●向学心ってどんなもの
わからないことがあれば、ウエッブで検索すれば、あっさりとそれなりにわかってしまえる時代です。向学心なんて言葉、やや古臭くなってしまったかもしれません。最近、あまり使われなくなったような気がします。とりわけ、激しい燃えるような向学心は、日本の今時の若者からは感じされなくなりました。
余談ですが、今日の朝日新聞の「声」欄に中国人の留学生から投稿がありました。いわく、「中国の勉強事情とくらべて、あまりに日本のそれが甘すぎる。学生の自由にさせすぎている。もっと厳しくすべきだ。」
同感です。向学、つまり、何かに向かって学ぶには、それなりの厳しさが必要だからです。
なお、別項目で、知的好奇心に駆られた学びを取り上げました。それは、いわば、自分の内から発する学びでした。これに対して、向学心は、目的あっての学び、たとえば、大学に合格する、資格試験に通る、単位取得のための学びです。
こうした学びは、学ぶ内容が限定されていて自由度がないので窮屈ですし、高校までの学びがだいたいこうした学びですので、もうたくさん、となりがちですが、しかし、何かの目的を設定しての学びは、頭を元気にする点では、極めて有効なことは言うまでもありません。
わからないことがあれば、ウエッブで検索すれば、あっさりとそれなりにわかってしまえる時代です。向学心なんて言葉、やや古臭くなってしまったかもしれません。最近、あまり使われなくなったような気がします。とりわけ、激しい燃えるような向学心は、日本の今時の若者からは感じされなくなりました。
余談ですが、今日の朝日新聞の「声」欄に中国人の留学生から投稿がありました。いわく、「中国の勉強事情とくらべて、あまりに日本のそれが甘すぎる。学生の自由にさせすぎている。もっと厳しくすべきだ。」
同感です。向学、つまり、何かに向かって学ぶには、それなりの厳しさが必要だからです。
なお、別項目で、知的好奇心に駆られた学びを取り上げました。それは、いわば、自分の内から発する学びでした。これに対して、向学心は、目的あっての学び、たとえば、大学に合格する、資格試験に通る、単位取得のための学びです。
こうした学びは、学ぶ内容が限定されていて自由度がないので窮屈ですし、高校までの学びがだいたいこうした学びですので、もうたくさん、となりがちですが、しかし、何かの目的を設定しての学びは、頭を元気にする点では、極めて有効なことは言うまでもありません。