心の風景 認知的体験

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夕方の電話には要注意

2014-01-23 | 心の体験的日記
夕方、5時、6時ころの電話は
まず出ない
ほぼ間違いなくセールス電話だから
もっとも携帯もほとんど出ることはない
留守録まで入れてくれるものだけ
コールバックしている
電話は、魔の誘惑と心している

それにしてもお年寄りの詐欺被害が多い
なんと7500万円も
半分でいいからほしい 


髭剃りで傷

2014-01-23 | 心の体験的日記
ここのところ、乾電池式の髭剃りのすばらしいものを
みつけたので、顔を傷つけることはなかった
しかし、けさは、ついうっかりで
唇に小さい傷をつけてしまった
血が出た
それが止まらない
車なので、絆創膏をはって登校
しかし、止まらない
なんと昼まで
まいりました
しかも今日に限って訪問者が多く
恥ずかしかった


養護教諭のコミュニケーション―子どもへの対応、保護者・教師間連携のポイント

2014-01-23 | わかりやすい表現
: アマゾン書評より


養護教諭のコミュニケーション―子どもへの対応、保護者・教師間連携のポイント (単行本)
タイトルは養護教員と書かれていますが、全般的にコミュニケーション力を高めるのに良い本だと感じました。
学生時代の「保健室の先生」がとても優しく接してくれた思い出を思い出しました。
この本は、保健室の先生が、どのように生徒に目線を落として、どのような考えで接しているのかがわかりる側面があります。
そのため、全般的な教員職や小児科の看護師さんなど全ての子供たちに関わる職業、または子供たちの気持ちを少しでも考えようとする人たちにも役に立つ本だと思いました。
自分の言いたい事をどのように伝えればいいか?、自分の言っていることは本当に正しいのか?、押し付けていないか?など多面的な視点から考えているので、何度でも読める本だと思います。


日記をつけることで

2014-01-23 | 心の体験的日記
日記をつけることで

気持ちコントロール力をつける
気持ちがぶれたときのことを記録する
・高ぶったとき
・落ち込んだとき
・ポジティブ、ネガティブになったとき
それぞれ、その原因を、自分と外に見つける



ブログ記事アップの時間や内容

2014-01-23 | 心の体験的日記
原則、家のバリュースターからしかアップしない
したがって外泊したりするとお休み<<今年は、年末年始に4日ほどアップなし

時間帯では、夜寝る前が一回<<晩酌が過ぎるとすっとばす
2回目は、朝、といっても2時、3時頃<<ときおり、出勤時間まで寝てしまうことがある

掲載する内容は
①その日の振り返りで、興味関心があったこと<<思い出せないことが多いので、メモを多用
②昔々の本や依頼原稿からのもの<<最近はめっきり減った
③オンゴーイングの書き物の一部<<最近はめっきり減った
④アップ用に保存してあったネット記事など<<最近多い

時間にして全部で30分程度
習慣になっているので、まったく苦痛ではない
記事アップしないと気持ちが悪いくらい 笑い

愛読感謝です

頭の老化防止
頭の切り替えにとても役立っています
また映像撮影や処理で通勤や散歩が充実します

おつきあいいただき感謝してます
とりわけ
桜さんの名句と
映像<<一部です 
とコメント<<原則、コメントバックはしません すみません しかし全部、読んでます
あらためて感謝します
ブログに気品と彩りを添えてもらえます

なお、最近、いやかなり前から
記憶力低下のため
再掲<<そのつもりのものもありますが
してしまうこともあります
お許しください







太陽光発電

2014-01-23 | 心の体験的日記
庭に差し込んでおく太陽光ライト3本

もう5,6年前のものだが、まだ光を発している
太陽光なので、昼間に蓄電してくれるので、
なにもメンテナンスがいらない

ただ、まわりを明るくするほどの力はない
ぼーと存在をアピールしているくらいであるが、
それがまたいい



研究室

2014-01-23 | 教育
研究室

大学では、一人一人の教員に研究室が与えられる。
ごくまれに、研究室が共同もあるが、ほぼ原則、個室である。
考えてみると、誰にも、また、何にも妨げられないで一日中、部屋で仕事ができる人なんて、世界中みても、ほとんどいないのではないか。
それだけでも恵まれている。
その上、―――と書き出すと、恵まれぶりは、切りがない。
大学教員は、まさに特権階級といってもよい。
その特権は、しかし、研究室から世の中を動かす研究成果が生み出されることが前提である。この前提、大丈夫だろうか。
今後は、職員室方式の大学も出てきてもよいように思う。その時は、しかし、
研究者としての大学教員ではなく、教師としての大学教員ということになる。
これほど、大学での「教育」が世間からもとめられるようになると、
いずれという気もする。