2020.8.11(火)快晴
がん-4000年の歴史-(上) シッダールタ・ムカジー著
早川書房2016年6月発行 八幡市立図書館借本
2013年「病の皇帝「がん」に挑む 人類4000年の苦闘」を解題し、文庫本として発行されたものである。ピュリッツアー賞などを受賞している。この本を読むきっかけは、愛読している「ひと・健康・未来」という冊子の中に「(できるだけ)がんにならない暮らし がんは運である?」(仲野徹)という記事があり、「養生訓」、「死すべき定め」と本書が紹介されていたためである。筆者の仲野氏は阪大大学院の病理学教授だが、本書下巻に解説として「大いなる未完」と題して執筆されている。
「ひと・健康・未来」は年に数回発行されるが、シンポジウムとともに楽しみにしている。
若いとき、がんなんてどこか別世界のことと思っていた。周囲にがん患者なんて居なかったし、がんで亡くなる人も居なかった。ただがんとは不治の病で、罹患したらお終いという恐怖感は持ち合わせていた。それが60才を超えたらどうだ、周囲にはがんがあふれ、あっけなく亡くなる人も出てきた。これは何なんだ、情報も治療法も格段に向上しているはずなのに、死者は増え続け、遂に死亡原因のトップに躍り出た。がんが二人に一人といわれる70才を目前にして、もしがんになったらどうするか、その時になって変更してもいいから決めておくべきと考えた。そのためにはがんのなんたるかしっかり見極めることが必要だ。この本を読み始めた理由はこういうところにもある。
紀元前2500年のパピルス写本に「乳房の隆起するしこり」に関する記述があると言う。エジプト人医師イムホテプの教えを書き写したものだそうだが、この症例に対しては「治療法なし」というのが衝撃的だ。もっとも他の症例についてもいかがわしいものばかりなのだが、兎に角治療法が書いてあるのだ。 2000年前のエジプトのミイラから骨盤に浸潤した腫瘍が見つかっている。また200万年前の顎の骨にリンパ腫の痕跡があると言うことも書かれている。がんは最古の病気ということも言えそうだが、腫瘍というのが痕跡として残りやすいということかもしれない。古代から中世におけるがんの治療というのがいかに悲惨であるかは想像に難くないが、それはインチキというものではなく非科学的と言うべきで、当然なことである。四体液説の黒胆汁ががんの原因だというのも長く信じられていた。ただこの時代のがん患者というのは極希であったと思われる。それはがんが老化に関係した病気だということであり、寿命が40,50の頃にはがんができるまでに死亡しているという訳だ。
上下巻で800ページを超える大作だが、興味深く読み進められる。
上巻では古代から中世のがんの様子も書かれているが主に一九世紀二〇世紀の治療の様子が書かれている。原因もわからず、確たる治療法もない中で患者は増え続け、医者たちは試行錯誤するのだがそれは戦争と呼ぶに等しい状況であった。最も古い治療法はやはり切って捨てるという手術療法だろう。特に乳がんに対しては古くから行われており、日本でも華岡青洲の手術など有名である。乳房切除してもその周辺から再発を繰り返すため小胸筋から大胸筋まで切除する「根治的乳房切除術」が行われる。それでも再発があり鎖骨、リンパ節にまでおよび、体の形が変わってしまうまで切除するのだが、それでも完治しないことがあるのだ。次に現れるのが化学療法で、最初の化学薬品は染料から始まった。もちろん抗微生物剤として登場したのだが、最終の目的としてがんに使用され始めた。白血病に対して葉酸を投与したら白血病が進行してしまった、それならばと葉酸拮抗薬を投与すると白血病が寛解し始めた。やがては再発するのだが、このようにありとあらゆる化学薬品を試験的に投与する状況が続いた。あるものは寛解を促したがまるっきり効かないものもあった。寛解となったものもやがては再発し、完全に治癒することはなかった。化学療法も手術と同様に超大量化学療法となるのであるが、常に副作用との戦いに明け暮れることとなる。つづく