心の風景 認知的体験

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学力低下

2007-11-15 | 教育
 元高校長
《世界史を履修させていない高校が問題になりましたが、それは天国のような話。せめて買い物をしたときにつり銭の間違いに気がつくようにしてやりたい。それが底辺校の現実なのです》(松)

(産経サイトより)


写真 紅葉を通してみた太陽

汗をかくのがすき

2007-11-15 | 心の体験的日記
週1か2のテニスで
週1の卓球で
これはm大汗になる

長風呂で
寝床で
40分のウオーキングで
これは、うっすら汗

これは好きではないが、冷や汗もよくかく。

写真 紅葉をとったのだが、日光でだめだったようだ

実験を計画する

2007-11-15 | 認知心理学
●実験を計画する  
自然科学では、たとえば、真空状態を作って、唯一の独立変数を操作して、その時に起こる現象を観察するといったような、理想条件下での単一要因実験が可能である。  
しかし、ほとんどの心理実験は、検証にふさわしい理想的な実験環境を設定することは不可能である。被験者として人を使うことにかかわる倫理的制約(たとえば、アメリカ心理学編、1982)および人権上の配慮が必要だからである。  
これに加えて、被験者自身(の心)が、一人ひとり異なる多彩な因果関係の網の目に組み込まれているために、実験上は排除したい要因が、個人差および個人内変動として、不可避的に実験状況の中に混入してしまう。これらは、交絡変数と呼ばれ、これが検証したい因果関係の検出を妨害しないように、実験計画を組むことになる。  

実験計画法では、個人差も個人内変動も確率的な誤差と見なした上で、次の4つの基本方針のもとで、因果関係を統計的に明らかにしようとする。
1)独立変数化  実験で検証したい変数ではないが、性差や年齢差などのように、 それが独立変数と交互作用していることが想定されるときには、あえて変数として取り上げておく。
2)恒常化  交絡変数の影響を一定に保つことにより、従属変数への影響を実質上なしとするもの。一定水準の知能の被験者だけを使うような例である。
3)均衡化(無作為化)  誤差が等分に混在するように、被験者を無作為に割り付ける。
4)相殺化  一定方向への影響が想定されるとき、逆方向の影響も実施して、結果として、誤差を相殺してしまう。    

以上のような配慮のもとで、実験を計画することになる。表1には、その典型例として「処理x処理x被験者」実験デザインと呼ばれているものを示した。ここで、処理とは、独立変数の操作を意味している。また、要因Aが独立要因、要因Bが同じ被験者を使った繰り返し要因になっているところから、混合法とも呼ばれている。

とらわれない

2007-11-15 | 教育
「とらわれ」ない

「とらわれる」というのは、ここでは「自分の意に反して心が一つの事ばかりに向いて、それから離れられないこと」を言う。
 一つの事に向けられるという意味では、注意の集中と同じであるが、この集中は、自分の意志でコントロールしようとすればするほど、ますますそれから離れられなくなってしまうのが特徴である。
 この「とらわれ」、本来の集中力の発揮には大敵である。何しろ、注意を集中すべきことに注意が向けられずに、客観的には、あるいは他人から見れば、どうでもいいこと、たいしたことでないことに大事な注意のエネルギーが使われてしまうからである。
 たとえば、隣のピアノの音が気になる。それは誰でも気になる。しかし、ピアノの音に 「とらわれる」と、練習の始まりが遅れたりすると、なぜだろうと「心配」になる。練習が始まったら、何も手につかない。ひたすらピアノの練習が終わるのを待つ。無視しようと懸命に努力するが、ますます過敏になってしまう。
 ヒポコンドリー(心気症)という病気がある。自分の身体の状態に異常に注意をむけ、病気ではないかと思い悩む心の病である。これも、自分のからだに「とらわれて」しまった人の引き起こす心の病である。
 こうした「とらわれ」は、あまり好ましくない方向に人を向かわせるので、できるだけ早くそこから抜け出たほうが良い。そのためのコツを4つほど紹介しておく。
 まず「とらわれ」ている自分を認めることである。いたずらに「とらわれまい」としたり、自分は「とらわれ」ていないと否定したりしないことである。「とらわれ」ている自分をあるがままに受け入れることから出発する。
 といっても、これが難しい。まず試みてほしいことは、自分の心をじっと見つめ、なぜ「とらわれる」のかを考えるのである。さらに、自分の心の中で起こっていることに、じっと目を向けてみる。だんだん怒りが静まってきたとか、いま誰のことを考えているとか、できるだけ素直に眺める訓練をすることである。そうすることによって、自分の心の動きを客観視できるようになればしめたものである。
 次に、日記かノートにメモってみる。
 心の中を外に出す(外化)のである。このことによって、「自分」だけのものであった心を、ことばという客観的な道具に乗せることで、「自分」から切り離すことができることになる。
 さらに、人と話せば、「とらわれ」の無価値やおろかさ、あるいは、それが誰でも経験するようなことであることがわかる。それは、あなたの気持ちを和げるのに効果がある。
「とらわれ」が、人間関係にかかわることであれば、ともかくその人とできるだけ接触をしてなにげないコミュニケーションを心がけることである。
「とらわれ」が、自分の身体の異常であれば、早めに医者に行くしかない。医者には病気を直すだけでなく、病気ではないかと心配している人を安心させる役割もあるのだから。
 こうして、「とらわれ」ている自分を冷静に眺められるようになったら、次は、何もかも「許す」ことである。人のすることなすこと、世の中のことすべてを理屈抜きで許してみることである。怒らず、腹を立てず、争わず、さからわずで、しばらく生活をしてみる。気持ちがすっきりしてくるはずである。