hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

上武鉄道日丹線跡を歩く

2020-03-31 05:00:00 | 日記


『鉄道シリーズ』その245。上武鉄道の線路跡を訪ねてみる。八高線丹荘駅は2つのホームのうち1番線のみを利用しているが、使われない島式ホームの反対側に細長く空き地が続いている。これが日丹線の線路跡である。



上武鉄道は1942年に資材運搬専用線として当時の日本ニッケルが敷設、その後、西武化学工業(現在、朝日工業)合併され、1962年に上武鉄道日丹線として成立。当初は終点の西武化学前まで6.1kmの間に上川中学校前、青柳、寄島の途中駅を有して旅客・貨物とも行っていたが、1973年に旅客運送、1986年には全線を廃止した。



丹荘駅を降りて八高線に沿って左にいくと最初の踏切が鬼石街道踏切、これを渡ると先ほどの空き地につながる。



これに沿ってまっすぐに道路は続いていてそのまま歩き続ける。早咲きのサクラや菜の花、ハクモクレンなどが競い合いながら咲いている。背後から日差しが当たり、暑いほどである。




すると車道が急に遊歩道になり、車の通行がなくなったために歩くのが楽になる。左側には農地が広がり、小さな水路を跨いだりする。一面が紫色になっているのでよく見るとホトケノザが群生している。




遊歩道が細くなり、健康遊具が並んでいて、右側には古い神社。どこにもある田園風景である。歩き始めて約2km、先の方に鉄道のホームらしきものが見えてくる。




そばに近づくと『神川中学校前』のホーム跡を整備してあり、小さな駅名表示板が置かれて、ちゃんと砂利が敷き詰められている。




さらに『この緑道は上武鉄道日丹線跡地を利用して作られています。上武鉄道日丹線歴史〜』という案内板もある。


資料を調べると途中駅のホームは客車1両分しかなかったとあり、実際にこんなに短いものだったようだ。さらに遊歩道は続くが八高線は1時間に1本しかないため、ここで諦めて丹荘駅に戻る。




丹荘駅の待合室で次の列車を待っていると小さな待合室に5枚のモノクロ写真が飾ってあり、蒸気機関車の時代、ディーゼル機関車が貨車と客車を引っ張っていた時代のものであった。旅客運送をやめて約半世紀、随分と風景は変わったのだろう。使われなくなった2番線ホームを見ながら考えた








焼きそば専門 みかさ〜神保町グルメ

2020-03-30 05:00:00 | グルメ

東京にありそうでないのが焼きそば専門店。大阪や焼きそばで有名な富士宮、弘前には結構あるのだが。

私は神保町に焼きそば専門店があることは知っていたが、朝11時から麺が売り切れるまでの営業で昼間は列ができるほどの人気ぶり。夜は6時に行ってももうシャッターが閉まっていたことが2回ほどある。しかし、コロナウィルスの影響なのか、午後7時半に近くを通った際に何と店が開いているではないか。

早速店に入り、入口にある券売機で食券を購入。メニューはシンプルでソース味が塩味、イカ・エビ入りが肉のみかの組み合わせ。ほかに肉増し、ビール、イカ・エビ増しがある。私はシンプルに『イカ・エビ入りソース焼きそば』(税込900円)を選択する。

店は細長いカウンターのみ9席、奥から3つ目が空いていた。食券を渡すと大盛にしますかと聞かれて夕食だから大盛にする。さらに今から作りますからお待ちください、という。

そこから10分弱、テレビを見ながら待つ。カウンターには紅生姜・辛子マヨネーズ・イカ入り天かす、さらに調味料はソース、胡椒、七味などが並んでいる。

ちゃんと順番に焼きそばは運ばれてくる。私のところに焼きそばが来たのが4番目、焼きそばの上には目玉焼きが乗り、上からソースと青のりがかけてある。

まずはそのままで食べ始める。麺は平打ち縮れ麺でモチモチしていて美味い。崩した目玉焼き、キャベツ、カリカリの豚肉といろんな食感が集まり、さらにエビやイカも味わいを複雑にしている。

ひとしきり食べたあと、味替えタイム。紅生姜を盛り、辛子マヨネーズを一部に掛け、揚げ玉を散らして、黒胡椒をかける。味は多いに変わって屋台の鉄板焼きみたいな味わい。



さらに辛いソースを追い掛けして味を濃くするのもいい。麺の盛りはいいがいつの間にか完食。ジャンクですが、美味しい焼きそばでした。次は塩もいいかもしれない。6時半以降はやっているか電話した方がいいそうです。ただ、もちろん予約は効きませんが。

焼きそば専門 みかさ
千代田区神田神保町2ー24ー3
0332395110



八高線をほぼ完乗する①

2020-03-29 05:00:00 | 鉄道


『鉄道シリーズ』その244。今回はJR八高線の未乗部分(高崎〜寄居)が目的であったが、途中のアクシデントで東武東上線が一部不通となったため、八高線の殆どを乗ることになった。


高崎駅を通るJR線(除く新幹線)は高崎線、上越線、信越線、吾妻線、八高線の5路線だが、八高線は冷飯を食わされているように思う。というのは八高線が出る3番線に向かう階段を降りるとプラットホームが3つある。2、4番線は新宿上野ライン、湘南新宿ラインなのだが、3番線はそのホームの100m以上先にポツンとある。まるで京都駅の山陰線、かつての北綾瀬行、館林駅の東武小泉線、京急蒲田の各駅停車などと同じ。


ホームの先には2両編成のディーゼルカー、キハ110が止まっている。入口のボタンを押してドアを開ける仕組みだが、無人駅はワンマンカーのため、運転席横のドアしか開かないのである。




10時58分発児玉駅行は予定時刻通りに出発、上信電鉄のホームを横目に走り出す。次の倉賀野駅までは高崎線と並行して走る。住宅地を抜けると大きな工場が立ち並ぶ地域の中にある倉賀野駅に到着。




さらに高崎線との併走は続き、烏川の鉄橋を渡り、次の北藤岡駅あたりで線が別れる。八高線は右にゆっくり曲がって行き、新幹線の高架の下をくぐると駅員のいる群馬藤岡駅に到着する。




群馬藤岡駅は古い駅舎があり、乗降客も多いい。もう周りは田んぼや畑が広がり、妙義山系も臨むことができる。急にスピードが落ちたと思うと神流川の鉄橋に差し掛かる。昨年10月に台風19号の被害を受け、橋脚が変形するなどしばらく不通となった区間で徐行しながら長い橋を渡る。




するとすぐ丹荘駅に到着、ここで一旦下車をする。丹荘駅は無人駅で駅名表示板も一つ、かつては向かい側にある2番線も使っていたが、現在では跨線橋も閉鎖され、片面1つのプラットホームを上下線で利用している。


高崎白衣観音にお参りする

2020-03-28 05:00:00 | 旅行


コロナウィルスの影響なのか、平日はともかく土日も観光地はひっそりとしている。せっかく春めいたのにと今日は高崎市にある白衣観音を訪ねてみた。



高崎駅西口からコミニュティバスぐるりんの観音山線に乗車、普通のバスと違い、バス停の間隔が近いだけでなく、学校などはちゃんと玄関まで回り込んだりする。農大二高の先からは山道に入っていく。

乗客は3人しかいないがかなりのスピードで左右に振られながらどんどん走る。染料植物園、障害児施設を越えると背の高い白い観音像の後ろ姿が見える。次のバス停が白衣観音、ただ1時間に1本しかないが。

振り返ると背の高い真っ白な観音像が見えてくる。早川や大船などの観音様にもおまいりしたが、大船観音でも21m(但し、上半身のみ)に対し、高崎市の白衣観音は42mもある。さらに標高190mの観音山にあるのだからさらに遠くからも見る事ができるのである。



少し戻るように歩き、参道の坂道を登る。赤い橋をくぐると左手に階段が出てきて、こちらが慈眼院本堂である。慈眼院は元は鎌倉中期に北条泰時三男の極楽寺重時が創建したと伝えられている古刹で1941年に高野山金剛峯寺の塔頭の一つがこちらに移転したものである。



赤い橋を渡り、観音様の正面に立つ。前に組んだ手には経典があり、優しげなお顔で見下ろされている。



胎内めぐりは300円支払い、中に入るが、内部は9階建でちょうど灯台を登って行くような感じ。色々な仏像やこの白衣観音が作られた様子を書いた絵などがならべてあり、絵は中々面白い。膝が痛くなりながらも頂上まで登る。



小さな丸窓が四方に開いていて妙義方面を見ると雪を抱いた浅間山、高崎市方面は市内が一望、とそれぞれがよく見える。因みに観音様の肩の高さだそうだ。観音像を裏から見るとその窓の位置がよく分かった。



この白衣観音を1936年に建立した高崎市の実業家井上保三郎翁は当時の混迷した思想界に一点の光明を点じ、観世音菩薩の広大な功徳をあまねく世の人に分かち合おうとしたのである。



私もコロナウィルスに襲われている世界全体を観音様の力で何とか平穏な世に戻して頂きたいと心より祈念して山を降りたのである。



祝❗️ブログ開設2500日

2020-03-27 05:00:00 | 日記


2500日、これは私がこのブログを書き始めてから本日までに経過した日数である。(毎日更新を始めたのは数日短いが、1日2回の投稿をしたこともあるため、投稿回数は2520回になる。)2500日と一言で言うが、自分でもあまりピンと来ていない。


年月で言うと6年10ヶ月余りになる。具体的なものに例えると『凡そ子供が生まれて小学校に入学するまでの日数』『真空管のアンプを1日2時間聴いたとして真空管が切れるまでの日数』『オリンピックでは冬季がソチと平昌、夏季がリオデジャネイロと3回開催』といったことになる。


(長野電鉄2500系)

内容は2500回のうちグルメが687回、鉄道が246回、坂道が123回、橋が92回、切手が75回と続く。まあ、我ながらよくもこれだけ色んな店で食べたもんだと感心してしまう。因みにPVは平均981、UUは平均253だから思っていたより多い。(PVはページビュー、アクセスしたページの総数。UUはユニークユーザー、サイトに訪問したユーザーの人数)




それではブログを書き始めた当日2013年5月23日の最大のニュースは『プロスキーヤーの三浦雄一郎が最高齢でエベレストの登頂に成功した日』である。さらに2013年自体は夏が暑かったものの、比較的平穏な年で夏の参議院議員選挙で自民党が大勝、一年を通して内閣が変わらず、アベノミクスがもてはやされた。さらに嬉しいニュースとしては東京オリンピックが決定されたのである。
この年の流行語にはオリンピック招致で滝川クリステルが言った『OMOTENASHI(おもてなし)』が選ばれた。さらに他は『今でしょう!』(林修)『じぇじぇじぇ』(あまちゃん)『倍返し』(半沢直樹)などと今でもすぐわかる言葉が選ばれたのである。あれからそんなに経ったのかなのか、まだそんなものかなのか、その評価は難しい。




2500回と来れば次なる区切りの5000回ということになるが、その到来は2028年1月ということになる。そこまで私が生きているかどうかすら難しそうである。


(島原鉄道キハ2500)

ともあれ、まだまだ続けていく気はあるのでぜひ“hokutoの気まぐれ散歩”をよろしくお願いします。


高崎駅5号売店で立食そばを食す

2020-03-26 05:00:00 | グルメ


高崎駅には構内に2か所、上信電鉄の改札口近くに1か所の立食い蕎麦があるが、その中でも昔ながらの雰囲気を残しているのは在来線2.3.4番ホームにあるお店である。店名はなく、『旅の味 うどんそば』とのみ描かれている。

券売機などなく、メニューを見て店内のおばちゃんに注文するシステム。他に誰もいないので私が『かき揚げそば』(410円)というとすぐに鍋に茹で蕎麦を入れて温めてくれる。そして同じく温めた丼に蕎麦、かき揚げ、ネギを入れ、出汁を入れてくれるまで1分程度。お金と引き換えに蕎麦をもらう。

七味を振って、箸を割り、いただく。麺は懐かしい茹で麺、私は意外に好きである。


かき揚げは玉ねぎ、ニンジン、小海老に珍しいインゲンも入っている。サクサクで美味しい。ツユも見た目は濃い色だが、それほどでもない。

店内のおばさんは丼を洗ったり、蕎麦を茹でる鍋の温度を見たり、それなりに忙しそう。少し贅沢をして舞茸蕎麦も美味そうである。食べログを見ると『第五売店』とあり、評価は3.42。旅の風情も加点されているのかもしれない。

周りにはベンチもなく、寒い日は吹きっさらし、でも昔は全てこうだったよな。若い頃を思い出した。ご馳走さまでした。

高崎駅第五売店
高崎市栄町1ー25高崎駅2〜4番線
0273221235


神田川沿いを歩く〜久我山〜井の頭公園

2020-03-25 05:00:00 | 日記


コロナウィルスはブログを書く方にもピンチである。外出禁止などになればこちらも一時中断もやむを得ないかも知れない。まあ、センバツが中止され、東京オリンピックの開催も危うい中、私のブログなど大した問題ではないのだが。

とばかりは言っていられないため、前日は神田川下流を歩いたが、今日は我が家がある久我山から井の頭公園まで言わば神田川の最上流を歩いてみた。浜田山あたりから川沿いにソメイヨシノが植えられているのだが、久我山駅を過ぎるあたりから少し木が大きくなっていく。



我が家から歩いて5分も経たないうちにソメイヨシノの並木が上流下流どちらの方向にも伸びているのは贅沢な気分。住民もそうでない人も桜を愛でながら歩いていく。

前日にも見たコブシの白い花もひときわ鮮やか、2本並んでいるのだが、向かって右の方が少しピンクがかっていて可愛らしい。



三鷹台の手前には源平咲の花モモや同じく源平咲の木瓜。ピンク、朱、その中間色などが色鮮やかに咲き、その先の大きなオオシマザクラも川面に枝を張っている。



踏切を渡り、また神田川沿いを進む。雨が少ないのか、川底が見えるがその分川にいる大きな鯉が橋の下に集まっているのがよく見える。



井の頭公園駅近くはあまりソメイヨシノの木はないが、ガードをぐぐり、井の頭池が見えだすともう周りをソメイヨシノが囲む。散歩している人は多いがベンチで弁当を食べ、ビールを飲む人がいる程度。

さらにいつもシートが敷かれ、場所取りの人々や昼から宴会をやっている場所についても閑散として誰もいない。花見の時期としてはびっくりする風景である。



七井橋には人の列はあるにはあるが、平年の半分もいない。皆安全と読んだか、ボートは大変な賑わいではあったが。こんな花見もゆっくり歩けて楽しくはあるが。(3月21日)





ハナカイドウ(花海棠)礼讃

2020-03-24 05:00:00 | 日記

ソメイヨシノが開花するとどうしてもそちらに目が行きがちだが、中々狭小の我が家にソメイヨシノという訳にはいかない。




ということで同じ時期に花をつけ、同じような花を咲かせるハナカイドウを昨年購入した。値段も安く、鉢植えでも育てられ、可愛らしい花をつける我が家にもってこいの花である。今年は暖冬のため、もう2週間くらい前から蕾がピンクになり、次第に大きくなって来ていた。 

(2月24日)
(3月15日)
ソメイヨシノは先週開花宣言をしたが、我が家のハナカイドウも今日(3月22日)に開花してくれた。中国の玄宗が楊貴妃の酔って寝た姿を例えたように昔から美人の代名詞として使われるほど鮮やかな花を咲かせる。



ハナカイドウ(花海棠)は中国原産の落葉小高木で名前は中国語をそのまま日本語読みしたもの。『棠』は果物の梨のため、海を渡ってきた梨ということになる。リンゴに近い植物のため、リンゴの受粉の際にハナカイドウの花粉を使うこともある。

また、育てやすい木で冬に化学肥料を施したほかは水やりをするくらいでちゃんと花を咲かせてくれる。庭のサクラとまではいかなくとも、庭のハナカイドウを愛でて春の悦びを知るのはなかなかいいものである。



赤城神社

2020-03-23 05:00:00 | 日記


江戸川橋まで来たので神楽坂方面に向かう。石切橋の信号を左折していくが、この辺りは製本所や印刷所が多い。文京区から新宿に入り、水道町あたりからはゆるい坂を登り、赤城下町に住所が変わると左側に階段がある。これを登ると赤城神社の境内に入る。

赤城神社は上州赤城山からこの地に移り住んだ大胡彦太郎重治が早稲田に創建したものであり、牛込の総鎮守として信仰を集めている。ただ、平成に入り隣接していた幼稚園が閉園すると財政が厳しくなった。

2009年に再生プロジェクトとして三井不動産に70年の定期借地権を設定、神社から土地を借り、分譲マンションを建設、この資金で新社殿を建設。設計は隈研吾が担当、2010年に新たな神社として生まれ変わった。

境内にはオオシマザクラが植えられていてちょうど満開、岩筒雄命・赤城姫命が祀られた本殿にお参りする。隣には蛍雪天神、これは戦災で焼けた北野神社を旺文社の寄付で再興したもの。旺文社の出していた『蛍雪時代』に由来した名前である。

新しいだけでなく、本殿、蛍雪天神、それを守る狛犬までモダンな、しかし落ち着いた神社である。


参拝の後は併設されている赤城カフェでゆっくり食事をして、少し歩き、la kaguとAKOMEYAを覗いて帰途に着きました。





神田川沿いを散策〜高田馬場→江戸川橋

2020-03-22 05:00:00 | 日記


神田川沿いにはなぜかソメイヨシノの木が多い気がする。墓参りで学習院下まで高田馬場から歩き、まずは氷川神社にお参り。というのもお墓のあるお寺のそばにあるのにいつもスルーしてしまうので思い切って参拝。




氷川神社の由来を読むと平安時代に遡り、在原業平も参拝したとか。今では高田の総鎮守となり、かつては山吹の里氷川社と言われたのだとか。あの太田道灌のエピソードはかなり有名なものらしい。




墓参りも終わり、神田川沿いに戻ると『山吹の里』の碑がある。ただ、読んでみると江戸時代の供養塔を転用したもので、しかも場所は埼玉県越生町、荒川区町屋、横浜市金沢区六浦などとする説もあり、特定できていないことを知る。


高田馬場駅の山吹の枝を差し出す娘の銅像もあまり確かとは言えない。神田川沿いにはかつて染物業者が多かったらしく『東京染ものがたり博物館』もある。ただ、コロナウィルスのおかげで一部のみだが。その前のソメイヨシノは日当たりが良いのか、よく咲いている。


橋の工事のため一旦は早稲田通りまで出され、コブシの白い花を発見。因みにコブシとモクレンは区別しにくいが花びらが独立しているのがコブシ、元がくっついているのがモクレンと覚えておけば間違いない。




再び川沿いに戻ると橋の上から両岸の花がよく見える場所がある。ただ、まだまだ咲いているとは言えない程度。




その先を左に曲がると新江戸川公園。無料の公園だが、肥後藩細川邸の庭園であり、真ん中に池を配した素晴らしい造り。残念ながらソメイヨシノは1本しかなかったが。




その先の椿山荘から江戸川橋にかけてもまだまだソメイヨシノは1〜3分咲程度。それでも例年ならば間違いなくお酒を酌み交わす酔っ払い達がいるのだが、せいぜい缶ビールを1本持ち、お弁当を広げる程度。


シートを引いて本格的な花見は皆無、日本人の生真面目さに妙に感心。そのうちに江戸川橋に到着。残念ながらこの先は桜並木はありません。(3月20日)