hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

スンガリー〜2024年ラストディナー

2024-12-31 05:00:00 | グルメ
2024年最後のディナー。久しぶりにお邪魔したのは『スンガリー新宿東口本店』、このお店はかつて加藤登紀子さんのご両親が経営されていたロシア・ウクライナ・ジョージア料理の老舗です。


家族3人での食事も1年ぶり、気合いを入れてお邪魔しました。



まずはビールで乾杯、この店ではまず飲み物を頼むのが流儀。いつも最初に頼む料理は『ケタブリ(マリノーブカヤ・ケタ)』、自家製のフレッシュサーモンマリネを生野菜・サワークリームとともにパンケーキに挟んだ料理。



中に入れる生野菜はレタス、オニオン、トマト、ディルなどで少し甘めのパンケーキとサーモンの塩気がよくマッチしている。ナイフでカットして食べるのだが、爽やかで味も素晴らしく、再現不可能な旨さである。(再現を試みたがサーモンが真似できない味)



『ペルメニ』は餃子のような料理でバターとレモンのソースで頂く。『サラートセリョトカ』は生のニシンが入ったサラダでドレッシングが素晴らしい。ニシンは生臭さなどなく、ワインによく合う。

ワインはヴィノテラサペラビ2009年というジョージア産の赤ワイン。ジョージアはワイン発祥の地でやや濃い目ながら香りがたち、値段も手頃のため、ついついボトルをお願いしてしまう。



グリヴィ・ヴ・スミターニュはマッシュルームの壷焼きクリーム煮でパイ生地で蓋をして蒸し焼きにした料理。見た目はとても小さな壺だが、濃厚でしっかりしたソースにパイ生地を浸して頂く。意外にボリュームがある。

私はこれを壷焼きを一口頂き、お馴染みのピロシキを食べる。ピロシキには『焼き』と『揚げ』があるが、この日は『焼き』が売り切れていたので揚げたてピロシキを頂く。

メインは『ビーフストロガノフ』と『ロールキャベツ』をシェアする。ビーフストロガノフはサワークリームとピクルスが添えてあり、またサフランライスが付いている。伝統的なロシア料理で肉やマッシュルームなどが合わさり、しっかりとした味である。

ロールキャベツは茶色っぽいオレンジ色ソースを掛けてオーブンで焼いた料理で熱々が提供される。やや甘めのこってりしたソースとキャベツ・挽肉がベストマッチ。家族ならばメインの二つの料理は味が全く異なるため、シェアして食べることをお勧めしたい。

デザートは1つ取り、オレンジシャーベット風の冷たいもの。我々は冷やされたコーヒーとバニラ風味のウォッカを一口頂く。ラストのこれが堪らない。

2時間掛けゆっくりと頂いた。現地の方がホール担当だが、日本語は流暢でサービスも抜群。特に女性はその美しさに惚れ惚れする。やや暗めのクラシカルな雰囲気のお店で楽しいひとときを過ごした。今年最後のディナー満喫させていただきました。どうもご馳走さまでした。

スンガリー新宿東口本店
新宿区歌舞伎町2ー45ー6 B1
05058726300


久留里線廃止予定区間に乗車③〜久留里駅周辺・上総亀山行

2024-12-30 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その255。いよいよ久留里発上総亀山行の列車に乗る。久留里駅に到着したのは13時10分、思ったより早く着いた。

駅前の無料駐車場に車を停めて周辺を歩く。駅前から久留里街道まで行くと味のある風景が広がる。クラシカルな食堂、古民家の建物をそのまま利用したカフェ、今も現役の金物屋、いずれも素晴らしい。





再び駅前まで戻ると『生きた水、久留里、酒ミュージアム』という地元のお酒を集めて試飲ができ、即売もするミュージアムがある。



たぶん昔の通運業が利用していた倉庫を転用したものだが、建物もあじがある。中に入ると上総8蔵(天乃原、福祝、峯の精、飛鶴、吉壽、東魁盛、鹿野山、聖泉)が展示されている。一杯200円で試飲もできるが、残念ながら車運転のため、今回は諦めた。





久留里には3箇所の造り酒屋があり、また、天然の良水があちこちで沸いている。駅前にも水汲み場がある。見ているとたくさんのペットボトルを並べて車で汲みに来ている人も多い。



あちこちウロウロしているうちに列車乃時刻が近づいたので切符を券売機で買ってから駅ホームに行く。因みに久留里線ではSuicaは使えないのだ。わ



ホームに入ると2番線には1分前に出る始発の木更津行上りのディーゼルカーが1両停車している。13時46分に上総亀山行下りのディーゼルカーが2両繋いで入線してきた。



単行と思っていたが、2両編成。ただ、中はガラガラであった。私のような鉄道マニアが10人ほど、中には夫婦で来ている人もいる。



マニアは見ているとすぐわかる、というのは駅名表示板や駅舎、ベンチなどを写メに撮り、やってくる車両を待っているのである。7分も停車するため、すでに車両に乗っていたマニアも降りてきて同じように写メを撮る。



まずは上り列車が出てようやく出発、ゆっくりと走り出す。左右の竹林がかなり線路にはみ出してきて車両に擦れる。本数も少なく、保線も頻度が低いためか、刈ってあるところが少ない。(以下、次回)



久留里線廃止予定区間に乗車②〜廃止予定駅舎を見て回る

2024-12-29 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その254。まだ列車の出発時間にはかなり時間があるため、上総亀山〜久留里間の駅を巡ることにした。というのは鉄道に乗ると駅とその周辺を見てまわることができないからである。亀山湖から上総亀山駅までは車で5分もかからない。到着した上総亀山駅はこじんまりとした昔ながらの駅。



ホームは島式であるが、1番線は使われておらず、よく見るとかつてはさらに一本線路があったようである。



無人駅ではあるが、綺麗に掃除されている。駅舎から出ると左側に駐車場、なぜかヨットの形をしたオブジェが3つある。





駅の向かい側には昔は魚屋さんだった建物、その隣の酒屋はかろうじて営業をしているようである。



終着駅なので線路の最後尾(車止標識)を見に行く。突然、プッツリと線路は切れていてその先は普通の畑、その先は里山となっていて、これから先を建設しようとした痕跡はなかった。



何しろ上総亀山駅は8時台の列車が出てしまうと14時27分発まで約6時間はやってこない。また、その後は17時15分と日中に車両が現れるのは1本しかないのである。



再び車に戻り、約4km先の上総松丘駅を目指す。駅は久留里街道沿いにあるが、駅舎は反対側。都合よく空き地があるため、車を停めて駅を見に行く。



ログハウス調のおしゃれな駅舎、上総亀山駅より立派である。現在の乗降客は1日81人(但し2006年のデータ)。単線1面1線のホームだが、かつては2面3線があった。ホームは長く5両編成まで対応できる。上総亀山駅もそうだが、久留里線の駅前には立派な新しい水洗式トイレが整備されているのである。



平山駅は2.6km先、久留里街道沿いで駅舎もこちら側。駅前広場は立派、さらに信号にも平山駅入口と明記され、珍しい石造りのお寺のような門柱もある。





駅舎はこじんまりした可愛らしいもの。この駅舎は1982年に造られ、一日利用客は48人と久留里線の中で最も少ない。それでも駅の中には屋根付きの待合室もある。駅の入口にあるGSも閉店、ただ、その反対側には志保沢という焼きそば専門店が営業していた。店舗は2階で1階はテイクアウト、ご近所の方なのだろうか、楽しげに盛り上がっていた。

ここで13時を過ぎたので久留里駅近くの駐車場に車を停めに行く。(以下、次回)


亀山ダムでダムカレーを食す

2024-12-28 05:00:00 | グルメ
亀山ダムの写真を撮っているうちにお昼になった。あまり店もないので困っていると車を停めた『亀山やすらぎ館』に『湖畔亭』というレストランを発見、店に入ることにした。


メニューは肉料理がメインで『豚ロースの生姜焼き』『豚ロースかつ重』『ピリ辛豚スタミナ丼』『牛カルビ丼』『鹿すね肉のハヤシライス』などがあるが、やはりダム近くに来たらダムカレー(1200円)をお願いする。すると甘口にしますか、辛口にしますかと聞かれ、辛口にしてもらった。

レストハウスの中は紅葉見物なのかお年寄りの夫婦やグループが結構いて、賑やかに騒いでいる。お茶やお冷はセルフサービス、流石に酒を飲んでいる人はいなかった。

少し待つうちにダムカレー登場。ライスで堤を四角く作り、一方にはルーが入っている。反対側には鳥の唐揚げが3つ、下には刻みキャベツが敷いてあり、こちらからいただく。唐揚げも揚げたてで熱く美味い。少し時間がかかったのは唐揚げのおかげかも。

ルーはやや辛め、味もいい。ちゃんと福神漬も添えられているのが嬉しい。カレーの堤の強度を増そうとした結果、ややべっちゃり固まっていたのはご愛嬌である。

店を出る頃には満員、早めに食べて良かった。ご馳走さまでした。なお、こちらは日本ダムカレー協会認定のダムカレーである。



湖畔亭
千葉県君津市川俣8
0439392969


人形町の歳の市を歩く

2024-12-27 05:00:00 | 日記
いよいよ年の瀬、12月25日から人形町通りの水天宮前〜人形町の約500mの間に露店が30軒造られ、正月用品などを売る歳の市が開催されている。人形町では夏のせともの市、秋の人形市とともに暮れの1週間に市が立つことが恒例となっている。



人形町を取り仕切るのは江戸町火消しの流れを汲む『は組』で提灯をぶら下げ、揃いの法被を着て松飾りを始め、鏡餅、ミニ門松、ゆずりは、橙、ウラジロなどを商う。



特徴はどの露店も値段が一切書かれておらず、店の人との掛け合いで決める。それでも鏡餅はラミネート加工されていて昔のように青黴まみれになることはないようだ。お飾りもよく見てみると達磨が付いた飾りや干支が飾られたものなど店により特徴があり、大きさもまちまち。

また、鏡餅に至ってはこんな大きな餅をどこに飾るのだろうというものもある。なぜか正月用品を売る店は人形町を背にして右側に固まっている。





反対側では色々な日用品や食品を商う。カレンダーや翌年の暦、毛糸で編んだ帽子や靴、苔玉や盆栽を売っている。



ベビーカステラや焼き栗、干し柿や塩蔵わかめ、みかんなどの食べ物を売る店など同じ物を扱う店は2軒とない。

店は昼頃から開け始め、夕方6時過ぎくらいまでである。通りに沿って330個の提灯が設置されて夕方以降は火が入り、風情たっぷりである。



毎年、昼休みか帰り際に店を冷やかすが、あまりこの市で買い物はしたことがない。なお、開催期間は年末31日の大晦日までである。

亀山ダム(亀山湖)へ〜上総亀山駅

2024-12-26 05:00:00 | 川と橋とダム
久留里城趾を歩き、再び駐車場に戻る。列車にはまだ時間が十分にあることからまずは亀山湖に向かう。久留里城から先は久留里街道(国道410号線)をひたすら走る。左右に曲がりながら走るが途中久留里線と並走する区間もある。

上総亀山駅に向かう道は左、亀山ダム(亀山湖)は右に曲がる。すぐ先には亀山温泉が湧くようで温泉旅館が散在、右に曲がると急に亀山ダムの上に出る。

その先のやすらぎ館というレストハウスに車を停めてダムを散策。小櫃川の上流にあり、1971年から10年の歳月をかけて完成した千葉県では最初の多目的ダム。ダム湖である亀山湖からは紅葉が楽しむことができる。



ダムの堤高は34.5m、ダム堤の長さは156.0mで主な目的は洪水への対策、水道水の確保、流水の正常な維持である。

亀山湖は真ん中に島があるような面白い形をしており笹川と小櫃川という2つの川の合流点に造られ、下流に水を流すためにダムが造られた。



近くに亀山・片倉ダム管理事務所があり、そこまで歩いてダムカードをもらいに行く。カードをもらう際にどちらからと聞かれ、東京と答えるとご苦労さまと言われた。



また、亀山ダムから久留里線上総亀山駅までは車で2分ほど。しかし、すぐそばにある亀山・藤林大橋というバス停には高速バスカピーナ号(千葉駅〜久留里駅〜安房鴨川駅)が1日9本も停車し、木更津での乗り換えなしに千葉駅に出ることができるのである。これではJR久留里線の先端部の利用が減り、廃止となったのはやむを得ないのかもしれない。
現地に行ってみて、久留里線先端部の廃止がなぜ行われるのか、一つ理由が分かった気がした。



久留里城址を巡る

2024-12-25 05:00:00 | 城と城址
『関東の城址巡り』⑪、久留里駅から久留里城址を目指す。距離は1kmほど、広々とした駐車場に車を停めてあとは上り坂を上がって行く。



城址と言わなければ単なる里山、しかし、切り通しのようになっていて城があった頃には木で橋を作ってあった『堀切』後が城を目指す道となっている。



駐車場は海抜55mに対し、資料館のある二の丸が標高128m、本丸は標高145mある。これに対して資料館までが380m、天守跡までが540mだから坂の勾配がきついのが良くわかる。カラスウリと共に楓の紅葉もやや盛りは過ぎたが赤く美しい。



資料館手前から右に道が分かれ、『薬師曲輪』からは眼下にかつての三の丸跡がよく見える。久留里城の広さが良くわかるポイントである。





久留里城は上総武田氏の祖となった武田信長が1455年に上総国守護代となり、1456年に築城したと言われている。その後、弱体化した武田氏に変わり、里見氏が戦国時代以降統治し、1535年には里見義堯が古い城の跡に久留里城を新たに築城した。ただ、1590年に里見氏が豊臣秀吉の不興を買い、所領は没収。



その後は徳川家の所領となり、江戸時代の一時期には土屋氏が改易になったが、復活し、明治5年まで城は残った。今の天守は1955年に天守台の隣に新たに作られたものだが、現在は2023年5月の地震の影響で瓦の一部が壊れたために天守の中には入れない。



資料館の前には新井白石の銅像があるが、これは幼少期〜青年期にかけ、土屋利直に仕えた頃にこの城で仕官していた。後に6代将軍徳川家宣に仕え、正徳の治と言われた優れた政治を行なった。

資料館の中には城郭の模型図をはじめ、甲冑、刀剣、調度品や絵馬、神楽道具など城ばかりではなく、地元の風習や信仰に関する資料が並べられている。1階には久留里城周辺を立体的に示した模型もあり、かなり大きな規模の城であったことがわかる。

資料館からじゃり道を登って行くと『男井戸、女井戸』と呼ばれた井戸がある。これは良弁により掘られたいう伝説もあるが、戦国時代に里見氏が北条氏に攻められた時もこの井戸のおかげで籠城できたと言われている。今は緋鯉が泳いでいた。



坂を登ると左側に再興された天守及び天守跡が現れる。この天守は1955年浜松城を手本に再興されたもので2層となっている。しかし、地震の被害を受け、中には入れず周りを歩くことしか出来なかった。隣の天守跡はほぼ天守と同じ大きさであり、ここからはかなり遠くまで臨むことができたのであろう。



天守まで息を切らせながら登り、帰りはゆっくりと坂を降りて駐車場に戻った。


手打ちそば遊喜〜虎ノ門ランチグルメ

2024-12-24 05:00:00 | グルメ
虎ノ門で昼となった。近年は再開発があり、昔ながらの街の風景は随分変わったが、虎ノ門大坂屋砂場のクラシカルな建物だけは変わっていない。しかし、虎ノ門に来るたびに砂場では芸がないと新規開拓することにした。

(虎ノ門砂場)

一筋隣の道を歩くと飲食店が並ぶ一画がある。人が並んでいたのはお隣の2階にある『ガン爺』というカレー屋さん、そして『手打ちそば遊喜』という静かなお店。

中に入ると小さな店ながら満員、ちょうど1席だけが空いていた。おかみさんが『狭くて申し訳ありません』とおっしゃったが、空いていてラッキーである。

手打ちそばが売りの店のため、今日は寒いが、もりそばのラインナップからメニューを選ぶ。『たぬきぶっかけ〜煮椎茸入り』にも惹かれたが、穴子せいろ(1400円)の値段を見て、これに決める。

周りを見てもやはりもりそばを食べる人が多い。隣の人が席を立つとおかみさんが『少し広いので奥へどうぞどうぞ』と言ってくれ、その通りにする。店は新しいがグルメサイトで調べると前の店のビルが取り壊しとなり、2021年に移ってきたとのこと。

少し待つとトレイに蕎麦と天ぷら、そば猪口ともう一つ器が乗っている。添えてあるのが、細く切って晒した刻みネギ、本わさび。丁寧に作られている。

まずは麺からいただくが、やや太めの二八蕎麦、喉越しが素晴らしい。打ち立てをすぐお召し上がりくださいというのがよくわかる。蕎麦つゆも江戸前の割には大人しめでやや甘口、好みである。



天ぷらは二つに切った穴子、野菜はにんじん、茄子、山芋である。茄子はふかふか、穴子はツユが塩か悩むが、ツユで頂く。からりと揚がっていて上品な白身の旨さを感じる。山芋はサクサクと歯触りがいい。

蕎麦は盛りがいいと思っていたが、あっという間に食べ終わり、300円足して大盛にしなかったことを後悔した。カウンターは6人、テーブルを入れても20人は入れない店をご主人とおかみさんで切り盛り、心遣いも嬉しい店であった。



夜は予約のみ、1人4800円からのコース料理、鴨鍋のコースは6800円。リーズナブルなお店であった。ご馳走さまでした。

手打ちそば遊喜
港区西新橋2ー13ー1
0335920012

久留里線廃止予定部分に乗りに行く①

2024-12-23 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その253。久留里線の廃止予定部分を徹底して調べに行くことにした。

(廃止前の留萌駅)

ローカル線の廃止の話は北海道だけのことではないようだ。数年前に留萌に旅行に出た時に札沼線の先端部分(北海道医療大学〜新十津川)と留萌本線の石狩沼田〜留萌の廃止が決まり、札沼線も留萌本線も石狩沼田駅・留萌駅がなくなり、線名の由来の駅がなくなることにショックを受けた。
しかし、11月にJR東日本は久留里線の先端部(久留里〜上総亀山)の廃止の方針が明らかにし、これは廃止になる前に乗るしかないと馳せ参じたものである。

久留里線はそもそも野田線(現、東武野田線)や夷隅線(国鉄木原線→現、いすみ鉄道)同様に千葉県営鉄道として木更津〜久留里間で1912年に作られた。もともとは軌間762mmの軽便鉄道であったが、1923年に国に譲渡、久留里線となり、さらに1936年に上総亀山まで延伸した。元々は半島を横断して大原まで繋がることを企図していたようである。しかし、延長部分は戦時である1944には不要不急線のされ、一旦は休止している。(戦後1947年に復活)つまり、一時期とはいえ、一度廃止されたこともある。

このような久留里線の廃止予定区間を調べるべく久留里を目指す。千葉県だからと甘く見ていると痛い目に遭う。というのは久留里線久留里〜上総亀山は木更津発6時25分、7時25分の次は13時1分までない。これではあまりに時間が余ると朝渋谷発6時50分の高速バスで木更津まで行き、久留里城などの名所旧跡を周り、その後に久留里発13時53分発上総亀山行を待つことにした。鉄道もいいが、あまりに不便なため、木更津でレンタカーを調達、まずは久留里城に向かった。



渋谷BT6時50分発木更津駅西口行きの高速バスは乗車が5人とガラガラで出発する。行き方は半分寝ていたためあまり覚えていないが、首都高3号線、環状線、1号線経由で走る。ちょうど羽田空港近くで日の出となり、海の向こうに大きな太陽が見える。



その後はアクアライン経由で袖ヶ浦BTに到着、さらに渋滞に巻き込まれながらも8時10分のほぼ定刻には木更津駅前に到着した。



レンタカーを借りて久留里駅を目指す。地図で久留里線を見ると木更津駅を出てまずは北に向かい、祇園駅あたりからほぼ東、しかし東横田駅からは右に曲がり始め、南に向かう。久留里駅まではほぼ南下する。



距離的には君津駅からの方が近く、ほぼ東に行ったところに久留里があるのである。
久留里駅までは道路を左へ右へカーブの連続だが、車が少ないため、30分ほどで到着。さすがに周辺には農協くらいしかなく、駅前に車を停めて、駅を見学する。



ただ、久留里駅は数少ない有人駅のため、構内には入れず色々と情報収集。タクシーもバス停もなく、レンタカー利用が吉と出た。(以下次回)

『久我山歳時記』(55)〜いよいよ冬至

2024-12-22 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』(55)12月21日は冬至、つまり太陽の南中高度が最も低くなり、日の出から日の入りまでの『昼』が最も短く、『夜』が最も長くなる日である。今年の東京では日の出が6時47分、日の入が16時32分、つまり『昼』が9時間45分、『夜』が14時間15分、夜が昼より4時間30分長くなる。夏至の『昼』は14時間34分だから約5時間昼間が短くなるのである。

ただ、以前も書いた通り、日の出が最も遅いのは1月1日〜13日の6時51分でまだ遅くなっていく。しかし日の入が早いのは11月28日〜12月12日の16時28日であり、既にピークは過ぎて、だんだん日の入は遅くなっている。



冬至は今年最後の二十四節気であり、本格的な冬の始まりと位置付けられている。12月19日には東京でも初冠雪が記録されたが、七十二侯では『乃東枯(なつくさかるる)〜12月26日』『麋角解(さわしかつのおつる)〜12月30日』『雪下出麦(ゆきくだりてむぎのびる)〜1月4日』とされている。



乃東枯は空き地を見ればイメージが掴めるが、既にススキやエノコログサなどは枯れて黄色くなり、タンポポのように葉を思い切り広げて少なく、短い太陽光をなんとか取り込もうとする植物もある。

次の麋角解は日本のことではない。日本にいる鹿のツノが落ちるのは春なのだが、『麋鹿(ミールー)』という中国の大型の鹿の角が落ちるのがこの頃らしい。

最後の雪下出麦は麦の若葉がそろそろ出て来る季節ということだが、強い麦を作るために麦踏みを行うのがかつての日本の風景であった。

この時期は草は枯れ、花は少なくなるが、今年は冬になるのが遅かったこともあり、まだ、イチョウの葉も落ちずに綺麗に黄葉している姿を見ることができる。



花は山茶花がピンクや白の花を咲かせているし、ツワブキの黄色い花も咲いている。お正月に飾られるセンリョウも赤や黄色い実を付けている姿を見ることができる。




一時に比べるとかなり減ったとはいえ、久我山でもクリスマスのイルミネーションが美しい。



また、夜が明ける時間が遅いため、普段通りの通勤途上でも空には煌々と月が輝き、さらに西の空を見ると今年は木星が驚くほど明るい光を放っている。



夜明け前(5時過ぎ)には西の低い空に木星、月の近くに見えるのは火星である。夜が長いことも悪いだけではない。(夜明けには金星は見えない)