2023.10.31(火)快晴 「納経朱印がもらえない」
西国三十三所と丹波西国三十三所を同時に回って記事を書いていたら、なんとも複雑になって訳が分からなくなってきたので、タイトルを丹波西国道中記に変えることにした。それと道中の記録だけでなくお寺の情報を入れて、巡礼を志す方のお役に立ちたいと考えている。西国三十三所についてのタイトルは従来通り、「西国三十三所徒歩巡礼」とする。
「この歳になってお寺参りするとは思わなんだなあ」
「僕もそうやねん、お寺に出入りしているからそうなったんやろねえ」英樹君と話しながら岩戸寺の長い石段を登っていく。後ろを歩いている津田さんとの出会いも不思議な縁だったが、英樹君とはもっと不思議な縁がある。彼は小学校、中学校の同級生なんだが、中学卒業後は何のつきあいもなかった。二十数年たって、大阪舞洲のトライアスロン会場で、ばったり会った。わたしは審判長をしておりプログラムに照会されていたので訪ねてきたのだろう。同級生でトライアスロンをやってる人物に会うこと自体が不思議だと思ったが、その場は健闘を祝して別れた。以来また二十数年没交渉だったのだが、三和町岼(福知山市)の山中で出会うこととなる。真夏のくそ暑い中、路上で休憩をしていたとき、向こうから真っ黒な顔つきの人物がランニングスタイルで走ってくるのだ。酔狂な奴がいるなあと声をかけると、それが英樹君だったのだ。なんでもトレイルランをやっていて、その世界のその年代ではトップクラスの活躍をしているという。わたしも勧められたが一向に興味も無く、またしても十年近く没交渉となった。そして昨年上林にてトレイルランが開催されることとなり、参加することとなったのだがなにしろトレイルランについてはまるで素人である。英樹君のことを思い出し、連絡を取る。我が事のように喜んでくれ、上林の山や大江山で一緒にトレイニングすることとなった。再々再度の出会いである。
八十歳まで走ろうぜと励まし合いながら頑張ったのだが、わたしはレース前日体調を崩しDNS,彼も病でリハビリ中となった。そんな時わたしの始めた徒歩巡礼に、一緒に歩きたいと言ってきた。前回の丹波西国巡礼が同行の始まりだが、二十数キロを歩き通せたことが随分と自信に繋がったようで、誘った甲斐があった。彼は庭仕事で真言宗のお寺に出入りしているので、自然と巡礼に取り付けたのかもしれないが、それまではおそらくわたしと同様お寺にも仏さまにも縁の無い人生だったろう。それが笈摺(おいずる)を着て並んでお寺の石段を登っているのは、なんとも不思議な縁というか、不思議な出会いなのである。
2023.0.31(火)快晴
丹波西国三十三所巡礼五日目
八番高山寺(丹波市氷上町)~興禅寺(丹波市黒井町)~八番補陀洛山観音寺跡~九番岩戸寺
※八番は二カ所あり、興禅寺は観音寺(廃寺)の管理寺
メンバー:小原、山本、津田
タイム :石生駅西口バス停7:31 (バス) 7:55香良口バス停
香良口 8:00 (徒歩) 9:00高山寺
高山寺発 9:30 10:50天王坂峠
天王坂峠発 11:00 12:10興禅寺・昼食
興禅寺発 13:00 15:55岩戸寺
岩戸寺発 16:15 17:25市島駅着
丹波西国の件は伝えていたのだが、前日に津田さんが是非一緒にということで3人の巡礼となった。英樹君の運転で石生駅に着く、道中の戸平峠は彼のトレーニングコースだそうでしかも夜に走るというから驚きだ。バスで前回の最終地点、香良口まで乗車、学生さんで一杯だ。バス道はこれから歩く予定の道で、狭かったり車がやたら多かったりする。香良口を出発し、狭い歩道を縦になって歩くが、車道はひっきりなしに車が続く。途中分岐した旧道に入るが、すぐに新道に合流する。たまりかねて加古川u右岸の農道を歩く、風情はないが車は通らず歩きやすい。
「丹波が謎であるのは霧が深いせいだと思う、、、」春木一夫
先程のバス道に出る、これは巡礼道である。
県道109号線に入ると「高山寺」の案内看板も出てくる。右手の石塔がある路地を入ると自動的に高山寺に着く。
第八番 弘浪山 高山寺 真言宗 十一面観音 丹波市氷上町常楽
その名も高山寺へめぐり来て 身のおいずるをぬぎてこそおけ
弘浪山の頂上近くに建っていたが、昭和35年に現在地に移転、参道の紅葉は季節には素晴らしいだろう。唐破風の庫裏は特徴的で、仁王門は彩色鮮やか。
石畳の長い参道は両側に灯籠が続き、紅葉のトンネルとなっている。今は青々としているが季節には素晴らしい風景となるだろう。本堂でお参りして庫裏で納経朱印を授かり高山寺を後にする。つづく