hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

水道橋周辺の坂道(1)

2015-08-31 05:00:11 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その52。今回は水道橋周辺の坂道を歩く。


水道橋の名前の由来は江戸時代、神田上水の木製の水道管である掛樋(かけひ)が通る橋があったことによる。その記念碑も御茶ノ水坂の途中に残されている。

都営三田線の水道橋駅を上がると前に春日通が通り、その先、外堀通りを御茶ノ水方向に登る坂が御茶ノ水坂である。



坂の途中にあった高林寺の境内で湧いた水を将軍家に献上したことから御茶ノ水の名前が生まれた。まさにその御茶ノ水がある坂のため、この名前になった。因みに御茶ノ水の碑もこの坂の途中にある。

御茶ノ水坂の途中を左に上がる坂道が3本並んである。すぐの昭和第一高校の横の坂には名前はない。

その先の坂道が『建部坂』。その由来は建部氏という直参1400石の旗本・建部氏の屋敷(現在は元町公園)があったため、この名前になった。別名、初音坂とも呼ぶが、これは当時崖が竹やぶで鶯が早い年は12月に鳴くため、初音の森と呼ばれたことによる。


2本目の坂道が『富士見坂』。この辺りには富士見坂が多いが、(駿河台、虎ノ門、護国寺周辺など)やはり江戸時代は富士がよく見えたのであろう。方向的には御茶ノ水の谷を越えて富士山がみえたのだろう。


3本目の坂道が『油坂または揚場坂』。油坂の由来は不明だが、揚場坂は河岸から荷物を揚げる場所が近くにあったからと言われる。


この辺りは順天堂大学の建物が多くある。坂を登り切ると東京都水道歴史館がある。


今回は時間がないので立ち寄れなかった。(以下次回)

そばや長森~魚沼ランチグルメ

2015-08-30 05:00:15 | グルメ

八海山というと小生のような左党はすぐに酒の銘柄と思うが、実は1778m、越後三山の一つで、麓には八海山尊神社もあり、霊峰の一つである。また、ロープウェイがあり、途中までは登ることができる。

しかし、小生は、やはり酒の方に目がいってしまう。麓に位置する八海酒造では工場の周りを『魚沼の里』として見学や食事処として解放しており、食事処としては蕎麦屋の『長森』、うどん屋の『武火文火』、社員食堂を解放している『みんなの社員食堂』。他に菓子を売っている『さとや』、菓子工房『ブラン ドゥ ブラン』、調味料や食品を売る『千年こうじや』がある。もちろん、酒蔵の第二浩和蔵、甘酒を作る黄色の建物の発酵蔵、雪を使った貯蔵施設の八海山雪室などもあるが、一部しか見学はできない。

今回はその中で蕎麦屋の『長森』に伺った。建物は雪国の旧家を移築した立派な建物でゆったりと席が配置されている。入口が三和土になっており、中に入ると座布団に座る店が多い中でお年寄りに配慮した椅子席や足が楽な座椅子なども配置されている。また、窓の外は一面のそば畑で、今は白いそばの花が咲き乱れている。


小生は天せいろそば(1350円)、相方は暖かいきのこそば(950円)を注文、冷たいそばは江戸風のカラ汁と田舎風のアマ汁が選択できるが、小生は江戸風をお願いする。

しばらくしてまず、きのこそばが登場、その丼の大きさに驚き、さらに舞茸の天ぷらも付いてくる。一口お相伴にあずかるが、キノコもえのきやナメコ、まいたけ、さらにワカメなど具沢山できのこからも出汁がでるのか、香り高く、しっかりした味付けである。

小生の天ざるも登場するが、まず、天つゆが別に付くことが嬉しい。

天プラはモロッコ隠元、茄子、オクラ、シシトウ、エリンギ、舞茸、南瓜、サツマイモととにかく盛り沢山。揚げたてで夏野菜が美味い。特に南瓜とサツマイモはその素材のもつ甘さに驚く。お互いボリューム満点だが、さらにサービスで2人に卵焼き2切れもつく。これも青ネギ入りで美味い。

蕎麦ももちろん美味く、カラ汁というだけあってしっかりした味で箸が進む。それでも天ぷらが余るほどの量に満腹、しかし、野菜だからか胃がもたれない。

車でなければ八海山で一杯だが、それは我慢、ここでしか買えない『魚沼で候』をお土産に魚沼の里を後にした。

そば屋 長森
新潟県南魚沼市長森426ー1
0257753887

只見川系のダムを見に行く

2015-08-29 05:00:00 | 日記
只見地方を旅行したならばやはり押さえなければならないのがダムである。特に奥只見ダム、田子倉ダムは日本を代表するダムであり、今回もその姿を見るのを楽しみにしていた。
旅行2日目に朝、会津若松をスタートして只見線沿いに伸びる国道252号線に車を走らすとた只見駅に午後2時の到着(途中駅にもいくつか立ち寄り、食事もしたため)、しかし、天気はどんどん悪くなり、最初は川に霧が立ち込めていい風景だなあなどと楽しむ余裕もあったが、只見ダムに到着したときはもうすっかり雨であった。まずはそのすぐ前にある只見展示館はにお邪魔してそのスケールを知る。


只見ダムはロックフィルダムで1981年に着手し、1989年に完成した。地下には只見水力発電所もあり、世界最大容量のバルブ水車を備えている。発電量は65000kw。しかし、ダム湖は残念ながら霧がかかってあまり良くみることができなかった。


次に田子倉ダムを目指す。これも電源開発が管理する発電用ダムで六十里越えの途中、極めて山深いところに突然姿を現す。ここはダム湖の湖上遊覧もできるが、あいにくの天気で土曜日とは言え客は我々とあと1組という寂しさ。さらに今年はレストハウスが改装中ということでやむを得ないのだが。




田子倉ダムは1953年に着工、1960年に完成を見たが、総貯水量は4.9億立米というからすごい。またダムに附設される田子倉発電所の発電量は40万kw、これは後で述べる奥只見発電所に次ぐ日本第二の出力を持つ。これだけのものを建設したその技術に驚くばかり。
翌日は朝は雨、しかし朝食を取る頃には止み、青空がところどころ出てきた。今回の旅行の一つの目玉である奥只見に行くのだからと天気の快復を祈るが、大湯温泉を出発してすぐに奥只見シルバーラインに入る。名前は格好がいいが、これはかつて沿線に銀山があったから付けられたネーミングで今は無料解放されている。現在新潟県企業局が管理しており、その全長は22.6kmだが、なんとそのうち18.1kmは19ものトンネルという異例な道路。最長のトンネルは3.9kmもある。しかもトンネルは暗く、何回も右へ左へ曲がるため緊張感のあるドライブになる。途中、銀山平との分岐を超えてさらに10km行くと、ようやくトンネルを抜け、すぐに奥只見湖に到着する。駐車場に車を止めてダムの姿を見るが流石に大きい。本当に秘境に来たなあという実感が湧く。



ここからスロープカーというケーブルカーのような乗り物で遊覧船乗り場まで行くがこれがなんともゆったりしていて面白い。坂の上まで登るともう遊覧船乗り場まではすぐ。なんと外輪船で2階建ての立派な船が待機する。

それから湖上観光だが、遠くに燧岳も望むことができ、山が織り重なっている姿は素晴らしい。しかも、40分も遊覧できるほどのダム湖は驚きに値する。奥の山にはまだ雪渓も残り、別の船に乗ると尾瀬の登山口にも行く事ができる。


そして遊覧船を終え、今度は奥只見電力館にも足を伸ばす。このダムは貯水量が6億立米で第二位の人口湖である。(ちなみに1位は揖斐川の徳山ダム6.6億立米)さらに奥只見発電所は電力需要を賄うために4号機を新たに作ったため56万kwと現在日本一の水力発電所になった。ダムカードも貰い、好天にも恵まれ最高の見学となった。

あまり、山歩きは好きではないが、秘境好きである小生にとってはうってつけのダム観光となった。


只見線再び

2015-08-28 05:00:00 | 日記
鉄道シリーズ その116。2年3か月前(2013年5月)にも会津に行き、只見線に沿って走る国道252号線を会津若松から大白川まで車で旅行をしたが、再び同じ道をたどってみた。今回は8月ということではあるが、お盆過ぎからはかなり涼しくなり、特にこの沿線は気温が低い気がする。
まず、最初に訪れたのは会津柳津駅。ここは気仙沼線の柳津駅(1968年10月開業)より開業は40年早い1928年にも関わらず、旧国名が頭についた駅であり、元は相対式ホーム2線を有していたが、今は駅舎よりの1ホームのみを使う無人駅である。


しかし、無人駅とは言え柳津町の中心であり、きれいに掃除も行き届いており、駅前にはC11型蒸気機関車も展示されている。

次いで行ったのが会津川口駅、ご存知のとおり会津川口~只見は2011年7月の新潟・福島豪雨で、一旦、会津川口~小出が不通になり、その後只見~小出は復旧したものの、未だに会津若松発の列車は会津川口駅が終点となり、ここから只見までは代行バスが運転されている。行ってみると会津川口駅は農協、郵便局などと同じ建物に入っている。また、駅前には代替バスのバス停もある。


次に向かったのは只見駅、前回訪問時には駅前に大きな雪の塊があったが、流石にそれもなく、広大な敷地と山を前に素晴らしい風景を見せてくれた。駅の中には地元のまちづくり観光協会が入居しており、地元産野菜や只見線グッズを売っている。小生も50円のカボチャと只見駅のキーホルダー(会津蒲生ー只見ー田子倉)を購入した。

ここから六十里声の難所を走り、田子倉ダムを超えてしばらく行くと旧田子倉駅が見えてくる。建物はそのままだが、駅名表示は消され、さらに入口には鍵がかけられ、中にはは入れないようになっていた。前回13年5月はまだ廃止直後であったため、駅名はもちろんホームにも降りることができたが、今はもうそれはできない。


前回訪問時の写真



次は大白川駅、この駅も無人駅ではあるが、同じ建物で隣には蕎麦屋がある。そのため、それほどの寂しさはない。


そして次が柿ノ木駅、この駅は前回の訪問の際も休止駅ではあったが、今年の3月に正式に廃止されてしまった。そのために前回は駅名表示板があったが、現在は白く塗りつぶされてしまっていた。


前回訪問時の写真


それにしても只見~小出は1日3往復、会津若松~会津川口は1日5往復(それ以外に区間運転あり)しかなく、さらにJR東日本は多額の資金がいることから会津川口~只見の復旧工事に手をつけてもいない現状ではあるが、なんとか完全復活する日を望みたい。

立木観音、鳥追観音

2015-08-27 05:00:53 | 日記

『古刹を巡る』その38。前回の勝常寺に続き、恵隆寺を巡る。この寺は会津坂下町、酒好きの人ならば『飛露喜』で有名な広木酒造がある町としても有名である。

この寺は縁起では千手観音像が808年に彫られ、観音堂が1190年に建立されたと伝えられる。まずその観音像に参拝するが、観音堂はそれほど大きい訳ではない。お堂に入り、カーテンのような幕が張られている。

そしてその幕を開けると8m50cmの一木造りの千手面観音像(重文)が現れるが、すぐ下から見上げていることもあり、その巨大さにまず驚く。周りには二十八部衆と風神雷神像が左右を守り、その迫力は凄いとしか言いようがない。

話を聞くと立ち枯れた木に弘法大師作とも徳一大師作とも言われるが、誰かが仏像を根がついたまま彫り上げて、今も根がついていると言われている。また、足には触れることができ、願いを叶えると信じられている。

次に同じく会津三観音の一つ『鳥追観音』を訪れる。こちらは隣の西会津町にあり、縁起によると807年徳一大師が、会津の西方浄土として開基したと伝えられている。

先ほどの立木観音と違い小さな鳥追聖観音様だが、行基の作と言われ、子授け、安産、子育て、厄除けなどにご利益があるらしく、本堂にも赤ちゃんの涎掛けが奉納されていた。
もう一つ中田観音はご開帳の時しか観音様は拝めないため今回はいかなかったが、いずれも地元の人の深い信仰心に支えられた会津らしいお寺である。

慧日寺資料館、勝常寺

2015-08-26 05:00:23 | 日記

『古刹を巡る』その37。会津は酒や白虎隊などともに寺そして仏像が素晴らしい。会津で仏教を語る上で決して忘れてはならないのが『徳一』(とくいつ)上人である。徳一上人は767年に生まれたとされるが、806年に会津磐梯山が大噴火をして、猪苗代湖を作ったとされるが、会津地方は被害が大きく、住民が困難を極めた。その為、徳一は京都から慧日寺に移り住み、その後810年に勝常寺、円蔵寺を作ったとされる。徳一は伝教大師最澄とも長く激しい論争をしたことでも知られ、徳一が開いた寺は40にものぼるとされる。

慧日寺は明治の廃仏棄釈で廃寺となり、今はないが、その後には磐梯山慧日寺資料館として整備されており、中門と金堂は再興されている。(付近に恵日寺はあるが、これは後に建てられたもの)

この展示を見ると徳一の偉業がよく分かる。京都からやってきて荒む住民に仏教を伝え、寺院を建てたことはその苦闘は大変なものであったであろう。その後も根強い信仰により慧日寺は発展し、薬師如来像も何回か火災で焼失しかけ、その度修復されてきたが、残念ながら慧日寺は1872年の火災で金堂もろとも仏像も焼失してしまった。


最後に奥にある徳一の廟と伝えられる石塔にお参りする。

次に訪れた勝常寺は磐梯町の隣にある湯川村に静かに建つ真言宗豊山派の古刹。お寺に着いたのは午後3時過ぎだったが、丁度同じような夫婦の方が住職に参拝をお願いされたタイミングでご一緒させてもらう。

この寺には木造の薬師如来三尊仏(国宝)があり、まずは薬師如来像を見せてもらう。やや薄暗い堂内だが、懐中電灯を使うことを許して頂きじっくり見るて下唇の下に膨れた顎があるお姿、全体的に丸みを帯びて両感のある優しいお顔である。光背も7枚の板を継いだものが創建時と同様残され、化仏こそ1体(後世のもの)しかないが、完全に残っていることに驚く。

日光・月光の両脇侍(国宝)は宝物館にあり、これも見せて頂く。手の先は破損しているが腰をややひねり、足を前に踏み出そうとする姿は聖林寺の十一面観音像を彷彿させる。

ほかにも、大きな十一面観音像や聖観音像、地蔵菩薩像2体、天部立像の5体も収蔵庫には安置され、いずれも一木造りで平安時代の作である。(重文)特に十一面観音像は見上げるほど大きく、当時の人にいかに大切にされたのかと感じた。この地は会津盆地の中心にあり、徳一上人が仏教を広めるのに適した場所と考えたのかもしれない。

赤べこと小法師

2015-08-25 05:00:28 | 旅行

(旅で仕入れた情報1)会津の玩具といえば『』と『赤べこ』だが、は起き上がり小法師であり、会津藩主蒲生氏郷が藩士に十日市で売らせたのが初めで、何度倒しても起き上がることから縁起物として家族の人数に1を足した数買うのが習慣となっいる。

一方、赤べこなのだが、今日訪れた福満虚空蔵尊圓蔵寺でその由来を知ることができた。

福満虚空蔵尊圓蔵寺は会津若松市から只見線で20分ほど行った会津柳津駅近くにある。807年徳一大師がこの寺に虚空蔵堂を建立することとなった際に大量の木材が寄進された。しかし、この大量の木材を只見川から引き揚げるのは大変であった。その際に多くの牛が数多くやってきたが、大変な作業のため、多くが倒れたが、赤牛は最後まで作業を続けたため、功績を称え赤べこが作られたらしい。

このため、柳津は赤べこのふるさとと言われている。赤べこは会津若松駅前には大きな赤べこがあるほか、柳津の道の駅と福満虚空蔵尊にも親子の赤べこが置かれている。

福満虚空蔵尊には狛犬ではなく牛が一対置かれており、ほかにも撫で牛など牛だらけである。日本3大虚空蔵尊だから、ぜひ山深いこの寺にも訪れてほしい。


からやま 新橋店~新橋ランチグルメ

2015-08-24 05:00:29 | グルメ

最近はすっかり観光地人形町に馴染んでしまって新橋にいくことも少なくなった。久々にSL広場を歩いていたらニュー新橋ビル1階の前は確か『かつや』があったところに『からやま』なる唐揚げ専門店が開店していた。(経営はかつやと同じアークランドサービス)

実は今日は博多発のチャーハン専門店『チャーハン王国』にでも行こうと地下に降り、店の前までガラガラなフロアを見て歩くが、チャーハン王国には2人が椅子に腰を掛けて待っていた。まあ、知れているなと階段を見ると1階までの階段沿いに人が並んでいるのを見て諦めた後である。

唐揚げ専門店とはいえチェーン店なので違う店も考えたが、匂いに負けて自販機で食券を購入。悩んだが、『極タレ唐揚げ5個定食』(750円)に決める。

店の中はカウンターのみ、今は吉野家も女性で一杯だが、唐揚げには女性には人気がないのか男ばかり。大体半分の席が埋まっている。

ここでメニューを再確認すると唐揚げの味付けはプレーン、極タレ、おろしポン酢、タルタルソースの4つの味付け、サイズは唐揚げが4、5、6の3種類。他につくねの唐揚げ、卵とじの丼など組み合わせも多く、以外に単品勝負の割にはレパートリーがある。

ちょうど揚げてあった唐揚げが切れたのか5分以上待たされたが、登場した唐揚げの大きさには驚く、これなら4つで十分である。やはり、ご飯大盛りは回避して正解。唐揚げ以外におぼろ昆布の味噌汁、キャベツ。漬物は沢庵がツボに入り食べ放題である。

唐揚げを一つ齧ると中から熱い脂、思わず驚きそうになる。タレはニンニクが効いた醤油に少し甘辛い味付け。熱いこともあり、1つを3口で食べる。ご飯が進む味である。それでも麺類と違いかなりのボリューム、10分ほどかけてようやく完食した。

待つ間と食べている間に他の人の注文が聞こえるが、意外に人気No1は『つくね唐揚げ定食』、これは見た目はメンチカツでたっぷりとタルタルソースもかかっている。

唐揚げの中では『ポン酢』が人気、ご飯大盛りは無料だが、半分の人は丁重にことわっていた。丼やスープカレーも見たかったが、やはりストレートに唐揚げがいいのかもしれない。
最近は昼飯もカロリーを考えて揚げ物を控えているが、揚げたてのアツアツ唐揚げが不味いはずはない。ニンニクの風味もよく、さすがに持ち帰り店の『浅草 縁』とコラボしただけのことはある。やはり、男は唐揚げ好きなのかな?ごちそうさま。

からやま 新橋店
0335197997

鴨宮駅(東海道本線)

2015-08-23 05:00:17 | 日記

鉄道シリーズ その115。今回はJR東海道本線鴨宮駅。東海道本線の駅も東京、新橋、品川と数え始め、平塚、大磯、二宮、国府津と上げていくとあまり聞きなれない鴨宮駅に到着、隣の国府津駅から小田原市に入る。

駅自体も1920年に官営熱海線(国府津~熱海)が開業した際に酒匂川信号場として開設、1923年に駅に昇格して貨客の取扱を開始したものである。

あまり、一般には知られていないとは言ったが、鉄道マニアには忘れてはならない駅である。というのは1964年10月に東海道新幹線が開業する2年前に実験線がここから10km東側に作られ、実験が繰り返し行われた新幹線のスタートの駅だからである。

実験線の記念碑は鴨宮駅から酒匂川に向かって600mほど行った新幹線と在来線が近づくあたりの高架に埋められている。


また、駅南口には地元有志の拠出により、『新幹線開設の町・鴨宮』という碑も平成9年に作られた。



駅名の由来となったのは駅から徒歩7分のところにある賀茂神社、新幹線の高架を越えるとすぐのあたりに静かに建っている。なぜ『賀茂』と『鴨』なのかはよくわからないが、京都でも『上賀茂』神社と『下鴨』神社なのであまり違和感は感じない。

なぜか近くの民家にはロープウェイのゴンドラが倉庫になっているのを見た。

鴨宮駅は静かな住宅街にある平凡な駅だが、一鉄道マニアとしてはかつて全国に脚光を浴びた時代があったことを覚えていて欲しい。そういえば駅からは富士山がよく見える。

盃蘭処~会津若松グルメ

2015-08-22 05:00:09 | グルメ

会津まできたらやはり会津の酒を飲ませる店に行きたい。グルメサイトの評価はともかく、会津の酒を堪能したいなら『盃蘭処(はいらんしょ)』がお勧め、絶対カウンターがいい。

店は会津若松駅前の通りを大町方向に10分ほど歩くと『会津伝承館』があるが、その次の信号の先にある。店はお世辞にも綺麗な店ではなく、その上、建て付けが悪い。しかし、何とかドアを開けると威勢の良い声が掛かる。

まずは生の小で乾杯、お通しは薩摩揚げとオクラのトロロ和えに山葵が乗ったもの。酒のアテにはいい。

頼んだつまみは会津名物の鰊の山椒漬け、これは燻製のように美味い。酒はマスターの小林さんに選択をお願いするが、まず最初は泉川純米吟醸。広木酒造(『飛露喜』の蔵元)の地元向けの銘柄だが、これはあっさりしているが、存在感のある美味い酒である。


串焼きも豚バラ、つくね、馬のはらみ。特に馬のはらみは山葵を付けて、その適当な脂のノリがいい。

酒は『風が吹く』、しっかりした趣きである。つまみは鮭のハラス、よく受け止めてくれる。
隣の人が頼んだ刺身を見て、小生もこの辺りで刺し盛りを注文、白身3種とイワシ、サンマ。白身は昆布締めもあり、味に変化がある。これには国権の『てふ』、特色はある蔵だが、生詰はやはり美味い。


次に地元豆腐の冷奴を注文、やや固めで大豆の味が濃い豆腐で塩で食べてもいいくらい。辰や奈良萬の純米吟醸、いや飲み過ぎそうなうまさ。さらにお新香を食べていると写楽の純米が酒屋から店に届けられ、思わず注文。

最初から最後までお店の人やお隣さんと差しつ差されつ、盛り上がりも半端なく楽しい会津の夜は盛り上がりました。



盃蘭処
会津若松市大町2ー14ー12
0242250062