10「ながら族」も捨てがたい
ラジオを聴きながら勉強する、TVを見ながら新聞を読む、雑誌を読みながら話をする。いずれも、「まともに」考えればできるはずがないことばかりである。これが「ながら族」であるが、これを日常的に実践している人が多いのも事実である。
「まともに」とは、注意は同時に二つのことには向けられないという心理学の常識から判断して、ということである。しかし、主観的にはそれができると思わせるものは何か。
それは、注意の時分割方式(タイム・シェアリング方式) である。
一方に注意を注ぐ必要がなくなると、瞬間的に他方に注意を切り替え、こちらでも注意をそれほど注がなくともよくなると、ふたたびもとの方に注意を切り替えるのである。この切り替えが瞬間的に、しかも無意識に起こっているので、本人はあたかも二つのことに同時に集中しているかのように錯覚する。さらにその錯覚を補強するのは、二つのことをそれなりに確かに理解したりやり遂げているという事実である。
それでは、どのように、この「ながら族」を実践すればいいのであろうか。
基本は、注意を注いでするメインの仕事と、それほど注意を注ぐ必要のないものとを組み合わせることである。「図」と「地」をはっきりさせると言っても良い。たとえば、
・ワープロを打ちながら、クラシックを聞く
・新聞を読みながら、食事をする
また、仕事があまり注意を必要としないものでも長い時間続けなくてはならないような時にも「ながら族」は有効である。飽きがくるのを防げるからである。飽きるのは、注意のエネルギーが余ってしまうからで、その余分なエネルギーは、クラシック音楽にでも向ければよい。