者数はうなぎ上りに増えてきた。イタリアやフランスでも数週間前までは現在の日本の感染者数と同様であったということだ。
 そんな時新聞の隅に奇妙な記事を見つけた。(京都新聞3月29日)

厳しい外出制限無しで感染増を回避、なぜ?日本の状況「世界が当惑」というタイトルで、世界中の疫学者が理由が解らず「当惑している」という。日本は都市封鎖も行動監視も大規模検査も実施せず「人口が高齢化しているにもかかわらず、死者の増加が世界で最も遅い国の一つ」だと指摘している。
 一瞬誇らしい気持にもなるが、誇る根拠は何もない。そして記事の最後は次の文章で終わっている。
 日本のやり方は「ばくち」であり「事態が水面下で悪化し、手遅れになるまで気付かない恐れがある」
 わたしの思いが杞憂であれば良いのだが、、、

 

コメント (2)
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