hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『夏旅2024』⑭〜ラ・コリーナのソフトクリームは絶品

2024-08-31 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑭、善水寺を出て昼時になったが、あまり店もない。悩んだ挙句、道の駅を探すことにした。近くにあったのが、『アグリパーク竜王』。

アグリパークというだけあってぶどう狩りなど農業体験や農業の資料館などを備えている。レストランもあるが、周囲に飲食店が少ないこともあり、周辺で働く人や車で移動する営業マンも多く来ていて混んでいる。



私は和食続きということもあり、カツカレーを食べたが、カツは揚げたてで満足。
続いて向かったのは近江八幡市、市内を流れる堀を舟で回ることもでき、昔の問屋が並ぶ街並みを見ながら散歩したいところだが、あまりの暑さに降りることを断念。メンソレエタームで有名な近江兄弟社の本社の前も通過した。

向かったのは東京でも有名デパートに出店している『たねや』『クラブハリエ』などを経営しているたねやがやっているラ・コリーナは有名である。たねやが作った施設であり、中では焼きたてのパンやバームクーヘンなどが買えたり、お茶を飲みながら大自然を堪能できる施設である。地元では近江八幡市で最も集客力があるとタクシーの運転手さんに聞いた。



巨大な駐車場に車を停めるとバンとカステラ工場へ。沢山の車が暑さを物ともせず停まっていて、緑に覆われた施設に向かう。快晴の日差しにジリジリ焦がされながら、施設に入ると涼しい。バターや香料の良い香り、多くの人が店に列を作る。



リング状の施設は回廊のようになっていて、真ん中の部分には稲が植えられ、小さな家などオブジェが並ぶ。こちらにはギフトショップもあり、中には車のディスプレイ、リーフパイやジャムを買うことができる。



以前来た時よりはバージョンアップしていてお菓子や飲み物を買い、すぐそばで飲んだり食べたりできる店もふえている。また、ここでしか買うことが出来ない品物が多く、観光客がお土産の品定めをしている。



緑が溢れていて土色の塀のような回廊、ギフトショップ、バームファクトリーを順に回る。バームファクトリーの2階には喫茶があり、ここでアイスコーヒーとソフトクリームを頂くが、ソフトクリームの旨さには感嘆する。



もちろん、お土産をたくさんゲットすることも忘れなかった。



1時間近く立ち寄った後に車に戻り湖岸道路を走る。左側には琵琶湖がずっーと見え、草津の道の駅に入る。お土産を探していると『とびだし坊や』関連の物が多い。

というのは交通事故増加への対策として1973年に滋賀県八日市社会福祉協議会が作ったのが嚆矢とされていてそのため、滋賀県の名産となっている。普通の飛び出し坊やも多いが、先ほどのクラブハリエにもコック姿や和菓子職人の飛び出し坊やがいたことを思い出した。



今日の宿泊は琵琶湖プリンスホテル、泊まるのも20年ぶりだが、遠くからその姿は見ることが出来た。

部屋への到着時間はまだ早く、キラキラ光る湖面と先ほど通過した近江大橋などを眺めることができた。(以下、次回)






大金星人形町店〜『昭和レトロカレー』⑥

2024-08-30 05:00:00 | グルメ
『昭和レトロカレー』⑦。立喰そば、中華料理店などのカレーライスを食べてきたが、今回は居酒屋ランチのカレーライス。人形町交差点に2年ほど前に開店、というか甘酒横丁から移転してきた『大金星』という大箱の居酒屋さん。

ランチメニューは主に揚げ物か生姜焼きなどのボリュームメニューが多いが、カレーライスもやっている。



他の支店では焼きそばが人気だったが、この店には焼きそばはメニューにない。カツカレーもあるが、今日はカレーライス(税込850円)をお願いする。ちなみにこの店のランチでは最安値である。



広い店だが、11時50分でもまだ10人足らず、ホールの外国人ウェイトレスも手持ち無沙汰である。

隣の席の4人組は若いサラリーマン風、豚の生姜焼き、ミックスグリルなどボリュームたっぷり。ご飯のおかわりはし放題で、カウンターには炊飯器が2つ。

5分ほど待ってカレーライスが到着。大きめの銀皿に平たくご飯が盛られ、ルーがたっぷり。他に小鉢と味噌汁が付くのが嬉しい。

まずはルーを一口、神田カレーグランプリで殿堂入りした『日乃屋カレー』と似た甘口。よく見るとちゃんと福神漬も付いている。具は野菜はなく、豚バラがわりにたっぷり。ご飯の量は普通くらい、ただご飯食べ放題なので途中に足せばたっぷり食べられる。

食べているうちにそれほど辛くなることもない。味噌汁は熱め、具には刻んだ油揚げが入っている。小鉢は筍と白滝を油炒めしたもの。ピリッと鷹の爪が効いている。



居酒屋のランチメニューだが、そこそこ美味しい。ルーもトロッとしていて懐かしめであった。ご馳走さまでした。

大金星人形町店
中央区日本橋人形町1ー4ー10
0358019966

『夏旅2024』⑬〜湖南三山・善水寺へ

2024-08-29 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑬。長寿寺から善水寺に向かう。10km位離れているので30分ほどで到着。こちらの駐車場はあまりに広く、バスも何台も停められそうだが、停まっているのは3台くらいであった。掃除が行き届いていてすぐのところに寺務所はあるが、不在。やむなく呼び鈴を押すと遠くから女性が走って来てくれ、入山料をお支払いする。





参道に入ると左右に幾つもの建物があるが、まずは本堂を目指す。1366年築の入母屋造総檜皮葺の立派な建物で屋根の曲線が美しい。1954年に国宝に指定されている。靴を脱いで本堂に上がり、廊下を半周して中に入る。

ちょうど住職がいらして説明をしながら中を見せていただけることになる。須弥壇にはご本尊の薬師如来像(秘仏、重文、お厨子の中で見れない)をはじめ梵天・帝釈天像(重文)、四天王像(重文)、不動明王像(重文)、兜跋毘沙門天像(重文)、僧形文殊菩薩像(重文)、誕生仏像(重文)と表裏にわたり沢山の仏像が並べられている。

さらにこのお寺の名前の由来などのお話を聞く。縁起は奈良時代和銅年間(708〜715年)に元明天皇勅願により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号した。日照りのため川の水が少なく窮していたところ、寺の東側にある百伝池の中より薬師仏を勧請された。雨乞いの祈祷を7日間行ったところ、大雨が降り、木材を流すことができた。また、桓武天皇が病気となられたときに平癒の祈祷を行い、水を献上したところ天皇の病気が治り、この縁をもって善水寺の寺号を賜った。


本堂と元三大師堂の間に池があり、美しい庭が設えているが、今も水が湧き上がっている。元三大師には慈恵大師良源の等身大の尊像が安置されている。東京の深大寺と同じであった。



ほかにも観音堂、行者堂、六所権現社なども境内にはある。因みに本堂以外の塔や仁王門などは1571年に信長により焼き討ちに遭っているが、本堂のみは逃れることができた。

私たち以外には参拝者もなく、じっくりと沢山の仏像を見ることができ、内容の濃い時間を過ごすことができた。常泉寺には入れなかったが、それぞれのお寺の歴史や中にいらっしゃる仏像の素晴らしさを堪能することが出来たのである。(以下、次回)

『夏旅2024』⑫〜湖南三山・長寿寺へ

2024-08-28 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑫、京都駅前のビジネスホテルで一泊、1階のコンビニで朝食を仕入れて、食後にスタート。

滋賀県に向かう。今年の旅行は三重→奈良→京都→滋賀→京都と周るのでたびも後半戦に入る。

国道1号線を走り、京都東ICから名神高速に乗車、まずは琵琶湖の眺めで有名な大津SAで一休み。ここからは琵琶湖の全景、特に近江富士とも言われる三上山(標高432m)がよく見える。

再び走り、栗東ICで下車、まずは湖南三山を巡る。滋賀県では湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)が有名だが、お寺の建物自体が全て国宝である湖南三山(常楽寺、長寿寺、善水寺)も注目されつつある。常楽寺まではICからは20分ほど、カーナビをあまり見なくとも標識が多数あり、迷うことはない。ところが常楽寺の前に着くと本日は休業とある。そうか、このお寺は前日までに拝観予約をしないと入れないのである。(その後、翌日拝観を狙って何度となく常楽寺に電話をかけたが、繋がらなかった。)やむなく、その先にある長寿寺へ。

こちらは無事に開いていて駐車場に車を停めて入山料を支払い中に入る。長寿寺は東寺(常楽寺が西寺)とも呼ばれ、奈良時代後期に聖武天皇の勅願により、良弁(ろうべん)が創建したものである。


歴史がある一方で沢山の花やオブジェが置かれていて楽しくなる参道。ウサギやクマのシルエットもあり、水琴窟も設えてある。



参道右手には県内で最大の石造多宝塔が聳えている。石だけで積み上げられていてよく風や地震などで崩れないなあと不安になる。

真っ直ぐ行くと本堂、鎌倉時代の建物であり、国宝指定されている。しかし、我々以外には参拝者もいない。本堂の横から中に入ると藤原時代に作られたと言われる本尊阿弥陀如来坐像(重文)と釈迦如来坐像が隣り合わせに安置され、その真ん中に厨子が置かれていて秘仏の地蔵菩薩が収められている。

屋根葺き替えへの寄付を行うと記念の木の板が貰えることもあり、1000円を寄付した。
面白いのは本堂裏にも仏像が安置されていること。こちらには聖観音像をはじめとした仏像があるのでお忘れ無く。



池の中には弁天堂(重文)、本堂を出て少し高くなったところには収蔵庫があり、3mほどもある丈六阿弥陀如来坐像が祀られている。その大きさには圧倒される。



境内のお隣に行く細い道を行くと白山神社、明治以前は神仏混淆が普通のことであった。白山神社の拝殿も室町時代に作られ、重文に指定されている。


さらに奥に行くと三重塔の礎石跡が少し登ったところにある。階段も草に埋もれ、転ばず登るのが精一杯であったが、何とか礎石までたどり着いた。気がつくと裏には大きな池、そのためか蚊の大群に襲われた。



参道を歩くと小さなお寺のように思えるが見どころ満載、全て忘れないようにしないといけない。ただ、真夏よりは紅葉の季節の方がいいとは思われるが。(以下、次回)


京都和久傳〜夏旅の晩餐③

2024-08-27 05:00:00 | グルメ
『夏旅の晩餐』③、京都のディナーは和久傳でも気楽に行けると思い、JR京都伊勢丹に入っている『京都和久傳』を予約した。

とはいえ、和久傳のお店、前面の窓からは京都市内が見渡せる眺望のよいカウンターで気軽に和食のコース料理を頂くことができる。

ほぼ中央の席に案内され、目の前には暮れ泥む京都、7時スタートのため、どんどんと暗くなって行く。


まずは番茶で口を落ち着かせてくれる。先付は茶色の湯呑みのような器に生湯葉、生雲丹を入れ、しじみ出汁のジュレを掛けて、穂紫蘇を乗せた一品。



まず口に当たるシジミジュレが美味しく、後から生雲丹と生湯葉を頂く。全体にまったりとしている。ビールで乾杯。



写メだけではわかりにくいが北京ダックの餅(ピン)にあげた若鮎を乗せ、甘い味噌とネギ、胡瓜の細切りを合わせ、北京ダックのように巻いて頂く。食感は北京ダック、味は鮎の香り高く苦味に甘い味噌が合わさり、堪らない逸品に仕上がっている。

ここで蒼空(京都府)をお願いする。実に爽やかなお酒である。

碗物は鱧に茄子・梅、三度豆を加えたもの。鱧と梅の相性は抜群であっさりとした出汁が全体のバランスを取る。



お造りは甘鯛を煎り酒と梅で頂く。夏らしく爽やかな味、煎り酒は醤油と異なり、魚の身の旨さを壊すことがない。冷酒は七本槍(滋賀県)だが、米は先祖系の渡舟を用いた珍しい物。しっかりとしている。

焼き物はスズキの塩焼き、万願寺とうがらし、上には万願寺の葉の素揚げが乗っている。たんぱくながら美味い。

油物は鴨ロースにイチヂクフライと葡萄ソースを合わせた物。勝手に西洋料理のカモのオレンジソースをインスパイアしてしまう。もちろん、バターは使われておらず、あっさりと頂くことができる。


焚き合わせはうなぎの小鍋仕立て。脂の乗った炭火焼きにしたうなぎと瓜、芋茎、茗荷を合わせ、鰹出汁で煮てある。鰻の脂が根菜に染み渡り、お互いの味を高め合っている。最後のお酒はやはり京都で呑むだけに沢屋まつもと(京都府)の守破離で締める。



ご飯は5品から好きなだけ選べるが、連れ合いは鯛の黒寿司、私は鯖寿司と鱧天ぷらぶっかけうどんと2品と欲張った。

鯖寿司は子供の頃、京都に来ると食べていたのだが、脂の乗った身が酢飯によく合う。また、相方の選んだ黒寿司、以前に豊岡工場を訪ねた際にいただいたものだが、酢がよく効いていて美味い。

デザートは河内晩柑ゼリー、希水(笹とオオバコのでんぷん、僅かに林檎の味をつけたつるんとした食感のデザート)。締めのお薄は板前さんが入れてくれた。最後までよくまとまったお料理で十分満足した。



やはりインバウンド客が多く、カウンターのお隣に座った外国人のカップルも竹酒をうまそうに飲んでいたし、さらにお隣の中国人は最後の食事を3つ、それも牛すじカレーまでペロッと食べるなどその健啖ぶりに驚いた。板前さんの応対も素晴らしく、また来たくなる贅沢なお店、本当にごちそうさまでした。

京都和久傳
京都市下京区烏丸通塩小路下る東塩小路町901
JR京都伊勢丹11階
05055974012


『夏旅2024』⑪〜『村上隆もののけ京都』展は素晴らしい!

2024-08-26 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑪、京都市立美術館の正式名称は『京都市京セラ美術館』、開館90周年を記念した企画展は『村上隆 もののけ京都』と名付けて開催中である。

村上隆氏のことを改めてご紹介する必要もないかもしれないが、氏は1962年生まれの日本を代表する現代美術作家でスーパーフラットを提唱、さらにこれに日本の伝統的な絵画表現とアニメ、漫画などを融合、政治や宗教などの面も加えた独特な作品を多く生み出している。





会場の入口には巨大な赤と青のオブジェが迎えてくれる。赤鬼と青鬼かなと思ったが、邪気を踏んづけている。東大寺南大門でも寺を守る阿形、吽業であった。





中に入ると洛中洛外図屏風が壁いっぱいに広がっている。よく見ると祇園祭の鉾やお花、ドクロと言ったいつものキャラクター、さらに風神と雷神もちゃんといる。
賑々しくて華やかな中に独自性が織り込まれた作品に圧倒される。



次の部屋は暗くなり四方に四神『青龍、白虎、朱雀、玄武』が現れる。



2015年に六本木で見た姿同様に思わず詳しくみてしまう。六本木で見た動くキャラクター『びゃっこー』と叫ぶ白虎のぬいぐるみはいなかったが。



(動く朱雀と玄武)

第3室は『ズザザザザザレインボー』が色とりどりで登場。第4室では村上流の『風神雷神図』、実にコミカルで可愛らしい風神雷神に目が釘付けである。


最後の部屋では歌舞伎十八番や大文字五山のキャラクター、舞妓さんなど京都らしい締めくくり。



さらに外に出ると大きな金色に輝く10mのお花がルイ・ビトンのタンスの上に飾られていた。

これだけの村上作品に出会えたのは9年ぶり、京都観光もいいが、見逃さずに来て良かったと思える企画展であった。ちなみに村上氏の展覧会は基本撮影可です。






『夏旅2024』⑩〜京都市内で墓参り

2024-08-25 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑩、石峯寺を出て京都市内に向かう。稲荷街道を通るが、JR稲荷駅あたりが伏見稲荷に向かう外国人の影響もあり、中々前に進まない。ようやく動き始め、墓参りツアーに切り替える。まずは西大谷霊廟に行くのだが、その前に腹ごしらえ。



八阪神社の門を出たところにある町家風の『美竹』といううどん屋さん。前日は三輪素麺だったが気にも止めず中に入る。小さなお店からと思いきや、奥が深い。広い部屋にきっちり詰まっているが、付いていることにクーラーのすぐそば。



何しろこの日の京都の最高気温は40℃、この涼しい中で私は冷やし五目うどん、相方はきつねうどんをお願いする。店内はインバウンドばかり、真ん中の8人席ではビールで乾杯して真っ赤な顔の男女が大盛り上がり。我々は小さくなって食べたが、まったりとした味付けはやはり京風であった。

そこから坂を登り、大谷霊廟を抜けて西大谷さんへ。ここには母方の祖父母の墓があるが、京都の人は墓参りを欠かさないのか、結構な人がいた。



車に戻り、父方の墓参り。浄土宗の本山である金戒光明寺そばの菩提寺に行き、卒塔婆を持って墓に行く。



1年ぶりだったが、墓が生垣にと思って植えた木に乗っ取られそうになっていた。これは秋にも木を切ってもらわねばと感じたが、ついつい忘れてしまう。



ようやく40℃の中の墓掃除と墓参りが終わったが帽子を被っているとはいえ、水を出したつもりだが40℃近いお湯しかでない水道など驚かされるばかりである。



次は南禅寺にでもと考えていたが、市立美術館の裏を通った時に大きな金色に光るオブジェを発見。連れ合いが村上隆の展覧会があるはずとスマホで調べると確かに『村上隆もののけ京都』という美術館開館90周年の企画展を開催中。

これを知って南禅寺は次回に回し、村上隆の展覧会に行くことに変更した。(以下、次回)

『夏旅8024』⑨〜浄瑠璃寺と石峯寺に足を運ぶ

2024-08-24 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑨、旅に出ると楽しみなのが朝ごはん。ANDOホテルではかなり朝ごはんに凝っている。

干物はえぼ鯛、納豆は私は食べないが大仏納豆だった。最後に飲むお茶もうまい。



ANDOホテル若草山を出て新若草山ドライブウェイを使い、さらに30分ほど車を走らせると浄瑠璃寺に到着。近いが、ここは府県境を挟んだ京都府木津川市にある。ここを訪ねるのは2016年夏、2020年秋以来である。





なぜこのお寺の名前が浄瑠璃寺なのか、気になっていた。『浄瑠璃』とは一般的には三味線を伴奏楽器として太夫が詞章を語る音曲である。しかし、元々の由来はサンスクリット語からの訳で清らかな青い宝石サファイアを意味し、薬師如来の浄土はこれにより装飾されているとされる。つまり、名前の由来は東方浄土の主である瑠璃光如来に因んだものである。



細い参道を歩くと簡素な門が現れる。門をくぐり、中に入ると宝池の辺りに出るが、この池がこの世とあの世との間の海を模している。



西に本堂(国宝)、東に薬師如来像を祀る三重塔が建ち、平安時代の浄土庭園の様式を残す。また、本堂には九体阿弥陀如来坐像(国宝)が安置されていて平安時代に流行った九体阿弥陀堂のスタイルを残す。



まずは池の周りを歩き、それぞれの場所から見える風景を楽しむ。素朴なナデシコやクサイアオイ、アザミなどが植えられている。 

次に本堂に入る。何回もこのお堂には来ているが、改修はされているとはいえ、当初作られた時と多分殆ど変わらない。両側に4体ずつ8体、真ん中の阿弥陀如来坐像のみ少し大きい。





印相は同じだが、異なる仏師が作ったとのこと。特に眼は開き気味の仏様もいれば、ほぼ眼を瞑られている仏様もいる。同じように見えるがよく見るとかなり違うのである。その周りには四天王像、さらに厨子の中には吉祥天女像がいらっしゃる。(以前に拝観したことがある。)

お参りするのは私と連れ合いの2人のみ、心行くまで拝むことができた。



池の反対側には三重塔、中には東方本尊である薬師如来像が安置されている(普段は見ることができない)。

ここに来るとまるで浄土の世界を見ることができるような気がする。昨年、九体阿弥陀像は東京の博物館で見たのだが、やはりこの地で見るのが勝る。日本全国でも九体阿弥陀如来が拝めるのは九品仏浄真寺(東京)くらいしかない。

次に向かったのが、伏見稲荷からほど近い石峯寺である。伏見区にあるのだが、途中の道は細く、さらに駐車場の場所がわからない。やむを得ずお寺に電話をして場所を教えてもらう。細い坂道を何度か間違えてようやく到着した。



石峯寺(せきほうじ)は1713年に黄檗宗萬福寺の6世千呆性侒により開創された寺院で山門が中国風である。このお寺は江戸時代の絵師伊藤若冲のゆかりの寺として有名である。若冲は1788年の天明の大火で自宅を失い、この寺に隠遁、義妹の心寂と暮した。85歳で天寿を全うしたが、五百羅漢石像や天井絵の制作に力を注いだ。若冲の墓も相国寺と石峯寺にあり、まずはお参りをした。



その後、裏山にある五百羅漢石像を見に行くがお釈迦様の誕生仏や釈迦が弟子たちに教えを解いている姿、十八羅漢、托鉢の姿、涅槃像と周りで悲しむ弟子や動物たち(涅槃図)などが竹林の斜面に多数あり、体中を蚊に食われながら見て歩いた。



単に素朴な石仏ではなく、表情も豊かで思わず笑いを誘うようなものもあり、時間を忘れてしまうほどである。



なお、1915年に本堂は一旦は焼失、再興後も1979年に放火で本尊とも焼失してしまい、今の本堂は1985年に再興されている。(以下、次回)


『夏旅2024』番外編〜なら灯火会に足を運ぶ

2024-08-23 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』番外編、奈良市のANDOホテルに宿泊した際にナイトツアーのお誘いを頂いた。奈良市では毎年8月5日〜14日の間にろうそくの灯りで照らす『なら灯火会(とうかえ)』が行われていて、近くまでバスを出してくれるというのである。
夕食を早めに取り終わり、19時にスタート、バスで大仏池の前まで連れて行ってくれる。そこから大仏殿の横を通り、南大門を経て奈良公園付近まで散策するのである。夜の大仏池の周りには鹿がたくさんいて草を食んでいた。


大仏殿の塀に沿って歩き、正面まで行くと門の両側の広目天と兜跋毘沙門天までライトアップされている。像が巨大なためか、昼間見るのとは異なり、大変な威圧感がある。





正面参道を歩き、南大門へ。左右に運慶作の阿形像と吽形像、大きな腕と足が凄い。
その先、屋台が並んでいて左の奈良春日野国際フォーラム方向に行く。浮雲園地にはたくさんの灯籠が灯されていて幽玄な風景を作りだす。蒸し暑いことも忘れてしばらく歩く。



まだ、時間があるため、奈良駅方向に向かい、奈良国立博物館の前の池の周辺も歩くが、灯籠の火が水面に映って美しい。

人出も多く、この日が初日ということもあり、観光客のみならず地元の若い人たちも夫婦や家族連れがたくさん出ていた。



バスに戻るのが21時となっていたが、空模様が怪しくなってきたのでバスに少し早く戻る。蒸し暑いところからクーラーの効いたバスは天国、定刻にバスは動いたが、ホテルに着くと大粒の雨であった。



まだまだ、会場は広かったようだが、夜の大仏殿や南大門の姿、浮雲園地や奈良国立博物館前の灯籠など、奈良の夜を堪能させてもらった。(以下、次回)

『久我山歳時記』㊼〜処暑の候

2024-08-22 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊼、歳時記はあっという間に次の季節に移る。8月7日が立秋であったが、8月22日は『処暑』、秋では2つ目の季節となる。

厳しい暑さの峠を越した頃で朝夕には涼しい風が吹き、ここちよい虫の音が聞こえてくる。穀物も実り始めるが、同時に台風の来訪も増える季節のはず。しかし、実際には台風だけは次々とやってくるものの、秋らしさは見つけるのが難しい。

処暑を七十二侯で見ると、『綿柎開(わたのはなしべひらく、〜8月27日)』『天地始粛(てんちはじめてさむし、〜9月1日)』『禾乃登(こくものすなわちみのる、〜9月6日)』となる。本来ならば少しずつ秋らしくなり、実りの季節となっていくのである。

この数年を見ると夏の暑さが激しさを増しているように思えるが、統計的に見てもわかる。例えば2014年つまり10年前の東京の8月の最高気温の平均は31.2℃、これが2023年になると34.3℃、今年(8月20日まで)で34.5℃、つまり平均3℃暑くなっているのである。最低気温も2℃くらい上がってきている。
とはいえ、ここ2日ほどは朝は少し涼しいとも思えるようになってきた。


そのためか久我山はまだまだ秋より夏の装いが残っている。我が家の庭では毎日モミジアオイが赤い花を付けているし、ご近所のハイビスカスの花も美しい。



夏の花である百日紅も深い赤、ピンク、白と色はいろいろあるが、今を盛りに咲き誇っている。



夏の農家でよく見かけるノウゼンカズラの花もまだまだ蕾があり、我が家の朝顔はいつもの通りまだ花が咲いていない。毎年のことだが、秋にならないと咲かないのだ。
千日紅(センニチコウ)の花も美しく咲いていて、日々草もまだまだ花を咲かせている。

虫の音もミンミンゼミやアブラゼミの声は聞くがまだまだコウロギ、マツムシなどの声は大きくない。今朝、日本橋を歩いていたら飼われているスズムシの声は聞けたけれど。


収穫の秋と言えば葡萄や枇杷の実が大きくなり、ブルーベリーの実もピンクから紫に変わったことくらいである。また、ゴーヤの白い実を見つけたが、これは夏の産物である。



これからはだんだん最高気温が30℃前後になり、ようやく秋と実感できるようになるはずなのだが、実際はどうなのだろう。