Q1・2「最近、理解に苦しむような事件や犯罪などが多すぎるように思いますが、どうしてでしょうか」---心の理解
最近になって多くなったかどうかは、時系列データによる統計的な吟味が必要ですが、実感としては、そうかもしれません。
そうした実感の背景には、理解できない特異なものほど、マスコミ報道が激しくなり、結果として記憶に残りやすく、また、記憶から引き出されやすいという心理的なメカニズム--利用可能性ヒューリスティックと呼ばれています--が働いているからです。
このあたりは、社会心理学の一つの研究課題になっています。なお、ヒューリスティックとは、直感的に行なうその場にあった便宜的な思考のことです。
閑話休題。なぜ、こうしたことを言うかというと、たとえば、最近、青少年犯罪が多発しているようにみえます。確かに「増えたなー」という実感を自分でも持ちます。ところが、東京工業大学・影山任佐氏(犯罪精神医学)の分析では、時系列データをとってみますと、平成に入ってからは、昭和の終わりよりも減っているのです。
犯罪の特異さが、記憶に焼きついて、それが「増えた」という実感とつながっているようなところがあるように思います。 また、人の記憶の限界もあります。それほど昔にまでさかのぼって思い出すこともできません。
それはさておくとして、特異な事件や事例に出会うと、それがなぜ起こったのかが知りたくなります。その「なぜ」は、事件や事例を引き起こした犯人や当事者の動機に向けられます。なぜ殺したのか、なぜいじめたのか、というわけです。「理解できない」というとき、この動機が自分には共感できない、了解できないということです。
共感や了解を支えているのは、その人の持っている「素朴心理学」です。「山田君が殴ったのは、田中君が悪口をいったことに腹を立てたからだ」とか「青少年犯罪が多いのは、家庭でのしつけに問題があるからだ」とかいった自分なりの解釈の背景にあるのが、あなたの「素朴心理学」です。 なお、アカデミック心理学の一部として、「普通の」人が持っている素朴心理学を「科学的に」研究するという領域があります。 たとえば、98年1月に栃木県で中学1年生が女性教諭をナイフで殺傷する事件がありました。
アカデミック心理学の研究課題としては、「その少年の殺傷行為の動機や背景の分析」が一つありますが、もう一つ、その事件について、人々(あなた)はどう考えているかについて、アンケート調査やインタビューをしてみるということもあります。これが、素朴心理学についてのアカデミック心理学になります。社会心理学では、こうした研究が盛んです。
少しややこしい余談が長くなりました。心理学を知ってもらうための寄り道です。話を元に戻します。
あなたの素朴心理学が豊かで有効であれば、心が「理解できる」ことになります。「理解に苦しむ」のは、あなたの素朴心理学が世の中の動きや人々の心の変化に十分に対応できるほどに豊かでも有効でもなくなっているということになります。
素朴心理学をより豊かで有効なものにするのは、一つには、心の修羅場をくぐり抜けた体験を知恵としてどれほど蓄積しているかということがあります。
やや恥ずかしいところもありますが、個人的な体験を少々。
小学高学年の頃、夜驚症(夜中に飛び起きて騒ぐ)に悩まされたことがあります。また、大学生の頃は、赤面恐怖症に悩まされました。40歳の頃はやや欝(うつ)っぽくなりました。私もそれなりに苦労してきました。そこでの苦労が多分、みずからの心をコントロールしたり、人を理解したりするのに役立っているのではないかと思っています。 あなたの素朴心理学を豊かで有効なものにするもう一つは、言うまでもなく、アカデミック心理学です。
またまた個人的な体験で恐縮ですが、大学に入ってすぐに学園祭の出し物の準備のためにフロイトの精神分析(Q2ー12参照)の勉強をしました。 これが、かわいた土に水が染み込むかのごとく頭に入ってきました。昔の、そしてその時の自分の心の動きがものの見事に説明されてしまいました。
個人的な体験に基づいた素朴心理学が、ここで、アカデミック心理学と融合したわけです。
なお、理解に苦しむことは悪いことではありません。簡単に理解してしまう/わかってしまうほうが、むしろ問題です。疑問を頭の中に飼っておくくらいの気持ちがあるほうが、知的環境としては、好ましいと思います。
最近になって多くなったかどうかは、時系列データによる統計的な吟味が必要ですが、実感としては、そうかもしれません。
そうした実感の背景には、理解できない特異なものほど、マスコミ報道が激しくなり、結果として記憶に残りやすく、また、記憶から引き出されやすいという心理的なメカニズム--利用可能性ヒューリスティックと呼ばれています--が働いているからです。
このあたりは、社会心理学の一つの研究課題になっています。なお、ヒューリスティックとは、直感的に行なうその場にあった便宜的な思考のことです。
閑話休題。なぜ、こうしたことを言うかというと、たとえば、最近、青少年犯罪が多発しているようにみえます。確かに「増えたなー」という実感を自分でも持ちます。ところが、東京工業大学・影山任佐氏(犯罪精神医学)の分析では、時系列データをとってみますと、平成に入ってからは、昭和の終わりよりも減っているのです。
犯罪の特異さが、記憶に焼きついて、それが「増えた」という実感とつながっているようなところがあるように思います。 また、人の記憶の限界もあります。それほど昔にまでさかのぼって思い出すこともできません。
それはさておくとして、特異な事件や事例に出会うと、それがなぜ起こったのかが知りたくなります。その「なぜ」は、事件や事例を引き起こした犯人や当事者の動機に向けられます。なぜ殺したのか、なぜいじめたのか、というわけです。「理解できない」というとき、この動機が自分には共感できない、了解できないということです。
共感や了解を支えているのは、その人の持っている「素朴心理学」です。「山田君が殴ったのは、田中君が悪口をいったことに腹を立てたからだ」とか「青少年犯罪が多いのは、家庭でのしつけに問題があるからだ」とかいった自分なりの解釈の背景にあるのが、あなたの「素朴心理学」です。 なお、アカデミック心理学の一部として、「普通の」人が持っている素朴心理学を「科学的に」研究するという領域があります。 たとえば、98年1月に栃木県で中学1年生が女性教諭をナイフで殺傷する事件がありました。
アカデミック心理学の研究課題としては、「その少年の殺傷行為の動機や背景の分析」が一つありますが、もう一つ、その事件について、人々(あなた)はどう考えているかについて、アンケート調査やインタビューをしてみるということもあります。これが、素朴心理学についてのアカデミック心理学になります。社会心理学では、こうした研究が盛んです。
少しややこしい余談が長くなりました。心理学を知ってもらうための寄り道です。話を元に戻します。
あなたの素朴心理学が豊かで有効であれば、心が「理解できる」ことになります。「理解に苦しむ」のは、あなたの素朴心理学が世の中の動きや人々の心の変化に十分に対応できるほどに豊かでも有効でもなくなっているということになります。
素朴心理学をより豊かで有効なものにするのは、一つには、心の修羅場をくぐり抜けた体験を知恵としてどれほど蓄積しているかということがあります。
やや恥ずかしいところもありますが、個人的な体験を少々。
小学高学年の頃、夜驚症(夜中に飛び起きて騒ぐ)に悩まされたことがあります。また、大学生の頃は、赤面恐怖症に悩まされました。40歳の頃はやや欝(うつ)っぽくなりました。私もそれなりに苦労してきました。そこでの苦労が多分、みずからの心をコントロールしたり、人を理解したりするのに役立っているのではないかと思っています。 あなたの素朴心理学を豊かで有効なものにするもう一つは、言うまでもなく、アカデミック心理学です。
またまた個人的な体験で恐縮ですが、大学に入ってすぐに学園祭の出し物の準備のためにフロイトの精神分析(Q2ー12参照)の勉強をしました。 これが、かわいた土に水が染み込むかのごとく頭に入ってきました。昔の、そしてその時の自分の心の動きがものの見事に説明されてしまいました。
個人的な体験に基づいた素朴心理学が、ここで、アカデミック心理学と融合したわけです。
なお、理解に苦しむことは悪いことではありません。簡単に理解してしまう/わかってしまうほうが、むしろ問題です。疑問を頭の中に飼っておくくらいの気持ちがあるほうが、知的環境としては、好ましいと思います。