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うまく話す ドクターフォックス効果

2007-05-23 | Weblog
● うまく話す
 話し方というと内容はどうでもよいような感じを与えるが、そんなことはない。
話し方と内容は切り離せない。相手が聞くに値する内容を上手に話すのが基本である。
ドクターフォックス(狐)実験というのがある。大学の講義で、本職は俳優である狐博士に巧みな話し方で、しかし支離滅裂な内容の講義をしてもらう。しかし、授業後の大学生による評価では、狐博士の講義のほうがが絶賛されたというのである。
だから話し方が大事、とらないでほしい。話し方だけを孤立させてしまうと、こんな怖いことになる、という警鐘として聞いて欲しい。

医療に警察が関与し過ぎ?

2007-05-23 | Weblog
業務上過失の可能性の一、2を争うのは医療の世界ではないか。
交通事故は警察が介入はわかるが、
それと同じ調子で医療に警察が入るのは好ましくないのではないか。

人工呼吸器を家族の依頼ではずして書類送検の報道が今朝あった。
さまか殺人罪ではないとは思うが、気の毒である。
あまりこういうことが続くと、縮小医療が万延して医療道がまがってしまう。

朝4時

2007-05-23 | Weblog
風呂場の窓から外をみると、
もう明るい。
夕方も、昨日は6時から散歩したが、まだ日が沈む前
日が長くなった
気持ちが広くなる感じ。
しかし、もう1年の半分近くが終わる
早いし速い!!

写真 風鈴 画像が90度傾いています

領域固有性、状況 行動型ロボット

2007-05-23 | Weblog
04/3/2海保博之
1.4 領域固有性、状況 行動型ロボット
 見出しの3つの用語は、認知科学、認知心理学の成熟期1980年代のキーワードである。
 1970年代情報処理パラダイム全盛の中でも、人間の認知には、計算合理性ではとらえることのできない世界があることを示す研究が心理学者の側から散発的にではあるが、提出されるようになってきた。
 その一つは、思考の領域固有性である。論理的にはまったく同じ課題であっても、問題の表現を慣れ親しんだ日常的な場面に移すと正解できるようになる現象である。もっぱら、ウエイソンとジョンソンーレアード(Wason & Johnson-Laird 、1972)の4枚カード問題をめぐって一連の研究がおこなわれた。
 領域固有性は、その後、認知エキスパート研究においても広く検証されることになり、領域普遍な計算合理性を基本テーゼとしておこなわれてきた初期認知科学への強烈な一撃となった。



 1980年代になると、カーネマンとツバルスキー(Kahneman & Tversky1982)による社会的判断における固有のバイアス(ヒューリスティックス)の研究成果が公表されるようになると、この流れは勢いを増し、認知心理学の新たなパラダイムとして、状況的認知論を形成するまでになった。レイブとウエンガー( Lave &Wenger,1991)の認知エキスパートに関する仕事は、その集大成とも言えるものである。
 状況的認知論では、人間の認知を頭の外とのやりとりで捉え直す動きを作り出し、それは、必然的に、実験室的な認知から日常的な認知へと関心を向けさせることにもなった(たとえば、Neiser、 1982 )。
 人工知能も、こうした動きと呼応するかのごとく、ブルックス(B rooks、1986)が サブサンプション(包摂; subsumption)・アーキテクチャーと呼ばれる設計思想に基づいた行動型AIを開発した。センサーで駆動される複数のエージェント間の実行の優先順位に従って環境中を適応的に動き回る昆虫のようなロボットが開発されたのである。
 一方、1980年代中頃、もう一つの注目すべき動きが出てきた。それは、ラメルハートとマクレランド(Rumelhart and McClelland、1986)にはじまる並列分散処理(Parallel Distributed Proccessing)モデルである。さまざまな認知機能を脳の神経結合モデルとしてコンピュータ上で実現する、まったく新たな試みが爆発的に研究がおこなわれた。

子供もお風呂好き

2007-05-23 | Weblog
絹の湯にいった
日曜日ということもあり、やや混んでいた
その中に、小学生の子供5人くらいが騒いでいる。
親がいるようでもない。
子供もお風呂が好きなのかナー

以前、軽井沢で若者が温泉を楽しいでいる光景が
印象に残っているが、日本人の風呂好きも、
結構、若い頃、というより子供の頃から始まっているのかも。

ちなみに、自分は、ふろすきになってのは、ここ2,3年前から。
それまでは、いかに風呂に入らないですますかを考えるほどだった。