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2007-11-10 | 心の体験的日記
どうしても古いファイルが見つけたい
久しぶりにMacを起動して古いファイルを片っ端から検索
見つからない
その過程で、これは
ブログへというのがたくさん見つかったので、
今回は、ブログの更新回数が増えました

でもあのファイルは見つからないかなー
見つかれば、2日分の仕事が片が付くのだが。

作文教育

2007-11-10 | 教育

作文教育  

リレー連載の企画  「指導と評価」05年4月号から
 
趣旨******************
 基礎基本の三領域である「読み書きそろばん」のうちの「読み」の連載に続いて、「書き」として、作文教育を取り上げる。
 読書もそうであるように、作文も、国語という教科の枠の中にある学習活動でありながらも、その枠外への展開を強く期待されている。
 6回のリレー連載では、子供の良質な作文活動を誘う工夫を中心にしてみた。前半3回は、作文をする心理的な側面に焦点を当て、後半は現場での斬新な作文教育の工夫の紹介と、作文教育の今後の問題を考えてみた。(海保)

目的的説明

2007-11-10 | 認知心理学
           62行(本文)因果的説明(1)  因果的説明だけでは十分ではない

●因果的に説明する
 心理学における説明は、他の自然科学と同じで、因果的な説明が基本である。原因を操作する実験ができないときでも、モデル(理論)の世界では因果的に考えることが基本になっている。たとえば、
 ・幼児期の親の虐待(原因)が、暴力的性格を作り出した(結果)
 ・勉強時間の長短(原因)は、テスト成績に影響する(結果)
 ・適度のストレス(原因)が緊張感もたらした(結果)
 いずれも、実に馴染みのある説明である。この因果的説明をより強固なものにしたいという、心理学研究者の強い思いが、実証(-->「実証」)へと向かわせる。

●目的から説明する
 しかしながら、人は、物ではない。目的をめざして努力する存在である。生き残るための戦略を駆使する存在である。存在そのものにこんな特性があるのに、それを因果的枠組だけでとらえようとすれば、無理が生ずる。見えるものも見えなくなる。心理学がつまらないものになってしまう。(注1)
 かくして、人の心や行動を説明するときには、因果的説明だけでなく、目的的説明もなされることになる。たとえば、
 ・幼児がかわいいのは、親から愛情を引き出す(目的)ためである(注1) 
 ・人を助けるのは、種として生き残る(目的)ためである
 こうした説明は、適応論的説明、あるいは、進化論的説明とも呼ぶ。
 いずれの説明もいかにも「もっとらしい」「なるほど」という印象を与える。これが目的論的説明の特徴の一つである。もう一つの特徴---それは、とりもなおさず、この説明の大きな問題点でもあるのだが--は、その説明の妥当性を実証できないというところにある。説明の妥当性を補強する「証拠」を挙げることはできるが、それは、研究者が積極的にデータを「作り出す」実証とは異なる。
 目的的説明は、この両面性、つまり、「わかるけど嘘っぽい」が特徴である。

●目的的説明に似た因果的説明もある
 なお、次のような説明は、見かけは目的的説明のようであるが、実は、心の内面を考えれば、因果的である。心理学では、このタイプの説明が多い。
 ・ペットを買った(結果)のは、生活を楽しむためである(目的)
 ・その犯罪をおかした(結果)のは、お金を取るためである(目的)
 つまり、生活を楽しもうという目的(意図)を心の中にもったことが原因になって、ペットを買うという結果が起こった、と考えればよい。目的そのものは時間的に後にくるが、目的を「意図した」のは行為の前で、しかも、それが行為に影響しているのだから、まぎれもなく因果的である。これは、特に、動機論的説明と呼ぶことがある。
 犯罪調査おいて犯罪の動機解明が必須なのも、動機が原因となって、犯罪が発生した、という因果的説明をしなければならないからである。(注3)
 動機論的な説明には、実は、やっかいな問題が隠されている。
 一つは、意図という心の世界が、行為という物理的な世界を規定するとする前提である。因果的な影響があるのは、同一世界内、と考えるのが科学的な常識であり制約である。そうでないとすると、たとえば、神の御心で、という話になってしまう。しかし、我々の日常的な感覚としては、心が身体や行動に因果的に影響していることは十分に納得できる。それが、動機論的説明を許容する唯一の根拠になっている。
 もう一つは、後づけ的な説明になりがちなことである。ある結果が起こったあとで、それは、どんな動機で起こったのかを探ることになる。となると、そこに後づけ的な説明に内在する、説明のオールマイティ---なんでもうまく説明できてしまう---の罠に落ち込むリスクを背負い込むことになる。
********* 3行オーバー

(注1)N.ウイーナー(1894-1964)にはじまる自動制御理論では、機械系においても、目的を取り込んだ動機論的なモデルが可能であることを示したみせた。
(注2)K.ローレンツ(1903-89)のベビー図式では、大きな頭部、大きな目、小さい鼻や口や顎、丸顔などが、かわいさの特性として挙げられている。
(注3)因果的説明ができないと、心神耗弱(こうじゃく)で刑が軽減される。科学の世界だけでなく、こうした世界でも因果的説明が基本になっているらしい。

くたばれ、マニュアル!書き手の錯覚、読み手の癇癪」

2007-11-10 | 心の体験的日記
心理学ワールド21号「自著を語る」
海保博之著「くたばれ、マニュアル!書き手の錯覚、読み手の癇癪」2002年9月 新曜社

 自分の研究者人生を、基礎志向から応用志向へと劇的に変えてしまった本「ユーザ読み手の心をつかむマニュアルの書き方」(加藤隆・原田悦子・堀啓造と共著;共立出版)を出版したのが1987年。15年がたちました。その間、認知心理学をマニュアル設計に役立てるために孤軍奮闘してきました。
 その奮闘の中で考えてきたことを吐き出したいとの思いで書いたのが、この本です。
 注目してもらいたい、読んでもらいたいの一心で、やや刺激的なタイトルをつけてしまいましたが、内容はいたっておとなしく、まじめです。
 しかも、マニュアル以外の一般の文書作成をよりわかりやすいものにするための考えどころやノウハウもたくさん詰まっています。
 心理学界の文書作成リテラシー向上にも貢献するところ大の本です。
 

うっかりミスと確認ミス---注意管理不全によるミス

2007-11-10 | ヒューマンエラー
うっかりミスと確認ミス---注意管理不全によるミス

●事例3「2人ともうっかり確認しなかったために起こったヒヤリハット」
「出発直前に車掌は乗客からの質問対応をした。出発信号の確認をしないままドアを閉めブザーで運転士に出発合図をした。運転士も出発信号の確認をしないまま発車操作をしたが、すぐに停止信号に気がつき急停止した。」
●事例分析 
 このヒヤリハット事例には、1つは、「注意の囚われによる手順の省略」といううっかりミス。もう一つは、「2人確認による油断、つまり、相手が確認しているから自分は確認しなくとも大丈夫(社会的手抜き)」という、これもまた典型的な確認ミス。
 
1)「注意の囚われによる手順の省略」ミスについて考えてみます。
 注意は、そのとき一番大事なこと、目立つことに精一杯に集中します。したがって、他のことへは注意が払われなくなります。この事例では、車掌は一時的に、乗客への対応にほとんどの注意を払っています。それが終って元の発車手順の続きに戻るのですが、その手順は習慣化しているため、注意がその手順の実行から一時的に乗客対応のほうに向けられた間も、「発車前の信号確認」という手順を実行したかのように思ってしまいます。それが、手順省略になってしまったわけです。
○これに対処するには、「ご破算で願いましては」です。手順の最初に戻るのです。途中での妨害があったら、「最初からやり直す」のです。

 この事例は、別の見方をするなら、「習慣化した手順ほど確認行為が難しい」ということでもあります。ベテランやベテランになる直前の人がおかしやすいエラーの一つです。初心者は、一連の手順が習慣化していませんので、一つやっては確認、また一つやっては確認---をきちんとやらざるをえませんので、こうしたエラーはあまりしません。
 これへの対処は、習慣化した手順の流れを大事なところでは断ち切って、強制的に確認動作を入れることです。
○最も大事な手順のところ、たとえば、発車信号を確認したら、確認ボタンを押す/信号確認の貼紙を裏がえすなどの、もう一つ面倒な「目に見える行為」をするようにすることが有効です。
○指差唱呼ももちろん非常に有効な手立てですが、これ自体が習慣化していますので、それをやろうとした瞬間に注意がよそに囚われてしまうと、やったように錯覚してしまうことがありますので、万能ではありません。


2)もう一つは、2人確認による油断、つまり、相手が確認しているから自分は確認しなくとも大丈夫」という、確認ミス事態で起こる社会的手抜きです。
 一人でやるより2人、3人でやれば、仕事の能率もあがり、質もよくなります。「3人よれば文殊の知恵です」。
 ところが、人間は横着です。ときおり、「相手/誰かがやってくれるから自分はしなくとも」という気持ちになることがあります。一方だけがそう思うなら他方がカバーしてくれますが、両方ともそう思ってしまうことがあるから困ります。そんなときに、事故が起こってしまいます。
 社会的手抜きが起こらないための、一般的な対策を4つ。
○大事な手順は、2人が独立してやらないと次に進めないようにする
○頻繁にコミュニケーションする/できるような環境を作る
 相手が目の前にいるときは、今自分が何を考えているか、自分のしている仕事、相手にしてほしい仕事などを遠慮なく口に出してみる。
○それぞれの仕事範囲を明確にしてさらに権限関係をはっきりさせておく
 自分の持ち分だけをするという縄張り意識が過度になると困りますが、縄張りをはっきりさせた上で、相手の縄張りにも関心を持つくらいが最適。
○チームのメンバーを異質にする
 年齢、性、習熟度などが同じメンバーでチームを組むと、同じようなことを考えてしまいます。  

最後に二言
●遅刻をどうする
 担当の方から「遅刻を減らすにはどうしたらよいか」という相談を受けました。そこで、遅刻常習者3タイプごとに一言。
○起床困難による遅刻常習者
 熟睡を保証する環境を作る。起床は周囲の助けを求める。自分が他の人の起床係りをする。
○時間にずぼらなための遅刻常習者
 仕事に関しては時間ずぼらは許されないことを認識するための、仕事にかかわる「時間意識」を高める。時間スケジュールを絶えず作成する。遅刻者チェック役をかってでる。
○うっかりミスによる遅刻常習者
 不規則勤務などで発生しがち。予定を人に話す。一緒に仕事をする人と前もって頻繁に打ち合わせする。

●「自分が----ならば、事故は起きない」(精神論)は危険
 人はエラーをしながら生きていかざるをえません。したがって、エラーが事故につながるところでは、「自分で----する」だけでは限界があります。自分のヒヤリハット体験を組織として共有し、安全工学的な技術と考え方を現場に作り込むことがエラーを事故につなげないための王道です。


注意管理不全とエラー

2007-11-10 | ヒューマンエラー

7.3.1 注意量ギャップをなくす

 注意の持続には限界があります。注意の持続がとぎれたとき何かが起こると,危険です。しかも,注意の持続のとぎれを意識することもなかなか難しいときがあります。持続しているつもりで実は,とぎれていたということもありえます。そこで,むしろ,自ら積極的に注意をそらして(コントロールして),注意の持続をすることもありえます。

●注意のレベルは変動する
 人差し指の先をじっと眺めながら,数を数えてみてください。簡単なことですが,これだけにずっと集中することは,なかなか難しいことがわかるはすです。
 まず,指先に向けた注意が乱れます。さらに,数唱はできても,他の想念が浮んできてしまいます。外と内で,注意の集中ができなくなってくることがわかると思います。
 注意の持続がどれくらいかは,人によって,状況によって異なります。はっきりしていることは,注意のレベルは絶えず変動することです。ずっと一定値のまま,ということはありません。
 注意のレベルが低下したとき,作業の側がそれ以上の注意を必要とするようなことが起こると恐いわけです(図3.2参照)。

作業に必要な注意の量





作業に注がれる注意の量

図3.2 作業に必要な注意量と作業に注がれる注意の量

●注意量ギャップをなくす
 作業に必要な注意量と,作業員が注ぐ注意量とのギャップとが一致しているときは,問題はありません。我々はだいたいどれくらいの注意量が必要かを体験的に知っています。いつもいつも,注意の量を最大限の使う状態にしておけば,注意が枯渇してしまうことも知っています。ですから,注意量のギャップが発生することはほとんどありません。
 しかし、一瞬のギャップをついて,事故が発生してしまうことがあります。
「一瞬のギャップ」には,図の数値に示す3つのケースが考えられます。
(1)立上げ時
 作業開始と同時に,人はいきなり必要な注意のレベルにまで到達することはなかなかできません。ここに,注意ギャップの発生の素地があります。そこで,作業現場に着いても,いきなり作業に入らないで,心の準備体操をすることが必要です。朝礼やちょっとした体操をするうちに,心が作業に向いてきます。
(2)定常状態時
 一番やっかいなのが,このケースです。監視業務のように,
同じ作業をずっと続けているときに起こります。やっかいなのは,まじめに作業をすればするほど,こうした事態では,かえって,ギャップの発生が起こりやすくなることです。そこで,こんなときは,あえて「不真面目さ」を「演出する」
ことが必要となります。具体的には,注意を一時的にそらす
ことです。大事なことは,あくまで,自分の意識的なコントロールのもとで,これを行なうことです。
 車の運転どきでも,前方がよく見通せるときには,周囲の光景に目を向けます。ここでは,注意は,完全に自己コントロールされています。「脇見運転は厳禁」ですが,だからといって,四六時中,注意を前方の道路にだけ向けていては,たちまち限界がきてしまいます。
(3)緊迫時
 もう一つは,めったに起こりませんが,最大限の注意を注いだつもりでも,実はまだ不足していた,というケースです。これは,もはや人知の及ばぬところ,と考えるしかありません。となると、手立がなくなりますが,こんなところは,組織や機械の助けを借りることになります。チームで作業する、あるいは、作業が十分に行なわれていないことを表示してやることが必要です。

7.3.2 注意は拡散させることも必要

 注意「散漫」は困りますが,そうかといって注意集中がいつ
も最適な結果をもたらすかというとそうではありません。とき
には,あえて,注意を「拡散」――「散漫」ではないーーさせ
るほうが,よい結果をもたらすということがあります。

●1点集中は良いことづくめではない
 注意は,認知資源とも呼ばれます。ガソリンをエンジンにた
くさん注げば車が早く走るように,注意を注ぐと,認知機能は
活発になるからです。
 注意を,車のガソリンにたとえたついでにもう一つ,車のガ
ソリンタンクに一定の大きさの限界があるように,注意にも量
の限界があります。補給をしなければ枯渇します。
 さて,この認知資源は,一点に集中して投入すればそれだけ
効果が上ります。細かい所まで見えます。たくさん記憶もでき
ます。質の高い思考もできます。
 注意集中は良いことづくめのようです。確かに,認知活動を
より高度のものにするには,注意集中は必須です。
 しかし,注意集中にも,次の2つの点で問題があります。
 一つは,視野狭窄に陥るからです。他を見ない,考えない状
態になるからです。
 もう一つは,注意の枯渇です。最大限の注意集中の状態を長
く持続することはできません。
 いずれも,状況によっては,致命的な事態を引き起こしてし
まうことがあります。

●あえて注意を拡散させる
 たとえば,車の運転を例にとって考えてみます。
 前方に注意を集中した状態で運転することは悪いことではあ
りません。しかし,たった一人で,サーキットを走っているな
らともかく,一般道での運転では,脇から何が飛び出てくるか
わかりません。
後ろの車についても注意しなければなりません。ラジオの渋滞
情報も知りたくなります。
 注意を向けなければならない対象がたくさんあります。しか
も,受動的に注意が引き付けられてしまう対象もたくさんあり
ます。それらのいずれも,安全運転には欠かせない対象です。 こんな状況の中で,すべての注意を道路前方にだけ集中するこ
とは危険きわまりないと言えます。
最大限の注意集中を100としたとき,一つの対象にそのすべ
てを注ぐのではなく,50ずつに分割して2つの対象に,ある
いは,25ずつに分割して4つの対象に,というように,
注意を「あえて」拡散させる
ことも,時には必要です。というより,むしろ,こちらのほう
が,日常的な作業場面では,普通だと思います。
 図には,仮想的に注意の拡散状態を示してみました。もちろ
ん,数字は,もっともらしく入れてみたもので,状況によって
,まったく別の配分値になります。





 なお,この図で,備蓄用10というのがあります。これは,
注意の枯渇を防ぐためのものです。これが,注意の持続を保証
しますし,また,いざというときのパワーの源泉になります。

 「あえて」拡散させるところが,自己モニタリングになりま
す。
 ところが,やっかいなことが,ここに一つあります。最初に
注意を集中することは自ら出来ますが,集中した状態に入って
しまいますと,我を忘れてしまうことがあります。その状態か
ら抜け出ることが難しくなります。したがって,注意の「主体
的な」拡散が出来にくくなります。普通は,それほど極端な集
中状態にはなりませんから,あまり心配はないのですが,用心
するに越したことはありません。注意集中が全能ではないことを確認しておくこと
がとりあえず,必要です。その上で,我に戻れる仕掛け――定期的なアラーム,作業の随所での報
告など――を入れておく、仲間とのコミュニケーションを活発にする
といった工夫もしてみるとよいと思います。

7.3.4 備蓄用の注意をうまく使う

 人は慣れる動物です。仕事でも慣れてくれば,仕事に払う注
意は少なくてすみます。しかし,そこにエラーや自己の芽があ
ります。仕事に慣れてくればくるほど,注意の自己モニタリン
グが必要となります。

●慣れる
 仕事に慣れること(熟達)は,注意資源の有効活用には必須
です。
車の運転を考えてみてください。慣れてくれば,運転しながら
,ラジオを聞くことも,隣の人と会話をすることもできます。
 慣れることによって,何が起こるのでしょうか。慣れること
によって起こる3つの「ム」というのがあります。
 1つは,「無理なく」の「ム」です。
 ほとんど注意を払う必要なく,仕事ができます。したがって
,あまり疲れません。努力感もありません。
 2つは,「無駄なく」の「ム」です。
 初心者の振舞いには無駄がつきものですが,熟達してくると
,ほとんど無駄な振舞いはありません。一つ一つの振舞いが無
駄がないだけではなく,それらの流れにも無駄がありません。
すべてが仕事の達成に関係した無駄のないものになります。
 3つは,「むらなく」の「ム」です。
 量は少なくとも注意は定常的に払われていますから,仕事の
達成水準も,それほど変化しません。

●慣れが引き起こす不注意
 人は慣れることによって,注意資源を節約できます。節約し
た分を,新たなことを学ぶのに使うわけです。生き残りのため
の戦略(適応戦略)としては,間違っていません。
 しかしながら,慣れてしまった仕事がどうでもよいというこ
とではありません。その土台の上に、新たなものが築かれるの
ですから。ただ,注意にとっては,それが,あたかも使い過ぎ
て興味を失ってしまったオモチャのごとくみえてしまうようで
す。つまり,慣れてしまったものには,注意を注がなくなりま
す。それほど多量の注意を注がなくとも,仕事はスムーズにで
きますから,注意不足による問題が起こることは,ほとんどあ
りません。
 問題は,余った注意――備蓄用の注意。図3.3参照――で
す。
これがあまりたくさんになると,当面の仕事に「飽きてしまっ
て」,仕事とは別のことをやりたい気持ちにさせるのです。



 「飽きる」という体験は,注意管理という観点から言うなら
,備蓄用の注意が多くなることです。人は飽きることを嫌いま
す。車の運転でも,飽きてくると危ないので,ラジオを聞いた
りします。ラジオを聞くことに注意を使うことで,備蓄用の注
意を少し減らすわけです。

●備蓄用の注意をうまく使う
 備蓄用の注意の使い方は,以外に難しいところがあります。
 使い過ぎてしまってゼロになってしまっても困りますし,溜
り過ぎて,やらずもがなのことをされても困ります。
 まず,仕事そのもののやり方を考え直すこともあります。
 慣れた仕事は,本人も周囲も,それほど大変な仕事という認
識はありません。したがって,「長時間,一人でも大丈夫」と
思いがちです。しかも,機械の導入によって,肉体的な疲労を
感じさせることがなくなっているだけに,こうした認識をする
のが,管理者も作業員も難しくなっています。しかし,注意管
理の点からは,こうした認識は危険です。
可能であれば、複数人で仕事をする
ようにする。あるいは,慣れたメインの仕事を妨害しないような副業を用意する、普通よりも多目の小休止を入れる
ような配慮が考えられます。
 注意の自己モニタリング上の配慮としては,注意配分にメリハリをつける
ことに尽きます。
 単調な作業が長時間続くなら,30分ごとに,注意を一時的にたくさん使ってみたり,逆に
,ほとんど使わなかったりしてみる
ような状況を自ら作りだします。車なら,スピードを少し変え
てみ
るといったような工夫です。さらに,ときどき,本来やるべきことを「仮想的に」やってみる
こともあります。点検作業なら,「もしそこに不具合があると
したら」という仮想事態をときどき想定して,そのときどうす
るのかを考えてみるわけです。それによって,慣れからくる(
使わないことによる)技量の低下や知識の不活性化を防ぐこと
ができます。

7.3.5 テクノストレスに要注意

 新しい技術を使った仕事は,新しいストレスの種を蒔きます
。こ
こでは,コンピュータがもたらす過度の注意集中によるストレ
スへ
の対処を考えてみます。

●テクノストレスとは
 テクノストレスということばは,コンピュータの端末画面(
かつ
ては,VDTと呼ばれていました)を見ながら長時間の仕事をし
てい
る人々にみられる慢性的なストレス状態を意味するものとして
,使
われました。
新しい技術が普及しはじめるときには,技術に慣れないために

過度の緊張,過度の集中が必要です。そのために,いつもより
は,ストレスがたまります。このストレスは,新しい職場に入
ったときに発生するストレスと同じ類です。
 しかし,コンピュータ相手の仕事には,単なる不慣れによる
ストレスだけでなく,慣れても――というより,慣れたがゆえ
に――ストレスをもたらす要因があります。それを表現するた
めに,テクノストレスということばが使われるようになりまし
た。

●テクノストレスは集中病
 コンピュータ相手の仕事がテクノストレスをもたらすのは,
コンピュータが,その使い手(ユーザ)をして仕事に「のめり
込ませる」特性を持っているからです。
 その特性とは,相互交流です。
 コンピュータは対話マシンと呼ばれることがあります。人と
コンピュータがことばや絵などの記号を媒介にしてやりとりし
ながら仕事をするからです。
 対話マシンですから,こちらの都合だけを優先させるわけに
はいきません。相手に合わせなければなりません。この気づか
いは,必ずしも苦痛ではありません。むしろ,楽しみでさえあ
ります。しかし,実は,そこにストレス地獄への入り口があり
ます。
 人は楽しいことには自然に集中します。時間を忘れて没頭し
ます。
そして,疲れを意識することもありません。本来なら,ある適
当なところで,ストップ・ルールが働いて,注意集中を止めて
休憩をとりたくなります。そして注意の備蓄をします。しかし
,疲労感がないため,このストップ・ルールが働かなくなりま
す。終わってみると,とてつもないストレス状態になっていた
,ということになります。これが,テクノストレスです。
 コンピュータを介した仕事に由来するテクノストレスは,高
度の認知活動への長時間にわたる過度の集中によるものです。
 認知活動というところが,もう一つやっかいなところです。
肉体労働ですと,疲れてくれば身体の動きが悪くなります。し
たがって,疲れを自覚できます。ところが,認知活動は,その
疲労を自覚させる表面的なきっかけがありません。みずから知
るしか手がありません。

●注意を解放する
 1点集中による認知活動の隘路に陥る危険性を避けるために
,注意集中からの解放の話を3.3でしました。基本的には,
そこでの話を繰返すことになります。
 すなわち,注意集中をしているときは,自己モニタリングが
できませんから,こうした状態からの解放は,自力では無理で
す。そこで,まず,そうした状態に入りそうな予想ができると
きには,事前に,そこから抜け出るきっかけを仕掛けておきます。
 なお,「注意集中が好ましいことではない」かのように思わ
れると心外です。注意集中は大切です。ただ,それも,あくま
で自己モニタリングのもとにおかないと不適切な事態がもたら
される可能性がある,ということを言いたいのです。

●もう一つのテクノストレス
 最近の作業の特徴の一つに,自動化された(コンピュータ化
された)システムを通しての作業があります。こちらのほうは
,今まで述べたこととは,逆のテクノストレスが問題となりま
す。つまり,注意の持続的な集中がしにくい状況での注意の自
己モニタリング,という2重拘束状態からくるストレスです。
 コンピュータ端末上の監視業務がその典型です。ほとんどい
つも正常,しかし,まれに起こる異常の兆候を見逃すと大変な
ことが起こる,というような状況です。極めて不自然な注意コ
ントロールを要求されるだけに,ストレスがかかります。
 こうした作業での注意の自己コントロールの要諦は,次の3
点に絞られます。
  ・注意レベルを中程度にしておく
  ・注意の変動の幅を大きくしない
  ・注意の備蓄が多くなり過ぎないようにする(7.3.4参照


7.3.6 がんばっても集中できないことがある

 注意の自己モニタリングの話をしてきました。ここで今一度
,注意の自己モニタリングは万能ではないことを述べておきた
いと思います。日本人特有の心性である「ガンバリズム(がん
ばれば出来る)」と,注意の自己モニタリングとが結びつくと
,「がんばれば,注意は意のままになる」との錯覚を生んでし
まう恐れがあるからです。

●がんばる
 注意コントロールという観点から言えば,「がんばる」とは
,注意の状態があまりよくないときに,注意の能動的なコント
ロールを回復することに他なりません。たとえば,
  ・眠くなってきたから,がんばって,注意のレベルをあげ
よう
  ・難しい作業なので,がんばって,注意を集中しよう
 いずれも,誰もがごく日常的に行なっている注意のコントロ
ール活動です。それだけに,誰もが出来て当たり前と考えがち
です。出来ないで事故を起こせば,責められます。

●日本人はがんばり過ぎ
 日本人の好ましい心性の一つに,ガンバリズム,つまり,「
がんばれば出来る」があります。仲間と別れるときのあいさつ
のうちで,最もポピュラーなものが,日本では,「がんばって
!!」です。ちなみに,アメリカでは,「take care of
yourself
(自分を大事に)」あるいは,「take it easy(気楽にやろう
よ)」です。
 がんばることは悪いことではありません。しかし,がんばり
は,持っている能力の120%くらいを出すわけですから,そ
れが,長期間にわたり持続することになれば,そして,そのが
んばりが外からの強制を伴うものであればあるほど,ストレス
になります。いつかは,心身のブレークダウンをもたらします


●注意の自己コントロールを最適化する
 注意の自己コントロールは,それを完璧に行なうことを目ざ
す,という考えより,それを最適化することを目ざす,という
考えのほうが,何かと好ましい結果をもたらすように思います

 完璧ということばには,どんな状況でも注意を完全に自分の
思いままに操ることをイメージさせるものがあります。それに対
して,最適化には,状況に応じて,注意を自己コントロールす
ることがよいこともあるし,かえって,悪いこともある,とい
うことをイメージさせるものがあります。
 まったくの腰だめ的な(あてずっぽう的な)言い方になりま
すが,注意の自己コントロールを必要とするのは,一日8時間
のうち,せいぜい,合計しても2時間にもならないのではない
でしょうか。というより,それ以上の長時間の自己コントロー
ルを要求するような状況があるとすれば,労働条件としては,
かなり無理があるといってもよいかもしれません。

●注意配分が自然に最適化される
 趣味に没頭しているときや,自分の内から駆り立てられるか
のようにして仕事をしているときなどには,人は,我を忘れま
す。注意の自己コントロールなどに意を配ることは,まったく
ありません。
そして,多くの場合,これで,なんの不都合も生じません。
 逆説的な言い方になりますが,注意は,自己コントロールを
意識しないときに,最適な状態になっています。
自己コントロールの必要性が意識されるのは,最適な状態か
ら外れたときです。
このときに,どうするかを,ここでは,いろいろと考えてみた
わけ
です。
 ですから,注意の自己コントロールの最適化の王道は,
仕事へのモラールを高める
ことにつきます。
注意の自己コントロールの必要性を意識しなくともよいよう
な労働環境や条件を用意すること
が先決です。

●精神論の誘惑に抵抗する
 精神論,つまり,「心がけ一つでどうにでもなる」との考え
は,人を誘惑します。とりわけ,人生の成功者ほど,この誘惑
にとらわれがちです。「自分はがんばったからここまでこれた
のだ」というわけです。自分だけでそう考えているなら,とり
たてて問題はないのですが,それを人に押しつけても,ほとん
ど効果はあがりません。なぜなら,どんな心がけをすればよい
かが,まったく見当がつかないからです。せめて,本書に述べ
ているような具体的な心がけ(自己モニタリングの技術)を提
供してやらなければ,精神論は,スローガンに終わってしまい
ます。

7.3.7 注意コントロールも人によってくせがある

 注意系の活動のくせという観点から人を類型化する試みをし
てみます。自分をよりよく知ることは,自分をよりよくコント
ロールすることにつながります。

●注意の一点集中力と持続力に注目する
 ここでは,一点集中力と持続力に着目して,人を類型化して
みます。一点集中力についても,注意の持続についても,もは
や解説は不要と思います。
 この2つの観点を組合わせた,図3.7aに示すような類型
を考えてみました。大学生を使って,この類型の妥当性をチェ
ックしてみたところ,だいたいうまく類型化できました。「一
発勝負型」と「泰然自若型」が,「試験勝負型」「気配り型」
より人数が多くなりました。あなたは,どの型に属するでしょ
うか。
いきなりあなたはどの型に属すると思うか,と問われても,な
かなか答えにくいという方は,遊び心で,図3.7bをやって
みてください。それぞれの型の日常的な行動の特徴を考えて作
ってみたものです。


●類型に応じた注意コントロールをする
 類型には,価値判断は入りません。どの型がよくてどの型が
悪いということはありません。ただ,問題は,作業状況によっ
て,ある型は不向き,ということがあることです。
 たとえば,一発勝負型は,長時間にわたる点検作業には不向
きです。気配り型は,一人だけの孤立した作業には不向きです

 どんな型の人も,ある程度までは,状況に合わせて注意系の
活動を自己モニタリングできます。しかし,それが自分のくせ
とそごがあるときは,無理が出てきます。無理が不安全行動に
つながります。
 王道は,
作業内容を注意系の活動の観点から分析して,それにふさわ
しい型の人を配置すること
です。しかし,現実の場面では,なかなか難しいと思います。
 そこで,
注意モニタリングという観点から,作業の特徴を事前に知らせる
そして,
不安全行動につながる不注意に注意を喚起する
さらに、組織上の配慮としては,
いろいろの型の人からなる作業チームを作る
こともあってよいと思います。






限られた時間の中でやり抜く

2007-11-10 | 認知心理学

03/6/27 海保

はじめに---限られた時間の中でやり抜く

●時間プレッシャーは人生につきもの
 子供を育てる母親が一番多く口にする言葉は「早くしなさい!」「急いで
!」「速く!」「遅れるな!」である。そして、社会人になると、「納期を守れ!」「締切り厳守!」である。
 この世にひとたび生を受けた者にとって、時間とのつきあいを避けて通るわけにはいかない。となると、時間とのかしこいつきあいを考えることが、生き方の質を決めるようなところがある。
 いつも時間に追われるばかりの生活では、あまりに悲しい。かといって、いつもマイペースでというわけにいかない。
 さて、時間とのかしこいつきあい方とは、どんなものであろうか。

●最高の仕事をするために時間を活かす
 タイム・キリング(time-killing ;時間(暇)つぶし)という言葉がある。つぶすべき時間が主で、その枠の中で一時を過ごすことになる。「一時」のタイム・キリングならともかく、これが「ずっと」になってしまうような人生では困る。
 はっきりさせておかなければいけないのは、我々は、時間のために生きているのではないということである。仕事や生活をより質のよいものにするために生きているのである。時間は、そのための制約条件の一つに過ぎない。
 しかし、時間が強力な制約条件であることは間違いない。「もう少し時間があれば、もっといいものができたのに」「締切りだから、この程度でしかたがないか」は、一仕事終えた人なら誰しもがもつ思いではあるが、世間ではほとんど通用しない言い訳である。
 限られた時間の中での最高の仕事をやり抜くには、いかにすればよいのか。
 それを考えてみるのが、本書のねらいである。

●タイムリミットとワークリミットの折り合いをつける
 仕事の達成目標をワークリミットという。仕事の完成時期をタイムリミットという。
 タイムリミットとワークリミットとが同時に満たされたときに、仕事を「やり抜いた」という充足感が持てる。そんな仕事ばかりできる人、できる時のほうが少ないかもしれない。しかし、そうなれる人、そんな時をたくさんもてる人は、間違いなく、キャリアをさらに上へと上昇させことができる。
 本書では、タイムリミットとワークリミットとをキーワードにして、いかにしたら「やり抜く力」が育つかを、心理学をベースにした仕事術を考えてみたい。

心理学が教える時間とのかしこいつきあい方

2007-11-10 | 認知心理学
時間をこえる人、時間に負ける人
時間が守れる人、守れない人
時間に厳格な人、時間にルーズな人
時間がどうしても守れない人
時間の使い方の巧みな人、へたな人       
ーーー心理学が教える時間とのかしこいつきあい方ーーー

  筑波大学心理学系教授 海保博之

はじめに

「時間なんか気にすることはない。セルフペースで納得がいくまでやればよい。周囲にはちょっと迷惑をかけることになるが。」

●あってなきがごとしの締め切り
 これまでに13冊の本を編集してきた。
 そのたびごとに、執筆者にいかにして原稿提出の締切り(タイムリミット)を守ってもらうかに腐心させられてきた。「催促されてから(締切りを過ぎてから)書きはじめる」と豪語している人がごろごろいるからである。
 締切りを守る守らないは、実は書いてもらう内容の良し悪し(できばえ)にはあまり関係ない。そこがまた編集者としては悩ましい。
 そこで、図に示すようなタイプ分けをひそかにして、それなりに秘術を尽くしての催促をしてきた。その秘術の公開は、本書の随所で開陳することになる。
*****pp1 別添
図1 ワークリミットとタイムリミットとを組合わせてみると
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 執筆者を選ぶときには、まずは、あるレベル以上のできばえのものを書いてくれる人をとなる。それは、過去に書いたものや研究歴をみればだいたい見当がつく。
 しかし、タイムリミット感覚のある人か否かは、あらかじめ知ることは無理である。(ある出版社にはブラックリストがあるとの話も聞く。)かくして、編集者泣かせの執筆者がどうしても紛れ込んでしまう。そして、本の完成は、その最も遅い人次第、という馬鹿馬鹿しい話しになってしまう。

●本書のねらい
 人間の生活から時間をとってしまったらどうなるであろうか。間違いなく、社会生活が成り立たなくなる。
 しかし、一方では、時間にとらわれずに、自然のままにのんびりと過ごしてみたいとの気持ちは潜在的には誰にもある。
 さらに、もうちょっと時間があればもっと質の高い仕事ができるのに、と悩むこともある。
 自分と時間との関係だけでなく、自分の回りにいる人々の時間とのつきあい方にも、前述したケースのように、悩まされることがある。
 時間そのものは、厳密で正確な世界である。
 それに対して、人間の側には、実にいいかげんでぐうたらなところがある。
 このギャップが、人間と時間とのつきあいを微妙なものにしている。
 本書では、人間と時間とのこの微妙な関係を心理学の立場から考えながら、時間とのかしこいつきあい方のヒントを提案してみたい。
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03/6/16海保

目次
1部 時間に負ける人

1章 時間を守れない人

2章  締切りがこないと仕事をしない人

3章 あとでやるからくせの人

4章 好きなことからする人

5章 できることからする人

6章 自分のことしか考えられない人

7章 いきあたりばったりの人

6章 まわりのことを考えない人

9章 終る時間が決まっていない人

10章 早起きできない人

11章 遅刻する人

2部 時間にとらわれる人

11章 5分前集合する人

12章 スケジュールが決まっていないと不安な人

13章 時間ばかり気にする人

14章 時間に振り回される人

3部 時間を越える人

14章 完璧を求める人

15章 なんでも引き受ける人

16章 人のためになることを優先する人

17章 自然のリズムで生活する人

付部 心理的時間の法則 未完

法則0 時間は習慣を作る

法則1 頭を使うほど時間は短かく感ずる

法則2 生理的時間も心理的時間に影響する

法則3 充実した時間は長く感ずる


法則4 j熱中すると時間を忘れる 


法則5 年をとるほど時間は速く過ぎる

法則6 充実した人生ほど振り返ると長い

法則7 未来時間が混乱しているのは不適応

法則8 年をとると、年寄りとの差が縮まる

安全管理のための4つの提言

2007-11-10 | 安全、安心、
安全管理のための心理学からの4つの提言

      筑波大学心理学系 海保博之

概要****************************
安全が保持される環境を作り出すためには、組織トップの果たす役割が大きい。本講演では、心理学の立場から、組織トップの方々に対して、次の4つの提言をしてみる。
提言その1 使命の取り違えエラーに要注意
提言その2 組織の安全管理を点検する
提言その3 権威主義はエラーの大敵
提言その4 ヒューマンエラーについての知識を豊富にする

目標を自分で管理する

2007-11-10 | 教育
2006-04-26 03:10:09
目標を自分で管理する
テーマ:中高生の心へのメッセ
「目標を自分で管理する」
さて、新学期ですので、今日は、目標の自己管理の話をします。 目標をどのように、自分で設定し、生きていくかです。

●自己管理という言葉をあえて使うのは、意外に、目標を自分で管理するのが難しい からです。 進路一つにしても、さまざまなことを考慮しなければなりません。 保護者からの期待もあります。 社会情勢もあります。 そんな中でも、あえて、最終的には「自分で」目標は管理してほしいという意味で、 自己管理と言ってみたわけです。 独り善がりの目標管理も困ります。 支離滅裂な目標管理も困ります。 しかし、生きていくのは、自分です。自分なりの目標管理をしながら生きていくこと が、納得した人生を歩むことにつながります。

●では、目標を自己管理するときに、どんなことに留意したら良いのでしょうか。3 つほど。

●まず、何をおいても、目標を持ち、目標に向かって努力することです。目標指向性 ですね。 ある国際比較調査によると、「あなたは、将来、やりたいことが有りますか」と問う と、「はい」と答える割合は、 日本の高校生では、20%に過ぎません。 これに対して、アメリカの高校生は、70%が「はい」と答えます。 目標喪失状態では、がんばれません。 仮に日日がんばっても、無駄ながんばりということになってしまいます。

●第2に、長期目標、中期目標、短期目標を整合させることです。 「弁護士になりたい(長期目標)。そのためなら、○X大学の法学部に入る(中期目 標)。そのためには、こういう勉強をしよう(短期目標)。」というものです。 将来の目標から今の自分を考えることです。

●ただし、あまりきちんと整合させようとすると、窮屈になります。そこで、3つ目 の留意点は、ダブル、トリプルの目標やルートも考えておくことです。 弁護士に本当になりたいとしても、 そのためのルートに、その大学のその学部しかないかを、考えてみるのです。 たとえば、4月から、法科大学院がスタートします。そこをうまく使えないかも考え てみるのです。 思いもかけない目標が見つかったり、もっと適切な目標達成の手段やルートが見つか るかもしれません。

●新学期です。今一度、自分の目標を点検して、がんばってください。

●「自己の目標を適切に設定し、その実行可能性を高めていくことは動機づけを高め るのに効果的である。」(玉瀬耕治)

アクセス数解析

2007-11-10 | Weblog

11/09(金) 633 pv 218 ip -位(894391 BLOG中)
11/08(木) 716 pv 240 ip -位(893754 BLOG中)
11/07(水) 568 pv 219 ip -位(893093 BLOG中)
11/06(火) 629 pv 247 ip -位(892374 BLOG中)
11/05(月) 959 pv 272 ip

月曜日に高くなり週末にかけて徐々に現象
という傾向が続く。
土日は更新をしないで、週後半から一気に更新のほうが
よいか、と考えたがそんな馬鹿なことはないと気がついた。
粛々と更新します。

トラウマは思考停止用語

2007-11-10 | 教育
● 自分自身の心の問題ではないかも
最近、心理学が世の中に普及してきました。あなたの言うトラウマ(精神的外傷)のような心理学用語も、そのまま一般に通用するようになってきました。それはそれで結構なのですが、一つ、気をつけなくてはいけないのは、トラウマという用語で、あなたの心の問題すべてに片を付けてしまうことです。それ以外のことを考えなくなってしまうことです。思考停止ですね。

対人関係は、なかなか難しいものがあります。誰もがいつかどこかで失敗するのが常です。しかし、その失敗から、対人スキルを学んできたのです。ですから、その失敗の原因は何か、それを解決するにはどうすればよかったのかを、あれこれと考えてみることはとても有効です。トラウマという用語だけで片をつけてしまうと、見えるものも見えなくなってしまうことがあります。

算数・数学教育研究に寄与する認知の科学の視点の抽出と吟味

2007-11-10 | 認知心理学
(学術論文)
1. 算数・数学教育研究に寄与する認知の科学の視点の抽出と吟味.



共著


2000年3月
筑波大学心理学研究, 22, 85-92

算数・数学における子供の認知過程に焦点を当て、そこで役立つと期待される認知の科学の視点を取り上げて、その研究上、および教育上の利点を考察してみた。
共同研究により本人担当部分、抽出不可能 島田英昭と共著



集中術 環境に慣れれば気もちらない

2007-11-10 | 教育

1  環境に馴れれば気も散らない

 人間は、暑さも寒さも、痛みも快楽も、美しさも醜さも、貧しさも豊かさも、ほとんどありとあらゆることに馴れることができる。馴れることは人間の特技のようなものである。
「馴れる」とは、同じことに何度もふれているうちに、初めは色々とそれに対して反応が生じていたのに、次第に何も起こらなくなることである。
馴れるというこの人間の特技は、集中力を発揮したい人にとっては見逃せない。集中力を妨げていると思い込んでいる環境にも馴れてしまえば、それが気になって集中できないということはなくなるからである。
 よくぞこんなところで仕事ができるもの、というような環境があるが、多分、慣れてしまって気にならなくなっているのであろう。もちろん、最初はそれになり苦労はしたと思うが。
 そこで、たとえば、音に馴れるコツ。
 まずは、徹底してその音の意味を考えてみることである。そして、それが結局は自分とどこかでつながっていないか、もしかして自分もそのような音の発生源になってはいないかを徹底して考えてみる。
 カラオケを自分でも楽しんだ経験はなかったか、騒音のうるさいあの工場で作っているものは何か、それは自分にとってもなくてはならないものではないかなど。
 もし、それによって何かが見つかれば、きっとそれらの騒音に寛容になれるはずである。
 さらに、どうしてもダメという人には、耳栓や厚手のカーテン、あるいはバックグラウンド・ミュージックという手もあるが、そうしたことにあまり意をくだき過ぎると、騒音にとらわれてしまって、馴れるわけにはいかなくなる。
 他人が作り出す環境を自分の都合のいいように変えさせることができるなど、ごく一部の場合を除いて、無理というものである。これを自分を鍛える試練と達観し、とりあえずがんばってみるのも、あなたにとっては悪い結果をもたらさないはずである。
 逃げずに、その中に自分をどっぷりと浸し込んでみたり、あるがままに受け入れてみると、必ずよい結果が生み出されるはずである。
 ただし、馴れには気をつけなくてはならない側面もある。批判精神や「なにくそ」という向上心を削ぐ恐れがあるからである。「生活上の不便、不満のあらゆることに馴れよ」ではなく、本質的ではないこと、どうでもいいことにまで肩ひじをはらずに、ともかく馴れてしまったらどうかというのが、ここでの話である。

写真 この包丁は、先がとがっているので
なんとなく怖い。使い終わると、見えないところにしまうようにしている。