最後の将軍―徳川慶喜 (文春文庫) | |
クリエーター情報なし | |
文藝春秋 ☆ |
一時、winのおかげで
快速になったが
ふたたび、立ち上がりに30分以上ついやすようになった
これが
貴重な読書時間になる
いまは、司馬小説「最後の将軍」を読んでいる
才人慶喜の才気が幕末混乱期のなかで
存分に発揮されている
傑作である
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あるがままに「2部 頭を元気に 4-13
「すべてを知り、それを受け入れる心」
●「あるがままに」ってどんなこと
外の世界にしろ、心の世界にしろ、「あるがままに」見て、「あるがままに」受け入れるのは、簡単なようで難しい作業です。
風にたなびく木々を見れば、天気のことが気になります。傘を持っていくかどうか悩みます。
気持ちが落ち込めば、なんでなんだろうと気になります。そして、元気になろうとがんばります。
およそ「あるがままに」の心境とはほど遠いものとなってしまうのが常です。だからこその「あるがままに」なのですが、さて、あるがままってどんなことなのでしょうか。
●あるがままを知り、あるがままを受け入れる
ここで、現実には、両者を区別するのは難しいのですが、話をわかりやすくするために、心の「あるがままに」を「知ること」と「受け入れること」とに分けて考えてみたいと思います。
まず、「心のあるがままを知る」から。
心のあるがままを知るには、自覚、つまり内省による心の認識が必要になります。
心が平静なときには、それほど苦労なくそれなりにできますが、感情が極端な状態になっていると、注意資源が、その感情の処理に費やされてしまい、その感情状態をあるがままに知ることができなくなってしまいます。そもそも知ろうという気持ちさえ失われてしまいます。
これを克服して、少しでも心のあるがままを知るにはどうしたらよいかについては後で考えて見ます。
次は、「心のあるがままを受け入れる」についてです。
自分の心を自分でコントロールするには、かなりの力がいります。
・落ち込んだ心を元気にする
・めげそうになる心を鼓舞する
・低下してきた集中力を高める
・あれこれ頭を去来する想念を沈める
いずれも、できないことではありませんが、かなりの力技になります。そのための心理技術もたくさんありますし、心理療法として確立しているものもあります。
これに対して、「心のあるがままを受け入れる」というのは、自分の気持ち、思いを積極的に変えようとするのではなく、素直に受け入れてしまおうというものです。
ポジティブな心の状態は、誰もが簡単に受け入れることができます。そして、できるだけ長く味わおうとします。
それを、前述したようなネガティブな心についてもできないものだろうかというのです。これも、簡単なようでかなり難しそうです。項をあらためて、考えてみたいと思います。
その前に、森田療法の創始者・森田正馬の言葉を引用しておきます。
「治療の主眼については、言語では、いろいろと言い現わし方もあるけれども、詮じつめれば「あるがままでよい、あるがままよりほかに仕方がない、あるがままでなければならない」
- あるがままを受け入れるコツ
この項を書くに当たり、2日ほどあれこれ思案しましたが、今、散歩中に、啓示がありました。(笑い)
夏目漱石の「草枕」の冒頭。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。 」
心を知情意に分けたのは、アリストテレスですが、それを意識しての漱石のこの有名な一節ではないかと思います。
なお、漱石には、もう一つ「則天去私」もあることを思い出しました。
あるがままとは、「知(智)を働かすな、情に棹さすな、意地を通すな」そして、結局「己をすてて天に従え」ということです。漱石は偉大です。
① 知を働かせない
知を働かせれば、心にとらわれてしまいます。
なんで、こんな状態になったのか、どうしてこんなに集中できないのか、はたまた、なぜこんなに頭が働かないのかなどなど、心についての知識を総動員して解釈したり、説明したりしたくなります。
うまく説明できればそれになりに心平静になれますが、多くの場合は、なかなか納得のいく解釈・説明はできません。それがますます心へのとらわれをもたらすことになります。
知を働かせれば、頭は元気になります。そういう話をあれこれしてきました。しかし、時には、頭にも休息が必要だということです。
心理学者になるのをやめてみるのです。
② 情に棹ささない
勝手な解釈ですがーーいろいろの解釈があるようですがーー、情に棹をさすとは、棹で船を操縦するように、情をコントロールすることだとここでは勝手に解釈します。漱石は、そんなことをしようとしても、情に負けてしまうのが人間、といっているのだと思います。
感情(情)はある程度は自分でコントロールできます。さらに、コントロールのための心理技術を使えば、さらにそのコントロールは適切なものになります。しかし、完璧な感情の自己コントロールはできません。漱石はそこを言っているのだと思います。
この感情コントロールの不全は、気持ちが悪いものです。感情そのものに加えて、その気持ちの悪さが感情の世界をネガティブなものにしてしまいます。せめて、感情をコントロールしようなどとは思わないで、今の感情を味わうような気持ちになったらどうでしょうか。
感情の強さは自然に減少します。時間に頼る、まかせるのです。「時薬」という言葉もあります。
③ 意地を通さない
意地を通すとは、自分の思いのままになるようにしようということですね。これが自分の中だけにとどまっていれば、意志の強さですから、心の元気という点では、好ましいところもありますが、かなりの努力が要ります。疲れます。心が折れてしまうかもしれません。
ですから、ここでは、あるがまま、というより、なるがままにまかせる心境も、一時の休息という意味であってもよいと思います。
さらに、意地を通すには、周りを巻き込んで、自分の思いどおりにするということもあります。
世の中で生き抜くには、時にはこういう意地は必須ですが、周りとの関係を悪くするような意地は、できれば通そうとしないにこしたことはありません。
最後に究極のあるがままについての名言の引用。
「死ぬ間際まで、ほめられたいなどと色気を出す必要はない。うんうんと苦しんで死んでいけ」(保坂隆「老いを愉しむ言葉」朝日新書より)
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