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おなかに赤ちゃん…凍る海「絶対に生きる」 6月に出産予定

2011年03月24日 09時03分33秒 | ニュース
 凍るような水の中を懸命に泳いだ。「絶対に生きる」。宮城県名取市の主婦、佐藤弘子さん(31)は、小さな命が息づくおなかを丁寧にさすりながら語り始めた。孫の誕生を楽しみにしていた父の行方は分からない。「助けられた命。大切にしたい」。涙をこらえ、前を向く。


避難の車に津波が


 11日午後3時すぎ。余震を恐れ、自宅を車で出発した。目的地は阿武隈川を越えた亘(わた)理(り)町の実家。弟夫婦の片岡拓郎さん(28)、千春さん(27)、その長男の謙介君(4)、長女の彩乃ちゃん(2)も一緒だった。

 普段通る道は大きくゆがみ、通れない。仕方なく海岸沿いの道を進んだ。防災無線は聞こえなかった。「津波」は頭の隅にもなかった。

 橋に差しかかったときだった。「津波だ」。遅かった。5人を乗せた車は、浮かんだまま流された。

 足元に冷たい水がゆっくりと入り込む。「怖いよ」「嫌だよ」。幼い2人が泣き叫ぶ。「このままでは死ぬ」。サンルーフからはい上がった。車は見る見る沈む。2人を抱えて目の前に浮く廃材の固まりに乗り移った。


1枚の畳に


 いてつく海水の中。なすすべもない。どれくらいたっただろうか、1枚の畳が流れ着いた。100メートルほど先に建物が見える。「あそこに逃げよう」。畳に千春さんと子供たちを乗せ、拓郎さんと2人、泳ぎながら畳を押し進めた。


 だが、引き波に阻まれ、思うように動けない。子供たちの意識が遠のき始めた。「謙介、彩乃、寝たら死ぬぞ。起きろ」。冷たく固まった体を揺さぶった。たたいた。暗闇に雪が舞う。もがき続けた。

 建物にたどり着き、救助のボートがやって来たのは何時間も後。水浸しの廃虚の中で、意識を失った。

 搬送された病院の判断は「母子ともに危険」。緊急帝王切開の準備が進められたが、奇跡的に回復。おなかの赤ちゃんも元気に動いている。弟一家と、仕事に出ていた夫も一命は取り留めた。

 出産予定日は6月18日。「よく頑張ったね」とおなかに語り掛ける。どんな逆境にも負けないよう、この日のことを大きくなったら教えたい。

 孫の誕生を誰よりも心待ちにしていた弘子さんの父、片岡哲さん(59)の行方は分からない。「父はこの子に絶対に会える。そう信じて、元気な赤ちゃんを産んで帰りを待ち続けます」
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<中国人が見た日本>原子炉を守るためなら命も惜しまず、これが日本人の「武士道精神」

2011年03月24日 08時45分53秒 | ニュース
2011年3月21日、未曽有の大震災に見舞われながら、「自分より他人」を貫く日本人の姿に感動したという香港文化交流基金会の江素惠(ジアン・スーホイ)主席が、「日本人の精神」と題した記事を中国のブログサイト・鳳凰博報に掲載した。以下はその内容。

福島第1原発を救うため、50人の決死隊が集められた。最悪の場合は命を落とすかもしれない。彼らはそれでも日本、そして太平洋地域全体を放射能の脅威から守るため、危険な作業に立ち向かった。正義のためなら命を投げ出すことも惜しまない。まるで「忠臣蔵」の四十七士のようだ。その武士道精神の素晴らしさに世界中が尊敬の念を抱いている。

日本人は我慢強い。そこに武士道精神が加わり、独特の個性を作り出している。大地震、津波、放射能漏れと災難が続いても、日本人は悲しみを心の奥深くにしまい込み、落ち着きを保った。海外メディアはその様子を「泣くことが出来ない日本人」と表現した。だが、日本人も泣くという本能は持っている。ただ、幼いころから「人様に迷惑をかけないよう」叩き込まれているのだ。

例えば、どんなに悲しくても人目をはばからず大声で泣き叫ぶのは「迷惑行為」にあたると思っている。だから、ぐっと涙をこらえてひたすら我慢するのだ。日本人はこうして、どんな困難にも涙を見せず黙々と立ち向かってきた。第2次大戦で原爆を落とされるという凄惨な体験をしながらも、見事に復興を果たした。だから、今回も彼ら大和民族はきっと力強く立ち上がるに違いない。

日本は世界で唯一の被爆国だ。福島原発の事故は第2次大戦の辛い思い出を蘇らせたことだろう。赤穂浪士の精神は100年経っても日本人の中に生き続けている。命がけで忠誠を尽くすのが日本人なのだ。今はただ、50人の決死隊の無事を祈るだけである。(翻訳・編集/NN)
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