hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

日本一駅~高さ編

2013-10-31 06:35:17 | 日記

鉄道シリーズ その13。『日本一の駅』といっても規模や大きさでは東京や横浜など大都市ばかりになってしまうので、今回は『高さ』の日本一を挙げてみたい。(JRに限る)
まず、高い方だが、一番高い駅は野辺山駅(長野県、小海線)。小海線は古くから高原鉄道として有名で小生は子供の頃、軽井沢に旅行に行く際、わざわざ中央線の急行アルプスで小淵沢駅に行き、小海線のディーゼルカーに乗り換えて延々と小諸駅まで行ったことがある。ただ、残念ながら、覚えているのは小淵沢駅を出て次の甲斐小泉駅までかなりの勾配を時間を掛けて登り、時間がかかったことと、中込駅で停車時間に降りたが、大きな佐久鯉の入った水槽がホームにあったことくらいである。

野辺山駅は小淵沢から4つ目だが、23.4キロもはなれており、また、隣の清里駅との間にJR最高標高地点(1375m)がある。かつては蒸気機関車C56が煙をあげながら走っていたのを思い出す。JR最高標高地点は道路から少し入ったところにあり、観光客も多い。

次に低い方だが、単に標高地点で考えると弥富駅(愛知県、関西本線)、この駅はいわゆるゼロ・メートル地帯にあり、標高△0.93メートル、近くにある近鉄の駅の方がさらに低いとの噂も。

地下を考えると青函トンネル内にある吉岡海底駅(北海道、海峡線)の△149.5mではあるが、この駅は青函トンネル完成後の1988年に観光客向けの体験ツアーで降車できるように青森側の竜飛海底駅とともに作られた特殊な駅だったが、2006年を最後に北海道新幹線の資材置き場建設に伴い利用されなくなり、2014年3月に正式に廃止が決まっている。


一方、竜飛海底駅(青森県)の方はまだ体験ツアーをやっていたが、吉岡海底駅同様の理由で廃止されることになり、この11月10日のツアーが最後となる。(青函トンネル記念館から斜行線で行ける体験坑道駅は残される。)
吉岡海底・竜飛海底駅廃止後は先日訪れた上越線土合駅(群馬県)の地下70mが一番低い所になるのかもしれない。因みにJRではないが、東京でよく深いことで有名な大江戸線の最も深い駅は六本木駅の地下42.3mと比較するとその深さは半端ではない。

最後になぞなぞ編、『日本一高い駅は?』。なぞなぞの答えとしては東京駅となる。何故なら東京に向かう列車は全て『上り』、東京から出る列車は全て『下り』、この意味分かるかな?


大手町タワー

2013-10-30 06:40:19 | 日記

毎週の台風襲来に雨降りには飽き飽きしてきた。日曜日から良い天気が続くとの天気予報であったが、『女心と秋の空』(本当は男心が正しいという説もある)というくらい変わりやすい秋の天気は早くも火曜から結構な雨。それでも大手町で少し時間ができたのでみずほ銀行本店が入る“大手町タワー“の見学に出かけた。

旧富士銀行の本店と大手町フィナンシャルタワー取り壊し、再開発したもので、場所は現在のみずほ銀行本店(旧興銀本店)の永代通りを挟み向い側。みずほ銀行の第一陣の入居はまだだが、B1、B2の商業施設は一部営業を始めている。B2にあるレストランはカレーやお茶漬け、タイ料理、イタリアン、デリ、スープ専門店、ベーグル、サンドイッチなど、軽い昼中心の店が多い気がする。

B2からB1へのエスカレーターも長く、天井の高さが高い。また、B1にはコンビニ以外に診療所や薬屋などが入る予定だが、まだ、それほど入っていない。B1といっても掘り下げた半地下のような感じで大きな窓が取られており、晴れた日はさぞや明るいであろう。


大手町タワーは大手町地区で最も高い地上38階、高さ200mあるオフィスビルで2014年には『アマンリゾーツグループ』という世界屈指のラグジュアリーホテルも進出を予定している。

また、敷地内には3600平米の大手町の森が作られつつあり、気が育てば、文字通り都会のオアシスとなるであろう。それにしても、こんなところで働ける後輩が羨ましいことしきり。まあ、人形町も住めば都ですが。


二階建駅

2013-10-29 06:36:08 | 日記

鉄道シリーズ その12。二階建駅といっても平屋の駅に対抗する言葉ではなく、A町とB町の間に駅を作ったため、A町駅にもB町駅にもできず、AB駅にするような例である。これは新設の私鉄、地下鉄、新幹線の駅などに多い。

その中でもすぐに思い出すのが、大阪市地下鉄谷町線、これは大日~八尾南の路線だが、難読かつ二階建駅の宝庫である。大日を出て、『太子橋今市』『千林大宮』『関目高殿』『野江内代』そして東梅田を過ぎて『四天王寺前夕陽ケ丘』さらに『駒川中野』『喜連瓜破』2つ駅があり、終点八尾南に到着。26駅中7駅も二階建駅があり、しかも野江内代や喜連瓜破に至っては大阪の人でも読めない難読駅である。(いずれも、のえうちんだい、きれうりわり、と読む)大阪市地下鉄線で他には西中島南方、今福鶴見、ドーム前千代崎くらいしかなく、特に大阪人の趣味というわけではなさそう。

東京でも、地下鉄や私鉄の駅には多い。例えば、田園都市線『池尻大橋』に長く住んでいるにも拘らず、そんな大きな橋はどこにあるのかと思っていたと友人に聞いた時に、あれは大橋と池尻に駅があるので池尻大橋だよ、と話したら本気で驚いた話もある。

また、駒場東大前駅のように『駒場駅』『東大前駅』の2つの駅が至近にあったので間に新駅を作り、両方の駅名をつなげてできた駅名もある。

新幹線の二階建駅は東北新幹線の『那須塩原』『白石蔵王』『水沢江刺』『七戸十和田』、上越新幹線『燕三条』、長野新幹線『安中榛名』そして計画されている北陸新幹線では『上越妙高』『黒部宇奈月温泉』と8駅ある。では3階建駅はあるのか?今のところ発見できていないが、あったら是非教えて欲しい。


まあ、南阿蘇鉄道の『南阿蘇水の生まれる里白水高原』駅は3つに分けられるが、3箇所の地名ではない気がする。(因みに『長者が浜潮騒はまなす公園前駅』と並び日本で最も長い名前の駅である。)


富士見ヶ丘~高井戸

2013-10-28 06:41:19 | 日記

ブログを続けていて気づいた。この数週間、週末毎に台風一過と書いているが、今日の天気はまさに秋日和。台風が大気中のちりを全て持って行ったような澄んだ空気が気持ちいい。空がどこまでも高く、毎朝灰色の空に苦しむ中国の人からは信じられない風景であろう。
いつもどおり高井戸プールに歩いて向かう。人見街道を歩き、西友の角をまがる。すると富士見ヶ丘の通称『武富士御殿』に行き着くが、その奥にはまだ畑が結構残っている。季節により変わり、夏は赤紫蘇などが植えられているが、今の季節はさつまいもやサトイモ、菜っ葉類などが育ち、収穫を待っている。その隣には屋敷森に囲まれた農家もあり、すっかり里山の風景で、この写真を見て杉並区高井戸西と分かる人はまずいないだろう。


しばらく歩くと線路の反対側には都営団地が広がる。さらに少し高井戸駅に向かい歩くと井の頭線からもよく見える(渋谷方面に向かい左側、高井戸駅の手前)大規模な栗畑の横を通る。5月に通った際には白いリボン状の花が咲いていたが、今は沢山の緑の『いが』が沢山みえる。もう少し秋が深まると茶色になって落ちるのだろう。


この辺りは栗やキウイ、ブドウを育てる農家はあるが、これくらいの規模のものは少ない。
こうした牧歌的な風景もまだまだ杉並区には残っている。帰りにスーパーの駐車場には大きなハロウィンの飾りが。本当に気持ちの良い日曜日である。


シノワ渋谷店 渋谷グルメ

2013-10-27 07:48:00 | グルメ

朝から台風27号の影響で夜中から激しい雨、その雨も昼過ぎにはあがり、青空も拝むこともできた。今日は20数回目の結婚記念日ということで、シノワ渋谷店を予約、少し寒いくらいの中、渋谷に向かった。今日から日本シリーズだが、そういえば、結婚式の当日も西武球場で阪神vs西武の日本シリーズが行われており、21年ぶりに日本シリーズに出た阪神の結果が気になっていたことを思い出す。
シノワは先日友人2人とワインを飲む会を開催した場所で今日はシェフおまかせコースをチョイス。はじめにビールで喉を潤し、アミューズの洋風茶碗蒸しを食す。なかなか、出汁が効いていてうまい。

次いで、オードブルは『戻り鰹と茄子の冷製と焼き野菜3種。』戻り鰹にはあっさりしたピノ・ノワールの白ワイン、焼き野菜にはアンチョビソースがマッチして、コクのあるシャルドネが良く合う。


さらに二皿目には『ムール貝のワイン蒸し』これには甘くないロゼを合わせる。貝の旨味がニンニクや香草に上手く引き出され、ワインも厚みがあり相性抜群。ロゼはどうしても甘い印象があったが、それを払拭してくれた。


メインは『仔羊のグリル・チリコンカーン添え』、合わせるのは赤ワイン、カベルネソービニオン。仔羊は火の通りが丁度よく、ややさっぱりしたソースと添えられたチリコンカーンが味を変え、大変満足。

デザートは『バニラアイス、シェリー酒掛け』。これは前回来訪時にも食べたが、30年物のシェリーを掛けただけで素晴らしい変身を遂げるとは、という味。デザートワインのマデラ酒が良く合う。コーヒーで締めた。

今日は台風を避けたのか、全体に客数も少なく、いつも以上に静かでとても渋谷駅すぐの雑居ビル8Fとは思えない。ワグナーがかかり、よい雰囲気。また、ワインのよくわからない小生にとってはワインをチョイスをし、サーブしてくれるのも有難いサービス、本当に良い結婚記念日となった。

また、今日の収穫は『戻り鰹と茄子の冷製』『ムール貝のワイン蒸し』これは早速、ワインの時などに真似てみよう。

シノワ渋谷店
渋谷区宇田川町28ー4 A2ビル8F
0354572412

小樽鉄道博物館

2013-10-26 08:05:07 | 日記

鉄道シリーズ その11。鉄道記念館を北から降りてくる企画の3回目だが、小樽市にあった北海道鉄道記念館を紹介したい。この博物館は1963年に鉄道85周年事業の一環として旧国鉄手宮線手宮駅跡に作られたもので、小生が初めて訪れたのは1980年頃、再訪は1992年に訪れたが、その年で観客の減少から閉館し、行った当時も我々しかお客がいなかったのを思い出した。

ただ、小生は昔図鑑でみた開拓当時のカウキャッチャーがついた大勝号(日清戦争で大勝したため、その記念に付いた名前)や静号(義経号、弁慶号とほぼ同じ形式、他に光圀、比羅夫、信広など10両作られた)、ラッセル車やロータリー車、レールバス(興浜北線などで使われた酷寒用のキハ031)、蒸気機関車C126、C5550、客車イ1号(開拓使号)など鉄道記念物級の珍しい車両が、結構広い園内に置いてあり、かなり楽しめた。

特にレールバスのキハ03は北海道の閑散線用に作られた二重窓のレールバスで、子供の頃よく読んだ阿川弘之作の『機関車やえもん』という童話でレールバスの一郎と花子が新旧交代でやえもんの職場を奪うのだが、それを間近で見た気がした。(ただしレールバスの方が耐久期間が短く、1954年に導入されたものの、1968年に長崎の臼之浦線で使用を終えるまでわずか国鉄で利用されたのは僅か14年間で蒸気機関車より短命であった。)

その後、一旦、博物館は改装し、1997年に再開したが、来客の減少で再度閉館、また、2007年に小樽総合博物館とかして再開したらしい。なかなか、行く機会もないが、是非いってみたいものだ。

青山界隈

2013-10-25 06:22:56 | 日記

仕事と仕事の隙間があったため、表参道から青山一丁目まで歩く。
それにしても、表参道の灯籠は何度見ても大きい。そのすぐ脇にある書店(谷内六郎氏の絵のある本屋)と反対側の旧富士銀行(現、みずほ銀行青山支店)は戦火を免れたが、後はかなりの部分が空襲で焼けたと聞いたことがある。そういえば、昔は地下鉄の駅も表参道が青山6丁目、外苑前が青山4丁目だから、次が青山1丁目と名付けたが、二つは改名したので一つだけおかしな駅名となっている。


青山通りをさらに東へ向かう。周りの風景はあまり昔と変わっていない。VANだった建物は今はブルックスブラザーズになったが、星条旗と日の丸が仲良くはためいている。隣りの青山ケンネルは昔のまま。ショッピングセンターは今はオリンピックが経営している。


少し進んで、外苑前の信号を渡る。今は鈴屋は潰れてしまったが、ベルコモンズは健在。ただ、秩父宮ラグビー場に向かう道との交叉点にあったジーンズショップの青山エイコーの姿はない。外苑のイチョウ並木はまだまだ葉が黄色く色づく気配はなく、それを過ぎると亀山ローソクのお店。今はハロウィンのキャンドルでいっぱい。


その先右手すぐにHONDAのショールーム。丁度、HONDA50周年でアコード、シティ、CRーXの懐かしい車体が展示されていた。また、シティの隣にはトランクに積める50ccバイクのモトコンポの展示も。そういえば、シティのCMは斬新だった。今見ると懐かしいの一言だが、展示車なのか、新車同然。ちなみに、この三台は古い順に1976、1981、1983年だが、それぞれ何年製かがわかったら、貴方はかなりのカーマニア。







温泉駅

2013-10-24 06:46:00 | 日記

鉄道シリーズ その10。駅名はその町の顔となるのか、最近、ランドマークとしての価値が強くなりつつある。特に1987年4月の国鉄民営化後は自治体や観光協会などが中心となってその町の売り物を駅名にする傾向が強く最近までに全国で359件の駅名改称が相次いでいる。

その中で多いのが、◯◯温泉駅と改称する例である。温泉のつく駅は意外に古く、最初は1914年に開業した川棚温泉駅(山口県、山陰本線)、次が翌年に開業した大滝温泉駅(秋田県、花輪線)だが、いずれも開業時から温泉は付いている。一方で温泉駅に改称した第一号は東武鉄道の鬼怒川温泉駅で改称は1927年である。今まで64駅が温泉のついた駅名に変わっているが、ピークは90年代で、さいきんは一年に1件程度、JRでは2008年のおごと温泉駅(滋賀県、湖西線)が最後である。

また、温泉とつくからには鄙びた地方の駅を思い浮かべがちだが、そうでもないものもある。異色なのは『綱島温泉駅』、1926年に開業当時から温泉が付いていた。場所は東急東横線の日吉の次の駅で1914年に温泉が開業、戦前から1950年代までは東京の奥座敷と呼ばれ、ピークには周辺に80もの旅館が存在した。しかし、戦中の1944年に当時の時勢による変更を余儀なくされて綱島駅に変更後、今に至っている。現在はご存知の通り、ベッドタウンというより高級住宅街である。ただ、今でも温泉は健在でタモリクラブでも取り上げられた東京園というレトロ温泉が一軒で頑張っているが、なかなかの風情らしい。

東京近郊にありもう一つの温泉駅が、小田急電鉄の鶴巻温泉駅である。もともとは1927年に鶴巻駅として開業、1930年に鶴巻温泉駅に改称、しかし、綱島と同様に1944年に鶴巻駅に再度改称、戦後の1958年に再度、鶴巻温泉駅に改称している。ここは綱島温泉以上に有名で、今も丹沢や大山へのハイキング帰りによる日帰り温泉として賑わっている。

温泉を地名にした場所は日本に点在しており、町名では兵庫県に新温泉町が存在する。ここは夢千代日記でも有名な湯村温泉があるが、中心の駅名は残念ながら浜坂駅である。温泉のみの駅名はないが、最もちかいのが、温泉津駅(島根県、山陰本線)であろうか。難読駅としても有名で『ゆのつ』とよむ。世界遺産の石見銀山に程近い駅で、銘酒『開春』の産地としても有名である。ただ、温泉が付いていても駅周辺に温泉がない駅もあるのでご注意を。

そういえば、北陸新幹線の新駅の名前に黒部宇奈月温泉駅が採用されることとなったのは新情報である。

江戸川公園

2013-10-23 06:32:26 | 日記

最近、仕事で江戸川橋に来る機会が増えた。小学6年から15年間隣の護国寺駅近くに住んでいたため、懐かしい場所である。東京が詳しくない人に江戸川橋は江戸川区にあるのではと言われたことがあったが、文京区と新宿区の境に近い場所で周囲には聖カテドラル教会や鳩山御殿、椿山荘、永青文庫など由緒正しい施設が目白押しである。ただ、これは全て文京区側の話。新宿区側には地蔵通り商店街と出版社や印刷会社が多い下町風の場所である。


江戸川橋の語源だが、古くは20系統の都電の始発停留所で(1971年廃止)主に不忍通りを神田須田町まで延々と走っていた。その時の停留所の名前で昔は神田川の中流部分を江戸川と呼んだため、橋も江戸川橋となったらしい。
前置きが長くなったが、久々に江戸川公園を歩く。江戸川公園は神田川沿いに続く細長い公園で入口には大きな石碑がある。園路は二手に分かれているが、川沿いを歩く。241本のソメイヨシノが植えられ、地元では有名な桜の名所。

途中に『大井玄洞』という江戸時代にこの地の護岸工事を行った人の石碑や松尾芭蕉も関与した神田上水の大洗堰の石碑が建っている。この堰で取水した名残が周辺の地名となり、今もこの辺りを『関口』という。秋のしかも紅葉もしていない平日の午後だが、周辺の学生なども通るため、意外に人通りも多く、ベンチで一休みするお年寄りも目につく。中には気持ち良く寝ている人もあるくらい。

そのまま川に沿って歩くと約10分ほどであっさり出口となり、道がやや細くなる。その先には椿山荘の冠木門、さらに行くと新江戸川公園、永青文庫と続く。次は是非、桜の頃に来たいものだ。(最後の写真は江戸川公園の桜)


◯◯前駅と東西南北駅

2013-10-22 06:42:19 | 日記

鉄道シリーズ その9。明治5年に新橋~横浜間で鉄道が開通してから145年、あと5年で150年になるが、日本では鉄道が重要な交通手段である。日本より早くから鉄道が発達したアメリカでは地下鉄や路面電車などはそれなりに走っているが、幹線は殆ど飛行機や自動車にとって変わられつつある。
この鉄道網の発達で日本では路線も増加、駅も新たに造られた。しかし、困ったのは駅名。始めは地名、そして近くにあるランドマーク、例えば市役所や学校などを付けた。市役所前という駅名は安直なのか、全国に点在する。(福井鉄道、紀州鉄道、千葉都市モノレール、長野鉄道)

一方、面白い例では、自身立派な駅なのに他の駅を駅名に取り入れた、まあ、言って見れば謙虚な駅名がかつてあった。それが、京成千葉線の『国鉄千葉駅前』という駅名である。確かに周囲で国鉄の駅が最も有名なランドマークとはいえ、ライバルの名前を付けるとは⁈国鉄民営化もあり、昭和62年4月に『京成千葉』に駅名を変更しているが。また、同様に能勢電鉄に『川西国鉄駅前』という国鉄川西池田駅との連絡駅があったが、こちらの方は残念ながら昭和56年に廃止されてしまった。

他にも『火薬庫前(現、明大前、京王線)』『味の素前(現、鈴木町、京浜急行大師線)』『小田急本社前(現、南新宿、小田急線)』『石神前』(青梅線)『教会前』『金比羅前』(いずれも鳴門線)など変わったランドマークは沢山ある。(最後の3駅はJRに現存している。)

しかし、そのうち、大したランドマークのない場所に駅を作ることが増えて、今度は主な駅名に東西南北や新・元などを付けるケースが増加した。例えば浦和など東西南北に加え、武蔵浦和という駅まである。
ここで面白いのは、『北』を付けるのはいいが、後ろに付ける例もあった。横浜市地下鉄の『新横浜北』駅である。しかし、これには問題があって、すぐに改名され、今は『北新横浜』という名前になった。というのは地下鉄に乗っていて、駅名を最後まで聞かず、新横浜駅と間違えて下車する人が相次いだことによるらしい。同じ例が横浜線の新設駅、『八王子みなみ野』であろう。また、後ろに『新』を付けた謙虚な駅は福井鉄道の『武生新』『福井新』などもあったが、両方ともいまは改名されている。

こうして駅名を見るだけでドラマがあったり、愉快なエピソードがあったりして色々と愉しめるので時刻表研究はやめられない。
(次は温泉駅⁇)