1週間に渡るイベントも残すところあと1日、最終日を前にして全員の休日である。
天気も良いのでスキーツアーへでることにした。シャル宿で歓迎会を開いてくれたエミッチがガイドをかってでてくれた。
スキー場のてっぺんから1時間ほどの登りで放山という小高い丘へ出られる。この辺りをツアーするのに基点となる場所である。ルートは分り易く、見える所を歩いて行けば良い。
雪の状態によっては腰のあたりまで埋まってしまう。その場合はスノーシューと呼ばれるかんじきのようなものや、スキーをはいたまま斜面を登れるシールといった道具が必要となる。
装備の無い人は行ける所まで歩いて上がり、あまりに雪が深く埋まってしまうならそこから引き返す、ということで歩き出した。
幸い雪は締まっておりスキーブーツが大して潜ることも無く歩けた。全員なんなく放山山頂に立つことが出来た。
山頂から見えるものはスキー場からのそれと基本的に同じだが、雰囲気は別世界である。ここへ来るまでは『前にも何回も行って景色も見ているし無理に行かなくてもいいや』ぐらいにしか思っていなかった。しかしその場に立ってみて、やはり来て良かったと心から思った。この感覚は歩かない人には分らないし、伝えることが出来ないものだ。
山頂ではビールを開け、いつもの儀式、大地に。
空は青く雪は白い。はるか彼方に日本海の青が広がり、空の青と溶け混じる。日本はやはり美しい国だ。今回来てそう思うのは何度めだろう。
自分の立っている場所が稜線上の一点であり、谷間は二つに別れる。自分達が来た方向には見慣れた能生谷の上流部。その奥には隣の谷。名立はKさんの出身地だ。そしてアライスキー場の大毛無し山頂。向こうで働いている時に何度も行った場所がある。
僕達が来た時には真っ白だった山は、ここ数日の天気で一斉に雪を落とした。大きな全層雪崩の跡がそこら中にある。雪崩の跡からは重い雪に一冬耐えてきた草花達が一斉に芽吹く。フキノトウが一番初めに出て、次々に草木は伸び山は山菜の宝庫となる。雪国の春はすぐそこまで来ている。
振り返れば火打が立ち、焼山から噴出す水蒸気が青い空に柔らかく浮かぶ。山が生きている証をぼーっと眺める。火山の中腹には溶岩が流れた跡が刻まれる。
海底プレートがぶつかって盛り上がり、氷河で削られて山ができたニュージーランドの南アルプスとは完全に形が違う。僕はその違いをこころゆくまで楽しんだ。
ここでグループを二つに分けた。アレックス、クリス、スーはスキー場へ戻り向こうで遊ぶ。僕、ヘイリー、ブラウニー、ヘザーはこの先へツアーを続ける。
ガイドのエミッチは一緒にクラブフィールドへも行ったし、夏のルートバーンも一緒に歩いた仲だ。その地に詳しい人というのはガイドにうってつけであり、それが友人であるならますます良い。ありがたいことだ。
もし自分がこのコースを行くなら、たぶん地図とコンパスで位置を確認しながら行くだろう。それがガイドがいると、後ろからのんびりついて行くだけでいいのだ。こりゃ楽ちんだ。
なだらかな尾根を越え、時に長いトラバースをしてのんびりツアー。ガシガシと滑るのも良いが、これはこれで又楽しい。
僕は一本の大きなだけかんばに抱きつき話し掛けた。
「あなたは何年くらいこの景色を見ているのですか?その間にはどんなことがあったのですか?」
だけかんばは答えてくれなかったけど、僕はしあわせだった。
行く手に笹倉温泉の屋根が見えてきた。
「みんな!今日のゴールが見えてきたぞ。あそこに建物があるだろう。あれがオンセンだ」
ヒャッホー、イーハー、ワオワオ。みんなおもいおもいの奇声をあげ斜面を下る。雪は完全に春のそれだが、人が踏んでいない雪面はそれだけで気持ちが良い。
下へ下りると道が近くなるが、まだ除雪をしておらず、数メートルの雪に埋もれている。カーブミラーがかろうじて頭だけを雪面から突き出している。僕達は足元の鏡を覗き込み、子供のように笑った。遊びは笑いながらするものだ。
田んぼの中をスキーで歩く。ヘザーとヘイリーはこの前やったがブラウニーは初めての経験だ。
雪の上だと目標の場所まで最短距離で行ける。実に気分が良い。
あっという間にオンセンに着いた。
このオンセンは僕も知っているので、エラソーに案内する。
「ハイハイ、女はこっち。野郎共はその先、トイレはここな。オレは先に入っているよ」
露天風呂はとても熱かった。ヘイリーもブラウニーも我慢して入っていたが、たまらず飛び出した。
「アチ、アチ、これはオレ達には熱すぎる」
そして素っ裸のまま雪の壁を攀じ登り、雪の上に大の字になってしまった。
笹倉温泉は能生谷とは直線距離で僅か数キロの位置にある。
一番近いのはもう一度山を登り、能生側に下りることだが、そんな事はしたくない。
次に考えたのはバス、電車、再びバスと乗り継ぎ帰る事だった。公共の交通機関を使うのも楽しそうだが、乗り継ぎなどが面倒くさい。
渡りに船とはこのことで、ローカルスキーヤーの坊さんが車を出してくれた。彼は僕らのセッションにも何回か参加して、メンバーにも会っている。
プロの坊主、という日本語はおかしいかもしれないが、彼はそれで生計を立てているので立派なプロなのだ。僕らは親しみを込めて『坊さん』と呼ぶ。
そんな坊さんが僕らを彼の寺に案内してくれると言う。僕達はありがたく彼の好意に甘えた。
雪深い里に彼の寺はあった。どっしりした造りは長年の雪の重さに耐えてきた物だ。この辺りは、今からは想像も出来ないくらい雪が降ったはずだ。広い堂内は寒いが、メンバーはおもいおもいに写真などを撮り喜んでいる。
「坊さん、この寺はどれくらい古いの?」
「はっきりしたことは分らないんです。僕が知っているのは、僕で26代目ということです。それ以前にも寺はあったんですが、どれくらい古いかはわかりません」
メンバーにその事を伝えると、どよめきが起きた。26代というと少なく見積もっても500年以上は経っている。
そんな歴史の末端にパウダーが大好きな僧侶がおり、4WDのバンの中で最新のヒップホップを聞く。そのコントラストが面白い。
帰りにはコンビニに寄る。店員の娘がアレックスを見てハッとしたコンビニである。狭い店内にはぎっしりと商品が並ぶ。あまりの種類の多さに目移りしてしまう。
チキンカツサンドとピザまんを買って店の外へ出た。外ではブラウニーがすでにピザまんをほおばっていた。
「なんだブラウニーもピザまんか。おれもだ」
「他に何を買った?」
「チキンカツサンド」
「これか?」
ヤツは袋からサンドイッチを見せた。
「何でこんなにたくさん種類があるのに、同じモノなんだよう」
「それはオレが言いたいぜ」
一緒に生活をしていると好みまで似てくるのか。僕らは顔を見合わせて笑った。笑うしかないだろう。
続
天気も良いのでスキーツアーへでることにした。シャル宿で歓迎会を開いてくれたエミッチがガイドをかってでてくれた。
スキー場のてっぺんから1時間ほどの登りで放山という小高い丘へ出られる。この辺りをツアーするのに基点となる場所である。ルートは分り易く、見える所を歩いて行けば良い。
雪の状態によっては腰のあたりまで埋まってしまう。その場合はスノーシューと呼ばれるかんじきのようなものや、スキーをはいたまま斜面を登れるシールといった道具が必要となる。
装備の無い人は行ける所まで歩いて上がり、あまりに雪が深く埋まってしまうならそこから引き返す、ということで歩き出した。
幸い雪は締まっておりスキーブーツが大して潜ることも無く歩けた。全員なんなく放山山頂に立つことが出来た。
山頂から見えるものはスキー場からのそれと基本的に同じだが、雰囲気は別世界である。ここへ来るまでは『前にも何回も行って景色も見ているし無理に行かなくてもいいや』ぐらいにしか思っていなかった。しかしその場に立ってみて、やはり来て良かったと心から思った。この感覚は歩かない人には分らないし、伝えることが出来ないものだ。
山頂ではビールを開け、いつもの儀式、大地に。
空は青く雪は白い。はるか彼方に日本海の青が広がり、空の青と溶け混じる。日本はやはり美しい国だ。今回来てそう思うのは何度めだろう。
自分の立っている場所が稜線上の一点であり、谷間は二つに別れる。自分達が来た方向には見慣れた能生谷の上流部。その奥には隣の谷。名立はKさんの出身地だ。そしてアライスキー場の大毛無し山頂。向こうで働いている時に何度も行った場所がある。
僕達が来た時には真っ白だった山は、ここ数日の天気で一斉に雪を落とした。大きな全層雪崩の跡がそこら中にある。雪崩の跡からは重い雪に一冬耐えてきた草花達が一斉に芽吹く。フキノトウが一番初めに出て、次々に草木は伸び山は山菜の宝庫となる。雪国の春はすぐそこまで来ている。
振り返れば火打が立ち、焼山から噴出す水蒸気が青い空に柔らかく浮かぶ。山が生きている証をぼーっと眺める。火山の中腹には溶岩が流れた跡が刻まれる。
海底プレートがぶつかって盛り上がり、氷河で削られて山ができたニュージーランドの南アルプスとは完全に形が違う。僕はその違いをこころゆくまで楽しんだ。
ここでグループを二つに分けた。アレックス、クリス、スーはスキー場へ戻り向こうで遊ぶ。僕、ヘイリー、ブラウニー、ヘザーはこの先へツアーを続ける。
ガイドのエミッチは一緒にクラブフィールドへも行ったし、夏のルートバーンも一緒に歩いた仲だ。その地に詳しい人というのはガイドにうってつけであり、それが友人であるならますます良い。ありがたいことだ。
もし自分がこのコースを行くなら、たぶん地図とコンパスで位置を確認しながら行くだろう。それがガイドがいると、後ろからのんびりついて行くだけでいいのだ。こりゃ楽ちんだ。
なだらかな尾根を越え、時に長いトラバースをしてのんびりツアー。ガシガシと滑るのも良いが、これはこれで又楽しい。
僕は一本の大きなだけかんばに抱きつき話し掛けた。
「あなたは何年くらいこの景色を見ているのですか?その間にはどんなことがあったのですか?」
だけかんばは答えてくれなかったけど、僕はしあわせだった。
行く手に笹倉温泉の屋根が見えてきた。
「みんな!今日のゴールが見えてきたぞ。あそこに建物があるだろう。あれがオンセンだ」
ヒャッホー、イーハー、ワオワオ。みんなおもいおもいの奇声をあげ斜面を下る。雪は完全に春のそれだが、人が踏んでいない雪面はそれだけで気持ちが良い。
下へ下りると道が近くなるが、まだ除雪をしておらず、数メートルの雪に埋もれている。カーブミラーがかろうじて頭だけを雪面から突き出している。僕達は足元の鏡を覗き込み、子供のように笑った。遊びは笑いながらするものだ。
田んぼの中をスキーで歩く。ヘザーとヘイリーはこの前やったがブラウニーは初めての経験だ。
雪の上だと目標の場所まで最短距離で行ける。実に気分が良い。
あっという間にオンセンに着いた。
このオンセンは僕も知っているので、エラソーに案内する。
「ハイハイ、女はこっち。野郎共はその先、トイレはここな。オレは先に入っているよ」
露天風呂はとても熱かった。ヘイリーもブラウニーも我慢して入っていたが、たまらず飛び出した。
「アチ、アチ、これはオレ達には熱すぎる」
そして素っ裸のまま雪の壁を攀じ登り、雪の上に大の字になってしまった。
笹倉温泉は能生谷とは直線距離で僅か数キロの位置にある。
一番近いのはもう一度山を登り、能生側に下りることだが、そんな事はしたくない。
次に考えたのはバス、電車、再びバスと乗り継ぎ帰る事だった。公共の交通機関を使うのも楽しそうだが、乗り継ぎなどが面倒くさい。
渡りに船とはこのことで、ローカルスキーヤーの坊さんが車を出してくれた。彼は僕らのセッションにも何回か参加して、メンバーにも会っている。
プロの坊主、という日本語はおかしいかもしれないが、彼はそれで生計を立てているので立派なプロなのだ。僕らは親しみを込めて『坊さん』と呼ぶ。
そんな坊さんが僕らを彼の寺に案内してくれると言う。僕達はありがたく彼の好意に甘えた。
雪深い里に彼の寺はあった。どっしりした造りは長年の雪の重さに耐えてきた物だ。この辺りは、今からは想像も出来ないくらい雪が降ったはずだ。広い堂内は寒いが、メンバーはおもいおもいに写真などを撮り喜んでいる。
「坊さん、この寺はどれくらい古いの?」
「はっきりしたことは分らないんです。僕が知っているのは、僕で26代目ということです。それ以前にも寺はあったんですが、どれくらい古いかはわかりません」
メンバーにその事を伝えると、どよめきが起きた。26代というと少なく見積もっても500年以上は経っている。
そんな歴史の末端にパウダーが大好きな僧侶がおり、4WDのバンの中で最新のヒップホップを聞く。そのコントラストが面白い。
帰りにはコンビニに寄る。店員の娘がアレックスを見てハッとしたコンビニである。狭い店内にはぎっしりと商品が並ぶ。あまりの種類の多さに目移りしてしまう。
チキンカツサンドとピザまんを買って店の外へ出た。外ではブラウニーがすでにピザまんをほおばっていた。
「なんだブラウニーもピザまんか。おれもだ」
「他に何を買った?」
「チキンカツサンド」
「これか?」
ヤツは袋からサンドイッチを見せた。
「何でこんなにたくさん種類があるのに、同じモノなんだよう」
「それはオレが言いたいぜ」
一緒に生活をしていると好みまで似てくるのか。僕らは顔を見合わせて笑った。笑うしかないだろう。
続