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形成された習慣の行動的なレベルでの特徴

2016-11-05 | 認知心理学
形成された習慣の行動的なレベルでの特徴を挙げてみると、次の2つになる。

 1つは、その時その場に臨めばいつも同じ行為をする。

 2つは、その行為は最初のきっかけ(トリガー刺激)によって自動的に要素行為が進行していく。多くは、時間がトリガー刺激になるが、場(状況)や声かけなどによっても自動的に進行する。
 



2015年11月04日 に書かれた記事

2016-11-05 | Weblog
2015年11月04日 に書かれた記事をお届けします。
階段の上り下り

駅の階段が怖い上りは、気力を込めて上るので疲れはするがまー、大丈夫怖いのは下り脱力し気を抜いて足を運ぶのでついうっかりで、転げ落ちるのではないかと不安あるいは周りの人との接触も怖い下りはできるだけ手すりが摑めるように壁際を降りるようにしている


心理実験をするときの自由意志への配慮

心理実験をするときの自由意志への配慮①実験目的をあらかじめ言わない 誘導効果を避けるため②「嘘の」実験目的を告げる これは大問題になることがある。 しかし、実験の目的によっては、これ自体が実験になることもある。 非常に扱いが難しい。「参考」最近は、論文投稿にあたり、学内に常設される「心理実感倫理委員会」での承......
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いつどこで撮影したか覚えてない!

いつどこでとったか覚えてない!外に出るときは、必ず携帯電話カメラを持参するこころを刺激されるシーンがあるとシャッターを切るそれをブログにアップするところが、アップした映像がどこだったか思い出せないことがたびたびあるかなり古い映像でもあのときのあそこという記憶があるのだが、そんななかでの正体不明の映像は、不気味......
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裸体と性」女性ウオッチング

裸体と性」女性ウオッチング逝きし世の面影」渡辺京二2005年発売で2013年で27刷にもなっている大著(文庫本で604p)である。幕末期の日本の風俗を外国人がどうみていたかを当事者の見聞録に基づいて紹介している。読み応えがあるので、ここ1年くらいちょびちょび読んでいる。その第8章「裸体と性」<<やっとここまで......

心理学で読み解く司馬遼太郎の世界(再掲)

2016-11-05 | 心の体験的日記

認識はわけ知りをつくるだけであった。
わけ知りには、志がない。
志がないところに、社会の前進がないのである。
司馬遼太郎「菜の花の沖」p199
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知と志。
別物であると思う研究者は、ノーベル賞はもらえない。
志ある知的探求こそ研究者の王道だが、
最初から志をもって研究する研究者もまた少ない。
一方、志は研究者を壮大な誤りにも導くリスクがある。

故郷というものは心の中にのみあるものではなく、
体の記憶の中にもあるーーーー
(司馬遼太郎)
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記憶場所は3つある。
頭>状況記憶と感性記憶
体>動きなど
外>記憶のリマインダー

懐かしさは
この3つが一気に統合されると、発生する
故郷に帰ったときに感じる懐かしさがこの例


彼(伊能忠敬)の学問の特徴は、徹底的に学ぶ
というところにあり、
創見をなそうとはしなかった。
(司馬遼太郎)
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学び好きと
研究好き(創見づくり好き)とは必ずしも一致しない。
しかし、学びを徹底させると、単なる物知り以上の探究者になれることもある。
これも研究者のカテゴリに入る。
人文系では、比較的多い。
創見好みは、へたをすると単なる理屈屋、変わりものになってしまうこともある。
へたな考え休むに足らずである。
日本の教育は、どちらかというと、創見を口にすることを抑制する傾向がある。
これもまた問題。
今流行のアクティブラーニングでは、この抑制を取り去ろことができるかが一つの勝負どころだと思う。

(土方)歳三のりくつでは、文字のうまい才能などは、
要するに、真似の才能である。
――――根性のない才能
真似の才能はしょせん迎合おべっかの根性
(司馬遼太郎「燃えよ剣」)
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笑い。
自分に都合のいいところは、つい気になる。
そう、字のうまさなんて本質的ではない!!

それにしても、司馬小説っておもしろいね
随所にこうした1節がある
歴史から学ばせてもらっている。

男性のしゃかいにはそういう単純な言葉が多い。
そういう単純な概念の言葉を一語用いるだけで、
男子たる者の心の志向や、その生涯の方向を言い表してしまう。
(司馬遼太郎)
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男は単純、
女は複雑。

男は論理、
女は情。

これもジェンダーステレオタイプだと思うが、
司馬小説の中で、さらりと書かれると
うんうんとなる。

ゴローニンは高度に知的な男でありながら、
その知性は、すべて肉眼と筋肉による体験に裏付けられており、
かつ、体験を蒸留させて知性の質と量をつねにふやしていた。
(司馬遼太郎;菜の花の沖」より
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知性、認知心理学では手続的知識と呼ぶ。
多くは技能をさ支える知識である。
もっぱら体験を通して学ぶ。
なお、
宣言的知識も知識レベルで手続き的知識に変わることもある。
これが使える知識である。
新たな知識を生み出すためには必須である。

蔵六(大村益次郎)は、間仕切りのありすぎる頭脳、もしくは精神を持っている。ーーー
間仕切りの1つ一つが絶対の空間になっている。
花神、p348
@@

脳の局在論は、いまでは古典なのかもしれないが、
それでも、こんな心理状態のとき、脳のどこそこが働いている
というたぐいの話はあいかわらずある。
ただ、昔の局在論と違うのは、
脳全体をネットワーク的にとらえるようになったところ。
脳のある部位の損傷がある行動、心理障害に直結することもあるが、
もう一つは、ネットワーク機能の不全にも目がいくようになったこと。

医学、軍事技術に特化した頭脳を持つ蔵六に
イネという女性を対面させるところは、圧巻。
マズ、イネを受け入れる間仕切りがない。
さらに、他の間仕切りをゆる動かすネットワークもない。
かくして、お互いがくやみながら別れ別れになる。


300年の武家社会は、
人間の現象のいっさいを
形式で仕立てあげるということで、
人間社会の秩序を維持しようとした歴史である。
(花神、中、p503、)
@@

戦争の仕方さえ形式化し、
それが、大村益次郎(村田蔵六)の一人の戦争(戦術)の天才によって
壊されたのが倒幕のきわめて重要な一面であった。

形式が現実認識を間違わせ、
対応を誤らせ、
結果として壊されたり、壊れたりする。


(感情を表に出せず)
嘉兵衛は、顔の始末に困った。
(司馬遼太郎)
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うまい表現だなー
こういうのが随所にあるので、
司馬小説、やめられない。
菜の花の沖」より

感情はストレートに表情に出てしまう。
口ではごまかせても、顔ではごまかせない。


勉強の習慣をつけさせないもの

2016-11-05 | 教育
勉強の習慣をつけさせないもの
 勉強するには、習慣化していてもそれなりの努力がいるもの。だから「強」いて「勉」めるのである。習慣化してなければ、その努力は何倍も必要となる。机に座る前から怖気づいてしまう。
 中高校生の頃から、試験を意識させながらの勉強の習慣づけが一番やりやすいのだが、勉強することから降りても上の学校に入学できる制度(推薦入学やAO入試)が定着してしまったのが痛い。
 さらに、勉強以外にやることや楽しみが多すぎる。TV、ITゲーム、携帯などなど、勉強そっちのけにさせてしまうもの、それも手軽なものがありすぎる。
 そしてとどめは、勉強がより豊かな人生へと導くという認識が、飢えとは無縁の世代では極めて薄いことも、勉強への動機づけを低下させる。
 というわけで、日本の子ども、若者の勉強時間が圧倒的に少なくなってしまったのだ。



大発見」女性ウオッチング

2016-11-05 | 社会
ガールとレディを分けるもの。
それは、かわいいグッズの有無。

それにしても、女性の持ち物は多い。
ポケットがないからだろう。

自分は肩掛けカバン一個に限定している。
時折、買い物袋などがあると、置き忘れが怖くて
緊張してしまう。