次の朝6時ごろ目が覚めてしまった。二度寝もできそうも無いし、朝風呂にしよう。
寝ている二人に気を使い、ガサゴソと用意をしているとブラウニーが話し掛けた。
「オハヨー、オマエどこに行くんだ?まさか朝のジョギングなんていうんじゃないだろうな」
「いや、温泉に行くんだよ」
ヤツはガバッと起きて言った。
「何?それならオレも行く」
「オレも」
ヘイリーもむくりと起きて言った。
「なんだ、みんな起きていたのか。それなら行こう」
オンセンは思いの外、熱かった
「アチ、アチ、どうやって入るんだ、こんなに熱いの」
「日本の諺で『心頭滅却すれば火もまた涼し』というのがある。熱いと思うから熱いのであって、熱いと思わなければ熱くない」
僕はエラソーに説教した。説く方も聞く方も素っ裸なのでちょっと間抜けだ。
「そうか、じゃあそのシントー何とかでオマエが先に入ってくれ」
「いや、実はオレもそこまで人間ができてない。水をじゃんじゃん入れてうめて入ろう」
「グフフフ」
何とか入れるほどの温度になったが、まだかなり熱い。長く浸かっていられる温度ではない。
「日本人はみんな、こんな熱い風呂に入るのか?」
「ここなんかまだいい方だ。別のオンセンに行くとオレでも入れないほど熱いのがある。それでもローカル達は平気で入っていて、余所者が来て水を入れると叱り飛ばすんだ」
「オレたちはここで良かったよ。せっかくのオンセンで見ているだけなんてつまらないよ」
のぼせたヘイリーが窓を開けて外を見た。
「ヒュー、今日は青空だぜ。昨晩はしっかり積ったみたいだな」
「ああ、たぶん昨日滑った跡は消えているだろう。今日は人も多そうだな。朝一のリフト待ちがあるよ。今日は最高の日だ。オレが保証する」
風呂を出ると朝飯である。朝食は和食だ。
昨日の夜、シャチョーの息子のヒロシが僕に相談を持ちかけた。
「あのう、皆さんの朝食はどんなのがいいでしょうか?」
「ここでいつも出しているものを出してよ」
「焼き魚とか味噌汁ですよ」
「うんうん、食べても食べられなくても最初はそれでいこう。きっと皆そのほうが喜ぶよ」
そんなヒロシが用意してくれたのは、焼き魚、卵、納豆、海苔、漬物、味噌汁、そしてここで取れた米。ぼくにとっては超がつくぐらいの御馳走である。
ヘイリーが果敢にも納豆に挑戦。ヤツは髭をネバネバの糸だらけにしてあえなく敗退。他のメンバーはそれを見て臭いを嗅いで降参である。
朝から米と魚というのは彼らには重すぎたようだ。まあ何事も経験、経験。
僕1人がウマイウマイと何杯もお代わりをして最後まで食べていた。ここの米のウマさはメンバーには分らない。
スキー場に着き、支度をしているとブラウニーが騒々しく言った。
「オイ、ここのトイレ行ったか?ヘイリーだらけで落着いて小便もできやしないぜ」
言われる通りトイレに行ってみると、小便器にも手洗いにも、もちろん個室にもジグザグマンが居た。ナルホド、こりゃイヤでも目に入るな。テツが言っていたのはこのことか。
リフト運転までにはまだ時間があるが、すでに乗り場には列ができ始めている。さっさと支度をして列に並ぶ。
「みんないるか?あれ、ハナコがいないぞ」
「彼女は髪をやっているのよ」
ユリコが言った。横にいたブラウニーと目があった。やれやれというかんじでヤツが言った。
「髪をやってるんだとさ」
「髪をやってるんだって」
「一応女なんだな」
「女なんだね」
間も無く女のハナコも合流してリフトで上へ。昨日のスキー跡がぼんやりと新雪に凸凹をつくる。雪の表面が朝日をあびて光る。
昨日とは打って変っての晴天。視界が良いのと昨日下見が済んでいるのとで皆かなり飛ばす。僕も負けずに新雪に突っ込む。
今日もまたアレックスの板は絶好調だ。さすがオフピステしかないクラブスキー場で生れた板だけある。アレックスも喜ぶだろう。
最近はスピードに乗って大きいターンで滑るのが主流だが、急な斜面を小刻みにターンを刻むのが僕のスタイルだ。
幅の広い板の方が雪の中での浮力が大きいので、かっ飛ばすには幅広の板が良い。
僕の滑りは板を潜らせる楽しみもあるので板の幅は狭い。かといって狭すぎても板が浮いてこないのでダメだ。そのへんは長さ、幅、しなり、形、重さのバランスだ。この板を作ったアレックスのセンスが良いのだ。僕はすっかりこの板を好きになっていた。
リフトでヘイリーと隣り合わせた。
「ヘッジ、オマエはここの雪は重たいと言っていたけど、なかなかどうして、良いじゃあないか」
「ああ、昨晩雪が上がって晴れただろう。放射冷却で余計な水分が抜けたのさ。まあ見てろ、あっちの日当たりのいい斜面はあと1時間で雪が腐る」
「ナルホド、スキー場の中で雪崩はどうなんだ?」
スキーパトロールを職業としている男の当然の質問だ。
「雪崩の心配はほとんど無い。ここのスキー場で一番危ないのは建物の周りだ。屋根の雪が一気に落ちてくる。ルーフアバランチだ。どうだ、こんなのニュージーランドには無いだろう」
「全くな、こんな場所だとは思わなかった」
「まだまだ始まったばかりだ。時間を見つけて奥の山へツアースキーなんてのもいいぞ。ビールを持って行こう」
「それはいいなあ。グフフフ」
山頂からは素晴らしい景色が広がる。
スキー場の側面には権現岳。標高は高くないが険しい山だ。
3年前の5月、僕はJC、ハヤピ、テツと一緒にこの山に登っている。
鎖場、石楠花の群生、紫色のかたくりの群生、大きな岩が積み重なってできたトンネル。稜線に出れば足元は幅数十センチ、その両側は数百メートルの切り立った斜面。文字通りナイフリッジ、落ちれば間違いなく死ぬだろう。さらにその先には覗かずの窓と呼ばれる岩の窪み。凹、本当にこんな形をしているのだ。スキー場からもはっきり見える。そしてピークからは文句無しの展望。
僕は日本の夏山をほとんど知らないが、こんなに身近で本格的で変化に富んだコースを他に知らない。
どんなに綺麗な道でも、ずーっと同じ景色が続くと飽きる。それが植生の変化であれ、地形の変化であれ、何かしらの変化があれば楽しめる。その距離と変化のバランスが良いと最高の山歩きができる。
ニュージーランドの山歩きが楽しい理由はここにある。
権現岳はそんな山だ。僕に夏山歩きの楽しさを教えてくれた山である。
その脇の長い谷の向こうには日本海。青い海に佐渡ヶ島が雪を載せて浮かぶ。後ろを振り返ると火打が堂々とそびえ、その横の焼山からは水蒸気が煙のように上がる。空は青く周りの白い世界と調和する。美しい世界だ。日本は美しい国だ。時と場所を間違えさえしなければ。
昼は山頂のレストランでランチだ。僕は知っていたが、皆は宿にいたシャチョーが山頂にもいるのでまたビックリだ。お手製のラーメンやカレーはメンバーにも好評で、へザー曰く、今までの人生で一番美味しいカレー、だそうだ。
昼飯を食べている時にも、屋根に積った雪がドドドと大きな音をたてて滑り落ちる。
「な、これがルーフアバランチだ。これで死ぬ人もいるんだぞ」
みんな神妙に頷いた。
午後は明日からのセッションに備え各自でコースの最終確認。そして宿へ戻る。
ブラウニーの話だと風呂がぬるいらしい。というわけで近くの温泉センターへ。僕はこちらも何げに好きなのだ。
風呂から出ると、子連れの家族が弁当をひろげている。微笑ましいと思いきや、なんだ友達のモスオとイズミだ。
この男は以前、モスというメーカーの板を使っていただけでモスオと呼ばれた。 今でもニュージーランドの僕の家ではモスオだ。娘もモスオ、モスオとなついている。
彼とは15年ぐらい前にクィーンズタウンでスキーバムをやっていた頃からの仲だ。奥さんのイズミもその時からの友達だ。
ちなみにスキーバムとは、仕事もしないで毎日スキーをするという非常に羨ましい人のことである。スキーバム時代、リフトに乗る度にスタッフが「仕事を見つけろよ、ヘッジ」と僕を恨めしそうに送り出した。
そんなモスオ夫婦にも娘が生まれ、ヤツはいい父親ぶりを見せている。
これから風呂に入るモスオ親子に付き合って、僕ももう一度風呂に入る。
娘の頭からザブンザブンと湯をかけるモスオ、その度にギュッと目をつぶる娘。 モスオに話したいことはたくさんあったが、何となく胸が一杯になり上手く喋れず微笑むのみ。
続
寝ている二人に気を使い、ガサゴソと用意をしているとブラウニーが話し掛けた。
「オハヨー、オマエどこに行くんだ?まさか朝のジョギングなんていうんじゃないだろうな」
「いや、温泉に行くんだよ」
ヤツはガバッと起きて言った。
「何?それならオレも行く」
「オレも」
ヘイリーもむくりと起きて言った。
「なんだ、みんな起きていたのか。それなら行こう」
オンセンは思いの外、熱かった
「アチ、アチ、どうやって入るんだ、こんなに熱いの」
「日本の諺で『心頭滅却すれば火もまた涼し』というのがある。熱いと思うから熱いのであって、熱いと思わなければ熱くない」
僕はエラソーに説教した。説く方も聞く方も素っ裸なのでちょっと間抜けだ。
「そうか、じゃあそのシントー何とかでオマエが先に入ってくれ」
「いや、実はオレもそこまで人間ができてない。水をじゃんじゃん入れてうめて入ろう」
「グフフフ」
何とか入れるほどの温度になったが、まだかなり熱い。長く浸かっていられる温度ではない。
「日本人はみんな、こんな熱い風呂に入るのか?」
「ここなんかまだいい方だ。別のオンセンに行くとオレでも入れないほど熱いのがある。それでもローカル達は平気で入っていて、余所者が来て水を入れると叱り飛ばすんだ」
「オレたちはここで良かったよ。せっかくのオンセンで見ているだけなんてつまらないよ」
のぼせたヘイリーが窓を開けて外を見た。
「ヒュー、今日は青空だぜ。昨晩はしっかり積ったみたいだな」
「ああ、たぶん昨日滑った跡は消えているだろう。今日は人も多そうだな。朝一のリフト待ちがあるよ。今日は最高の日だ。オレが保証する」
風呂を出ると朝飯である。朝食は和食だ。
昨日の夜、シャチョーの息子のヒロシが僕に相談を持ちかけた。
「あのう、皆さんの朝食はどんなのがいいでしょうか?」
「ここでいつも出しているものを出してよ」
「焼き魚とか味噌汁ですよ」
「うんうん、食べても食べられなくても最初はそれでいこう。きっと皆そのほうが喜ぶよ」
そんなヒロシが用意してくれたのは、焼き魚、卵、納豆、海苔、漬物、味噌汁、そしてここで取れた米。ぼくにとっては超がつくぐらいの御馳走である。
ヘイリーが果敢にも納豆に挑戦。ヤツは髭をネバネバの糸だらけにしてあえなく敗退。他のメンバーはそれを見て臭いを嗅いで降参である。
朝から米と魚というのは彼らには重すぎたようだ。まあ何事も経験、経験。
僕1人がウマイウマイと何杯もお代わりをして最後まで食べていた。ここの米のウマさはメンバーには分らない。
スキー場に着き、支度をしているとブラウニーが騒々しく言った。
「オイ、ここのトイレ行ったか?ヘイリーだらけで落着いて小便もできやしないぜ」
言われる通りトイレに行ってみると、小便器にも手洗いにも、もちろん個室にもジグザグマンが居た。ナルホド、こりゃイヤでも目に入るな。テツが言っていたのはこのことか。
リフト運転までにはまだ時間があるが、すでに乗り場には列ができ始めている。さっさと支度をして列に並ぶ。
「みんないるか?あれ、ハナコがいないぞ」
「彼女は髪をやっているのよ」
ユリコが言った。横にいたブラウニーと目があった。やれやれというかんじでヤツが言った。
「髪をやってるんだとさ」
「髪をやってるんだって」
「一応女なんだな」
「女なんだね」
間も無く女のハナコも合流してリフトで上へ。昨日のスキー跡がぼんやりと新雪に凸凹をつくる。雪の表面が朝日をあびて光る。
昨日とは打って変っての晴天。視界が良いのと昨日下見が済んでいるのとで皆かなり飛ばす。僕も負けずに新雪に突っ込む。
今日もまたアレックスの板は絶好調だ。さすがオフピステしかないクラブスキー場で生れた板だけある。アレックスも喜ぶだろう。
最近はスピードに乗って大きいターンで滑るのが主流だが、急な斜面を小刻みにターンを刻むのが僕のスタイルだ。
幅の広い板の方が雪の中での浮力が大きいので、かっ飛ばすには幅広の板が良い。
僕の滑りは板を潜らせる楽しみもあるので板の幅は狭い。かといって狭すぎても板が浮いてこないのでダメだ。そのへんは長さ、幅、しなり、形、重さのバランスだ。この板を作ったアレックスのセンスが良いのだ。僕はすっかりこの板を好きになっていた。
リフトでヘイリーと隣り合わせた。
「ヘッジ、オマエはここの雪は重たいと言っていたけど、なかなかどうして、良いじゃあないか」
「ああ、昨晩雪が上がって晴れただろう。放射冷却で余計な水分が抜けたのさ。まあ見てろ、あっちの日当たりのいい斜面はあと1時間で雪が腐る」
「ナルホド、スキー場の中で雪崩はどうなんだ?」
スキーパトロールを職業としている男の当然の質問だ。
「雪崩の心配はほとんど無い。ここのスキー場で一番危ないのは建物の周りだ。屋根の雪が一気に落ちてくる。ルーフアバランチだ。どうだ、こんなのニュージーランドには無いだろう」
「全くな、こんな場所だとは思わなかった」
「まだまだ始まったばかりだ。時間を見つけて奥の山へツアースキーなんてのもいいぞ。ビールを持って行こう」
「それはいいなあ。グフフフ」
山頂からは素晴らしい景色が広がる。
スキー場の側面には権現岳。標高は高くないが険しい山だ。
3年前の5月、僕はJC、ハヤピ、テツと一緒にこの山に登っている。
鎖場、石楠花の群生、紫色のかたくりの群生、大きな岩が積み重なってできたトンネル。稜線に出れば足元は幅数十センチ、その両側は数百メートルの切り立った斜面。文字通りナイフリッジ、落ちれば間違いなく死ぬだろう。さらにその先には覗かずの窓と呼ばれる岩の窪み。凹、本当にこんな形をしているのだ。スキー場からもはっきり見える。そしてピークからは文句無しの展望。
僕は日本の夏山をほとんど知らないが、こんなに身近で本格的で変化に富んだコースを他に知らない。
どんなに綺麗な道でも、ずーっと同じ景色が続くと飽きる。それが植生の変化であれ、地形の変化であれ、何かしらの変化があれば楽しめる。その距離と変化のバランスが良いと最高の山歩きができる。
ニュージーランドの山歩きが楽しい理由はここにある。
権現岳はそんな山だ。僕に夏山歩きの楽しさを教えてくれた山である。
その脇の長い谷の向こうには日本海。青い海に佐渡ヶ島が雪を載せて浮かぶ。後ろを振り返ると火打が堂々とそびえ、その横の焼山からは水蒸気が煙のように上がる。空は青く周りの白い世界と調和する。美しい世界だ。日本は美しい国だ。時と場所を間違えさえしなければ。
昼は山頂のレストランでランチだ。僕は知っていたが、皆は宿にいたシャチョーが山頂にもいるのでまたビックリだ。お手製のラーメンやカレーはメンバーにも好評で、へザー曰く、今までの人生で一番美味しいカレー、だそうだ。
昼飯を食べている時にも、屋根に積った雪がドドドと大きな音をたてて滑り落ちる。
「な、これがルーフアバランチだ。これで死ぬ人もいるんだぞ」
みんな神妙に頷いた。
午後は明日からのセッションに備え各自でコースの最終確認。そして宿へ戻る。
ブラウニーの話だと風呂がぬるいらしい。というわけで近くの温泉センターへ。僕はこちらも何げに好きなのだ。
風呂から出ると、子連れの家族が弁当をひろげている。微笑ましいと思いきや、なんだ友達のモスオとイズミだ。
この男は以前、モスというメーカーの板を使っていただけでモスオと呼ばれた。 今でもニュージーランドの僕の家ではモスオだ。娘もモスオ、モスオとなついている。
彼とは15年ぐらい前にクィーンズタウンでスキーバムをやっていた頃からの仲だ。奥さんのイズミもその時からの友達だ。
ちなみにスキーバムとは、仕事もしないで毎日スキーをするという非常に羨ましい人のことである。スキーバム時代、リフトに乗る度にスタッフが「仕事を見つけろよ、ヘッジ」と僕を恨めしそうに送り出した。
そんなモスオ夫婦にも娘が生まれ、ヤツはいい父親ぶりを見せている。
これから風呂に入るモスオ親子に付き合って、僕ももう一度風呂に入る。
娘の頭からザブンザブンと湯をかけるモスオ、その度にギュッと目をつぶる娘。 モスオに話したいことはたくさんあったが、何となく胸が一杯になり上手く喋れず微笑むのみ。
続