06/6・9海保博之
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本は、38行x17行x4p=2584文字 (タイトル用38x6=228文字を含む)
30文字/1行で86.1行(タイトル6行を含む)+7行=94行。 24行で1p 3p+22行 4p
*****7行目****1部
無知
**4行あく
———知らぬが仏
●知らないために大災害
2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震による津波被害の惨状は、フラッシュバルブ記憶のごとく我々の記憶にしっかりと刻み込まれている。
その惨状の中でも、やりきれなかったのは、津波に対する無知による被災である。海が引いていく奇妙な現象を、そのめずらしさだけに気をとられ、それがやがてとてつもない災害をもたらすことに思いが及ばなかったことによる被災の拡大があちこちでみられた。
そんな中にあっても逆に、村の長老からの言い伝えで、津波の危険性を知り、村全体が難を逃れたケースも報告されている。
知らないこと(無知)は怖さを感じさせないが、いかに危険であるかを、スマトラ島沖地震による津波被害は教えてくれる。
●知は力なり
F。ベーコンが言う「知は力なり」には、認知心理学的には、2つの意味がある。
一つは、「知識が力」の意味である。知っているか知らないかが生死、勝敗を分ける。もう一つは、「知識の運用力」の意味である。知っているだけではなく、それをタイミングよく使える力である。
津波の知識があっても、目の前の引き潮がそれであるかどうかを判断できなければ、力にならない。
この2つがあいまってはじめて「知が力になる」。
●知識を豊かにする
危険に関する知識は、ネガティブな面がある。知れば知るほど、あちこち危険だらけでは生活不如意になってしまう。できれば、知らないですませたい気持ちが誰しもどこかにある。知らないほうが幸せなことを知っているのである。知ったがためにびくびくしながら生活するのはまっぴら。こうした心情が、危険に関する知識を普及させるのに陰に陽に障壁となっている。
この障壁を越えるのはなかなか難しい。何の工夫もない通り一遍の広報では知識は伝わらない。それでもやらないよりはましである。
1)何度も同じ知識を広報する
2)大きな危険が発生したらそのつど関連知識を広報する
3)品を変え、所を変えで広報する
しかし、広報だけの断片的な知識の普及だけでは限界がある。断片的な知識は、記憶への定着もおぼつかない。それらを関連づける基本的な枠組みが必要である。
それが、安全学であろう。防災、防犯、事故予防のいずれにも、また、どんなケースにも、使える知識の枠組みである。残念ながら、まだ学としての成熟度は低いが、その重要性の認識はかなり高まっている。注1***ま
●知識の運用力を高める
危険に関する知識の運用力を高めるには、3つの方策がある。
一つは、危険に際して、手足が動くようにすることである。
手足が適切に動くためには、膨大な暗黙の知識の支えがある。この知識を手続的知識と呼ぶ。長期間の訓練によって身に付けることになる。年に1度や2度の訓練ではまったく身に付かない。しかし、それによって手順や情報の流れを知ることはできるから無駄ではない。積極的に参加してみることである。
2つ目の方策は、外化による知識運用の支援である。
たとえば、手順を文書や絵で見えるようにしておくことで、危険に際して何をどのようにすればよいかがわかる。手がかりが何もなければ思い出せないことでも、外化の支援があれば、容易に思い出せることになる。わかりやすい危険表示の工夫***注2,その実効性のある設置方法などに配慮が必要なところでもある。
3つ目の方策は、すべに別項でも述べたが***注2、知識の高度化である。
これはもっぱら、宣言的知識にかかわることである。ただ知っているだけでは知識の運用はおぼつかない。忘れてしまったら終わりである。危険な状況をみて、何が危険なのかどうすればよいのかにまで思いがいくようなレベルにまで知識を高度化しておけば、運用力もあがる。別項で述べた、危険予知訓練などは、知識の高度化には極めて有効な手法の一つである。
●無知の自覚
我々は、自分が何を知っていて何を知らないかをある程度までは知る力がある。これがメタ認知力、つまり、自分の認知についての認知である。したがって、危険についての知識を自分がどれほど持っているのかについて、ある程度は知ることができる。
そこで、何か事が発生するたびに、その事について自分がどれほどの知識があるかを内省や反省(reflection)をしてみることを勧めたい。そして、無知であることが自覚できたら、それなりの知識収集と知識運用の努力をしてみる。こうした努力が積み重なれば、知はますます力になる。(K)
*****
注1 たとえば、村上陽一郎氏の 「安全学」(1998)
青土社。「安全と安心の科学」(2005)集英社新書。あるいは、畑村洋太郎「失敗学のすすめ」(2000)講談社
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本は、38行x17行x4p=2584文字 (タイトル用38x6=228文字を含む)
30文字/1行で86.1行(タイトル6行を含む)+7行=94行。 24行で1p 3p+22行 4p
*****7行目****1部
無知
**4行あく
———知らぬが仏
●知らないために大災害
2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震による津波被害の惨状は、フラッシュバルブ記憶のごとく我々の記憶にしっかりと刻み込まれている。
その惨状の中でも、やりきれなかったのは、津波に対する無知による被災である。海が引いていく奇妙な現象を、そのめずらしさだけに気をとられ、それがやがてとてつもない災害をもたらすことに思いが及ばなかったことによる被災の拡大があちこちでみられた。
そんな中にあっても逆に、村の長老からの言い伝えで、津波の危険性を知り、村全体が難を逃れたケースも報告されている。
知らないこと(無知)は怖さを感じさせないが、いかに危険であるかを、スマトラ島沖地震による津波被害は教えてくれる。
●知は力なり
F。ベーコンが言う「知は力なり」には、認知心理学的には、2つの意味がある。
一つは、「知識が力」の意味である。知っているか知らないかが生死、勝敗を分ける。もう一つは、「知識の運用力」の意味である。知っているだけではなく、それをタイミングよく使える力である。
津波の知識があっても、目の前の引き潮がそれであるかどうかを判断できなければ、力にならない。
この2つがあいまってはじめて「知が力になる」。
●知識を豊かにする
危険に関する知識は、ネガティブな面がある。知れば知るほど、あちこち危険だらけでは生活不如意になってしまう。できれば、知らないですませたい気持ちが誰しもどこかにある。知らないほうが幸せなことを知っているのである。知ったがためにびくびくしながら生活するのはまっぴら。こうした心情が、危険に関する知識を普及させるのに陰に陽に障壁となっている。
この障壁を越えるのはなかなか難しい。何の工夫もない通り一遍の広報では知識は伝わらない。それでもやらないよりはましである。
1)何度も同じ知識を広報する
2)大きな危険が発生したらそのつど関連知識を広報する
3)品を変え、所を変えで広報する
しかし、広報だけの断片的な知識の普及だけでは限界がある。断片的な知識は、記憶への定着もおぼつかない。それらを関連づける基本的な枠組みが必要である。
それが、安全学であろう。防災、防犯、事故予防のいずれにも、また、どんなケースにも、使える知識の枠組みである。残念ながら、まだ学としての成熟度は低いが、その重要性の認識はかなり高まっている。注1***ま
●知識の運用力を高める
危険に関する知識の運用力を高めるには、3つの方策がある。
一つは、危険に際して、手足が動くようにすることである。
手足が適切に動くためには、膨大な暗黙の知識の支えがある。この知識を手続的知識と呼ぶ。長期間の訓練によって身に付けることになる。年に1度や2度の訓練ではまったく身に付かない。しかし、それによって手順や情報の流れを知ることはできるから無駄ではない。積極的に参加してみることである。
2つ目の方策は、外化による知識運用の支援である。
たとえば、手順を文書や絵で見えるようにしておくことで、危険に際して何をどのようにすればよいかがわかる。手がかりが何もなければ思い出せないことでも、外化の支援があれば、容易に思い出せることになる。わかりやすい危険表示の工夫***注2,その実効性のある設置方法などに配慮が必要なところでもある。
3つ目の方策は、すべに別項でも述べたが***注2、知識の高度化である。
これはもっぱら、宣言的知識にかかわることである。ただ知っているだけでは知識の運用はおぼつかない。忘れてしまったら終わりである。危険な状況をみて、何が危険なのかどうすればよいのかにまで思いがいくようなレベルにまで知識を高度化しておけば、運用力もあがる。別項で述べた、危険予知訓練などは、知識の高度化には極めて有効な手法の一つである。
●無知の自覚
我々は、自分が何を知っていて何を知らないかをある程度までは知る力がある。これがメタ認知力、つまり、自分の認知についての認知である。したがって、危険についての知識を自分がどれほど持っているのかについて、ある程度は知ることができる。
そこで、何か事が発生するたびに、その事について自分がどれほどの知識があるかを内省や反省(reflection)をしてみることを勧めたい。そして、無知であることが自覚できたら、それなりの知識収集と知識運用の努力をしてみる。こうした努力が積み重なれば、知はますます力になる。(K)
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注1 たとえば、村上陽一郎氏の 「安全学」(1998)
青土社。「安全と安心の科学」(2005)集英社新書。あるいは、畑村洋太郎「失敗学のすすめ」(2000)講談社