●心の働きを脳の働きに還元して説明する(注1)
脳活動の計測技術の進歩によって、脳科学が急速に進歩している。心の働きは、すべて脳活動によって片がつくかのごとき勢いをひしひしと感ずる。最近では、意識の問題さえも、脳の言葉で語られるようになってきている。(注2)
実は、心を脳に「還元して」説明することは、かなり古くから行なわれてきた。とりわけ、F.J.ガル(1758-1828)の骨相学は、個別的な知見はさておくとしても、心の働きを脳の部位に局在させるその構想は現代にも通用するものがある。
脳がなければ心は存在しえないことは厳然たる事実である。この事実を厳粛に受け止めれば、心の働きを脳に還元して(因果的に)説明することは、何も問題ないようにみえるが、科学方法論的には要注意である。なぜなら、前述したように、科学的説明は、同じ世界で閉じた説明をするという制約に違反しているからである---次に述べる類推的説明でも別の意味で同じ違反をおかしているのだが---。
ところが、別の世界を持ち出して説明すると、その説得性が高まることもあって(注2)、あるいは創発の契機にもなることもあって、この制約違反は科学の日常でもよく起こるし、学際研究ではむしろ推奨されているようなところがある。ただし、その際には、還元ではなく、心脳相関的な説明、つまり、心の働きと脳の働きとは同時並行的に起こっているとする自制した(?)説明が一般的にはよく行なわれる。母親を見ているときは、脳の視覚野のどこそこが活動している、といった類の記述(説明)がなされることになる。
脳活動の計測技術の進歩によって、脳科学が急速に進歩している。心の働きは、すべて脳活動によって片がつくかのごとき勢いをひしひしと感ずる。最近では、意識の問題さえも、脳の言葉で語られるようになってきている。(注2)
実は、心を脳に「還元して」説明することは、かなり古くから行なわれてきた。とりわけ、F.J.ガル(1758-1828)の骨相学は、個別的な知見はさておくとしても、心の働きを脳の部位に局在させるその構想は現代にも通用するものがある。
脳がなければ心は存在しえないことは厳然たる事実である。この事実を厳粛に受け止めれば、心の働きを脳に還元して(因果的に)説明することは、何も問題ないようにみえるが、科学方法論的には要注意である。なぜなら、前述したように、科学的説明は、同じ世界で閉じた説明をするという制約に違反しているからである---次に述べる類推的説明でも別の意味で同じ違反をおかしているのだが---。
ところが、別の世界を持ち出して説明すると、その説得性が高まることもあって(注2)、あるいは創発の契機にもなることもあって、この制約違反は科学の日常でもよく起こるし、学際研究ではむしろ推奨されているようなところがある。ただし、その際には、還元ではなく、心脳相関的な説明、つまり、心の働きと脳の働きとは同時並行的に起こっているとする自制した(?)説明が一般的にはよく行なわれる。母親を見ているときは、脳の視覚野のどこそこが活動している、といった類の記述(説明)がなされることになる。