『江戸の坂・東京の坂』その69。前回に続き高輪・三田の坂道を歩く。天神坂から元の伊皿子交差点まで戻り、左に曲がる。交差点が最も高い位置にあり、ここからは下り坂となるが、これが『魚藍坂』(ぎょらんざか)である。広くて長い坂だが、この由来は坂の途中にある魚藍寺に祀られている魚藍観音からきている。
因みに魚藍観音は魚の入った魚藍、つまり魚用の籠(びく)をさげている観音様で、早川駅周辺を散歩した際に大きな魚藍観音を見つけた。
坂をしばらく降り、右に曲がるととても高輪とは思えない静かな細道に出る。上り坂ではあるが、名前はない。その先には御田(みた)小学校がある。同じ三田でもこう書くのもあるようだ。
まっすぐ行くと坂の途中にぶつかるが、この細長い坂道が『幽霊坂』である。この坂は両側の塀が高いため見通しが悪い。やはり名前の由来も寺社が両側に並び寂しい場所のために付けられたようである。
坂を下りると国道1号線にでるが、これを右折する。この辺りにもお寺が並び、ケイヨーデーツーを右に普連土学園に向かう坂道が『蛇坂』となる。
この坂は途中で左に曲がるのでグネグネしているからかと思ったが、案内板によると藪から蛇が出ることがあったために名前がついたらしい。
その先は道が狭くなるがそのまま行くと『安全寺坂』となる。これは坂の西側に『安全寺』があったため。
周辺には寺とともに墓地も多く、今も静かな場所である。
一旦、少し戻り普連土学園の前を通り先に行くと前方に下り坂。これが『潮見坂』である。富士見坂と潮見坂は江戸の坂には多く付けられた名前だが、今は目の前にはマンションも立ち、さらに埋立もされているので残念ながら海は見えない。(以下、次回)