「若さは、寝ていてもあなたを変えます。どうせなら、それを価値ある変化にかえよう。」
大学に入ってから大学院3年をおえるまで7年間
奨学金のお世話になった
しかも、教員になれたので、返却義務がない
まさに、奨学金だった
しかも、国立だったので学費も1万か2万。現在はなんと50万くらい
それが、現在は貸与方式がほとんど
職につくとすぐに400万くらいの借金返済が義務付けられる人もいる
大学院までもらうと、信じられない額になってしまう
なんとかならないものかとは思うが結局は政治
いや財政方針の問題
教育にかかる予算の再配分でもある程度解決できるような気もする
アメリカの大学ではもっと深刻らしい
「貧困大国アメリカ」に詳しい
奨学金のお世話になった
しかも、教員になれたので、返却義務がない
まさに、奨学金だった
しかも、国立だったので学費も1万か2万。現在はなんと50万くらい
それが、現在は貸与方式がほとんど
職につくとすぐに400万くらいの借金返済が義務付けられる人もいる
大学院までもらうと、信じられない額になってしまう
なんとかならないものかとは思うが結局は政治
いや財政方針の問題
教育にかかる予算の再配分でもある程度解決できるような気もする
アメリカの大学ではもっと深刻らしい
「貧困大国アメリカ」に詳しい
時代の変化がドッグイヤー速度になっているのか
自分の育った社会と子供のそれとが、まったく質的に変わってしまう
親が子供に何かを伝える、教えるということが機能しなくなっている。
ましてやおばーちゃん、おじーちゃんの、そうした意味でも存在は
ますます希少化してしまっている
経済的な世代間格差ととに、こうした心理的、教育的な世代間格差もあることを
認識する必要がある
これは教育界では、かなり深刻な問題であるが
これはまた教育のブレークスルーを生み出すきっかけにもなるかも
自分の育った社会と子供のそれとが、まったく質的に変わってしまう
親が子供に何かを伝える、教えるということが機能しなくなっている。
ましてやおばーちゃん、おじーちゃんの、そうした意味でも存在は
ますます希少化してしまっている
経済的な世代間格差ととに、こうした心理的、教育的な世代間格差もあることを
認識する必要がある
これは教育界では、かなり深刻な問題であるが
これはまた教育のブレークスルーを生み出すきっかけにもなるかも
Q1・4「生まれたばかりの赤ちゃんにも心はありますか」---心の発生
心に限らず、人は事の起源への関心が強いようです。
そう言えば、1866年、パリの言語学会では、言語の起源に関する発表を禁止してしまったという話があります。どうしてかというと、決着がつく見通しがまったくないにもかかわらず次々と論文が投稿されて、そのために知的資源が無駄に使われるからだというのです。 そんなことにならない程度にさっと、人はいつ頃から心を持つようになるかを考えてみます。
まずは、D.ザイチックが3歳児と4歳児を使って行なった「誤信念課題」実験を紹介してみます。
子ども達の前で、サリーとアンが次のような劇を演じます。
1)サリーが熊のぬいぐるみをおもちゃ箱に片づけて部屋の外に出かけます。
2)部屋にアンが入ってきて、熊のぬいぐるみをおもちゃ箱から取り出して少し遊んでから、それを今度はタンスにしまいます。
3)サリーが部屋に戻ってきます。
さて、ここで、子どもに質問します。「サリーは、また、熊のぬいぐるみで遊ぼうとします。さて、どこを探すでしょう?」
3歳児は「タンスの中」と答えます。4歳児は「おもちゃ箱」と答えます。「正しい」のはどっちですか?
4歳児のほうです。サリーが現実とは違った「誤った信念」(過去の記憶)をもっていることを、子どもが正しく認識できれば正解なのです。やや複雑になりましたが、冷静に考えればわかるはずです。
さて、この実験の結果は何を物語っているのでしょうか。
心の存在証明を直接行なうことはできません。心は目にみえないのですから。
となると、存在証明をするには、こんな行為ができるなら心があるとしましょうという了解のもとで、その行為ができることを確認するという間接的なやり方しかありません。
この実験の巧みなところは、心を持っている人なら誰でもが持っているはずの投影心性に着眼したところです。もしその人(3歳児、4歳児)が心を持っているなら、他人(サリー)が心をもっていると考えるはずとしたわけです。もっともこの実験で言う「心」は記憶という心の働きに限定されていますが。
というわけで、この実験結果から、3歳児から4歳頃にかけて、「心」が発生しているらしいことがわかったのです。
この研究は、心の理論に関する研究と呼ばれています。人は心についてどのように考えているか(どのような理論を持っているか)を研究しようとするからです。
しかし、これとは別の系統の研究として、新生児発達心理学という領域があります。そこでは、新生児でも、「心」の存在をうかがわせる行動がたくさん観察できるることが知られています。たとえば、
・母語の音や顔の絵が他のものとは違うことがわかっている
・相手のリズムや気持ちに共鳴する動作をする
・自分の微笑によって相手(親)との交流を活発化する
こういう知見をみると、心がいつ頃から発生するかは、結局、何をもって心の発生とみなすかという、例の定義問題になってしまうことがおわかりと思います。
なお、ここでの心の発生の話は、人の一生の中で、つまり個体発生の観点からでした。心の発生に関しては、あと2つの観点があります。 一つは、人類史上、いつ頃、心が発生したかという観点。途方もない疑問ですが、観点としてはあります。言語の発生との関係で時折、議論されることがあります。有力な説の一つとして、4万年前くらい出現したクロマニヨン人(新人)あたりからではないかと言われています。 もう一つは、系統発生的な観点です。心があるのは、プラナリア?、それとも、チンパンジー?という話です。これについては、かなり真剣な議論が動物心理学で行なわれてきました。項をあらためて考えてみます。
心に限らず、人は事の起源への関心が強いようです。
そう言えば、1866年、パリの言語学会では、言語の起源に関する発表を禁止してしまったという話があります。どうしてかというと、決着がつく見通しがまったくないにもかかわらず次々と論文が投稿されて、そのために知的資源が無駄に使われるからだというのです。 そんなことにならない程度にさっと、人はいつ頃から心を持つようになるかを考えてみます。
まずは、D.ザイチックが3歳児と4歳児を使って行なった「誤信念課題」実験を紹介してみます。
子ども達の前で、サリーとアンが次のような劇を演じます。
1)サリーが熊のぬいぐるみをおもちゃ箱に片づけて部屋の外に出かけます。
2)部屋にアンが入ってきて、熊のぬいぐるみをおもちゃ箱から取り出して少し遊んでから、それを今度はタンスにしまいます。
3)サリーが部屋に戻ってきます。
さて、ここで、子どもに質問します。「サリーは、また、熊のぬいぐるみで遊ぼうとします。さて、どこを探すでしょう?」
3歳児は「タンスの中」と答えます。4歳児は「おもちゃ箱」と答えます。「正しい」のはどっちですか?
4歳児のほうです。サリーが現実とは違った「誤った信念」(過去の記憶)をもっていることを、子どもが正しく認識できれば正解なのです。やや複雑になりましたが、冷静に考えればわかるはずです。
さて、この実験の結果は何を物語っているのでしょうか。
心の存在証明を直接行なうことはできません。心は目にみえないのですから。
となると、存在証明をするには、こんな行為ができるなら心があるとしましょうという了解のもとで、その行為ができることを確認するという間接的なやり方しかありません。
この実験の巧みなところは、心を持っている人なら誰でもが持っているはずの投影心性に着眼したところです。もしその人(3歳児、4歳児)が心を持っているなら、他人(サリー)が心をもっていると考えるはずとしたわけです。もっともこの実験で言う「心」は記憶という心の働きに限定されていますが。
というわけで、この実験結果から、3歳児から4歳頃にかけて、「心」が発生しているらしいことがわかったのです。
この研究は、心の理論に関する研究と呼ばれています。人は心についてどのように考えているか(どのような理論を持っているか)を研究しようとするからです。
しかし、これとは別の系統の研究として、新生児発達心理学という領域があります。そこでは、新生児でも、「心」の存在をうかがわせる行動がたくさん観察できるることが知られています。たとえば、
・母語の音や顔の絵が他のものとは違うことがわかっている
・相手のリズムや気持ちに共鳴する動作をする
・自分の微笑によって相手(親)との交流を活発化する
こういう知見をみると、心がいつ頃から発生するかは、結局、何をもって心の発生とみなすかという、例の定義問題になってしまうことがおわかりと思います。
なお、ここでの心の発生の話は、人の一生の中で、つまり個体発生の観点からでした。心の発生に関しては、あと2つの観点があります。 一つは、人類史上、いつ頃、心が発生したかという観点。途方もない疑問ですが、観点としてはあります。言語の発生との関係で時折、議論されることがあります。有力な説の一つとして、4万年前くらい出現したクロマニヨン人(新人)あたりからではないかと言われています。 もう一つは、系統発生的な観点です。心があるのは、プラナリア?、それとも、チンパンジー?という話です。これについては、かなり真剣な議論が動物心理学で行なわれてきました。項をあらためて考えてみます。