第6 感情管理不全と心理安全工学
「気持ちが高ぶっているから休ませてくれだと! そんなもの、仕事に熱中すればおさまってしまう。」
●はじめに
感情の不安定は、注意を経由して認知活動に微妙な影響を及ぼし、ひいてはエラー、事故を引き起こすことになる。感情は一番触れられたくないプライバシーの領域なので扱いにくいところがあるが、エラー、事故防止に限定するなら、その自己管理だけでなく、外部管理の方策を考えることもあってよい。
●注意を管理するには感情から----注意と感情の一体管理支援
気分がのらないときは仕事もしたくない、考えるのも面倒。こんなときは、エラー、事故も起こりやすい。
一方、うれしいこと、楽しいことがあるときは、仕事も順調、頭も身体もスムーズに動く。
このように、感情が行為や認知に密接に関係していることは経験的にはよく知られている。
その関係の仕方は、「感情--->注意--->行為/認知」という間接的な形をとっているらしい。
となると、前章で取り上げた注意管理不全も、感情管理にまで配慮しないと十分とは言えないことになる。
そこで、ここでは、エラー、事故との関連で、感情管理の問題を考えてみる。
●過ぎたるはなお及ばざるが如し----強感情低減支援
感情には強弱がある。
うれしくてうれしくて舞い上がってしまうこともある。逆に、悲しみのどん底に落ち込んでしまうこともある。さらに、びっくり仰天ということもある。
快をもたらすポジティブ感情しても、不快をもたらすネガティブ感情にしても、感情があまりに強すぎると、感情そのものに注意がとらわれてしまい、仕事のほうがおろそかに(注意不足に)なってしまう。
冠婚葬祭への往復での悲惨な交通事故を時折見聞きするが、こんなところにも原因の一端があるかもしれない。
強感情状態のときは、仕事の現場から一時的に離れさせるのがよい。強い感情状態はそれほど長くは続かない。
●やる気を高める---モラール向上支援
集団の中でのメンバーのやる気をモラールという。
モラールが高ければ、気持ちよく仕事ができて、しかも、遂行レベルも高い。さらに、エラー、事故も減る。
モラールを高める方策は次の4つ。
・仕事の目標設定に参加できる
・自分の役割がわかる
・仕事に使命感が持てる
・仕事の進捗に自分が貢献している感覚(自己効力感)を持てる
ただ、高すぎるモラール---日本の組織は集団としてのまとまり(凝集性)が高いので、そうなりがちなのだが---も、注意の過剰集中と似て、状況の変化や目標の吟味に必要な複眼的な視点を取らせなくなることもある。
日常の仕事をするチームや組織は、戦闘する軍隊とは違う。適度かつ良質のモラールこそふさわしい。
●ストレスをやわらげる----ストレス緩和支援
ストレスとは、弱いネガティブ感情が持続する状態である。善玉と悪玉とがあるのでやっかいものである。
善玉ストレスは、仕事には好ましい影響をもたす。エラー、事故を起こす可能性も低まる。合格できないかもしれない不安感は、勉強へ駆り立てる。
これも、しかし、善玉ではあっても、ストレスであることに変わりはない。あまりに強かったり長期間続くと心がやられる。休息管理が必要である。
悪玉ストレスは、エラー、事故の発生にもろに関係する。
仕事に注がれるべき注意が、ストレスの原因やストレス状態(不快な感情状態)のほうにとられてしまうからである。
家庭や個人的な対人関係などプライベートなところに原因があるストレスも、仕事に関連したところに原因があるストレスも、隠しておきたい気持ちがあるので、対処には慎重さが必要である。
心の健康自己チェックリストなどによる自己診断の機会を定期的に提供して自覚を促すのがとりあえずの方策としては、効果的である。
さらに、カウンセリングの制度、あるいは、管理者にカウンセリング・マインドを身につけてもらうこともあってよい。最近、ようやくその大切さが広く認識されつつあり、カウンセラーの養成も急ピッチである。多いに活用したいものである。
なお、エラー、事故をおかしてしまった人のストレスにも配慮しなければならない。後悔し、自責の念にかられ、無能感にさいなまれ、仕事への不安感も高まる。ここでも、カウンセリングが必要となる。
●感情状態を自覚する----感情自覚支援
やや大げさな言い方になるが、感情は生き残りのためのセンサー的な役割を担っている。
危ないものがあれば、恐怖感からとっさに逃げる。自分に快を与えてくれるものがあれば、幸福感から接近する。
したがって、感情のおもむくままに行動することは、当座の生き残り戦略としては有効である。
ということは、感情状態を知ることで、今の環境が生き残るのにふさわしいかどうかがわることにもなる。
図に示すように、感情は、顔、行動、生理の3つの領域で独特の表出をする。
外から感情状態を知るには、顔の表情と行動が手がかりになる。 みずから知るには、生理状態が有力な手がかりになるが、鏡を使えば、表情も自分で見ることができる。ある職場で、大きな鏡が入り口にあったのも、そんな鏡の効果をねらってかも。
感情を知るもう一つの有効な方策がある。それは、メタ認知を使うことである。
感情状態はメタ認知ができる。そして、その状態を言葉として表現することもできる。
そして、自分の感情状態を言葉で表現できれば、あるいは表現しようと努力するだけでも---感情の知性化---、感情が穏やかになる。
感情の自己管理はまず感情の自覚にありである。
「コラム」興奮状態はミスを招く
ケンカをすると、興奮する。今はやりの言葉を使うなら、気持ちがキレる。こうなると、自分で自分をコントロールすることもできなくなる。思わず暴力行為をしてしまうことさえある。
それはそれでいろいろの問題があるがーーー運転中の夫婦ゲンカは事故のもとなどなどーーー、今問題にしたいのは、そのあとのこと。
ケンカしたあとの興奮状態のまま、車の運転など注意の集中を要求される仕事をするとミスが起こりやすくなるのである。
なぜなら、強い興奮状態は、注意を興奮状態そのもののほうに奪ってしまって、運転などの仕事のほうへの注意配分を減らすことになるからである。
ケンカによる興奮状態は、時間が立てば治まる。生死にかかわる状況ならともかく、普通の(?)夫婦ゲンカくらいなら、その興奮状態は10分とは続かないのが普通であろう。
したがって、その10分をじっと待って気持ちが静まってから、車の運転をすればよい。興奮していると、行動の水準も上がるので、この「10分のじっと」が難しいのだが、
・トイレにかけ込む、
・机の整理をする、
・鏡を見るなど
気持ちを落ち着かせる儀式を用意しておくのも一計である。