明日、あいつをぶっ殺す!と公に表明し、
そして、実際に相手をぶっ殺す行為(未遂も含めて)をおこなえば、
常識的には、意図が原因、行為が結果と解釈することもできる。
実際、殺人行為が起こったときに、犯人は、殺す意図があったかどうかが
厳しく問われる。それによって、判決も変わってくる。
ただこの問題はそれほど簡単ではない。
そもそも、意図と行為の間には、それほど強い関係はないからである。
意図があってその行為をするということはかなり高い確率だが、
意図があっても、それを思いとどまることができるし、
実際にそのほうが、はるかに多いと思う。
さらに面倒なのは、行為はしたが、意図とは無関係に、状況がそうさせたという
こともまた多い。
ただ、意図という心の世界は行為という物理的世界の原因となる力を持っているのは、
体験的事実なので、
扱いはとても面倒で難しい。
人間の行為を見る大事な視点ではあるが、
過大視は禁物である。
へたにこの観点だけに頼ると、意図を派生させた原因(群)が見えなくなってしまうからである。