心の風景 認知的体験

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ユーザビリティテスト」

2014-01-16 | わかりやすい表現
本稿では、リンスとシャンプーを表示だけで識別させるには、どのような表示上の趣向が最適かを、高齢者を使ったユーザビリティテストで検討した結果を報告する。  

ISO13407対応のためもあって、コンピュータのインタフェース関連の業界においては、ユーザビリティテストがかなり普及してきた(黒須ら、1999)。しかし、ユーザビリティテストはこの業界限定ではない。消費者主権の昨今、どの業界においても、それぞれの業界にふさわしい形でのユーザビリティテストがおこなわれるべきである。  

その意味で、ここで報告するユーザビリティテストは、商品パッケージの表示の最適化という限定的な課題ではあるが、一つの定型的なユーザビリティテストの方式を提案したものとして意義がある。  

ここで採用したユーザビリティテストは、2種類ある。
一つは、表示に基ずく商品の識別実験である。商品の使用場面を想定して、「できるだけ早く正確に」識別させたときの識別反応時間と正解率とを計測する実験である。  

もう一つは、実験終了後に、実験に使ったすべての表示対を「区別しやすさ」の観点から順位づけしてもらい、その理由を報告してもらう課題である。これは、商品購入段階を想定したものである。  この2種類のユーザビリティテストを使った理由の一つには、ユーザ(消費者)と商品との接点が、購入時と使用時の2ケース想定されたことがある。  
2つには、表示の評価に限らないが、ユーザを使った評価では、ユーザの意識的な介入をできるだけ排除したパフォーマンス評価と、逆に、意識的な介入を積極的に求めた主観的評価とを使うことで、より豊富な情報がえられることが期待できるからである。  

さらに、ここでは高齢者を被験者に使ってみた。その理由も、2つある。
一つは、商品の将来のターゲット購入層として高齢者が想定されたことがある。
もう一つは、加齢に伴う認知・行動機能の低下に対応できる表示上のバリアーフリーを考えるための基盤データを得たかったからである。  

それにしても寒い

2014-01-16 | 心の体験的日記
この時期ならこれくらいの寒さは当たり前
しかし、最近は、高架の駅が多いので
吹きっさらし状態になるのでとりわけ寒い
車通勤のときはオーバーなしで平気だったが
電車通勤では、厚着が必須

センター試験
寒さはしかたないが、雪は困る

受験生諸君、風邪をひかないように!!

心は鍛えれば強くなるのですか」心理学ってどんなもの

2014-01-16 | 認知心理学

Q1・6「心は鍛えれば強くなるのですか」---心の陶冶

 身体は鍛えれば強くなることを実感できます。筋肉が付き、技能も向上します。心にも同じことが言えそうですが、事は思ったほど簡単ではありません。
簡単ではないのは、「心」と「鍛える」と「強くなる」の意味内容にかかわります。
 この質問の根源にある問題に答えるのには、学校教育ではどんなことがめざされているかを考えてみるのが一番よいと思います。実は、この質問には、もっと世俗的な意味があるのは承知しているのですが、そちらのほうは、後回しにします。
 学校の目的は、子供が世の中に出たときに困らないように、適切な心の準備(陶冶;とうや)をすることです。このとき、どのような準備が適切かに関して、大きく2つの対立する立場があります。
 一つは、実質陶冶と呼ばれるものです。
 世の中で必要とされる実質的な知識や技能、たとえば、金勘定の仕方やコンピュータの使い方や人との付き合い方などなどについて教えることが学校教育のめざすところだというものです。
 もう一つは、形式陶冶と呼ばれるものです。
 世の中で必要とされる基盤的な能力を陶冶することが学校教育のめざすところだというものです。考える力、判断する力などなど、それがあれば、新しいことを学ぶのに苦労しないような力です。
 今の日本の教育界をこの観点から眺めてみると、高校段階までは、「生きる力」「自ら学ぶ力」というような惹句が流行しているのをみてもわかるように、形式陶冶のほうに振り子が振れています。ところが、大学は、逆に、もっと実学を、という圧力にさらされています。
 いずれも、過去の反対方向への振れを補正しようとの動きです。


*****図 形式陶冶と実質陶冶  別添


 学校で作られる実際のカリキュラムは、両者の立場の折衷的なものになっているのが一般的ですが、この両極端の立場は、折に触れて至るところで衝突します。
 いずれの立場に立つにしても、学校教育では、結果として、心の陶冶をしていることになります。
 知識を増やす、技能を向上させる、能力を高める。いずれをとっても、それは、心の陶冶になります。それを10年単位の歳月をかけてじっくりとやるのが学校での教育です。ですから、質問の答えは、「心は鍛えれば強くなります」ということになります。

 しかし、この質問で本当に聞きたいことは、たとえば、「ストレスに強くなるのは」とか「集中力を付けるには」とかいった類のことではないかと思います。
 この意味での質問に答えるときにも、実質陶冶的に考えるか、形式陶冶的に考えるかで、いずれも、答えはYESですが、答えの内容と方法が異なってきます。
 実質陶冶的な立場なら、いわゆるハウツー(how to)的な知識をまず仕込むことになります。「何がストレスになっているかを確認する」「ストレスを高めないために定期的な休息をとる」「ストレス源からの距離を調整する」「ときにはいつもと違ったことをしてストレスの解消をはかる」などなど。
 さらに、それを実際のさまざまなストレス場面で試す訓練をすることになります。
 これに対して、形式陶冶的な立場なら、たとえば、「ストレスとは何か」「その心理的なメカニズムはどうなっているのか」「ストレスは人間にとってどんな意味があるのか」などなど、当面のストレスへの効果的な対処は期待しないがどんな場面のどんなストレスにも効果的に対処できるはず知識ーーーこれが実はくせものなのですがーーーを仕込み、それを典型的なストレス場面で試すことで、一般的なストレス対処力を付けることをねらうことになります。

 実質的陶冶的な立場のほうが、直接的ですからわかりやすく、その効果も限定はされますが、すぐに目にみえます。したがって、すぐにでも飛びつきたくなります。ただし、まがいものの宗教や性格改造などのマインド・ビジネスやハウツウ本が、おいしいそうな餌をたれて、飛びついてくるのを待っていますので、注意してください。
 心を強くしたいという気持ちは痛いほどわかります。身体を強く健康にしたい気持ちと同じだと思います。
 しかし、心は、身体ほど部分的ではありません。知性も感情も一体で考えなければうまくいきません。
 また、心は、身体ほど「強さ」を志向していません。テストで70点より80点をとるほうが、知的には確かに「強い」とは思います。でも、感情の豊かさや安定となると、「強さ」とは無縁です。
 心は強さよりも、さまざまな場面にうまく対応できる竹のごとき「しなやか心」の陶冶こそが大事ではないでしょうか。そのほうが心のくせにかなっているからです。













腰痛

2014-01-16 | 心の体験的日記
テニスもできる
散歩もできる
ほとんど不自由しないのだが、
かなりむかしから
腰が慢性的に痛い
ときおりかなり痛むことがあるが、
あるけないほどのことは一度もない

腰回りの癌はあまり聞いたことがないので
検診などはしたことはない
ただ、頸椎がまれに以上に痛むことがある
要するに背骨系が弱いのかも

世の中には腰痛に悩まされている人が多いらしい
なんとストレスが原因という説もあるらしい