hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

うえんで〜日本橋(福島)ランチグルメ

2022-05-31 05:00:00 | グルメ
事務所から歩いて10分余り、福島県のアンテナショップ『MIDETTE』がある。中にあるイートインで福島県内のラーメン屋さんが週替わりで出店していて中々現地に行きづらい昨今、よく足を運ぶ。事務所を出た時は雨も小降りだったが、どんどん強くなり、町を歩く人は殆どいない状態。しかし、せっかく向かったのだからとズボンも上着もびしょ濡れになりながら、アンテナショップを目指す。

今週は会津芦ノ牧温泉駅近くにお店を構える『うえんで』さん。面白い名前だが、「上ノ台」という地名が訛り、「うえんで」と呼ばれたことがその由来とのこと。

メニューは2種類、チャーシュー麺(1200円)、会津山塩ラーメン(900円)だが、スープは同じなので会津山塩ラーメンにしてみた。いつものように食券を買ってテーブルで待つ。この日の昼は大雨となったためかお店に客は少ない。



すぐに呼ばれてラーメンを受け取り席に戻る。目の前のモニターでは酒造りの様子が流れていた。『山塩』とは大塩裏磐梯温泉のグリーンタフという地層に閉じ込められた海水、即ち温泉水を煮詰めて作った塩のことで単なる海水を煮詰めたものではなく、硫酸イオンの多い山塩のこと。澄み切ったスープは上品ですっきりとした旨味がある。

麺は太めの縮れ麺、この麺がよくスープに絡む。

チャーシューはほろほろになるまで煮込まれた豚バラ、食べると舌の上で溶けるが、脂が甘い。全体的には喜多方ラーメンににているが、スープに特色のあるラーメンであった。  



ライスを頼まなかったため、少し量的に足りない気もするが、腹八分目。普段は頂けない美味いラーメンを食べることができて幸せである。ご馳走さまでした。


うえんで(本店)
会津若松市大戸町上三寄大豆田11ー3

早慶戦観戦記〜皆と集うことを喜ぶ

2022-05-30 05:00:00 | 日記
5月最後の土日は野球早慶戦がある。今月に入り、3年ぶりに東京ドームで巨人vsヤクルト、これも3年ぶりに神宮球場でヤクルトvs阪神、交流戦も東京ドームに巨人vsオリックスと既に3試合を見に行っているが、切符を買って入場するのは早慶戦が最初である。


初めて早慶戦を見に行ったのは1978年5月、負けたことは覚えているが、当時は前日夜から神宮球場周りに集うのが恒例であまりよく覚えてはいない。それから44年も経過している。切符は友人が買ってくれ、コロナ禍だからか全て指定席らしい。野球が始まる1時間前の待ち合わせも11時45分には4人全員集合していた。


席はというと三塁側のほぼ外野というほど外れた席、しかし、コロナ禍のため応援指導部は外野でしかパフォーマンスが出来ないのでかえって良かったのかも知れない。



夏空になったスタジアムの席に座り、ビールで乾杯。揃えた訳でもないのにシウマイ弁当が人気がある。弁当を食べ終わる頃、野球が始まる。

始球式は慶應の13歳の部員、國久想仁くんがマウンドに。かれは『軟骨無形成症』という難病を抱え、長期療養者の自立支援活動で慶應義塾大学野球部に迎えられた。彼がマウンドから投球するとストライクでキャッチャーミットに球は収まり、沢山の拍手を得ていた。



試合は1回表の早稲田が蛭間が先頭打者ホームラン、しかし、その裏、2番朝日がヒット、4番萩尾が2ランをライトスタンドに運びすぐに逆転。慶應の先発増居投手はコントロールが定まらず、四球が止まらないがバックがよく守る。

すると3回は2番朝日の2塁打で1点、4回は5番下山のソロホームランで1点と小刻みに加点。5回表に増居投手は暴投で1点を許すものの、慶應も加点し、最終的には7対2で勝利した。

まあ、明治に負けて優勝のない慶應と5位確定の早稲田の早慶戦でそれほど盛り上がる訳もないが、2年ぶりに大観衆(2万2千人)名前で行う母校の戦いは妙に盛り上がった。



一緒に来た友人ともあと何回早慶戦にこれるかなあ、健康だから来ることができるなどと60代らしい会話で盛り上がり、恒例の銀座ライオンで時を忘れて怒られない程度に騒いだ日となった。

浜町川を歩く③

2022-05-29 05:00:00 | 川と橋
久松警察署の前の通りは金座通りと呼ばれている。かつてここには小川橋が架かっていたのだが、近くに『小川橋由来』の石碑が残されている。

由来によると1880年10月に神田東福田町の押込強盗事件、1888年8月に浅草で強盗事件を起こすなど数々の強盗事件を起こした犯人を警察は執拗に追った。1889年12月馬喰町で発生した押し込み強盗を追った小川巡査がピストルで撃たれ、短刀で切り付けられながらも犯人清水定吉を追いかけ、他の巡査により捕縛した。小川巡査はこの傷が元で翌年殉職、この事を顕彰するために久松警察署前の橋に名前を残したということである。

金座通りを渡ると消防署、さらに浜町川緑道公園、あまり水は流れていないが、中央部には水が流せるようになっていた。ベンチも多いのでゆっくりすることもできる。
川口松太郎作の明治一代女に描かれ、『浮いた浮いたよ浜町河岸で〜』と謳われた浜町河岸こそ浜町川のこのあたりの話であり、大川端とも呼ばれたのはこの辺りのことである。川も埋め立てられ、橋もなくなり、風情は残っていないが、明治の頃を彷彿して見るのもいい。



甘酒横丁と交差するところに勧進帳の弁慶像が建てられている。ここを左に曲がるとすぐに明治座の前に出るが、江戸時代初期には歌舞伎や浄瑠璃を演じる小屋(市村座、中村座)があり、歌舞伎発祥の地として後世まで残すために作られた像である。



この公園は細長く、両側は車道になっていて新大橋通りまで続く。



首都高速浜町出口に至るスロープとなっていて、さらに両側に車道がある。

右側には有馬小学校、最近の人はあまり言わなくなったが、『恐れ入りや(入谷)の鬼子母神、びっくりしたや(下谷)の広徳寺、情けありま(有馬)の水天宮』などといっていた。



この最後の一節、水天宮は元々久留米有馬藩が久留米より分霊したもの。この小学校も有馬家が土地を寄贈したために名前が残されている。

道は少し途切れ、高速道路の下をくぐると下水道局箱崎ポンプ所となる。暗渠はここまでつながっていて隅田川に合流するのである。
オフィスビルをぐるりと周ると目の前には隅田川。そして先ほどのポンプ所から神田川より続いている暗渠の水が流れ込んでいる。



隅田川は右側に隅田川大橋、左側には清洲橋を臨むことができる。岩本町から箱崎町まで川は地下にもぐったが、今も流れ続けている。

(隅田川大橋)

(清洲橋)




KAMUKURA DINING〜恵比寿グルメ

2022-05-28 05:00:00 | グルメ
かつて大阪に住んでいた、と言ってもかれこれ20年以上前のことだが、ラーメンと言えば『金龍ラーメン』か『どうとんぼり神座』かと思っていた。金龍ラーメンのまったりとした豚骨スープ、神座の野菜の甘みが全面に出たスープ、この二つは忘れられない。



しかし、東京ではラーメンは群雄割拠、塩ラーメン、鯛だしラーメン、濃厚豚骨、豚骨醤油、さらにご当地ラーメンと種類がおおすぎるのである。

アトレ恵比寿でレストランマップを見ていると何と『かむくらダイニング(KAMUKURA DINING)』を発見。しかし、アトレ2階は分かったのだが、恵比寿アトレの2階に行くのが難しすぎる。地上からアトレ本館はエスカレーターでは直接3階に着く。建物の中に入っても1フロア降りる階段もエスカレーターもないのである。もう一度よくマップを見て外にあるエスカレーターなら行けることを発見、ようやく到着した。

外観はパスタの店のような造り、ドアが開くとすぐにレジになり、ここで注文する形式となっている。注文はシンプルな『おいしいラーメン』(760円)、『焼き餃子』(6ケ260円)をオーダー、席まで案内してくれる。

1人の客はカウンター、2人以上はテーブルにしているようで大きなロの字カウンターの真ん中が厨房となっている。ダイニングというだけあって中にいる料理人はフランス料理のシェフのような格好でラーメンを作ってくれる。

5分ほどでラーメンが到着。かつて大阪で食べた時の経験からとにかくスープが熱いことを思い出し、ゆっくりと白菜から頂く。ちょうど良い大きさに切られていて甘い。ラーメンに浮かんでいるのは薄切りのチャーシューと白菜のみ。チャーシューではなく、この白菜が神座の真骨頂である。



すぐに焼き餃子も到着。皮は薄く、ニンニクも程よく効いていて特徴はあまりないが、安心していただける味。たれにラー油を加えて食べる。




それにしてもラーメンは冷えない。途中でニラの酢漬けを加え、辛味を足す。熱々のまま汗だくになって頂いていると季節の変わり目を感じる。平凡に見えて非凡なラーメンを堪能することができた。ご馳走さまでした。




KAMUKURA DINING
アトレ恵比寿2階
0364503748

浜町川を歩く②

2022-05-27 05:00:00 | 川と橋
竹森神社の裏にある道を再び歩く。なぜかあまり自転車やバイクの違法駐車も少なく、ただ暗渠の上を通る細長い道を行く。



江戸通りの前には小さな園地がある。渡る際の信号も川も橋もないが『鞍掛橋』の名前が残されている。鞍掛橋はなかなか数奇な運命を遂げた橋である。



初めて橋が架けられたのは浜町川の開削と同じ1691年で当時の地図には土橋と描かれていた。1837年には接続する龍閑川の埋立により、浜町川は溝として残る程度になってしまう。しかし、1883年には再び龍閑川が開削され、神田川まで繋がったため、鞍掛橋も鉄橋に架け替えられた。というのは市電室町線が経路変更して橋の上を通ると共に電停が作られたのである。しかし、1923年関東大震災、1945年東京大空襲で周囲は焼け野が原となった。そして空襲により発生した灰燼の処分に悩んだ行政は流れの緩い川の埋立という政策を採用、浜町川北部分は埋立られることになり、1948年に他の橋と共に鞍掛橋は撤去されたのである。

細い道は続くが、さらに道幅は細くなり、横山町問屋街の道に出る。



さらに行くと大伝馬町、再び少し道幅が広くなる。暗渠の上の道沿いに初めて店舗が出てくる。『おひげ寿司』という寿司屋さんだが、店を見ると比較的新しい構えであった。

しかし、その先でこの暗渠上の道が突如なくなり、奥には鋼矢板に囲まれたビル建設現場となる。かつては小さなお店が並んでいたが、半年ほど前から取り壊しが始まり、新しいビルの建設が始まっていた。

次の通りにはかつて千鳥橋が架けられていた。その近くに現在は東京アフロディーテという結婚式場となっている洋館がある。形から銀行の支店かなと調べてみると『旧古河銀行元浜町支店』(1926年竣工)であった。



建築現場をやや大回りして歩くと日本橋休日応急診療所の前に出る。すぐ隣には久松小学校、また、暗渠は久松児童公園の中を通過して行く。夏になると水が張られるプールも今は小学生たちのドッジボールの会場となっていた。(以下、次回)

『大人のためのお子様ランチ』を頂く

2022-05-26 05:00:00 | グルメ
最近、『大人のためのお子様ランチ』が密かなブームになっている。これをかつやが大々的に販売して人気を博しているという情報を聞いていたところ、街を歩いといたらかつやを発見。早速、食べに行った行った。

JR総武線浅草橋駅で降り、信号を渡ったところにあるかつやにポスターが掲示してあった。12時直前ということもあり、店は8割ほどの入り。

指定されたカウンター席に座り、『大人のためのお子様ランチ』をお願いすると、お姉さんは厨房に『ランチ一丁』と元気よく伝える。

かつやの看板商品であるカツ丼(梅)はランチで490円、これに対して759円とやや高めだが、私がきた後で注文した人(テイクアウトも含む)の七割はランチという人気ぶりである。

カツ丼と違い、揚げ物があるため、少し時間がかかる。7、8分待つとランチが登場。大きめなカレー皿にオムカレー。トッピングはタルタルソースのかかったエビフライ、チキンフライ、さらに赤色ウインナーもフライになって2本、千切りキャベツというラインナップ。

まずは千切りキャベツを頂き、卵が顔を出すとライス、カレールーと共に頂く。カレーはやや辛口、焼き立てのオムレツが美味い。気になる赤ウインナーフライも何か懐かしい、フライにしなくてもと思うが、かつやだけにカツになるようだ。

エビフライ、チキンフライもタルタルソースがよく合ってライスが進む。フォーク、スプーン、箸を操りながら頂く。旗こそ立っていないがあれもこれも乗っていて見ているだけで楽しい。若い人が多いのかと思ったが、私と同年輩の人たちも積極的に食べている。

もちろん、季節メニューで5月14日〜31日のみの提供だが、手間はともかく、グランドメニューになっておかしくない人気ぶりであった。もちろん、量も十分、腹一杯、ご馳走様でした。



かつや浅草橋店
台東区柳橋1ー13ー5
0358231310

阪神のビリの理由を検証する〜阪神ファンのたわごと

2022-05-25 05:00:00 | 阪神タイガース
今年の阪神タイガースは弱いのか。何を今更と言われてしまいそうな話。現在、セントラルリーグで最下位なのだから弱いのだとは思うが。

しかし、守備面の数字を見ると防御率は2.92でヤクルト2.83に次ぐ2位、失策もヤクルト・DeNAに次いで3位と去年より改善されている。

先発陣も西勇輝、西純矢、ガンケル、青柳、ウィルカーソン、伊藤将司と6枚揃っていてさらに秋山がいる。しかも防御率トップは青柳1.33、2位は西勇輝1.87となっている。

中継ぎ投手も始めは乱れていたが、今では渡辺、岩貞、加冶屋、湯浅、アルカンタラ。クローザーも安定感があるとは言いづらいが、岩崎と何とかなるレベルにある。

それならば弱い原因は打撃面にあるのか。まずは得点、阪神の総得点は144点とDeNA・中日に次ぐ4位、1位の広島202点と比較すると144点は少ないが。ホームランも巨人・ヤクルトに届かないが3位、盗塁に至っては29個で1位なのである。つまり、攻撃面・守備面の何を取ってもビリの要因はわからないのである。

もちろん、対戦を見ると広島には0勝7敗1分と大幅に負け越している。やはり苦手がいることは厳しいが、巨人には勝ち越している。

試合内容を見ると47試合終わったところで、29敗の中身を見ると0点負け(阪神得点0)が9試合、1点差負けが15試合(うちサヨナラ負が4試合)ととにかく内容が悪く、ベンチの差配で差がついた試合が少なくない。負けは僅差、勝ちはバカ勝ちというがまさにその通りである。

試合を見ていてもエースの調子がよく、1点先取点を取るだけでかなり雰囲気が変わる時に強行してダブルプレーでチャンスを潰すケースも多すぎる。打てないなら打てないなりに3番だろうが、4番だろうがバントしてスコアリングポジションに進めようとする意識が無さすぎて情けない。巨人の中田ですらバントをするのである。打線が不振にも関わらず昨年と同じ攻めをしていても勝利は転がり込んでこない。

『勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし』と言うが、今の阪神タイガースには敗戦の反省無くして勝利なしということを是非交流戦以降は心がけてもらいたい。(数字は5月24日現在)



ユリノキの花

2022-05-24 05:00:00 | 日記
だんだんと夏が近づくにつれて高木にも花をつけるものが増えてくる。住んでいる久我山にも保存樹は数多くあるが、5月になると駅からほど近いピーコックストアの駐車場に生えているユリノキにも黄色い花を見つけることができる。

ユリノキはモクレン科の落葉高木で45mくらいまで達する大きな木である。久我山のユリノキも20m以上ある威風堂々とした樹木である。学名は『tulipfera』即ちチューリップのような花を付けるという意味だが、日本にやってきた明治時代にはチューリップがポピュラーでなかったため、ギリシャ語由来の学名である『Liriodendron tulipfera』の最初の部分を取ってユリノキと訳したものである。



高い木であり、花を付けるのも上の方で、しかも5月には葉が茂っているため、花が咲いたことに気づかない人が殆どだが、まさに今黄色いチューリップに似た可愛らしい花をつけている。



久我山の象徴のような木は地面に根が張り、上の舗装が波打つほどの力強さもあり、クリスマスの頃には電球で飾られ、葉が落ちた寂しい樹を賑やかにしてくれる。秋に葉が落ちると駐車場の管理人さんは大変そうだが、毎朝仕事に行く時横を通る大木を見るとこの季節は楽しくなる。



国立博物館にも巨木があり、こちらは明治14年から博物館の歴史を見守り続けている。

ときわ〜日本橋ランチグルメ

2022-05-23 05:00:00 | グルメ
箱崎町は隅田川沿いの一帯で首都高速のジャンクションと箱崎エアターミナルがあるため、有名だが、一部のオフィスビル(IBMなど)を除くと日本橋でも一般住宅の多い静かな街である。

店もパラパラとある程度だが、ここにカツ丼で有名な蕎麦屋さんがある。しかし、最近すぐ近くに渋谷にある瑞兆をインスパイアした『♯カツ丼は人をしあわせにする』なる店が殴り込み(?)を掛けてきたから穏やかではない。お店の名前は『ときわ』、広い道から少し入ったところにある。

店の前に立つと『♯とじてるカツ丼いかがですか?』『箱崎名物カツ丼』と看板が出ていて心穏やかでないことがわかる。



店は意外に広々していてカウンターに座る。お願いしたのはもちろん『カツ丼』(1000円)、後から来た人もざるそばを頼んだ1人以外は全てカツ丼である。蕎麦の他にカツカレー、カツカレー丼、親子丼、あとはミニ蕎麦とのセットである。



待つ事5分、カツ丼が登場。他に冷奴、漬物、味噌汁と定番である。もちろんロースカツが一枚、トロトロ卵でとじてあり、いい雰囲気。


まずはカツを一口、揚げたてジューシー、味は思ったほど甘くなく、かといって味が濃すぎるわけでもなく、もちろん衣はカリッとしている。別に専門店ではないが、得意料理だけのことはある。



味噌汁はやや濃いめだが、冷奴はさっぱりとして全体に味の濃いこのメニューには嬉しい一品である。



あっという間に食べ終わってしまったが、なぜカツ丼の時は掻き込んでしまうのだろう。他の丼はゆっくりと食べるのに。帰りにみたが、ライバルは長蛇の列だった。ご馳走さまでした。

ときわ
中央区日本橋箱崎町32ー8
0336665578

浜町川を歩く①

2022-05-22 05:00:00 | 川と橋
浜町川は現在は暗渠となっているが、江戸時代初期に隅田川から開削が始まった運河で龍閑川(運河、現在の神田駅から千代田区中央区の区界を流れていた)につながり、L字の流路だった。明治16年からさらに神田川への開削を行い、最終的には隅田川と神田川を結ぶ水路であった。しかし、戦後に暗渠化が始まり、1972年には完全に暗渠となっている。なぜ暗渠になってしまったのかも含めて川の上の道を歩きながら調べてみた。



今回は秋葉原駅から和泉橋まで歩き、神田川沿いの柳原通りに入る。途中右に曲がって暗渠の上の小道を歩く。曲がる場所は千代田区岩本町3ー6。神田川から曲がる場所に跡はないが、今は駐輪場となり、そこから神田川との接続点は大体わかる。



細い車道が両側に2本、さらに細い歩道が真ん中を通るが、残念ながら最初の真ん中の道は自動車置き場化していて歩くことができない。右側の道を歩くと靖国通りに出る。ここに小さな緑地があるが、大和橋広場と呼ばれている。



すぐ横を見ると地下道入口のような古いスロープ、しかし、柵が降りている。これは何かと思っているとブザーが鳴り、柵が上がり始める。そうこの下がパーキングとなっていてそこから車が出てきたのである。



反対側には入口があり、『大和橋ガレージ』の看板。橋の下の空間を地下駐車場にしたものであった。ということは暗渠にした際に下の空間利用を考えたのだろう。信号には『大和橋』、今は川も橋もないのに名前だけは残されている。



反対側に渡ると細い川の跡が歩道として残されている。人通りも少なく、地元の人々が喫煙場所として利用している。看板には下水道管が埋設してあるらしく、都下水道局の管理地と書かれていた。



神田金物通りを越えると少し道幅が広がり、オートバイや自転車が止められている。野良猫か地域猫かはわからないが、スクーターの車輪の影から黄地猫がこちらを睨んでいた。



現れたのは龍閑児童公園、公園内には竹森神社がぽつんとある。ただ、祭神は倉稲魂命、この辺りは江戸時代には竹藪が多く、竹職人の町と言われていた。また、かつてはここから右の方にこれも暗渠になってしまっているが龍閑川が流れていた。



竹森神社は俗に言う『江戸七森』の一つに数えられている。(椙森・堀留町、烏森・新橋、初音森・馬喰町、柳森・柳原土手、あずまの森・向島、笹森・谷中、竹森・小伝馬町)(以下、次回)