翌日ブラウニーがダウン。長旅の疲れと昨晩の台湾料理に胃をやられてしまった。多少熱もあるようだ。
確かに昨日はハードだった。十時間以上のフライトの後、夜のドライブで安曇野のハヤピの家に着いたのは深夜を回っていた。その後でビールを飲んだりして、全員昨日の疲れが多少残っている。
「医者に行くほど悪いわけじゃあないけど、オレは弱っているよ」
ブラウニーらしくない事を言う。ヤツが弱音を吐いたのを初めて聞いた。
だが弱っているヤツに付き合って1日を棒に振るほど僕等はお人好しではない。
「そうか、じゃあオマエは1日寝てろ。オレ達は観光に行ってくる。夕方戻ってくるからな。それまでおとなしくしてろ」
「ああ、そうしてくれ」
ブラウニーは元気無く応え、ヘイリーが追い討ちをかける。
「パウダーの日じゃなくて良かったな。グフフフ」
さて僕らは安曇野観光である。自分も案内される身なので気が楽だ。
まずは山葵田。ワサビはニュージーランドでもわりと人気があり、皆良く知っている。
「この辺りは扇状地で伏流水が流れているのです。2,3mも掘ると水が湧き出すのでそれを利用して山葵を作っているのです」
ハヤピが説明して、それを僕が訳して伝える。ヘイリーが言った。
「西海岸でも育てている所があるぞ。そこもきれいな水が流れていたな」
道端の地蔵を見てヘザーが尋ねた。
「ヘッジ、これは何?」
「うーん、それはねえ・・・」
何て説明しようかと考えていたらすぐに彼女が続けた。
「八百万の一つ?」
「そうそう。八百万のうちの一つ」
僕はあらかじめ皆に日本は八百万の神の国だと説明してあった。
それ以後僕は自分が分からない物、英語で説明できない物、説明するのが面倒くさいものは全て八百万の一つで通した。
綺麗な流れの側には水車小屋がありへイリーが珍しげに眺める。
「そうか日本の建築の壁は土と草を混ぜ合わせて作るのか。この水車は製粉に使うんだろう?ナルホド」
2月半ばの安曇野は冷たい雨が降り、周りの木も葉を落とし寒々とした雰囲気だ。日本の冬は寂しい。
僕は物悲しいほど寂しい風景を見ながら、わびさびの世界をどうやって英語で言うのだろうなどと考えていた。
松本市内で信号待ちをしているとヘザーが尋ねた。
「この横の場所は何?刑務所か何か?」
土のグラウンドの向こうにコンクリート製の建物が並ぶ。グラウンドの周りをグルリと背の高いネットが囲む。日本のどこにでもあるような学校だ。まあ刑務所に見えなくも無い。
「何言ってるの。これは学校だよ。そうだよねえ、テツ」
テツが笑いながら言った。
「これはね、ハヤピが行っていた高校」
「ワハハハ。へザー!ハヤピが行ってた学校だってさ」
「アラ、アラ、どうしましょう」
彼女が実にきまりの悪そうな顔をした。助けを出してやる。
「日本は土地がないだろ。学校の敷地ギリギリまでグラウンドなのさ。中のボールが飛びださないようにフェンスが高いんだ。それにな、日本の学校のグラウンドは土だぞ。芝生のグラウンドなんかどこにも無い」
ニュージーランドの学校ではどこも芝生で土のグラウンドは無い。初めてニュージーランドに来た時には学校どころか公園のグラウンドがすべて芝生で、無料でそこを使えるということに驚いたものだ。小さい頃から土で擦りむく心配など無く思いっきりタックルができるような環境では、ラグビーが強くなるはずだ。
次は松本城である。ここは観光地なので英語の案内やパンフレットがあり、皆は僕のいい加減な通訳を聞かなくてすむ。
ニュージーランドは歴史の浅い国なので、こういった何百年も経っている建造物は珍しい。特にヘイリーは自分で家を建てるくらいだから建築に興味津々で、感心しながら眺めている。
天守閣まで登ると松本市内が一望できる。大きさはクライストチャーチと同じくらいだろうか。城の周りには近代的なビルが並ぶが、当時は瓦葺の屋根が目下に広がっていたのだろう。街はさぞかし美しかったはずだ。
晴れていれば山々も姿を現すのだろうが生憎の雨である。その雨の中、街を歩く。
松本は城下町である。城を中心に街が広がる。昔は城を守るのを兼ねて街を作った。
戦になって町は焼けても殿様を守ろうということだろうか。当時の主従関係を否定するわけではない。しかし今の世でもバカな政治家がとんでもない事をやり、そのツケが一般市民に回ってくるのは良くある事である。
ともあれ松本の街は素晴らしい。
特に僕が好きなのは市内を流れる川の付近、昔の街並が残っている辺りだ。
人形屋は人形を売り、刃物屋は刃物に関する物を売る。そういった店があちこちにありブラブラ歩くだけで楽しくなる。
そんな街の一角に登山用具屋がある。もちろん山道具を専門に扱う。
店は周りの雰囲気に見事に溶け込んでいる。狭い店内には山スキーをはじめ山用品が所狭しと並ぶ。商品はどれも実用的でまさしく山の店だ。
店の真ん中にストーブがあり居心地が良い。まるで雰囲気が山小屋で、店主はさしずめ山小屋のオーナーといったところだ。彼は50年以上もこの場所で店を開いている。僕がこの街に住んだら入り浸ってしまうのは間違いないだろう。
昼を食べる時間を逃してしまったので近くのパン屋へ向かう。
パン屋の中は半分が喫茶スペースになっており、その場で買ったパンを店内で食べることができる。ベーカリーカフェが日本にもあるのだ。
コーヒーは300円から。ニュージーランドドルにすると3ドル50セントくらいか。なんだニュージーランドに居るのと変らないじゃないか。パンは100円ぐらいからあり、コンビニとさほど変らない。味のほうは言うまでも無くウマイ。
ニュージーランドのパン屋も同じだが、パン自体の味が良いパン屋の惣菜パンはとてもウマイ。それでいてこの値段。店の人も幾つかおまけをしてくれてこれまた居心地が良い。僕が入り浸ってしまうのは間違いない。
アブナイ、アブナイ。松本はアブナイ街だ。
店主に尋ねると初代が100年近く前にアメリカで開店。その後、松本のこの地に店を構え、それ以来建物は新しくしたが同じ場所でやっている。
店主は4代目だそうだ。優しげな笑顔の向こうに、仕事に誇りを持つ男の顔が見えた。
近くには神社もある。これこそ八百万の神の場所だ。ヘイリーは建物をしげしげと眺める。見るものが全て珍しいのだ。一緒にいる僕も釣られてしげしげと見る。
テツが僕に話し掛けた。
「この辺りの歩道はハヤピがデザインしたのよ」
「え~!ハヤピ!本当?」
「ええ。まあ自分がデザインしました」
「それをもっと早く言ってよ」
僕がもしデザインなどしようものなら、ブラウニーより騒々しくみんなに吹聴するだろう。ハヤピはこんな時には自分から言わない。そんな人だ。
「みんな聞いてくれ。この辺りはハヤピがデザインしたんだって」
全員その後は賞賛の嵐である。ハヤピの持つセンスを皆が認め、僕達の距離がまた近づいた。
続
確かに昨日はハードだった。十時間以上のフライトの後、夜のドライブで安曇野のハヤピの家に着いたのは深夜を回っていた。その後でビールを飲んだりして、全員昨日の疲れが多少残っている。
「医者に行くほど悪いわけじゃあないけど、オレは弱っているよ」
ブラウニーらしくない事を言う。ヤツが弱音を吐いたのを初めて聞いた。
だが弱っているヤツに付き合って1日を棒に振るほど僕等はお人好しではない。
「そうか、じゃあオマエは1日寝てろ。オレ達は観光に行ってくる。夕方戻ってくるからな。それまでおとなしくしてろ」
「ああ、そうしてくれ」
ブラウニーは元気無く応え、ヘイリーが追い討ちをかける。
「パウダーの日じゃなくて良かったな。グフフフ」
さて僕らは安曇野観光である。自分も案内される身なので気が楽だ。
まずは山葵田。ワサビはニュージーランドでもわりと人気があり、皆良く知っている。
「この辺りは扇状地で伏流水が流れているのです。2,3mも掘ると水が湧き出すのでそれを利用して山葵を作っているのです」
ハヤピが説明して、それを僕が訳して伝える。ヘイリーが言った。
「西海岸でも育てている所があるぞ。そこもきれいな水が流れていたな」
道端の地蔵を見てヘザーが尋ねた。
「ヘッジ、これは何?」
「うーん、それはねえ・・・」
何て説明しようかと考えていたらすぐに彼女が続けた。
「八百万の一つ?」
「そうそう。八百万のうちの一つ」
僕はあらかじめ皆に日本は八百万の神の国だと説明してあった。
それ以後僕は自分が分からない物、英語で説明できない物、説明するのが面倒くさいものは全て八百万の一つで通した。
綺麗な流れの側には水車小屋がありへイリーが珍しげに眺める。
「そうか日本の建築の壁は土と草を混ぜ合わせて作るのか。この水車は製粉に使うんだろう?ナルホド」
2月半ばの安曇野は冷たい雨が降り、周りの木も葉を落とし寒々とした雰囲気だ。日本の冬は寂しい。
僕は物悲しいほど寂しい風景を見ながら、わびさびの世界をどうやって英語で言うのだろうなどと考えていた。
松本市内で信号待ちをしているとヘザーが尋ねた。
「この横の場所は何?刑務所か何か?」
土のグラウンドの向こうにコンクリート製の建物が並ぶ。グラウンドの周りをグルリと背の高いネットが囲む。日本のどこにでもあるような学校だ。まあ刑務所に見えなくも無い。
「何言ってるの。これは学校だよ。そうだよねえ、テツ」
テツが笑いながら言った。
「これはね、ハヤピが行っていた高校」
「ワハハハ。へザー!ハヤピが行ってた学校だってさ」
「アラ、アラ、どうしましょう」
彼女が実にきまりの悪そうな顔をした。助けを出してやる。
「日本は土地がないだろ。学校の敷地ギリギリまでグラウンドなのさ。中のボールが飛びださないようにフェンスが高いんだ。それにな、日本の学校のグラウンドは土だぞ。芝生のグラウンドなんかどこにも無い」
ニュージーランドの学校ではどこも芝生で土のグラウンドは無い。初めてニュージーランドに来た時には学校どころか公園のグラウンドがすべて芝生で、無料でそこを使えるということに驚いたものだ。小さい頃から土で擦りむく心配など無く思いっきりタックルができるような環境では、ラグビーが強くなるはずだ。
次は松本城である。ここは観光地なので英語の案内やパンフレットがあり、皆は僕のいい加減な通訳を聞かなくてすむ。
ニュージーランドは歴史の浅い国なので、こういった何百年も経っている建造物は珍しい。特にヘイリーは自分で家を建てるくらいだから建築に興味津々で、感心しながら眺めている。
天守閣まで登ると松本市内が一望できる。大きさはクライストチャーチと同じくらいだろうか。城の周りには近代的なビルが並ぶが、当時は瓦葺の屋根が目下に広がっていたのだろう。街はさぞかし美しかったはずだ。
晴れていれば山々も姿を現すのだろうが生憎の雨である。その雨の中、街を歩く。
松本は城下町である。城を中心に街が広がる。昔は城を守るのを兼ねて街を作った。
戦になって町は焼けても殿様を守ろうということだろうか。当時の主従関係を否定するわけではない。しかし今の世でもバカな政治家がとんでもない事をやり、そのツケが一般市民に回ってくるのは良くある事である。
ともあれ松本の街は素晴らしい。
特に僕が好きなのは市内を流れる川の付近、昔の街並が残っている辺りだ。
人形屋は人形を売り、刃物屋は刃物に関する物を売る。そういった店があちこちにありブラブラ歩くだけで楽しくなる。
そんな街の一角に登山用具屋がある。もちろん山道具を専門に扱う。
店は周りの雰囲気に見事に溶け込んでいる。狭い店内には山スキーをはじめ山用品が所狭しと並ぶ。商品はどれも実用的でまさしく山の店だ。
店の真ん中にストーブがあり居心地が良い。まるで雰囲気が山小屋で、店主はさしずめ山小屋のオーナーといったところだ。彼は50年以上もこの場所で店を開いている。僕がこの街に住んだら入り浸ってしまうのは間違いないだろう。
昼を食べる時間を逃してしまったので近くのパン屋へ向かう。
パン屋の中は半分が喫茶スペースになっており、その場で買ったパンを店内で食べることができる。ベーカリーカフェが日本にもあるのだ。
コーヒーは300円から。ニュージーランドドルにすると3ドル50セントくらいか。なんだニュージーランドに居るのと変らないじゃないか。パンは100円ぐらいからあり、コンビニとさほど変らない。味のほうは言うまでも無くウマイ。
ニュージーランドのパン屋も同じだが、パン自体の味が良いパン屋の惣菜パンはとてもウマイ。それでいてこの値段。店の人も幾つかおまけをしてくれてこれまた居心地が良い。僕が入り浸ってしまうのは間違いない。
アブナイ、アブナイ。松本はアブナイ街だ。
店主に尋ねると初代が100年近く前にアメリカで開店。その後、松本のこの地に店を構え、それ以来建物は新しくしたが同じ場所でやっている。
店主は4代目だそうだ。優しげな笑顔の向こうに、仕事に誇りを持つ男の顔が見えた。
近くには神社もある。これこそ八百万の神の場所だ。ヘイリーは建物をしげしげと眺める。見るものが全て珍しいのだ。一緒にいる僕も釣られてしげしげと見る。
テツが僕に話し掛けた。
「この辺りの歩道はハヤピがデザインしたのよ」
「え~!ハヤピ!本当?」
「ええ。まあ自分がデザインしました」
「それをもっと早く言ってよ」
僕がもしデザインなどしようものなら、ブラウニーより騒々しくみんなに吹聴するだろう。ハヤピはこんな時には自分から言わない。そんな人だ。
「みんな聞いてくれ。この辺りはハヤピがデザインしたんだって」
全員その後は賞賛の嵐である。ハヤピの持つセンスを皆が認め、僕達の距離がまた近づいた。
続