hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

2024年度春の早慶戦に行く

2024-06-02 05:00:00 | 日記
また今年も東京六大学の最終週に行われる早慶戦に来てしまった。というのはここ数年の早慶戦は優勝がかかっていたのだが。今春のシーズンは東大からはすんなり勝ち点を挙げたものの、法政戦は1勝1敗で3戦目勝利、立教戦は1勝1敗1分となり4戦目で勝利と苦戦続き。明治戦は簡単に2つ負けたため、優勝は早明に絞られてしまった。

しかし、優勝はなくなったとはいえ、久しぶりに同級生が5人集まれるということで6月1日神宮球場前に皆集まることにした。

東京メトロ銀座線外苑前駅はすでに大勢の人、球場までの道も人で溢れかえるが、優勝がかかる早稲田の方はTシャツを着た人が多い。一方で慶應は付属の学童や学生たちの白いワイシャツ姿が妙に目立つ。何となく動員ムード。



12時に集合、誰も遅刻せず席に向かう。今日の席は三塁側内野の最上段、まさに天井桟敷である。まずはビールで再会と早慶戦の勝利を祈念して乾杯。幸い日差しが当たらない席のため、快適に弁当を食べ、ビールを飲む。

開始30分前になると大きな応援旗が到着、エールの交換などムードが盛り上がる。慶應の先発は外丸投手、今季のエースである。一方、早稲田は伊藤投手である。



13時プレイボール、初回慶應は3番キャプテンの本間選手が四球で歩くが、簡単に終わる。裏の早稲田は尾瀬・山懸の4割コンビがいい当たりをするが、3者凡退と両投手ともスムーズな立ち上がりとなった。



2回は慶應の攻撃は淡白なもの。しかし、早稲田はしぶとい。2死の後の四球と死球で出たランナーを石郷岡選手がセンター前に弾き返し、先制する。

3回は早稲田は簡単に2死となったが、3番吉納が簡単にカウントをとりに来た球をレフトにホームラン。2対0となる。


4回は慶應が簡単に2死とはなるが、1番水鳥選手が2ベースヒット。初ヒットが生まれるも昨年の甲子園で活躍した丸田選手は凡退、とにかくこちらはヒットが続かない。
5回の早稲田は1死1、3塁から4番印出のセンター前タイムリーで3対0となる。しかし、この段階でも慶應は1四球、1ヒットのみ、攻撃がやたら早くなる。とにかく早いゲーム運びである。

6回裏の早稲田は投手の伊藤選手のタイムリー、尾瀬選手の犠牲フライ、さらに吉納選手が自身2本目となるホームランを放ち、0対8のワンサイドゲームとなってしまう。

1回と4回以外はランナーすら出せない慶應も8回に先頭の横地選手がバントヒット、代打の吉野選手がデッドボール、代打の真田選手が綺麗にライト前ヒットで無死満塁の大チャンス。しかし、得点差も大きいことから伊藤投手も伸び伸びに投げていていて、続く古野の方がセカンドゴロでダブルプレー、1点は取ったがチャンスは潰え、最小失点に抑えられた。

8回からは慶應の3番手投手である木暮投手は変速モーションから早稲田打線を抑えたが時すでに遅し、9回表の慶應の攻撃はあっという間に終わり、2時間半でゲームセット。8対1で敗戦となった。
もちろん、打てない打線も配球ミスから打たれた投手陣も酷いが、投手の変えどころを失して最後は3ランまで献上したベンチに大きな責任問題があるように感じた。

とはいえ、四国や長野から来た同級生もいて久しぶりに色々な話ができたことは大きな収穫。もう現役生活に別れを告げる人も出てくる中、会えるうちに会って、酒を酌み交わす機会を大切にしていきたいと心から思った一日であった。秋は勝てよ!野球部!

久我山歳時記㊵〜小満に入って

2024-05-23 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊵、5月20日からは二十四節気の『小満』に入る。大寒・小寒はあるが、大満はないようだ。小満とは『草木が周囲に繁り、満ちはじめる』という意味であり、『夏めく』『麦秋』『走り梅雨』『薄暑』などという言葉で表現される。

さらに七十二候では『蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ、〜5月25日)』、『紅花栄(べにばなさかう)、〜5月30日』『麦秋至(むぎのときいたる)、〜6月4日』と細分化される。

『麦秋』は秋のことではないことを知ったのは学生時代に名画座で小津安二郎の『麦秋』という映画を見た時である。この映画の主人公は原節子、ストーリーは私が忘れかけるほど大層なものではないが、彼女の結婚が遅い(と言っても28歳の設定)を気にした周囲の人々が色々と考え、縁談を持ちかける。条件のいい縁談で纏まりそうになるが、最後は子連れの医師と結婚したいと娘(原節子)が意志を通すというお話。最後のシーンでばらばらになった大家族の親(菅井一郎、東山千栄子)が豊かに実った麦畑を眺めながら想いに耽るシーンが印象的であった。何気ない人間関係、日常にスポットを当てる小津映画らしい作品である。映画が公開されたのは秋であるが、麦秋というこれから実りある時期を迎えるシーンをタイトルにした意味が最近になってようやくわかるようになった。



久我山でも木々の葉が茂り、青さが増して行く時期であるが、その中で梅の木を眺めると葉っぱだけでなく、梅の実がかなり大きくなってきている。



(ジューンベリー)

ブルーベリーやジューンベリーの実も少しずつ色がつき始めてきている。



冬の間は葉が落ちて死んだように見えた葡萄も小さな葡萄の実の赤ちゃんがはっきりと実をつけている。郁子(むべ)の木にも同じように小さな実がなりはじめ、これがあの大きな実になるのかと思った。



紫陽花も青・紫・白など様々な花を咲かせていて、花が大きくなり、また、日々色が深くなっていくのがよくわかる。



ハナミズキは1ヶ月前に花を付けたが、今、多くの花を付けているのがヤマボウシ。この二つは親戚のような関係にあるが、ヤマボウシは葉が出てから、また高い枝の先に白い花を付けるのでやや地味な感じがする。



忘れてはならないのがバラ、今が春のバラのトップシーズン。ピンクのバラ、赤い薔薇がその色を競い合うように見える。





最も元気なのはドクダミ、名前や抜いた時の匂いで損をしているが、その生命力の強さには頭が下がる。近くのアパートではコンクリートの隙間から並んで花を付けている。それも毎年のことなのである。



天気予報を聞いていると5月中旬までは暑いと言っても湿度が低く、爽やかな中でのカラッとした暑さだが、今週からは蒸し暑さに変わり、じっとりとした暑さに変わるとのこと。猛暑の予感の中、身体を早く暑さに慣れさせていかないといけない季節である。






ときわ台駅〜小竹向原駅付近の坂道②

2024-05-18 05:00:00 | 日記
『東京の坂、日本の坂』その211。ときわ台駅〜小竹向原駅までの坂道散歩②。豊敬稲荷神社から街道を外れて墓地の周りを歩き、川越街道(国道254号)に出る。左に曲がると再び石神井川を上板橋という橋で渡る。



環七を越えると先ほどの長命寺坂の延長線上にある長命寺の前に出る。この寺は残っている文献からも江戸時代前期からあった古刹、いつの間にかこれほど交通量の多い交差点に面することになったようである。




寺の前を過ぎ、左斜めに進む細い道を歩く。上板橋小学校があるが、なぜか『東京都板橋區立上板𣘺小学校』と旧字体で書いてある。





6本目を左に曲がると長い下り坂となるが、これが『堂坂』である。由来をネットで調べると『坂の途中に旧家で大庄庵と称した小野沢氏の家があり、地蔵堂があったので堂坂または地蔵坂と呼ばれる』とある。くねくねと右へ左に曲がりながらスーパーがあるあたりまで続く。



真っ直ぐ歩くと再び石神井川の上の根橋、さらにその先に環七が通っている。橋を渡らず右に曲がりしばらく歩く。この辺りの石神井川は川幅はあるが、水の流れは緩やかである。



宮前橋を左に曲がり、2本目のバス通を右に行くと大きな広場(草原)に出る。



左手には毛呂山公園が現れ、この公園に沿って上って行く坂道が『ばんち坂』。これは昔、この山がばんち山と呼ばれたために付けられた名前である。



『ばんち山』のばんちは山の持ち主であった山上氏の先祖が江戸城の警護衆が住んでいた番町(東京都千代田区)ところから来ているらしい。



坂を上まで上がり、2本ほど先を右に曲がる。再び環七通りに出るが、これを歩道橋で渡り、左に行く。2つ先の信号を右、さらに次を右に曲がり行く。心神障害児総合医療療育センターの前に出るが、この敷地に沿って下る坂道が『すて場坂』。



名前からしてゴミ置き場でもあったのかと思ったが、牛馬を捨てる場所が坂下にあったのが由来らしい。江戸時代までは牛馬の肉を食べることが禁じられていたために死んだ馬や牛を捨てる場所があったらしい。今ではとても信じられない気がする。



坂を下り、コーシャハイムの先に伸びるのが『地蔵坂』。緩い坂でかつて地蔵堂があったことからこの名前がある。



少し元の道を戻り、坂上まで歩き、道案内にある通り中学校と小学校の間にある道を左に行く。台橋通りと名付けられているが、くねくねと曲がりながらも要町通りまで続く。途中には今でも営業しているのかはわからないが、懐かしい小さな書店。


子供の頃にコンビニは今のように発達しておらず、書店や文房具屋が学校の周りにあったことを思い出した。



小竹向原駅に到着。要町通りを渡り、その先左に下る緩い坂道。これが『だらだら坂』、由来は坂を下るとよくわかる。左側は向原小学校、右側はゴルフ練習場となっている。

くの字に曲がる坂であった。ときわ台駅から小竹向原駅までは寄り道をせずに真っ直ぐ歩けば2.5km程度だが、坂巡りをしながら歩くと5km近くなっていた。

因みに、最初の写メは長命寺坂にあった古いホーローの地名案内板である。



久我山歳時記㊴〜立夏の侯

2024-05-10 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊴、5月5日は立夏、暦の上では夏の始まりの時期にあたる。以前はまだ夏というには早すぎると感じていたが、地球温暖化もあり、立夏でも30℃を越えることが不思議ではなくなってきている。

二十四節気をさらに細分化した七十二侯では5月5日〜9日は『蛙鳴始』、5月10日〜14日は『蚯蚓出』、5月15日〜19日は『竹筝生(たけのこしょうず)』というが、GWに草花の植え替えをしている時に確かに蚯蚓を何回も見ることがあった。

5月5日は端午の節句でもある。本来は5月の初めの午の日を節句として祝ったらしいが、5が重なる5月5日となった。



男子の健やかな成長を祈念し、各種の行事が行われる。風習としては『鯉のぼり』や『兜』を飾り、『粽』や『柏餅』を食べ、『菖蒲湯』に入る。

ふと見ると朝顔の双葉が特に種を蒔いたわけでもないにも関わらず、砂利を敷き詰めた、昨年花が咲いていたあたりの2ヶ所から顔を出し、育っている。

ついこの間まで花が木を覆っていたソメイヨシノも葉の色が濃くなり、夏らしさを感じるようになってきた。また、紫陽花の花も緑から白や紫などの色を付け始めている。


ニオイバンマツリは紫と白の花が混じって咲いていて美しい。この花は咲いた当初は紫、しかし時間が経つと白くなる特性があり、名前の通りジャスミンのように強い甘い香りがする。

盛りになってきたのがバラ、赤やオレンジ、白。花の格好も大きさもまちまちでまさに咲き誇るようにみえる。



ユリノキもよく見ると緑の葉の中に黄色い花を付けているが、高い位置にあるため、見つける人も少ない。



人形町の老舗の甘味処ではいよいよかき氷の提供がはじまる。『氷』の暖簾をみると町中華の『冷やし中華はじめました』という張り紙同様に夏が到来したなと実感。しかし、まだ湿度が低いからいいが、梅雨が来て、本格的な夏になるとめげるのは年を取ったせいなのかもしれない。

GWは深大寺を歩く③〜神代植物公園へ

2024-05-03 05:00:00 | 日記
(深大寺続き)深大寺の参拝を終えて元三大師堂の横の出口から出る。坂を上るが、左側には動物の霊園がある。坂の上のお蕎麦屋さんは相変わらず混雑中。東京都が運営する公園は65歳になると250円と半額に割引となる。この恩恵を初めて受け、中に入る。4月29日は昔だったらみどりの日だったから無料だったことを思い出した。

ほぼ左前に歩いて行くとバラ園、とにかく良い天気で帽子を忘れたため、暑い。バラ園はかなり広く、真ん中に噴水があるが、見るだけで気持ち良さそうである。



ただ、まだバラの季節としてはまだ早く、もちろんサーモンピンクや黄色、白、赤などとりどりの色があるが、全体に咲き出すのはもう数週間後であろう。





バラ園の横には藤棚、長い花房を垂らしているが良く見ると八重咲の大粒の花と、房の長い品種など様々。早咲きのものが丁度盛りであった。



藤棚の近くには石楠花園、牡丹園などがある。石楠花は薬玉のように咲くツツジの一種だが、これが蕾というととんがった栗のような格好をしていてなぜこれが美しく大きな花になるのかと不思議になる。



ツツジ園は東京都では最も株数が多く、今を盛りに咲いている。良く見ると細長い花びらの品種などもある。

また、5段くらい階段を上る展望台が設えてあり、ここから見るとさらに素晴らしい。



しばらく歩くと並木のようになった道に出る。植えてある植物以外にもデルフィニウムやキンラン(金蘭)、ワスレナグサ(勿忘草)など雑草とも言えるが綺麗な花を付ける草も足元にたくさんある。

デルフィニウム

キンラン

ワスレナグサ

大芝生の横にはハンカチの木の花が風にはためいて美しい。花というか苞葉が白くまるでハンカチを振ったように見える。



植物のパンダと言われるように中国原産の珍しい木である。因みに隣はニュートンのリンゴである。



もう少し先に行くと10m近くある大木だが、今の季節は黄色いチューリップのような花をたくさん付ける。ただ、とにかく木が大きい割には花が小さく、下からはなかなか良く見えない。これがユリノキである。

実は久我山駅前のスーパーの駐車場にも生えていてこちらも今が花が見頃である。
他にも楓園、ウメ園、タケ園などがあるが、今日はこれで植物園を後にした。2年ぶりだが、やはり癒される場所である。


GWは深大寺を歩く②〜深大寺参拝

2024-05-01 05:00:00 | 日記
(深大寺の続き)山門をくぐると本堂前に到着する。見るとお参りに並ぶ人がたくさんいる。やはりGWである。後ろに並んでしばらく待つ。


一度に4〜5人で手を合わせるのだが、ふと聞いていると手を叩く人が、ここはお寺だから柏手はいらないと思いつつも、若いのにお寺に参拝とは感心と赦している自分がいる。家族の安寧、特に怪我や病気にならないようにと50円でしっかりお参りした。



たまにしか来ないのだからと寺務所に行き、御朱印を頂く。いつの間にか御朱印は500円が定価になり、しかも御朱印帳に書いてもらえない。これもコロナ禍なのか。こちらでは3種類、ご本尊の無量仏、国宝の白鳳仏、元三大師の厄除けである。前回は元三大師だったからと白鳳仏にした。

白鳳仏が国宝となった際に御堂を造る話があったが、これもコロナ禍で延期されていたようだ。こちらの再開の告知と寄付の依頼のパンフレット、これもアニメになっていた。

元三大師堂に向かうが、途中にあるナンジャモンジャの木が満開、溢れるほどの白い花が付いている。例年この時期に来るのだが、ここまで綺麗に咲いているのは初めてである。

元三大師堂にも人が多い。この建物は1867年に本堂をさしおいて復興されたほど当時は元三大師が多くの信者を集めていたのである。以前にこの御堂の中に入り、秘仏である元三大師像に手を合わせたことを思い出す。



そう言えば以前ここに元三大師と千手観音の石仏が置かれていたのだが、位置が動かされたようである。

最後に白鳳仏をお参りする。白鳳仏は正式には『銅造釈迦如来像』、飛鳥時代7世紀〜8世紀頃に作られたもの。数奇な運命を辿り、元三大師堂の須弥壇下から1909年に再発見された。旧国宝に指定されていたが、1950年に文化財保護法で重要文化財に指定替え、再び2019年に国宝に指定された。今は香薬師像(新薬師寺、盗難に遭い今は不明)、夢違観音像(法隆寺)とともに白鳳時代の代表的な仏像と言われている。お賽銭を投げて手を合わせた。(以下、次回)

GWは深大寺を歩く〜まずは名物の深大寺蕎麦

2024-04-30 05:00:00 | 日記
深大寺は我が家の定番スポット。ただ、昨年秋に連れ合いがら足を痛めてから年始のお参りも行けず、ようやく今年初めてお邪魔することにした。

我が家から車で10分程度、東八通りが混んでいたが、途中からは渋滞もなく予定通り11時少し前に駐車場に到着。しかし、さすがGW、空いているスペースが少ない。ようやく停めてお寺に向かうが、すでに駐車場は満車、僅か5分程度でアウトだったかもしれない。
植物園の横の道を下り、上ると植物園の深大寺口に到着。まずは蕎麦屋に向かう。有名な水車の回るお蕎麦屋さんなど何軒かの前を通過、行き慣れた大師茶屋というお蕎麦屋さんに到着。

店の前には沢山の人、ただ、まだ1120である程度想定通り。入口にある紙に名前を書いて待つシステム、数えてみると14番目である。
時間もあるので近くの蕎麦屋さんも見学。お隣の湧水という店が一番人気だが、こちらは店の前の列に並ばないといけない。待つ人も大師茶屋よりまだ多い。その向かいでは古い陶器を並べて売っている(?)人、藁葺き屋根の民家もあり、東京とは思えない。

12時少し前に名前が呼ばれ、中央のカウンター席に。季節を感じる飾り付けは見ていて楽しい。車なのでビールも飲めず、味噌おでん、たぬき蕎麦、大ざるを2人で取る。味噌おでんは4枚のこんにゃくに甘い味噌だれ。

そのうちに大ざる到着。この店は麺の量も多く、蕎麦つゆはやや甘め。手打ちそばのコシが良く効いて喉越しが最高。わざわざ並んで食べる価値ありである。



たぬきそばもすぐに到着。揚げ玉がこちらの天ぷらを作る際にできたものでカリカリ、蕎麦を啜るうちにだんだんツユを吸って柔らかくなる。ツユも甘め、油の溶けたツユが香ばしく、麺もツルツル、いつもこの2つしか頼まないが、いずれもいつものように美味い。

蕎麦を食べ終わるとさっさと席を立ち、勘定してレジ台の横にあるお土産揚げ玉を1つ、こちらはサービス品である。

店の外には先ほどではないが多勢の人、外に出て深大寺に向かう。いつもの水車の前を通り、門に向かう。



ここで一服。お寺の門のそばにある茶屋で草団子を2人で1串、緑の団子にこし餡、デザートに丁度良い。昔は無料で土瓶のお茶が貰えたが、今はペットボトル。コロナがかなりの風習を変えてしまった。(以下、次回)

パスコードを忘れたために起きた騒動〜物忘れには気をつけて

2024-04-25 05:00:00 | 日記
人間はどこに落とし穴が開いているかわからない、そんなお話である。
月曜日に家に戻るやいなや、連れ合いがスマホをトイレに水没させたと言う。キャリアはdocomoでギャラクシーという6年程度前の機種のため、思い切ってiPhoneにすることにした。

取り敢えず古いスマホも動くがバックアップを取り、docomoショップにiPhoneを買いに行く。新機種はiPhone14か15だが、それほどの機能もいらないことから、iPhone14に決め、店で担当者にセッティング、さらにデータの移行を店の機械でやってもらう。約1時間かかるとのことで2人は一度帰宅、改めて私だけが取りに行くことにした。ここまでは何の問題もない。

1時間後にdocomoショップに再訪、写真やアドレス帳を確認しようと開けると新しいパスコードを入れる画面になる。前のパスコードをそのまま入れようとしたが、パスコードが4桁が6桁に変わっている。やむなく、前のパスワードに2桁の数字を加えた(ハズ)で入力、データも移っていたので画面を閉じて、帰宅した。

ここで少し時間が経過、改めてiPhone14を開けようとするが、確かに入れたはずのパスコード6桁がわからない。もちろん開かず、パスコードが違うと出る。パスコードを5回間違えたあたりで焦り出し、もう一度チャレンジしようとすると1分後、さらに3分後、5分後、10分後とパスコードを入れるのに待つ時間が増える。そして6時間、8時間となってもう思いつく数字もなく、諦めた。

翌日、docomoショップに行くが、パスコード解除はここではできないと説明される。担当の人は親切で『それでは家に戻り、パソコンにiTunesを入れて一度初期化、もう一度来店してデータ移行をする』という解決策を提示してくれた。
たかが『パスコード』というなかれ。今のiPhoneはパスコードがわからないと何もできなくなる。話を聞いて家に戻り、パソコンを立ち上げ、iTunesをダウンロードしてiPhone14に繋ぐ。しかし、うんともすんとも言わない。自分のiPhoneと繋いだら反応するためコードやUSBには問題がない。iPhone14の画面は『このiPhoneは使用できません』と冷たく出るだけである。

再び困ってやむなくdocomoショップに電話すると直接アップルサポートに聞くように言われ、電話番号を教えてもらった。こういったサポートの電話はかなり待たされるかと覚悟して電話、しかしありがたいことにすぐに繋がり、経緯を説明。iPhoneが反応しない中、パソコンと接続できないと言うと『大丈夫です。次に言う通りやってください。
①iPhone14を完全に電源を落とし、②iPhone14にケーブルを繋ぎ(パソコンにはiTunesが出ている)、
③iPhone14の右上のスイッチを長押しする(途中、リンゴマークが出ても押し続ける)、④iPhone14の画面にケーブルを繋いだ絵がでてきたら、パソコンの画面が変わる。
⑤ここからはパソコンの指示に従い、初期化できる。
⑥パソコンが動き始めてから20分程度でiPhone14の画面に『こんにちは』と言う初期画面が出てくる、これで初期化完了。
⑦再びデータを写し込む作業開始
と教えてもらった。

なんと教えられた通りに進めるとiPhone14の初期化完了、ここからデータ移行もできるし、パスコードを入れ直すこともできる。

ようやく2日がかりでスタートまで戻ることができたのである。たかが6桁の数字と侮るなかれ、思い出せなくなるのは簡単、だからちゃんとメモを取る。(6桁が覚えられない人は4桁に変えることも可能である。)
まあ、あまり私のような経験をする機会がないかとは思いますが、『パスコードロック』で困ったらこのブログを読んで下さい。因みに色々調べたが、この方法は載ってません。

久我山歳時記㊳〜穀雨の侯

2024-04-23 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊳、今年の晴明はちょうどソメイヨシノの満開と重なり、いい季節かと思ったが、意外に雨が続き、休みと花見が重なる日は1日しかなかった。桜の花はあっという間に散ってしまい、季節はすぐに移ろう。

4月19日〜5月4日は『穀雨』、晩春である。桜の花が散ると慌てて緑の若葉が咲き始め、このスピードの速さに驚かされる。



穀雨とは『春雨降って百穀を潤すと言われ、この時期に降る雨はさまざまな植物を育ててくれる恵みの雨となるのである。



桜の散ったあとの花はというと久我山周辺ではハナミズキの花、待ちかねた様にあちらこちらで花をつけ始める。109年前に日本がアメリカに桜の木を送ったお返しに貰ったのがハナミズキである。60本が送られ、今も都立園芸高校にはそのうちの一本が残されている。

白、ピンク、やや赤に近い色とさまざまだが、木全体が花に覆われることは桜と似ている。



バラもそろそろ咲き始めるが久我山でよく見るのはモッコウバラである。モッコウバラ(木香薔薇)は白やクリーム色のものが多いが、いい香りがする。かと思っていたのだが、実は黄花の一重と白花のみしか香らない。つまり、黄花の八重からは匂いは出ないのである。



モッコウバラはバラの種類としては珍しく、病気に強いし、棘もないのである。



匂いがいいのはジャスミン、花は黄色か白色。アジア・アフリカ原産で生垣によく使われている。この時期にはたくさんの蕾をつけ始め、花が咲きだすとジャスミンティーの香りに包まれる。遠くからジャスミンが花をつけているのがわかるほどである。



咲き始めたと言えばサツキとツツジ。サツキもツツジも木全体に大きな鮮やかな花を咲かせる。子供の頃にサツキの花を根本から取って裏を舐めると蜜の味がしたことを思い出す。




本来は5月に咲くからサツキのはずなのだが、このところの陽気でサツキも開花している。



野の花も百花繚乱、外来種のナガミヒナゲシのオレンジ色、タンポポの黄色、ダイコンの紫、他にも花は小さいがカラスノエンドウのピンクの花やオオイヌフグリ・ホトケノザの青など挙げるとキリがないほど色々な花が咲き始める季節である。

日本橋ではもうフジの花も咲き始めている。







人形町さくら紀行2024

2024-04-17 05:00:00 | 日記
水天宮前駅の出口を出ると大ぶりなソメイヨシノの木が人形町交差点まで続いている。普段の年は3月中旬には開花宣言となるのだが、3月中旬の長雨と気温の低下により、今年は少し遅くなった。毎日、定点で同じ木の開花を追ってみた。


(3月28日)
この日に靖国神社のソメイヨシノが開花したことで東京の開花宣言がなされたが、人形町のソメイヨシノはまだまだ。蘖の蕾もようやく緑色になったばかり。
ただ、もう少し日当たりの良いものには開花しているものもある。





(3月29日)
こころもち蕾が大きくなった気がする。本体はまだ蕾も固い。



(4月1日)
週末を挟むうち、蘖の蕾はピンクになっていた。ただ、本体は変化なし。



(4月2日)
ついに本体も花びらが開き始め、1分咲きくらいは開花した。





(4月4日)
1日飛んでしまっているうちにもう5分咲きには到達した。蘖の花はほぼ満開、咲くまでは時間が掛かったがあっという間に開花、それが今年のソメイヨシノである。





(4月5日)
もう8分くらいは咲いてしまった。今年は入学式が満開の桜の中でできそうである。






(4月8日)
前日には高井戸に花見に行くが暖かいというより暑いくらい。このためにもう桜はピーク越え、雨が降ったらすぐに散りそう。





(4月9日)
やはりソメイヨシノの花は散り始め、道路にたくさんの花びらが落ちている。水たまりの花筏も美しい。
蘖は若葉が出始めてきた。





(4月10日)
花びらは半分程度は散ってしまい、葉っぱが目立つようになってきた。ただ、花も美しいが、若葉も美しい。 





(4月15日)
僅かながら花が残っている。しかし、蘖は完全に葉桜に。





(4月16日)
花は全て散り終え、葉桜に。花が美しかったのは4月2日〜10日のほぼ1週間のみである。
毎日観察すると変化も楽しめた。