研究法の多彩さをもたらす最後の要因は、やや曖昧な要因になるが、心についてのその時々での考え方(時代思潮)が異なることによるものである。前述したように、心についての考えが変われば、当然、その研究法も異なってくる。
現代心理学を歴史的にみて、その時代思潮は、大きく4つに区切ることができる。
①心重視の時期(1879から1913年)
はじめて心理学実験室を開設したブントの業績は多岐にわたるが、心理学研究法の観点からすれば、内観法によって心を「科学的に」研究しようとした業績を忘れることはできない。ブントは、心理学を直接経験の学と定義し、それを構築するために、心を直接、内観することから得られるデータを使おうと試みた。
ブントにとって、実験も、厳密に統制された刺激が感覚・知覚に直接どのように経験できるかをできるだけ素直に内観させるための手段であった。それによって、内観データの主観性を克服しようとした。ブントの弟子・ティッチナーは、観察者の持つ知識が直接経験を汚染する(刺激錯誤)ことを防ぐため、観察者に観察の訓練さえしたほどだった。
ブントよりやや遅れるが、この時期、もう一人、まったく別の心の領域に関心を寄せた心理学者、精神科医がいる。それは、フロイト(Freud、S.,1878-1958)である。医学者としての訓練を受けたフロイトの基本的なスタンスは、因果関係重視の自然科学的なものであった。ヒステリーなどの神経症の発症の原因を無意識世界のリビドーの抑圧であるとして、その解放こそ治療のねらいであることを、豊富な症例で実証してみせた。もっとも、その実証は、後付け実証と呼ぶにふさわしいもので、実験的に検証可能な意味での実証ではなかった。
②行動重視の時期(1913年から1954年)
1913年は、ワトソン(Watson,J.B.,1878-1958)が「行動;比較心理学概論」を出版した年である。この年が、ほぼ半世紀にわたり続く心理学界における行動重視の時代思潮のはじまりであった。
評価は今となっては、毀誉褒貶相半ばするが、行動主義が、厳密な自然科学足らんとして採用した刺激―反応(S-R)パラダイムは、実証科学としての心理学の地位を一気に高めた点では、異論を唱えないはずである。また、そのパラダイムに基づいて蓄積された知見の膨大な集積にも、その内容への評価はさておくとして、誰もが一定の敬意を表するところであろう。
③心重視の時期(1954年より)
1953年、コンピュータが開発された。これが心を考える上での格好のモデルになることに気がついたのが、後にそう呼ばれるのだが、認知科学者であった。刺激と反応の関数関係を知ることに腐心することが科学であることと信じきっていた行動主義心理学とは違って、心の中身(メカニズム)の解明に研究の関心を向けたのである。行動主義に対して認知主義と呼ばれる。4章で紹介する心へのモデル論的アプローチが花開くことになる。
④心も行動もの時期(1970年代より)
認知科学の中にも、心の世界だけを自閉的に研究しても、人の心はわからないとの認識が共有されるようになってきた。このような認識は状況論と呼ばれる。人を取り巻く状況との関係性にも目をむけて心を考えるようなってきたのである。
ここで、方法論的な多彩さが許容される雰囲気が醸成されることになる。それは、あたかも最先端科学が、最先端テーマを研究するために、斬新な方法論と技法とを開発するような雰囲気といってもよい。そのあたりの雰囲気は、6,7,8章の質的研究法あたりで感じ取ってほしい。