心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

心理学ってどんなもの」岩波ジュニア新書

2014-01-08 | 認知心理学
Q1・1「心理学を知らなくとも、自分で自分の心を知ることはできますが、それでも心理学を学ぶと何かよいことがあるのですか」
---素朴心理学とアカデミック心理学   

「自分のことは自分が一番よく知っているからほっといて」は、親のアドバイスに対する青年の反発の常套句です。  
確かに、人には自分でしか知れえない、したがって、たとえ親でもうかがい知ることのできない、自分独自の心の世界を持っています。ですから、青年の常套句はそれなりに正当だとは思いますが、心の世界には、さらに、他人からのほうがよくわかる部分もありますので、親など他人からのアドバイスも素直に受け入れることも、時には必要です。 ***図 ジョハリの窓  別添  

それはさておくとして、人は誰しもがそれなりに自分の心を知っており、さらに、その心の働かせ方もそれなりに知っています。これをメタ認知と呼びます。(詳しくはQ1・8参照)。たとえば、次のような形でメタ認知は働いています。  
・自分の性格は神経質なほうだ  
・眠れないときは、数字を逆唱するなどして神経を集中させるとよい  
・反復すると良く覚えられる  

こうしたメタ認知を支えているは、頭の中にある2つのタイプの知識です。  

一つは、体験的知識です。心にまつわる長年の体験から生み出された知識がメタ認知の支えになっています。
もう一つは、アカデミック(学問としての)心理学の知識です。心理学の知識も常識となってちまたに流れていますので、体験的な知識との区別が難しいのですが、心理学を学ぶことによって、メタ認知を支える知識は豊潤かつ強力になります。  
たとえば、「神経質なほうだ」との自己診断も、もし性格心理学の概念として「内向的」「うつ傾向」などの語彙を知識として持っていれば、もっと深く自分の性格を診断できるはずです。  

また「反復するとよく覚えられる」のは確かですが、これに加えて、記憶心理学の知見「覚えるものに意味(自分のよく知っていること)を付与する」ともっとよく覚えられます。  さて、この2つのタイプの知識のうち、心について人々が持っている体験的な知識が素朴心理学の知識です。  自然現象などについての知識は、だいたい学校教育で教えられますが、心についてはほとんど学校では教えられることはありません。心理学をもっと児童生徒に教えるべきとの考えもあります。  

それはさておくとして、教えられないにもかかわらず、人はすでに4歳頃から心についての知識を持ちはじめます。それに比例してメタ認知も働きだします。結果として、心についての素朴心理学的な知識もどんどん豊かになっていきます。  

これはこれで結構なのですが、一番の問題は、素朴心理学の知識が、しばしばびっくりするほど、アカデミック心理学の常識からすると、誤っていることが多いことです。  

心理学の勉強をすることで、素朴心理学の誤った知識を訂正してもらいたいのです。これが、心理学を学ぶ一つの大きな理由です。

 もう一つは、素朴心理学の知識は、メタ認知の及ぶ範囲に限定されます。たとえば、どのようにして人の顔を認識するのかについての知識は持ちえようがありません。人が無意識にやっている心の働きは、メタ認知できません。メタ認知できるのは、氷山の一角にすぎません。氷山の下の部分がどうなっているかは、アカデミック心理学が営々と蓄積してきた知識に頼ることになります。
     

定評あるラーメン屋

2014-01-08 | 心の体験的日記
定評あるラーメン屋
すすめられていってみた。なんとか食したものの、はっきりいって2度といきたくないと思った。でも、続々とお客さんがつめかける。
うーん、わが舌のほうがだめなのかなー。
自分の味覚は、まずいほうには鋭いが、あれ程度うまくなるとどれほどうまくとも同じに感じてしまう。
好みはひとそれぞれということもある


コンビニ惣菜

2014-01-08 | 心の体験的日記

一時、かなり頻繁に買っていた
それが不思議なのだか、
最近はまったく買わなくなってしまった
まずいというわけではないのだが
何か味に気に入らないところがあるのかも
ただ、ビールにかかせない枝豆だけは
ビールを飲まないときでもあいかわず買っている

仕事日記をつけよう」その2

2014-01-08 | 教育
 とはいっても、
「日記は苦手。長続きしたためしがない……」
 という人のほうが多いでしょう。

 でも、心配は無用です。
 「仕事日記」は「日記」とは違います。
●「仕事日記」は「あとから見直すための記録」
●「日記」は「思い出を残すための記録」
 人は自分の感情ーー驚いた、嬉しい、楽しい、悔しい、泣きたいetc――が大きく揺さぶられる「事件」が起きたとき、文字で気持ちを表現したいと思うものです。
 けれど、日常生活というのは、淡々と過ぎていくもの。文章を書きたくなるような事件や面白い出来事は、そうそう起きません。だから日記帳やパソコンを前にすると、「今日もいつもと同じ一日だったな。だったらわざわざ書くこともないか……」と、書くことから遠ざかってしまうのです。

 ところが、「仕事日記」は、特別な「事件」を書く必要はありません。
●一日にこなした業務内容
●そのときに感じたこと
●ささいな成功・失敗体験
●将来や目先の目標
●プライベートなこと(洋服を買った、彼とけんかしたetc……)
 など、とにかくなんでもいっしょくたに、「書きたいこと」を素直に書く。
 あくまで仕事日記は「あとから自分自身を見つめなおす資料を残す」ためにつけるもの。面白おかしい読み物にする必要はまったくありません。
 書きたいことがなければ、その日の行動を記録するだけでもOK。
 無理して自分を飾りたてることなく、素の自分の行動や気持ちを実況中継するように、書き留めればいいのです。

2人で仕事をするときに声かけをしないのは、なぜでしょうか

2014-01-08 | 安全、安心、
「2人で仕事をするときに声かけをしないのは、なぜでしょうか」
 
 2人で協力して仕事をするケースには、2つのタイプがあります。
 一つには、事例のように、2人が空間的に接近して一緒に同じ仕事をするような場合(接近共同作業)です。
 もう一つは、一人はクレーン操作、もう一人は遠くの運搬物の設置場所にいるような場合(遠隔共同作業)です。
 遠隔共同作業の場合は声かけはできませんから、無線か手振り身振りでのコミュニケーションになります。音声やジエスチャーの伝達精度が問題になりますが、ここでは、確実にコミュニケーションが発生します。
 接近共同作業では、相手の顔、仕事が見えるにもかかわらず、意外にコミュニケーション不全が発生してしまいます。
 その理由の一つは、人間関係です。たとえば、相手が先輩であれば、声かけの遠慮が起こります。
 2つは、自分に割り当てられた仕事にのみ集中してしまうからです。とりわけ、それが処理負荷の高いものであれば、相手の仕事に配慮する余裕はありません。
 3つは、油断や横着心です。相手が目の前にいる安心感からか、言うまでもないだろうと思い込んで油断してしまいがちです。