hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

東武佐野線(2)

2016-05-31 05:00:26 | 日記

鉄道シリーズ その139。東武佐野線の続き。佐野駅に着くと大きなガスタンクがあるが、それにもゆるキャラの『さのまる』がついている。


すっかりガラガラとなった電車は今度は水田の中を走る。堀米、吉水と止まるが乗降する客もわずかである。


かつては葛生で採掘される石灰石を輸送するのがこの鉄道の主たる業務で葛生より先に会沢線・大叶線なども伸びていたが、トラック輸送にとって代わられ、1997年に貨物輸送や先の線も廃止、さらに久喜~北館林荷扱所間の石油輸送も2003年に廃止されたため、東武鉄道で最後まで行われていた貨物輸送そのものも終了してしまった。



多田駅も寂しい駅だが、この辺りから田畑が減り、石灰工場や石灰石を運ぶトラックが増加、何となく埃っぽくなってくる。

終点の葛生駅で降りたのは小生を入れて10人ほど。今は静かな駅で構内が広すぎる状態。太陽光発電がおこなわれてはいるが、寂しい感じである。


旧葛生町は現在は佐野市に統合されているが、葛生というと1925年に発掘された古代人の骨で知られている。当時は明石原人に次ぐ発掘と騒がれたが、その後の調査でこの骨は遥かに新しいものとわかってしまった。

しかし、駅前から化石資料館に続く道は今も原人ロードと名付けられている。かつては夏に原人祭りをやっていたはずだが、今もやっているのかな。

駅前には大きなお寺があるくらいであとは中小の石灰工場が並ぶ。小生は葛生から先に伸びていた会沢線のあとを探るべく駅の先を見に行く。


すると線路が切れた先にも確かに路盤のあとが残り、その先の工場に向かってかつての電化した際に作られた架線をつなぐポールがずっと先まで続いていた。歩きではとてもこれ以上難しいが、その後には草が生い茂っており、まさに『夏草や兵どもが夢のあと』という感じであった。小生は1時間に1本しかない電車に間に合わせて早足で駅に向かった。

巨人vs阪神観戦記

2016-05-30 05:00:10 | 日記

重なる時は重なるもので今月は今日で4回目の野球観戦。5月8日は東京ドームで巨人vs中日、5月14日は横浜球場で横浜vs阪神、5月28日は神宮球場で慶応vs早稲田、そして5月29日は東京ドームで巨人vs阪神となる。もちろん、ドームの切符はもらいものではあるが。

今年のセリーグは各チームそれぞれ問題があり、パリーグと異なりゲーム差があまり離れておらずハラハラ、ドキドキである。金曜日は岩貞と菅野の素晴らしい投げ合い、土曜日は阪神のHR攻勢で連勝して今日はメッセンジャーの投手力で3連勝を目指す対戦である。


試合はまず立ち上がり巨人の高木の素晴らしい立ち上がりに対し、メッセンジャーも負けず投手戦の様相。3回までパーフェクトに抑えられリズムの悪くなったところを巨人が1死後1番に据えた脇谷が2塁打、それをルーキー重信が粘ってセンター前に運び1点先制。しかし、オーバーランで重信が刺され、チャンスが終わりと思ったところを坂本にホームラン。正直、2ランにならず、ラッキーという感じ。

しかし、阪神も4回先頭の鳥谷が久々の4号HR。これが初安打初得点。後続は続かず。メッセも4回に鳥谷のまずい守備から1アウト3塁とされるが、得点に至らず、両投手が好投。

阪神からするとこの後ランナーが出たのは6回2死から鳥谷の2塁打、7回2死から原口のライト前くらいのもの。最終回も2死から福留がヒットで出たが、ゴメスが3塁ライナーでゲームセット。

阪神は4安打では勝てないが、高木が7回で無死球7三振の好投をされればやむなしか。メッセンジャーの粘投が功をそうしなかったのが残念。メッセは8回に亀井から通算1000奪三振の記録を作った以外は盛り上がりに欠いた試合であった。だけど、ドームは快適である。いよいよ、交流戦で勝負が決まる気がする。

慶早戦観戦記

2016-05-29 05:00:26 | 日記

久々に早慶戦の観戦に。いつも一緒のTくんが仕事の都合がつかなくなり、急遽1人で観戦となった。12時前には信濃町駅から絵画館前を通り、神宮球場に到着したが、学生席はもう凄い列。大正製薬がリポビタンDの販促をやっており、球場半周の間に2本も飲んで元気ハツラツ。


特別内野席はまだ空きが十分、牛丼と神宮ハイボールを買ってほぼバックネット裏に席を確保。それにしても早慶戦のバックネット裏は平均年齢が高いのにはビックリ。12時半から山中正竹氏らの野球殿堂入りの式典が始まる。

彼らなしでは今の六大学野球もなかったであろう。その後、メンバー発表があり、慶応は加藤拓、早稲田は大竹が先発、13時にプレイボール。やはり、始球式はないのである。

早稲田の大竹投手は立ち上がりこそ、2死満塁で岩見を空振り三振で抑えるが、2回には四球の須藤を1塁に置き、投手加藤拓が2ラン。3回は岩見が2ラン、さらに柳町の三塁打のあと、須藤がタイムリー。これで大竹投手は交代。変化球でカウントを取りに来た際に引きつけて打つ慶応の作戦が成功した。

一方、加藤拓もピリッとしない。毎回ランナーを出すが、1回は3塁コーチがランナーに触ったため、インターフェアを取られチェンジ。その後も冷や汗たっぷり。

早稲田は変わった黒岩投手が好投、慶応は4~6回はノーヒット。一方、慶応の加藤拓は6回に急にストライクが入らなくなり、連続四球、さらに木田の2塁打で2点返す。その後もストライクは入らないが、何とか投手の代打加藤と2番中澤を三振で切り抜ける。

皮肉なもんで早稲田は替わった柳澤が乱調、岩見にタイムリー、さらに暴投で2点取れば2点献上。7回も早稲田は石井のHRなどで2点取るが、8回慶応も須藤のHRなどでまた2点取る。

結局、加藤拓は10安打10四球ながら、相手早稲田の、14残塁と繋がらない打線に助けられ、完投。なんと178球、よく我慢したというか、他にまともな投手がいないというか。9対4で慶応が早慶戦1戦目を取った、しかし、3時間近い試合は、暑く長かった。

まあ、4位と5位の対戦だからやむを得ないのかもしれないが、ストライクが入らないとイライラした試合になることを実感。ただ、勝てば官軍、母校の応援歌を思い切り歌うのもストレス発散にはなりますよ。

東武佐野線(1)

2016-05-28 05:00:04 | 日記

鉄道シリーズその138。東武鉄道は主力の伊勢崎線、日光線、東上線以外にも支線は数多くある。このブログでも以前大師線を取り上げたが、本日は東武佐野線に乗車してみた。

佐野線は1888年に設立された馬車鉄道が始めで葛生で産出される石灰石の輸送のため佐野鉄道として葛生~佐野で1903年に開業、1912年に東武鉄道に合併され、1914年に館林~佐野が開業され、1927年に電化された。

今日はいつも通勤に使う地下鉄半蔵門線にそのまま乗って北千住まで行き、そこで特急りょうもう号で館林まで行く。


館林駅は東武伊勢崎線以外に佐野線と小泉線の始発駅となっている。小泉線は面白い運行形態をとっているため紹介したいが、今回は佐野線のため、割愛する。

佐野線は階段を上り、4番線から出るが、乗った葛生行きは2両編成である。編成が短いこともあり、まずまずの乗車で特に後ろの車両は席が埋まるほど。りょうもう号が遅れたこともあり、すぐに定刻通り9時50分出発。館林駅の構内を走り、その先は左に分岐していく。

もちろん単線のため、次の渡瀬駅では上りの3両編成と交換をする。


その先は渡良瀬川を渡るが川は2本に分かれている。この辺りは一面の麦畑で麦が黄色く実り、麦秋という言葉を思い出した。


次が田島駅、島式ホームの駅が続く。その次が佐野市駅、佐野厄除け大師の近隣駅だが、JR両毛線との乗り換え駅でないことを強調していた。



そして佐野駅に到着すると殆どの乗客が下車、あっと言うまにガラガラとなった。(以下、次回)

福太郎~東京ソラマチランチグルメ

2016-05-27 05:00:34 | グルメ

最近は大阪のお好み焼きの店も東京に進出してきてわざわざ出掛けなくても食べることができるようになった。小生が好きなのは大阪・長堀の『やきやき三輪』、大阪・梅田の『きじ』などだが、たまには本格的なねぎ焼きが食べたくなる。しかし、大阪・十三の『やまもと』は東京にないのでと調べると大阪・千日前の『福太郎』はスカイツリーのそばのソラマチに進出していることを知り、早速出かける。

ソラマチには親子丼の『玉ひで』や櫃まぶしの『備長』、もつ鍋の『蟻月』など行列必至の店が多数出店しており、つけ麺の『六厘舎』はやはり長い列が出来ていた。目指す『福太郎』は昼時だがそれほどでもなく、すぐに着席。

注文は『すじねぎ焼き』(1280円)を注文。少し高いかなとの印象だが、ソラマチだからやむを得ないかな。

注文を聞いたお姉さんは『お時間を20分いただきます』と言われるが、これはやむを得ない。早速小生の分を焼き始め、目の前の鉄板にも火が入る。

約20分後にすじねぎ焼き登場、醤油タレのため茶色であるが、色の割にはやや薄めの味付けながらふわふわ、アツアツのねぎ焼きは懐かしい味。たっぷりのネギと味付けされた牛スジとこんにゃく。牛スジと共に食べると味付けがちょうどいい。通常のお好み焼きとは一線を画す牛スジねぎ焼きをフウフウ言いながら、食べ終える。これぞ難波の味、ご馳走さまでした。


福太郎
墨田区押上1ー1ー2東京スカイツリータウン東街区6階
0356103050

新芝運河沿緑地を歩く

2016-05-26 05:00:34 | 日記

田町駅芝浦口から5分ほどで運河に架かる霞橋に出る。橋から歩き出すが、橋のたもとにはなぜか枇杷の木、実かたわわについて夏が近いことを感じる。反対側には夏みかんの木、港区とは思えない風景である。



橋からすぐ左方向に新芝運河沿緑地の立て札、細い道を行くと運河沿いの道に出る。モノレールの線路の下には整備が行き届いた遊歩道で散歩コースもある。


植栽も整備されていて、ちょうど山吹とサツキが咲き乱れていた。しかし、少し目線を上げると周りには高層マンションばかりである。


田町駅に向かう橋の下を抜けて行くと盛んにハクセキレイやハトが走ったり飛んだりしている。この辺りからはサラリーマンの憩いの場所なのか、ゆったり座り、タバコをふかす人もいる。

その辺りを歩いていると運河の中に黒い鳥を発見。よく見るとカワウかウミウか分からないが、間違いなく鵜の仲間で盛んにそこに潜り魚を取っている。東京都港区にも鵜がいるんだ。


それからはしばらく彼の漁の様子を観察するが、浅く潜りすぐ上がるかと思えば、1分近く潜り遥か遠くから顔を出したりして驚かせてくれる。

写真は撮れなかったが、見事に小魚を咥えて上がってくることも度々。その名人芸を見ながら、鵜に引かれて藻塩橋まで歩く。もう少し先まで行きたいが、昼休みも終わりそうなのでこの先はまた次回に。改めて、ここも港区である。

チャーハン王新橋店~新橋ランチグルメ

2016-05-25 05:00:06 | グルメ

たかがチャーハン、されどチャーハンと思いながら、新橋を11時20分に通過した際に中々入ることができない『チャーハン王』の存在を思い出した。サラリーマンの殿堂のような新橋センタービルの地下1階は様々な食い物屋があるが、列ができるのは牛カツおか田とこの店だけのような気がする。

おか田はもう階段5段目まで列ができていたが、幸いにチャーハン王にはまだ空き席があった。カウンターに座ると店の人がオーダーを取りに来るが、どうメニューを見ても『チャー王セット~チャーハン+スープ』(980円)以外のメニューはない。強いて挙げれば酢モツやピリ辛もやし、辛子高菜はあるが、どう考えもサイドメニュー。とはいえチャー王セットをお願いする。

小生で5人の座れるカウンターは4人目だったが、すぐに2人にはチャーハンが到着。その後、鍋を降る音が聞こえ、7.8分後に小生にもチャーハンが到着。すると食べ方はメニューに裏にありますと教えてもらう。

あまり、チャーハンの食べ方を考えたことはなかったが、素直に指示に従う。まずはスープを一口、2日煮込んだだけあり、さっぱりしている中にコクがあり、美味い。


次はひたすらチャーハンを食べるのだが、いや本当にパラパラ。具はナルトの細切り、ネギ、卵だけだが、すぐ山が崩れるほどパラパラ。しっとり系が好きな小生だが、食感も良く、美味い。

次は少し酢醤油、好みでラー油を加えるとあるので指示に従うが、味も変わるし、しっとり感も出てさらに好みに。ラー油は辛味は強いが混ぜるとさらにうまくなる。

なるほど、待つ価値はあるかもしれないが、看板にある『チャーハンの常識が変わる』ほどではなかった。まあ、待たずに食べれてラッキー。ただ、少なめで、チャーハン好きにはもう少し量があれば満点でしょう。店の大きさは小さいが、チャーハン製造能力からすると17席は確かに限界かな。ごちそうさまでした。

食べ終えて店の外を見るともう5人ほど待っており、おか田は階段の踊り場まで20人以上。まだ、12時まで15分もあるのに。

チャーハン王 新橋店
港区新橋2ー16ー1ニュー新橋ビルB1
08068839340


阪神ファンの戯言~頑張れ、鳥谷敬

2016-05-24 05:00:12 | 日記

阪神タイガースの超改革の中で、小生が気になっているのが、ベテラン勢、特に鳥谷敬選手の調子である。彼はその打撃、守備とも定評があり、ゴールデングラブ賞4回、ベストナイン6回にも輝いた名選手が苦しんでいる。

鳥谷敬選手は2002年に早稲田大学を卒業後、ドラフト1位で阪神に入団、翌年からショートのレギュラーポジションを取り、10年以上その地位を守ってきた。

元々阪神タイガースのショートのポジションを見ると、古くは吉田義男(1953~1966)、藤田平(1967~1977)、真弓明信(1979~1982)、平田勝男(1983~1987)、和田豊(1988~1991、92年からは3塁手)、久慈照嘉(1992~1997)と素晴らしい選手が多い。

鳥谷敬選手もその後継者であることは間違いないのだが、2016年はどうも成績は振るわない。まず、打撃だが、現在こそ.248まで回復したが、一時は1割台と低迷。もちろん、ヒット数や出塁率も気になるが、小生が気にしているのは三振数が31、47試合終了後なので1試合平均0.65で2015年の0.53、2014年は0.55と比較すると多い。さらに気になるのが、併殺打の多さ。2015年はシーズン通して8個だったのが、すでに今年は8個、だから、調子の悪さが際立つのである。

守備も失策は2014年度で5個、2015年度で14個しかなかったにもかかわらず今年は既に6個。それも内野フライの捕球時に足がもつれたり、追いそこなったりと従来なかった質の失策が目立つ。

彼の視力のことは何回も報道されており、補正に慣れていないなどの問題があるのかもしれないが。ともかく、福留や西岡同様に阪神タイガースはベテランの活躍なくして優勝を狙えることはありえない。不調の原因の究明に全力を挙げることは当たり前だが、もう一度原点に帰り、自らの姿を見直し、かつての勇姿に戻ることを是非望みたい。頑張れ鳥谷敬、小生にはこれしか言えないが。

麺屋帆のる日本橋店~日本橋ランチグルメ

2016-05-23 05:00:08 | グルメ

近場のランチが最近増加しているが、今回も同じ町内(日本橋小舟町)の1件。ラーメンは冷やし中華やちゃんぽん、担々麺などやや変化球が好きなのだが、鶏をじっくり煮込んだスープのラーメンには目がない。代表例が京都を中心に全国展開する天下一品だが、今日は『麺屋帆のる日本橋店』にお邪魔する。

(この看板が目印)
場所はコレド日本橋から昭和通りを越えて次の道を左に少し歩いたあたり。鴨そばの店の隣にある。カウンターだけの店で店に入るとすぐに券売機。メニューの選択に千円札を突っ込んでから時間がかかる。今日は『醤油鶏白湯麺』(780円)をお願いしてみる。


カウンターの前には食べ方が書いた板が置いてあるが、小生の頼んだ麺は載っていない。調味料や薬味は胡椒・柚子胡椒・揚げネギ・玉ねぎのみじん切りがある。

5分ほどで到着。第一印象は丼の割に少ないなあ。特に麺が。気を取り直して、胡椒を振ってまずはスープから。濃厚な鶏の出汁が美味い。麺は中細のストレート麺でもちもち系、これはスープによく絡む。メンマは太いタイプだが、柔らかく、チャーシューも鶏と豚バラが各1枚で何もよく染みて美味い。ラーメン自体は大変好みの味である。少し食べた後、刻んだ玉ねぎを加えると味が変わってこれもいい。

結果、5分ほどで完食、小生はこれでも十分だが、若者は小ライスくらいないと厳しいかも。麺を食べ終えてライスを入れるのもいいと板に書いてあったが、なるほどそうかもしれない。

麺屋帆のか日本橋店
中央区日本橋小舟町4ー9
0366617724

私鉄の駅名と沿線開発

2016-05-22 05:00:06 | 日記

『鉄道シリーズ 』その137。私鉄の駅名を見ているとその沿線開発の歴史が見えてくる。例えば京王線を取ると甲州街道に沿って作られた路線のため、駅名も新宿から始まり、下高井戸(宿場名は高井戸)、国領、布田(宿場名は下布田、上布田)、府中、八王子と旧宿場名から取ったものが続く。

しかし、開発のために付けられた駅名も多い。『桜上水』は玉川上水の堤に桜並木があったため、1937年に付けられた名前でそれ以前は『京王車庫前』という名前であったが、沿線開発に伴い改名されたものである。

『つつじケ丘』も京王が宅地開発にあたり、従来の『金子』から1957年に移動して設けた駅である。(直接の改名の理由は国鉄八高線金子駅との混同回避)

『聖蹟桜ケ丘』も従来の『関戸』を桜の名所『桜ヶ丘』と明治天皇のお狩場があったため行幸があったことから『聖蹟』を足して1937年に改名したものでこちらもその後宅地開発が盛んに成された。

これが東急沿線となるとさらに格調が高くなる。最も有名なのが、『田園調布』である。田園都市会社を1918年に渋沢栄一が中心となり設立、矢野恒太(第一生命)、小林一三(阪急)らとともに開発した計画都市である。

駅自体は1923年に田園都市株式会社の子会社である目黒蒲田電鉄が『調布』という名前で開業、1926年に田園調布に改称している。

同様に開発されたのが『日吉』である。この地は1926年東京横浜電鉄が駅を開業、周辺の土地を開発するとともに、慶應義塾に1929年に寄付してステイタスの向上を図った。東京横浜電鉄(その後の東急)は他にも新丸子、菊名などの沿線開発も手がけている。

沿線開発に絡む駅名は東急田園都市線の沿線に多いが、最も特徴的なのはたまプラーザ駅であろう。この名前は1966年の開業にあたり、地名を取って『元石川』にしようとしていた。しかし、当時東急電鉄社長の五島昇が『語呂が良くて親しみやすい、他にない名前』とすべきと主張して『プラーニャ』という広場を表すスペイン語に周辺の土地の名前である『多摩』を加えて、それまで全くなかった『たまプラーザ』という名前を付けたものである。

ほかにも『藤が丘』『つくし野』『つきみ野』などは開発を進めた東急が決めた駅名だけでなく、『すずかけ台』のように進出した東京工業大学の要望で付けられた駅名や『あざみ野』のように住民投票で決めたものもある。また、終点の中央林間は交わる小田急が戦前から開発を進めていた『林間都市』の1つであり、他に『東林間』『南林間』もある。


こうした駅名のルーツを探ることにより、それぞれの街の成り立ちを知ることができて面白い。