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37行 200行 400文字換算19枚
00/3/2 海保 心理学ワールド原稿 2000年7月号
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注意管理不全とヒューマンエラー
海保博之 (筑波大学心理学系)
---注意というのは両刃の剣みたいなものである。一方では、同時に進行する多くの事象の中から、関心のある一群の事象を追跡することができる----しかし、他方、注意は現に起こっている事象のすべてを見逃さずに覚えておく能力を制限している---(リンゼイ/ノーマンより)
はじめに
注意には、自分でコントロールできる部分と、自分ではコントロールできない部分とがある。その隙をねらうかのようにして、注意管理不全は、人にエラーをさせ、時には事故を起こさせる。
本章では、ヒューマンエラー低減のための、注意の自己(内的)管理力を高めるにはどうしたらよいかについて考えてみる。
なお、注意管理不全によって起こるエラーは、もっぱら「うっかりミス(slip)」が問題とされる。
7.1 注意管理システムを場の中に作り込む
注意はすぐれて内的な認知資源ではあるが、ヒューマンエラーとの関係を考えるとき、注意を個人の中だけに閉じ込めて考えてしまうと、話がうさんくさくなる---と言ってもあとでこの話をすることになるのだが---。事故が起こると、当時者の「たるみによる」うっかりミスが原因との報道がしばしばなされ、それで誰しもが納得して事は治まってしまうようなことになりがちでる。しかし、これでは、次の事故防止につながる有効な対策は生み出されないままになってしまう。注意管理をもっと「場」の中でも考えてみる必要がある。
たとえば、情報環境という場である。
原子力発電所のオペレータ室を見学したことがある。部屋全体が情報で溢れかえっている。したがって、その情報すべてに誰もがいつも注意しているわけではない。しかし、注意を向けられていない情報が不要でないことは言うまでもない。必要なときには注意を向けてもらわなければならない。そこで、オペーレータの注意管理を外部から支援するさまざまな仕掛けが必要となる。
たとえば、音である。
情報環境は、目での取り込みが主である。しかし、視覚での注意範囲はごく限られている。そこで、音を使う。警告としの活用に加えて、音には志向性があるので注意の誘導もできる。さらには、音のある種の性質にはメッセージ性があるので緊急性などを知らせたり、あるいは、人工音声による情報内容の強制的な伝達も可能である。
視覚に訴える情報環境でも、大事な情報は目立つように中心においたり、変化を知らせるためにちらつかせたり(blinking)といったことによって、注意喚起をはかっているのは周知の通りである。
ただし、情報環境に過度に注意管理支援の仕掛けを組み込むとうるさがられたり、慣れられて(順応して)しまったりで、喚起機能を果たさなくなってしまう。「適度さ」についての案配に難しいところはある。
なお、注意集中を乱す情報環境の排除も必要である。
走行中の携帯電話への通話禁止、作業中の無造作な呼び出し放送の禁止などなど。ここ一番での集中が求められる作業をしているときには、これらが決定的なエラー、事故原因になるからである。
こうした仕掛けが、注意の自己管理支援である。繰り返しになるが、これをやるべき時と所できちんとやって上で、さらに自己管理の最適化を考えることになる。
7.2 注意の自己管理を最適化する
注意は、ある程度までは、自己管理できる。集中しようと思えば集中することができる。注意力が落ちてきたら、「がんばって」注意力を高めることができる。注意にはこうした能動的な側面があるので、注意の自己管理の話が出てくることになるし、事故が起こると、自己管理不全が個人の過失責任として法律的な罪にも問われることになる。
なお、最近は犯罪多発傾向のあおりを受けてか、この教務上過失責任を問う声が厳しくなっている傾向がある。被害者からすれば、それで溜飲は下がるかもしれないが、「誰がしたかよりも、何がそうさせたか」を追及しないと、また誰かが同じ「過失」を繰り返すことに終ってしまうので、社会的には好ましいこととは言えない。
いずれにしても、注意の自己管理力の向上によって、うっかりミスを防ぐことが求められることになる。
とはいっても、そのための有効な方策がそれほどあるわけではない。また限界もある。この点の認識をしっかり持たないと、「安易な」精神論か「カルト的な」自己鍛錬の話しになってしまう危険性がある。
ごく当たり前の方策の一つは、注意の特性についての知識を豊富にすることである。たとえば、「易しい課題をするときより難しい課題をするときのほうが、注意レベルは低めにする(ヤーキーズ・ドドソンの法則)」ということを知っていれば、そうした場に遭遇すればそれなりの対策を自ら工夫することができる。特定の場に固有の体験的な知識もあるし、心理学の研究から得られた普遍的な知識もある。心理学者の啓蒙的な活動が求められるところである。これについては、次節で述べることになる。
なお、これに関連してさらに、こうした知識を実践できる形にする方策も身につける必要がある。知識は使えてこそ有効性を発揮する。そのためには、一定の訓練プログラムで教育を受けるのが一番であるが---とはいっても、注意管理に特化したプログラムの存在は寡聞にして知らないのだが---、誰もがいつでもそんな機会をもてるわけではない。日常の場で意識的な試みをすることで、知識を手続き化していくしかない。
そのときのポイントは、今自分の注意状態がどのようになっているかをきちんととらえること(モニタリングすること)、そして、それに応じた注意資源のコントロールをすることである。
たとえば、スピード負荷がかかっていて、「あわてている」ので---これがモニタリング--必要な要素動作を省略してしまう恐れがある。指差呼称をしながらやっていこう---これがコントロール---となればエラーも減るはずである。なお、ここで、省略エラーや指差呼称が、前述した知識になる。知識の有無、そしてそのタイミングよい運用がいかに大事かがわかる。
これについて、筆者は、車の運転時の活用を提案している。車の運転ほど、注意の自己管理の実践の場としてふさわしいものはない。運転そのものが安全になるだけだけでなく、仕事の場での活用に転移する自己訓練ができる。車の運転をしない人なら、家事の場も使える。
いずれも、日常的に頻繁に、ちょっとした努力でできることが肝要である。
さて、それでは、注意の自己管理に有効な方策についての心理学的な知識を以下、詳述してみる。
7.3 注意の自己管理に有効な心理学的な知識
****ここに、原子力研究書の報告の抜粋を****
●指差呼称を使う
注意の自己管理の最適化の決定打とも言ってもよいものが実は一つある。指差呼称である。指で指して自分のするべきことを口に出して確認する行為である。いろいろの作業現場で導入されて効果をあげている。
注意のような内的過程は、自分の内部だけで管理するには限界がある。限界を越えると、管理不全が発生する。そこで、指を動かす行為や呼称という形で外部にだし(外化し)、注意管理をより完全なものにしようというわけである。
なお、指差呼称には、確認以外にも、チームで仕事をしているときには情報の共有にも役立つ。仲間が今何に注意を向けているかがわかるからである。
さらに、行為の意識化にも役立つ。慣れた行為は自動的に実行されるが、時には、ある要素行為がうっかり飛ばされてしまったり(省略エラ-)、別の類似した行為をしてしまったりする(実行エラー)ことがある。それを防ぐために一つ一つの要素行為を意識化させる契機として指差呼称を使う。
●注意の心理工学の領域を作る
安全工学という分野がある。安全をもっぱら機械・システムにいかに技術として組み込むかを研究している。たとえば、
・多層防護 故障や事故が起こってもそ れが拡大にないように幾層にも障壁を設け る
・フェールセーフ(fail-safe) 故障して もそ れを補完するものを用意しておく
これにならって、注意の心理工学とというべき研究領域があってもよいと思っている。
よく知られているフール・プルーフ(fool-proof)という仕掛け。大事なことをするときにはそれなりの心理的・行動的なコストが必要になるようにする仕掛けである。押しながら回さないといけないガス栓、安全装置をはずさないと打てない銃などに作り込まれている。
こうした仕掛けが考案されたのは、人の注意と行動の信頼性の低さを工学的な技術で対処しようとしたところから生まれた。これが、注意の心理工学の一つの研究分野である。前述した情報環境の設計のところで述べたようなことも、これに入る。人の注意特性に配慮したインタフェース設計である。
注意の心理工学のもう一つの分野は、注意の自己管理の技術化である。危なっかしい話しになりがちではあるが、「場」を限定すれば、「合理的な」技術になりうるものがありうるはずである。たとえば、集中力を高める、あるいは逆にリラックスするための各種技術は、スポーツ訓練の場で生み出され実践され効果をあげている。生理現象を援用した技術は、とりわけ有望な技術になっていくように思う。安全第一が要求される「場」でも、注意管理の技術を蓄積している。それらの有効性を実証することと理論化することとが当面の課題であろう。最終的には、注意管理を教え訓練するための教育プログラムを開発することになる。
●おわりに
「注意1秒、怪我一生」というように、一瞬の注意管理不全がエラーや事故につながってしまう。注意に限らないが、一瞬をコントロールするのは、至難の技である。そこが一般の人の関心を引きつけるところであるし、研究者の挑戦心を刺激する。
●引用文献と参考文献
Lindsay,P.H. & Norman,D.A.1977 「情報処理 心理学入門ll注意と記憶」 サイエンス社
海保・田辺 1996 「ワードマップ・ヒュー マンエラー---誤りからみる人と社会の深 層」 新曜社
海保博之 1998 「人はなぜ誤るのか---ヒュ ーマンエラーの光と影」 福村出版
海保博之 1987 「パワーアップ集中術」 日本実業出版社
*****本文245行
●注意特性から人を分類してみる
注意には、持続性と1点集中性という特性がある。一定時間、所定の仕事に一定量の注意を注ぎ続けるのが持続性、一つのことに利用可能な注意量のすべてを注ぐのが一点集中性である。
注意のこの特性に着目して、図1に示すような、人を類型化する図式を作ってみたことがある。タイプ判別のためのチェック項目も作ってみたが---「工作が好き」「ゲームが好き」など---、2つの軸ごとに、「あなたは、一点集中するほうか、それとも、あちこちと注意を拡散させるほうか」「あなたは、注意が長く続くほうか、それとも、続かないほうか」と個別に聞いてタイプ分けすることもできる。図中の数字は、そのような聞き方をしたときの、大学生50名のタイプ別の人数割合である。ちなみに、筆者は、気配り型である。
<<<<図1が入る>>>>
注意とヒューマンエラーを考えるときにも、この類型は役立ちそうである。たとえば、
・真剣勝負型の人は、一つのことにのめり 込ん でしまい視野狭窄(きょうさく) を 起こしが ち。思い込みエラーを しがち。
・一発勝負型の人は、リスク管理がへた。 つま らない(と思った)仕事ではたる みによるミ スをおかしがち。
・気配り型の人は、その時々の状況に左右 され て見逃しやうっかりミスをしがち。
・じっくり型の人は、即応性に欠けるので、 緊 急事態への対応が遅れがち。
自分を知り自分なりの対応を考えること---これが注意の自己管理---は、エラーを減らすには必須である。このタイプ分けは、その一助になると思っている。
作業記憶容量の個人差の存在は周知の事実であり、それをめぐっての研究の歴史は長い。しかしながら、近年の認知心理学の知見の蓄積によって、作業記憶そのものの計測に問題があることが指摘され、従来の指標が計測している認知的な内容の不分明さが批判にさらされている。
申請者は、その批判を受けて、作業記憶の機能についてのあらたな計測方法と指標の開発に挑戦している。
現在、作業記憶における干渉への耐性能力を計測できるテストを開発し、統語処理負荷との関係を吟味しているところである。これによって、従来、明確でなかった、統語処理と作業記憶の機能との関係が、あらたに干渉への耐性能力の観点から明らかになることが期待される。
将来は、記憶障害者のスクリーニングのテストとしての使用も射程において、さらにテストそのものの改良とデータの蓄積をする。
37行 200行 400文字換算19枚
00/3/2 海保 心理学ワールド原稿 2000年7月号
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注意管理不全とヒューマンエラー
海保博之 (筑波大学心理学系)
---注意というのは両刃の剣みたいなものである。一方では、同時に進行する多くの事象の中から、関心のある一群の事象を追跡することができる----しかし、他方、注意は現に起こっている事象のすべてを見逃さずに覚えておく能力を制限している---(リンゼイ/ノーマンより)
はじめに
注意には、自分でコントロールできる部分と、自分ではコントロールできない部分とがある。その隙をねらうかのようにして、注意管理不全は、人にエラーをさせ、時には事故を起こさせる。
本章では、ヒューマンエラー低減のための、注意の自己(内的)管理力を高めるにはどうしたらよいかについて考えてみる。
なお、注意管理不全によって起こるエラーは、もっぱら「うっかりミス(slip)」が問題とされる。
7.1 注意管理システムを場の中に作り込む
注意はすぐれて内的な認知資源ではあるが、ヒューマンエラーとの関係を考えるとき、注意を個人の中だけに閉じ込めて考えてしまうと、話がうさんくさくなる---と言ってもあとでこの話をすることになるのだが---。事故が起こると、当時者の「たるみによる」うっかりミスが原因との報道がしばしばなされ、それで誰しもが納得して事は治まってしまうようなことになりがちでる。しかし、これでは、次の事故防止につながる有効な対策は生み出されないままになってしまう。注意管理をもっと「場」の中でも考えてみる必要がある。
たとえば、情報環境という場である。
原子力発電所のオペレータ室を見学したことがある。部屋全体が情報で溢れかえっている。したがって、その情報すべてに誰もがいつも注意しているわけではない。しかし、注意を向けられていない情報が不要でないことは言うまでもない。必要なときには注意を向けてもらわなければならない。そこで、オペーレータの注意管理を外部から支援するさまざまな仕掛けが必要となる。
たとえば、音である。
情報環境は、目での取り込みが主である。しかし、視覚での注意範囲はごく限られている。そこで、音を使う。警告としの活用に加えて、音には志向性があるので注意の誘導もできる。さらには、音のある種の性質にはメッセージ性があるので緊急性などを知らせたり、あるいは、人工音声による情報内容の強制的な伝達も可能である。
視覚に訴える情報環境でも、大事な情報は目立つように中心においたり、変化を知らせるためにちらつかせたり(blinking)といったことによって、注意喚起をはかっているのは周知の通りである。
ただし、情報環境に過度に注意管理支援の仕掛けを組み込むとうるさがられたり、慣れられて(順応して)しまったりで、喚起機能を果たさなくなってしまう。「適度さ」についての案配に難しいところはある。
なお、注意集中を乱す情報環境の排除も必要である。
走行中の携帯電話への通話禁止、作業中の無造作な呼び出し放送の禁止などなど。ここ一番での集中が求められる作業をしているときには、これらが決定的なエラー、事故原因になるからである。
こうした仕掛けが、注意の自己管理支援である。繰り返しになるが、これをやるべき時と所できちんとやって上で、さらに自己管理の最適化を考えることになる。
7.2 注意の自己管理を最適化する
注意は、ある程度までは、自己管理できる。集中しようと思えば集中することができる。注意力が落ちてきたら、「がんばって」注意力を高めることができる。注意にはこうした能動的な側面があるので、注意の自己管理の話が出てくることになるし、事故が起こると、自己管理不全が個人の過失責任として法律的な罪にも問われることになる。
なお、最近は犯罪多発傾向のあおりを受けてか、この教務上過失責任を問う声が厳しくなっている傾向がある。被害者からすれば、それで溜飲は下がるかもしれないが、「誰がしたかよりも、何がそうさせたか」を追及しないと、また誰かが同じ「過失」を繰り返すことに終ってしまうので、社会的には好ましいこととは言えない。
いずれにしても、注意の自己管理力の向上によって、うっかりミスを防ぐことが求められることになる。
とはいっても、そのための有効な方策がそれほどあるわけではない。また限界もある。この点の認識をしっかり持たないと、「安易な」精神論か「カルト的な」自己鍛錬の話しになってしまう危険性がある。
ごく当たり前の方策の一つは、注意の特性についての知識を豊富にすることである。たとえば、「易しい課題をするときより難しい課題をするときのほうが、注意レベルは低めにする(ヤーキーズ・ドドソンの法則)」ということを知っていれば、そうした場に遭遇すればそれなりの対策を自ら工夫することができる。特定の場に固有の体験的な知識もあるし、心理学の研究から得られた普遍的な知識もある。心理学者の啓蒙的な活動が求められるところである。これについては、次節で述べることになる。
なお、これに関連してさらに、こうした知識を実践できる形にする方策も身につける必要がある。知識は使えてこそ有効性を発揮する。そのためには、一定の訓練プログラムで教育を受けるのが一番であるが---とはいっても、注意管理に特化したプログラムの存在は寡聞にして知らないのだが---、誰もがいつでもそんな機会をもてるわけではない。日常の場で意識的な試みをすることで、知識を手続き化していくしかない。
そのときのポイントは、今自分の注意状態がどのようになっているかをきちんととらえること(モニタリングすること)、そして、それに応じた注意資源のコントロールをすることである。
たとえば、スピード負荷がかかっていて、「あわてている」ので---これがモニタリング--必要な要素動作を省略してしまう恐れがある。指差呼称をしながらやっていこう---これがコントロール---となればエラーも減るはずである。なお、ここで、省略エラーや指差呼称が、前述した知識になる。知識の有無、そしてそのタイミングよい運用がいかに大事かがわかる。
これについて、筆者は、車の運転時の活用を提案している。車の運転ほど、注意の自己管理の実践の場としてふさわしいものはない。運転そのものが安全になるだけだけでなく、仕事の場での活用に転移する自己訓練ができる。車の運転をしない人なら、家事の場も使える。
いずれも、日常的に頻繁に、ちょっとした努力でできることが肝要である。
さて、それでは、注意の自己管理に有効な方策についての心理学的な知識を以下、詳述してみる。
7.3 注意の自己管理に有効な心理学的な知識
****ここに、原子力研究書の報告の抜粋を****
●指差呼称を使う
注意の自己管理の最適化の決定打とも言ってもよいものが実は一つある。指差呼称である。指で指して自分のするべきことを口に出して確認する行為である。いろいろの作業現場で導入されて効果をあげている。
注意のような内的過程は、自分の内部だけで管理するには限界がある。限界を越えると、管理不全が発生する。そこで、指を動かす行為や呼称という形で外部にだし(外化し)、注意管理をより完全なものにしようというわけである。
なお、指差呼称には、確認以外にも、チームで仕事をしているときには情報の共有にも役立つ。仲間が今何に注意を向けているかがわかるからである。
さらに、行為の意識化にも役立つ。慣れた行為は自動的に実行されるが、時には、ある要素行為がうっかり飛ばされてしまったり(省略エラ-)、別の類似した行為をしてしまったりする(実行エラー)ことがある。それを防ぐために一つ一つの要素行為を意識化させる契機として指差呼称を使う。
●注意の心理工学の領域を作る
安全工学という分野がある。安全をもっぱら機械・システムにいかに技術として組み込むかを研究している。たとえば、
・多層防護 故障や事故が起こってもそ れが拡大にないように幾層にも障壁を設け る
・フェールセーフ(fail-safe) 故障して もそ れを補完するものを用意しておく
これにならって、注意の心理工学とというべき研究領域があってもよいと思っている。
よく知られているフール・プルーフ(fool-proof)という仕掛け。大事なことをするときにはそれなりの心理的・行動的なコストが必要になるようにする仕掛けである。押しながら回さないといけないガス栓、安全装置をはずさないと打てない銃などに作り込まれている。
こうした仕掛けが考案されたのは、人の注意と行動の信頼性の低さを工学的な技術で対処しようとしたところから生まれた。これが、注意の心理工学の一つの研究分野である。前述した情報環境の設計のところで述べたようなことも、これに入る。人の注意特性に配慮したインタフェース設計である。
注意の心理工学のもう一つの分野は、注意の自己管理の技術化である。危なっかしい話しになりがちではあるが、「場」を限定すれば、「合理的な」技術になりうるものがありうるはずである。たとえば、集中力を高める、あるいは逆にリラックスするための各種技術は、スポーツ訓練の場で生み出され実践され効果をあげている。生理現象を援用した技術は、とりわけ有望な技術になっていくように思う。安全第一が要求される「場」でも、注意管理の技術を蓄積している。それらの有効性を実証することと理論化することとが当面の課題であろう。最終的には、注意管理を教え訓練するための教育プログラムを開発することになる。
●おわりに
「注意1秒、怪我一生」というように、一瞬の注意管理不全がエラーや事故につながってしまう。注意に限らないが、一瞬をコントロールするのは、至難の技である。そこが一般の人の関心を引きつけるところであるし、研究者の挑戦心を刺激する。
●引用文献と参考文献
Lindsay,P.H. & Norman,D.A.1977 「情報処理 心理学入門ll注意と記憶」 サイエンス社
海保・田辺 1996 「ワードマップ・ヒュー マンエラー---誤りからみる人と社会の深 層」 新曜社
海保博之 1998 「人はなぜ誤るのか---ヒュ ーマンエラーの光と影」 福村出版
海保博之 1987 「パワーアップ集中術」 日本実業出版社
*****本文245行
●注意特性から人を分類してみる
注意には、持続性と1点集中性という特性がある。一定時間、所定の仕事に一定量の注意を注ぎ続けるのが持続性、一つのことに利用可能な注意量のすべてを注ぐのが一点集中性である。
注意のこの特性に着目して、図1に示すような、人を類型化する図式を作ってみたことがある。タイプ判別のためのチェック項目も作ってみたが---「工作が好き」「ゲームが好き」など---、2つの軸ごとに、「あなたは、一点集中するほうか、それとも、あちこちと注意を拡散させるほうか」「あなたは、注意が長く続くほうか、それとも、続かないほうか」と個別に聞いてタイプ分けすることもできる。図中の数字は、そのような聞き方をしたときの、大学生50名のタイプ別の人数割合である。ちなみに、筆者は、気配り型である。
<<<<図1が入る>>>>
注意とヒューマンエラーを考えるときにも、この類型は役立ちそうである。たとえば、
・真剣勝負型の人は、一つのことにのめり 込ん でしまい視野狭窄(きょうさく) を 起こしが ち。思い込みエラーを しがち。
・一発勝負型の人は、リスク管理がへた。 つま らない(と思った)仕事ではたる みによるミ スをおかしがち。
・気配り型の人は、その時々の状況に左右 され て見逃しやうっかりミスをしがち。
・じっくり型の人は、即応性に欠けるので、 緊 急事態への対応が遅れがち。
自分を知り自分なりの対応を考えること---これが注意の自己管理---は、エラーを減らすには必須である。このタイプ分けは、その一助になると思っている。
作業記憶容量の個人差の存在は周知の事実であり、それをめぐっての研究の歴史は長い。しかしながら、近年の認知心理学の知見の蓄積によって、作業記憶そのものの計測に問題があることが指摘され、従来の指標が計測している認知的な内容の不分明さが批判にさらされている。
申請者は、その批判を受けて、作業記憶の機能についてのあらたな計測方法と指標の開発に挑戦している。
現在、作業記憶における干渉への耐性能力を計測できるテストを開発し、統語処理負荷との関係を吟味しているところである。これによって、従来、明確でなかった、統語処理と作業記憶の機能との関係が、あらたに干渉への耐性能力の観点から明らかになることが期待される。
将来は、記憶障害者のスクリーニングのテストとしての使用も射程において、さらにテストそのものの改良とデータの蓄積をする。