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最近気がついたこと

2008-08-25 | 心の体験的日記
昔の大学院生
いわゆる弟子すじが何人かいる。
いまでは学者、研究者、教員として活躍している
当時、彼らは勝手に自分でテーマをきめて勝手に研究していた(ちょっぴり、させていた)
つまらないテーマだねー、と何度、いったことか
したがって、彼ら指導学生と共著の論文はほとんどない。
でも、そのテーマで学位もとった(ちょっぴり、とらせたところもある)

その彼らのかなりの割合の諸君が、
当時は、彼らからすると、「うちの先生、くだらないことをやっているなー」と
たぶん、思っていたと(思う)テーマの近辺をうろちょろしている
実は、うろちょろさせているきっかけの一部は自分にもある
こちらにきた原稿や講師などの依頼を彼らに丸投げしたり
自分で編集している本の執筆を依頼したりしているのである
それが、自分に近いテーマの周辺に彼らをうろちょろさせることになっているところもある。
という次第で、この記事を読んだ弟子諸君よ
せいぜい活躍してくれ。
もうそろそろ、そういうこともなくなってくるはず。
もうちょっとだけつきあってください。



質的研究法の位置づけ

2008-08-25 | 認知心理学
質的研究法は、研究テーマを豊潤にするには極めて有効だと思う。人間のかかわる現場は、絶えず変化しそのたびに解決をせまられる新しい問題が発生してくる。そうした問題を現場密着、換言すれば生態学的妥当性のある形で量的研究に落とし込んでいくためのプラットフォームを提供するものとして質的研究を位置づけてみれば、両者相携えて新しい人間研究の道が開けてくると思う。

我が家を助けてくれる2人の職人

2008-08-25 | 心の体験的日記
前にも書いたと思うが、
年をとると、何をするにもまず億劫感を克服しなければならない
ことはあらゆることに及ぶが、
億劫だからやらない、と決めるととたんに困るのが家事
今、我が家には、2人の職人さんがそれを補ってくれる
2人とも、実に、誠実で仕事ができる
家事手伝いのような仕事ではもうしわけないくらいに有能
これからもよろしくお願いします

8.1 発表する

2008-08-25 | わかりやすい表現

8.1 発表する

人を目の前にして表現する
発表力の文化差

8.2 発表を準備する

言いたいことを整理して絞り込む---準備その1
発表の資料を作る----準備その2
発表の練習をする---準備その3
 
8.3 発表を工夫する

人が目の前にいると
話し方を工夫する 
視線の動かし方を工夫する
顔の表情を工夫する
ジェスチャーを工夫する
内容と話し方と非言語的メッセージと

コラム「説得を効果的にするための指針」

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8.1 発表する

人を目の前にして表現する
 文章を書くときも、それを誰がどんな状況でどのように読むのかに思いをはせることが大切なことはすでに前章で述べました。
 しかし、文章を書く作業そのものは、まったくの孤独な作業です。読んでくれるであろう人に時折は思いをはせても、書く内容をどうするか、どのように表現するかのほうにより頭を使うことになります。
 これが、発表となると、そうはいきません。
 発表しているその場に、聞いて欲しい人々がいます。否が応にも、受け手を意識せざるをえません。これが、発表と文章表現の大きな違いです。
 中高生での発表は、教室でのよく知った仲間を相手にすることがほとんどだと思いますが、不特定多数相手の場合には、想定される聴衆をあらかじめ分析することが必須です。
 図には、聴衆分析の1例を示しておきます。

図 関連知識の多少と動機づけの高低の観点からの聴衆のタイプ分析
***pp
  
 場合によっては、自分の発表は、こんな人に聞いて欲しいと宣言するようなことがあってもよいと思います。

発表力の文化差
 話を先に進める前に、大事な余談を一つ。
 発表は、英語では「プレゼンテーション(presentation)」、日本では省略して、プレゼンとも言います。
 そのプレゼンが、アメリカ人とくらべると日本人はひどくへたなのです。
 最も基本的なところでは、「自己主張」の違いがあります。自分の中に、これが言いたい、聞いてもらいたいというものがあってはじめてプレゼンが成り立ちます。ここのところに、まず、我彼の違いがあります。
 日本人のプレゼンで実にしばしば、「これは私の個人的な意見ですが、---」とか「私の独断と偏見かもしれませんが、---」といった枕詞が出てきます。
 聴衆からすれば、意見、独断、偏見こそ聞きたいことなのです。そんな枕詞は不要です。プレゼンでは、大いに、意見、独断、偏見を披露してよいのです。それをきっかけに、質疑応答が活発になれば、プレゼンの目的は半ば成功なのです。
 アメリカの学会にはじめて参加してびっくりしたことは、発表が終ると、質問者が会場のマイクの前に行列する光景でした。日本では、司会者がお義理の質問を一つか2つしておしまいというのが常です。ここにも、自己主張の強さの違いが反映しています。
 さらに、プレゼン技法も雲泥の差があります。
 プレゼンは、文章表現とは違って、表現者が聴衆の面前に出てきます。発表する内容もさることながら、声の調子、顔の表情、視線、からだの動きが、衆目にさらされます。その巧拙がたちどころにプレゼン効果としてはねかえってきます。
 これが日本人はへたなのです。というより、あえて、技法を使わない控え目なプレゼンがよいとする発表文化があるのでは、とさえ思ってしまいます。
 なお、これは文化差ではありませんが、厚生労働省が03年12月におこなった1472社へのアンケート調査では、新規採用で重視するとしたのは、「コミュニケーション能力」が最多で86%にものぼります。2番目が「基礎学力」71%でした。
 こんなことにも思いをはせながら、以下、発表を効果的にするための考えどころを提案してみたいと思います。