hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

上野味喜庵〜御徒町グルメ

2016-11-30 05:00:05 | グルメ

蕎麦屋で一杯というのにはまっている。しかし、確かに神田のやぶそばやまつや、日本橋室町の砂場などいいが、難点は早く店じまいするところ。また、酒の種類も少ない。この辺りを補ってくれる店が御徒町にあることをS先輩に教えてもらい、今日は友人と試す。店の名前は『上野味喜庵』、JR御徒町駅、地下鉄仲御徒町駅、上野広小路駅いずれからも5分ほど。

この店は新しく、また、2〜4人の小上がり的なテーブルがある。あても色々あるが、本日はあおいコースを選択、というのはコースにすると2500円で純米酒10種類他が2時間飲み放題となるのである。銘柄も雨後の月、真澄、久保田、鳳凰美田、山本、浦霞、出羽桜、黒龍、八海山と中々のラインアップ、あおいコースが4320円のため、全部で6820円となる。


まずは生ビールで乾杯、すぐにお通しの『バイ貝の煮付け』『引き上げ湯葉』が当時。ビールを飲み終わり、まずは山本(秋田県)から。飲み口が爽やかで美味い、今日のラベルは黒ではなく、赤、備前雄町。


すぐに前菜3種盛り、今日は豆アジの唐揚げ、松前漬、かまぼこ。豆アジはカラッと揚がり美味い。

もう2杯目の鳳凰美田(栃木県)に移る。飲み放題だと元を取ろうとするところが酒飲みの意地汚いところである。


さらにお作りが中とろ、カツオ、甘エビ、イカ、タイの5種盛り。酒は久保田(新潟県)千寿にする。蕎麦屋で刺身もかなりメジャーになりつつあるが、ちゃんとおろしショウガが付いてきて、やはりカツオにはよく合う。


次いで雨後の月(広島県)、この酒は極めてさらっとしていて飲みやすい。定番の卵焼きは返しの味がいい。ついつい酒が進んでしまう。

酒は黒龍(福井県)、天ぷらにはよく合う。天ぷらは海老の他にハゼが2尾、椎茸、腹も膨れてくる。いや、色々考えるのも好きだが、こうやって待つのもいいものである。

最後に締めのせいろ盛り、冷たい蕎麦を手繰って酒は出羽桜(山形県)。せいろ蕎麦には冷酒はよく合う。ただ、蕎麦つゆを辛く感じてしまうが。もう一杯と真澄(長野県)を飲んで終了。

デザートのアイスクリームが酒粕味で中々美味かった。ごちそうさま。酒量も落ちて、さすがに全ての種類まではやはり無理である。

上野味喜庵
台東区上野3ー23ー2
0356880909

目白台付近の坂道(1)

2016-11-29 05:00:43 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その78。かなり東京の坂道は歩いたが、それでもまだ行けていないところがある。今回は目白台付近の坂道を歩いてみた。まずは江戸川橋駅を降りて以前に歩いた鳥尾坂を登る。音羽の谷から目白台に向かう坂は中々厳しい坂が多いがこの坂も例外ない。坂を登ると首都高4号線が下になっていく。


獨協学園と聖カテドラル教会の間を歩き、目白通りに到着。向かいに渡り、右に曲がると和敬塾と旧田中角栄邸(文京区目白台運動場)の間の細い道を左に曲がる。


道は急に狭くなり、両側には藪が現れ、なんとも暗い坂道となるがこれが幽霊坂。なるほど、うまいネーミングである。


その先を少し行くと左側に見事な紅葉が見えてくるが、これが新江戸川公園。実は旧熊本藩の庭だそうで背後の坂を上手く使った回遊式庭園となっている。ちょうど紅葉はピークで思わず見入ってしまう。



新江戸川公園からでて、しばらく歩き、左に曲がると道がクランクに曲がりながら坂道となるが、これが豊坂。名前の由来は坂下に豊川稲荷社があることから付いたものだが、江戸時代は一帯が大岡主膳の下屋敷のため、明治以降に作られた新しい坂道である。坂を登ると日本女子大の前に出る。(以下次回)

新高円寺駅

2016-11-28 05:00:06 | 日記

『メトロに乗って』その44。今回は東京メトロ丸ノ内線新高円寺駅で降りる。もともと丸ノ内線新宿〜荻窪は青梅街道に沿って走っているが、中央線と並行しているため、駅名も中野坂上、新中野、東高円寺、新高円寺、南阿佐ヶ谷と中央線の駅に何かを足したようなものが多い。新高円寺駅は青梅街道と五日市街道の分岐点の近くに駅がある。

今回はここからJR高円寺駅に向かって歩き出す。五日市街道入口の信号を左に曲がると比較的広い道が続く。すぐ左には高円寺ラーメンの文字。実は高円寺にはラーメンの店が多くある。


その先の信号を右に曲がり少し行くと高円寺前という信号にあたる。

これを左に曲がると高円寺の地名の由来となった宿鳳山高円寺の参道になる。



山門をくぐりさらに行くと本堂がある。立派な銀杏の木はまだ黄葉してはいない。曹洞宗の寺で16世紀に作られた。3代将軍家光の知遇を得て繁栄、このあたりの地名も小沢村から高円寺村になった。名刹ながら戸は閉められ、あまり参詣に来る人もいない。


高円寺をあとに高円寺駅に向かう。公園の横を抜け、駅が近づくと周辺には古着屋、古靴屋などが急に増加する。若者が多くショッピングを楽しんでいる。ただ、古着は分かるが、古靴はどうも買う人の気が知れない。


さらに駅に向かうと氷川神社が見えて来る。この神社には3つの社があり、その中でも変わっているのが気象神社。


この神社は元々は馬橋にあった陸軍気象部隊の中に置かれ、祭神は八意思兼命(やごころおおもいかねのみこと)という知恵の神であったが、戦後氷川神社が払い受けたものである。気象の神社は数少なく珍しいものである。


ここから高円寺駅までは3分ほど。駅前には北口にも南口にも素晴らしい商店街が集まり、スーパーなどとうまく共存している。

常盤橋

2016-11-27 05:00:34 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その16。今回は一石橋の隣にある常盤橋を渡って見る。上には高速道路、下には日本橋川が流れている。地下鉄半蔵門線三越前駅の出口から江戸通りを進んだところにある橋で、交通量も多い。

常盤橋は元は大橋といい、江戸城大手門から浅草に向かう途中にあった。常盤橋の名前だが、1629年に江戸城常盤橋門が作られ、この頃には現在の名前があったものと考えられる。

また、この辺りは東京駅日本橋口前の朝日生命ビル、日本ビル、JXビル、大和呉服町ビルなど68万平米を再開発する動きもあり、ここにはあべのハルカスを上回る61階建の日本で最も高いビルを作る計画。これが完成するとこのあたり全体が大きくかわるであろう。


実は常盤橋の横あたり、日銀ビルを見下ろすように澁澤栄一像がポツンと立っている。これは再開発の工事が開始される前は常盤橋公園があり、周囲には江戸城の石垣も残されていたのだが、再開発に伴い公園も鋼矢板に覆われて澁澤栄一像のみがポツンとのこされている。

再開発が完成するとまた大きく風景がかわるであろう。

らぁめんや風神〜品川ランチグルメ

2016-11-26 05:00:33 | グルメ

最近、ランチに中華料理が続いたので避けようとしているのだが、『名物担々麺』と書かれた看板を見るとついつい入ってしまう。仕事で品川に来た帰り、つばめグリルでも行こうかと店の中を覗くと長蛇の列。諦めて駅に戻ろうとすると先ほどの看板。ほぼ正午であったこともあり、入店。店の名前が『らぁめんや風神』。

店は長細いウナギの寝床タイプ、カウンターのみ。厨房には中年の料理人が4人、これだけでカウンターから出ることなく営業。私は担々麺+餃子3個(830円+160円)を注文。やはり、担々麺と担々つけ麺が人気だが、ラーメン・チャーシュー麺もそこそこの人気。

先に5分ほどして餃子が登場。まあ、普通だが、ニンニクが入っておらず、ヘルシーな野菜中心の餃子が登場。さっぱりして美味いが、仕事中のサラリーマンやOLを意識しているのかもしれない。

そして、さらに5分ほどしてようやく担々麺が登場。ほうれん草とモヤシ、その上に肉そぼろとネギが乗っている。最初にスープを飲むが、辛味は強くなく、また、それほど主張しない。麺は中太ちぢれ麺タイプでスープがよく絡む。さらに割に多めのそぼろを食べるとしっかりした味付け。スープに混ざるとスープも丁度良い頃合い。少し、胡椒とラー油を加えるが、辛味はもう少しあった方がよい。全体としてバランスがよく、ふと入った店にしてはよい。

麺を食べ終える頃には5人が待っている。料理人がカウンターから出ないので中々指示が伝わらず、席が空いているのらに後ろに立たれるのが、難点かも。でも、味はちゃんと行列と比例しており、中々美味い。ごちそうさまでした。

らぁめんや風神
港区港南4ー10ー25
0334465676

鍋屋横丁

2016-11-25 05:00:27 | 日記

『東京横丁探訪記』その2。中々、第2回に入れなかったこの企画だが、今回は鍋屋横丁を歩いてみる。鍋屋横丁は地下鉄丸ノ内線新中野駅から南北にに伸びる商店街である。


実はその歴史は古く、江戸前期に新井薬師から妙法寺(杉並区堀ノ内)に向かうこの参道は厄除け祖師として妙法寺の評判があがると大いに栄え、特に青梅街道との角にあった『鍋屋』という茶屋が繁盛していたことから、鍋屋横丁の名前がついた。

青梅街道の北側は鍋横通りとは言うものの、店は散在しており、あまり流行っていない。南側にわたり、歩き出すが、すぐ屋根(アーケード)が現れ、鍋横商店街の名前が書かれている。しかし、この辺りには携帯ショップやコンビニ、全国チェーンの居酒屋が多く、シャッターを下ろした店も多い。



少し歩くとつけ麺で有名な大勝軒ののれん分けした店などがでて来る。ふとみると歩道の端にお題目石という言わば道しるべが現れ、この横丁の古さを感じる。


その先に行列しているパン屋を発見。店の名前がミルクロール、これは商品名でもあるが、コッペパンのような形状で一つ40円。他にも調理パンなどがあり、美味そうな香りが漂っている。

もう少し歩くと十貫坂上交差点、この辺りまでが鍋横商店街と言うのだろう。一目ではわからないかも知れないが、車道の交通量が多く、分断されているためか、すこし寂れているのが気になった横丁である。



キテレツ〜人形町グルメ

2016-11-24 05:00:27 | 日記

今回は地元人形町2丁目の『さかなやキテレツ』にお邪魔した。店には6時半に後輩のAくんと待ち合わせ、しかし、奥のボックス2つも、カウンターもAくんが座っているのみ。すこし気になったが、まずは生ビールを注文する。

生ビールが出て来るまでの僅かな間に急に来店客が増加、奥のボックスもカウンターの2席も埋まり、ほぼ満員に。やはり、人気店である。

生ビールで乾杯、突き出しは柿の膾と大根の鯛味噌掛け。いずれもさっぱりとしている。

注文は名物の『カニサラダ』『炙りしめ鯖』『ブリハラス焼き』『牡蠣のネギ味噌焼』。まずは『カニサラダ』、今日は香箱カニを使っていて、上には外子とジュレ、真ん中にカニの身と卵サラダ、下には内子となっている。味付けも最低限でカニの旨みを引き出している絶品。手間を考えると頭が下がる。


日本酒に切り替え、最初は山本(秋田県)、入れ物も凝っていてこれはスズの片口で登場。もちろん猪口もスズで口当たりよし。もちろん、酒もよし。

次に炙りしめ鯖、下にはワカメ、しめ鯖が乗り、スプラウトが散らされ、ポン酢ジュレとサラダ仕立て。このポン酢があたりが柔らかく、しめ鯖によく合う。酒は風の森(奈良県)、独特の濃い旨さを味わう。

次に牡蠣のネギ味噌、牡蠣の味噌炒めといえばその通りだが、中々美味い。酒は七田(佐賀県)、辛口でよく合った組み合わせ。

そして、ブリハラス焼き。脂がよく乗っているが、適当に落ちていてくどくはない。焼き加減もちょうど良い。素材の良さを生かした作品である。

さらに、組み上げ豆腐にカリカリジャコとネギ乗せをお願いするが、これには美丈夫(高知県)を合わせる。豆の甘さを感じる濃厚な豆腐とカリカリジャコの食感の対比がいい。

この店の料理は主役だけでなく、薬味や脇役がひかり、食感にも工夫するといった手法で他の店にない旨さを作るその創意に関心する。もちろん素材もいいものを使っている。やはり、女性の多い店にハズレなしとはうまくいったもの。ごちそうさまでした。

キテレツ
中央区日本橋人形町2ー20ー12
0336637665

ラグビー早慶戦2016展望

2016-11-23 05:00:23 | 日記

今年の慶応義塾大蹴球部には期待している。蹴球部というと普通はサッカーだが、塾ではラグビーのことを指す。(ちなみに、サッカーはソッカー部)毎年、勤労感謝の日は早稲田大との対抗戦である。今年の慶応の戦歴は9月19日の対筑波大で28vs20で勝利、10月28日の対帝京大は31vs42と負けたものの、あの帝京から4トライを奪う善戦。11月6日の対明治大は途中21点差をつけてリードしたにも関わらず、後半の向かい風と細かいミスから追い詰められ、ロスタイムで逆転負け(29vs31)してしまったという状況である。いつもの慶応は守備、特にタックルからチャンスを作るが、今年のメンバーは練習量がかなり多く、いつも以上に攻撃力がある。

早慶戦の対戦成績は慶応にとってかなり分が悪く、現在までの対戦成績はかなり差をつけられており、対抗戦通算で早稲田の65勝20敗7分。さらにここ15年を取ると2010年に1勝、2009年と2014年に2分している以外は12敗と圧倒的である。しかし、一昨年は引き分けており、昨年は慶応戦から早大の藤田(日本代表)が復帰したにも関わらず、前半はリード。ただ、今年の慶明戦のように最後のPGで逆転負け、32vs31で敗れている。

では戦力はというと、チーム力をそれぞれの対帝京戦のスコアで比べてみたい。早稲田は75vs3とノートライで敗れているのに対し、慶応は前述のように善戦しており、今年は勝機は絶対にあると思う。

あとは6日の明治戦のような正面のPGをSO古田が外したり、タックルミスから相手のWTB山村に独走トライを許したり、と言ったミスの削減と後半立て続けにスチールされたラインアウトの修正ができれば4シーズンぶりの勝利はあり得ると思われる。

キーマンはやはりSO古田(医学部2年)とSH中鉢あたりだろう。とにかく、スコアに、勝利に拘る試合を望みたい、慶応フィフティーン。

牛込橋

2016-11-22 05:00:34 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その15。飯田橋駅西口は工事のため移転したが、かつては出口から出るとすぐ前に濠にかかる橋があり、右に行くと神楽坂、左に行くと九段に向かう通称神楽坂通りに出たが、この橋が牛込橋である。

牛込橋は田安門〜神楽坂を結ぶ早稲田通りにある外堀にかかる橋である。今は駅と線路を跨ぐ橋であるが、最初に作られたのが1636年。このあたりには牛込見附という江戸城の外堀に建てられた城門があり、一部が残された江戸情緒の残された場所となっている。


現在の橋は平成8年に改修されたものだが、橋自体も欄干が江戸城を模したものである。橋からは春は桜が美しく咲き誇る姿もみることができ、また、堀の近くにはボート場もある。橋の下には中央線が走っており、間近に電車を見ることもできる。

橋を渡りきると神楽坂下の交差点に出るが、今も風情のあるこの辺りは平日の昼間も観光客や散歩を楽しむ人などで混雑している。両側には街路樹が植えられ、落葉の季節はなかなかいい。


東京23区を考える(1)

2016-11-21 05:00:56 | 日記

祝70周年『東京23区を考える』その1。東京も23区の特別区が設置されたのが、1947年つまり来年3月には70周年を迎える。これを機にまずは今の組織にどのように変わり、その間に人口の変遷したのか、また、その間何が起きたのかを調べると中々面白い。

最近は大阪都構想などがとりだたされるが、実は東京もかつては大阪同様、東京府と東京市の時代が明治以降長く続き、1932年に元からあった15区に加え、周辺の5郡82町を東京市に編入させて、東京都にしてその下に35区を置くという行政組織になった。その後1947年3月に戦後復興の中で区の大きさを揃えるという考えのもと35区が22区に整理統合された。

現在の23区に最後に仲間入りしたのが、練馬区。最初は板橋区に含まれていた練馬区があまりに区役所まで遠いという区民からの陳情を受けて、練馬区は独立して最後に区となったのである。
それまでの35区は確かに面積も人口もまちまちだったが、それでも今とはずいぶん人口分布が異なる。多少東京35区時代とはエリアの違いはあるが、それぞれの代表的な人口推移をしらべてみると次のようになる。

今の千代田区にあたる麹町区+神田区の人口は大正9年217千人→昭和15年186千人になっている。同じく中央区(京橋区+日本橋区)は大正9年280千人→昭和15年244千人、台東区(下谷区+浅草区)は大正9年440千人→昭和15年460千人である。これが世田谷区をみると大正9年40千人→昭和15年281千人、杉並区は大正9年18千人→昭和15年は245千人といかに戦前といえども人口は郊外に移っているかがわかる。因みに現在は千代田区58千人、中央区142千人、台東区192千人、世田谷区883千人、杉並区553千人とその変貌ぶりに驚かされる。(平成28年1月1日住民基本台帳ベース)

こんな23区の名前を中心に、なぜこの名前の起源などを35区時代からその変遷も含めて今後何回かに分けて色々と調べて見たい。