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「成熟社会における教育の光と影」

2013-03-04 | 教育

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「成熟社会における教育の光と影」

●成長社会から成熟社会へ
 最近、日本の社会を「成熟」社会と呼ぶ人が多い。厳密な定義はないと思うが、「成長」社会、それも「高度」が頭につく社会の成長とともに70年間を生き延びてきた老人の実感として、確かに今の日本は、物質的にも制度的にも、そして心理的(心情的)にも成熟の極みにあると思う。
たとえば、「成長」社会では、
 ・勉強すればよりよい生活ができるとの確信を持ちながら勉強ができた
 ・満足な食事と安全確保の不安が次第に解消される
 ・ほしいものが徐々に手に入る
 ・どんどん満足感が高まる
ところが、今の社会は、勉強の苦労も、食事と安全の確保も、物質的な欲求も、さらに満足感の向上も、少なくとも生きていくための主要な目標にはなりえないのだ。なぜなら、すべて目の前にあるのだから。これを成熟社会と呼ばずしてなんと呼べばよいのか。
では、成熟社会で生きていく上での目標はなんであろうか。たぶん、それは、自分が生きたいように生きる、なりたい自分になることではないかと思う。いわゆる自己実現である。そして、学校では、そのように教えられる。
 
●自己実現社会での教育
 キャリア教育が今、教育界のトピックの1つである。中学生くらいからはじまり大学まで、自分にあった将来の仕事、職業を考えさせようとするものである。
 成熟社会では、仕事、職業も生活のためではないである。あくまで自分のためなのである。なりたい自分になれる仕事、職業探しが大事なのだ。キャリア教育では、そのように教えられる。
 これがそのとおり実現できれば万々歳。ところがそうはいかないときが大問題。夢を求めて3千里の人生を歩むことになる。
それでも、夢を追い続けられればまだよい。家族や周囲はどきどきはらはらだろうが、本人はそれなりに納得して人生をおくれることになる。
こうしたリスクの高い人生を歩もうと決断した人々――ポジティブ・ニートと呼んでおくーーは、社会に活力をもたらしてくれる存在として温かく応援したいものである。またその余裕があるのが、成熟社会ではないかと思う。
これが成熟社会の教育の光の部分。次は陰の部分の話なる。

●「擬似」ポジティブ・ニートが問題
 キャリア教育は、大学でも今や花盛りである。就職事情の厳しい昨今、かなり切羽つまったものとなっている。とはいっても、就職したいと思って就職できる人の割合は90%を越えているのだから、それほどのことではないとも言える。ここでも、日本は成熟した社会になっていると思う。
ただ、そこで問題になってくるのが、「擬似」ポジティブ・ニート志向の若者である。
ぼんやりと夢はある。しかし、やりたくないことははっきりしている?。そのために、とりあえず就職はしない、かといって、それほどの努力はしていない、あるいはできない層である。これらが進路未決定層となる。
この層を含めて、新卒大学生でおよそ2割(10万人余)が就職未決定者として毎年、積み残されていく。それが累積してくると、あっというまに膨大な数になってしまう。大学生の就職問題のアキレス腱の一つは、この進路未決定層にある。
大学では、就職支援の部署のみならず授業でも躍起になって、そういうことにならないように、キャリア教育や就活指導に精を出すことになる。しかし、大学が提供するこれらのプログラムから「自分なりの理屈で」下りてしまうので、始末におえない。自己責任だと言ってよいところもあるのだが、職なしで大学から放り出すようなことになりかねないので、大学の社会的な責任を考えると、見過ごすことはできないし、大学の評価にもかかわる。
こういう層も抱え込める余裕があるのが成熟社会だと言いたいところであるが、さていつまで抱え込めるのか。

●成熟社会での「3低」
 最後に、ここまでの話とは直接は関係しないが、教育界全体の深刻な問題である「3低」、つまり、学力低下、規範低下、意欲低下について(矢野真和による)考えてみたい。生まれたときから成熟社会の中で育った子どもの影の部分である。
①学力低下
 ゆとり教育も成熟社会が生んだ、残念ながらあだ花のようになってしまったが、その帰結のごとく言われるのが、学力低下である。
 ざっくり言ってしまえば、低下したのは、答えに早く間違いなく到達できる収束的学力のほうで、ゆとり教育がねらったあれこれの思いを発展させて思考力を鍛える拡散的学力のほうは、向上したとまではいかないが、それほど低下したとは言えないというところではなかったかと思う。
 もっとゆとりをもって「ゆとり教育」を行えたなら、拡散的学力のほうの向上へといけたのではないかというややくやしい思いはある。
②規範低下
 規範を守らせることに関しては、日本の中高校は、相当なレベルに達しているのではないかと思う。ただ、規範が、自律的ではなく強制によるところが一つの問題なのだと思う。
 強制された規範順守は、強制が外れたときに、野放図になってしまう。学校の外では社会生活の基本さえ守れないことになる。自律的な規範順守で期待できる道徳心や利他心の涵養につながらない恐れがあるのが心配である。
③意欲低下
 日本人の子どもの学ぶ意欲の低下は、国際比較からもはっきりと示されている。さらに、私立大学教員6万余名(回収率33%の結果 2010年)に行ったアンケートからも、以下のようなデータがだ大学生でも報告されている。
「授業で直面している問題」
基礎学力の不足 43%
自発性の不足  41%
学習意欲の低下 37%
 「3低」が、大学生にまで持ち込まれている実情がうかがえる。
 学びの動機づけに最も手っ取り早く機能するのは飢えや不安から脱出したいという思いであるが、前述したように、成熟社会では、これは学びの動機づけにはならないのである。なりたい自分になるために学ぶという高度な欲求を学びへと導くのは、思いのほか難しい。




心はみえないけれど心使いは見える

2013-03-04 | 認知心理学
<行為の意味>
―あなたの<こころ>はどんな形ですか
とひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも<こころ>は見えない。
けれどほんとうに見えないのであろうか

確かに
<こころ>はだれにも見えない

けれど<こころづかい>は見えるのだ

それは人に対する積極的な行為だから
~結実の季節の章より~
「行為の意味」より
内容(「BOOK」データベースより)
多感な時期を生きている君たちへ、詩人・宮澤章二からの77のメッセージ。

単行本: 183ページ
出版社: ごま書房新社 (2010/7/6)