あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ジャパントリップ 7

2009-10-09 | 
 海沿いの道から折れ、谷を奥へ進む。
 能生谷である。
 三年ぶりの景色は懐かしく僕を迎えた。
 能生味噌の看板も同じ場所に立っている。脳ミソと僕らは呼んでいたが、とてもウマイ。こんなミソで朴葉みそなど作ってみたいものだ。
 谷の出口付近からはスキー場はまだ見えない。
 さらに進むと豆腐の無人販売がある。小さな冷蔵庫に数種類の豆腐、豆乳があり、客はお釣りが必要な時は容器から取っていく。クライストチャーチ郊外のアスパラの無人販売は数年前に鍵付きの箱に変ってしまった。ここは今でも鍵は無いのだろうか。
 この豆腐がまたウマイ。僕が一番好きなのはおぼろ豆腐だ。能生はウマイものだらけだ。
 谷を上るにつれ、車の窓に当る雨に固形物が混ざる。白い粒は標高の変化と共に水気がなくなり、みるみるうちに雪に変わる。道端の雪の壁が高くなる。



 学校帰りの子供にブラウニーが笑顔で手を振る。
「ブラウニー、それぐらいにしとけ。日本では学校で子供に『知らない人に挨拶をしてはいけません』と教える。誘拐とか殺人とかが多いからだ」
「ひどい話だな。それならこのオレみたいに『挨拶だけする良い人もいます』って教えてあげなくちゃあ」
 そう言うと車の窓を開け身をのりだし、通る子供にハローハローとニコニコしながら言うのであった。子供達が目を丸くして見ている。
 雪の壁はどんどん高さを増し、民家も少なくなる。そして対岳荘到着。僕らの一週間の家である。



 この宿は親子2代でやっていて、三年前は僕もよくお世話になった。
「皆、この人がここのシャチョー、意味はボスだ。彼がボスだぞ」
「ハロー、シャチョー」
「ハロー、ボス」
「うんうん、まあ良く来たね」
 シャチョーは前と全く同じ笑顔で僕たちを迎えてくれた。
 挨拶もそこそこに、荷物を広げ滑りに行く準備をする。皆パウダーが好きな連中なのでこんな時の行動はおそろしく早い。
 対岳荘のある集落は柵口という。ませぐちと読む。
 この辺りでも雪は充分深い。さらに次の集落、西飛山。この谷の最終集落である。高くなった雪の壁は家を包み込む。
 ブラウニーがあきれたように言う。
「こんなに雪が深いとは思わなかった。ぶったまげたよ」
「そうだろう。これでも昔に比べるとはるかに雪は少なくなったらしい。まだまだもっと深くなるぞ」
「本当か?確かにこれはすごいな」
 さらに谷を上がりスキー場の近くまで来ると雪の壁は3m以上になる。カーブミラーが雪に埋まり頭だけ覗かせる。
「こんなに雪が深い所に来たのは初めてだわ」
 へザーが溜息混じりに呟いた。



 道にはすでに雪が積もり、除雪車が作業をしている。
「ブラウニー、このマシンはここではピーターと呼ばれているんだ」
「ピーター?何故ピーターなんだ?」
「知らん。だけど人々は皆ピーターと呼ぶ」
「分った。ハローピーター、アハハハハ」
 運転手にニコニコと手を振る。すっかりご機嫌だ。
 一台のブルドーザーが除雪をしているので後ろにつく。運転手は快く道を譲ってくれた。
 パンチだ。向こうも気が付いたらしい。手を上げて挨拶をする。
 パンチパーマがトレードマークで、あだ名はそのままパンチ。気のいい兄ちゃんだ。彼とも何度か酒を酌み交わした。
 知った顔を見るのは嬉しい。この景色といい、そこで働く人といい、全てが三年ぶりだ。
 スキー場の正面玄関を入るとスクール受付カウンターがある。そこには名古屋の空港で見たジグザグマンの看板が。そして吹き抜けのホールには特大のジグザグマンが居た。ヘイリーは照れくさそうだ。



 ここでJCが迎えてくれた。
 JCと僕はもう何年の付き合いだろうか。日本人だがJCなのだ。
 福島、岐阜、そして新潟のスキー場で一緒に働いた。スキー場の寮に住んでいたので仕事も風呂も酒を飲むのも飯を食うのも寝るのも(ベッドは別だ)一緒で、文字通り24時間顔を付き合わせるという生活を何年もした。ニュージーランドでも友達の家の庭にテントを張って寝起きし、そこから一緒にクラブフィールドへ通った。
 今はここシャルマン火打でスキーパトロールを勤める。
 もともとヤツはスノーボーダーだったのだが、今ではすっかりスキーヤーになってしまった。その原因はどうやら僕にあるらしい。
 クラブフィールドへも僕と同じ時から出入りを始めた。今回のメンバーを選んだのもJCだ。
「皆がここに居る事が信じられないよ」
 僕だってそうだ。
「夢は実現するのよ」
 ヘザーが言い、全員が頷いた。
 リフト終了まであまり時間が無いのですぐに滑りに行く。ここからはJCがガイドなので気が楽だ。僕は久しぶりの日本の雪を楽しむことにしよう。
 友達のアレックスから買ったばかりの新品の板で、半年ぶりの1本目からパウダーか。やれやれ僕のスキーのスタイルも全く変わってないな。滑べり出して数秒で勘はよみがえる。と言うより、そうせざるをえない。目の前にはパウダーがあるのだ。ゆっくり足慣らしなど真っ平ごめんだ。快楽に身を任す。
 JCが皆を引っ張ってくれるので、僕はちょっと外れてお気に入りのラインへ。
 僕のカンはまだまだ鈍っておらず、細かな斜面変化も完全に覚えていた。ちょっとトラバースをして斜度のきつい面を行く。
 板が雪を押し分けて潜り、雪の抵抗を受けてしなる。ナルホドこれが竹の力か、気持ちいいぞ、これは。
 今回僕が使っている板はキングスウッドというメイドインニュージーランドのスキー板だ。ブラウニーの友達のアレックスが自分で作っているハンドメイドのスキーなのだ。
 アレックスはやはりクラブスキー場に出入りしていて、このキングスウッドはクラブスキー場で生れた。試行錯誤を繰り返し、芯材に竹を使っている。まだこの世に100セットぐらいしかこの板は無い。僕の板は黒地に赤黄緑の帯が入ったヘッジスペシャル。世界に1本だけのスキーである。
 今は奥さんのクリスと北海道のニセコに行っていて、明日合流することになっている。
 誰も踏んでいない雪に、自分の板を潜らせる。板で押された雪が胸まで跳ねあがる。ただひたすら、快感なのだ。
こんなに楽しいことを追い求めた結果、再びこの雪を踏む事ができた。ありがたや、ありがたや。
 足に絡みつく雪の抵抗に負けないよう、より落差の大きい場所を選ぶ。それなりのスピードも必要だ。新雪という自然からの贈り物をありがたく味わう。
 新雪の中の浮遊感というものはなかなか説明するのが難しいが、パウダーを好きな人なら必ず分かり合える世界がそこにある。
 僕はサーフィンはやらないが、良い波に乗る、というのもたぶん似たような感覚だと思う。サーフィンは波の力と水の抵抗、スキーは重力と雪の抵抗というように若干の違いはあるけれど、共に自然の中で遊ばせてもらう事に変りは無い。冬にスキーやスノーボードをする人で、夏にサーフィンをする人は多い。へザーもヘイリーも夏はサーファーだ。
 雪山と海、両方の世界を良く知る人を羨ましく思う。



 リフトに乗り再び上へ。
「どうだ、ブラウニー?日本の雪は?」
「最高。オレにはなによりの薬だ。もう完全に治ったよ」
「な、日本も良い所は良いんだよ」
「ありがとう。オレを連れてきてくれて」
「まだ礼を言うのは早いぞ。まだまだ楽しみはこれからだ」
「次の1本は何処へ行く?」
「そうだな。さっきはこの左手の斜面を滑っただろ。次はたぶんリフトを挟んで反対側の面だな。あそこに沢があるだろう。あれは『オレの谷』だ。JCが最初に滑った時に、オレの谷だって思ったそうだ。それ以来、オレの谷」
「オレの谷か、いいじゃないか。ヤッホー、オレは治ったぞ!100パーセントだ!」
 降りしきる雪の中にブラウニーの叫びが吸い込まれた。
 2本目はオレの谷である。ドロップインの辺りはストンと落ちていてその先は見えない。こんな時は地形を知っているローカルが有利だ。僕も以前のカンを頼りに目印の杉の木の脇から飛び込む。
 見覚えのある木が見覚えのある場所に立っている。このコースを何十回滑っただろう。以前と全く変っていない斜面に懐かしさを感じながら滑る。当然のように何処が踏まれて、何処が残っているのかも分る。あとは現場で調整をしながら、快楽の渦に呑まれるのみ。
 充実した数本を滑り宿へ戻る。


コメント
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