hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

永代橋

2016-09-30 05:00:11 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その7。今回は隅田川に架かる永代橋を渡る。永代橋は中央区新川と江東区佐賀・永代を結ぶ。上を通るのは永代通り、つまりこの橋の名前が付いている。

歴史は古く、江戸時代の中期1698年に徳川綱吉50歳の誕生日を記念に隅田川4番目の橋として作られた。当時は最も下流にある橋で満潮時にも橋脚が3mあり、比較的大きな船舶の通過も可能であった。

名前は徳川の世が永代に続くようにという説と江東区佐賀が永代島と言われていたからとする説がある。かなり、立派な橋ではあったが、江戸幕府の財政悪化により、補修が十分行えず享保年間に一旦は廃橋にしようとしたが、住民が金を出し、通行料を取って補修した。しかし、1807年の深川八幡の祭礼の日に増えた通行人の重量に耐えきれず落橋、1500人もの犠牲者が出た。


明治になり、1897年我が国初の鋼鉄橋として作り変えられたが、橋底には木材が使われていたため、関東大震災では燃え上がり、再び多数の死傷者が出た。今の橋は1928年に震災復興としてドイツライン川に架けられていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルに作られたものである。2007年には都市の鉄橋として初めて勝鬨橋、清洲橋とともに重要文化財に指定されている。

ドイツをモデルにしただけあって重厚感がある威風堂々とした橋で下流には高層マンション群、さらにハープ橋なども見ることができ、中々の景観を作っている。日中の交通量は多く、また、夜はライトアップされることでも有名である。

忠臣蔵では吉良邸(両国)に押し入り、吉良の首を刎ねて主君の仇を取った赤穂浪士が渡った橋としても有名。また、今も深川八幡の祭礼で神輿が通過する際が最も賑やかになると言われている。もちろん、鉄橋のため、落ちる心配はないが。


高井戸駅(1)

2016-09-29 05:00:02 | 日記

『井の頭線気まぐれ各駅停車』その1。井の頭線の駅を降りてぶらり散歩する新企画。まずは1日の乗降客が渋谷、吉祥寺、下北沢、明大前に次いで多い高井戸駅からスタート。あまり知られていないが、2014年度までは明大前駅より高井戸駅の方が多く、急行通過駅では最大の乗降客を誇る。

高井戸の地名は古く、また広範囲に渡る。由来は(1)伝説の『堀かねの井』があった、(2)高いところから冷泉が湧き出ていた、(3)『高井堂』という地名からついた、さらに高台にお堂があったなど諸説あるが、高井山本覚院という由緒ある寺があり、この名前から付けられたとする説が有力とすぎなみ額倶楽部のHPには書かれている。

前置きは長くなったが、最初は高井戸駅から北に少し戻る。高井戸小学校の正門に到着。何の変哲も無い小学校だが、その歴史は古く明治8年に高泉学校・郊西学校として創立、明治24年に統合されて高井戸尋常小学校として設立した。つまり、141年の歴史を持つこの辺りでは最も歴史のある学校である。


その向かい側には有名な杉並清掃工場、煙突も新たに塗装され、高井戸のシンボルとしてそびえている。実はこの工場、現在建て替え中で2017年には新工場が稼働の予定。工場の廃熱利用のプールには日頃よりお世話になっている。また、地域センターとしての役割もあり、図書館や集会室などにも利用、清掃工場の地元への見返りらしい。

余談だが。高井戸駅前には歩道橋があるが、高架のホームとほぼ平行にあり、歩道橋を渡ると電車を待つ人と目が合う不思議な位置関係にある。


駅をくぐるとすぐに神田川に架かる佃橋、このあたりは江戸時代は高井戸宿のうち上高井戸宿と言われたあたり、最盛期には上下高井戸宿計で34もの旅籠屋があったと言われている。また、佃橋から下流は両岸に桜が植えられ、地元では有名な花見の名所となる。(以下次回)

柳橋

2016-09-28 05:00:05 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その6。両国橋を渡ってすぐに左に曲がると神田川との分岐点のすぐ先にあるのが『柳橋』。

柳橋と聞くと芸者衆を思い出すが、実はこの橋を渡ると台東区柳橋となる。柳橋は色街としては古く、江戸時代からあった。東京オリンピック頃にはまだ料亭が57軒もあったが、衰退し、1999年に最後の料亭『いな垣』が廃業して200年の歴史に終止符を打った。


それでも柳橋近くには風情のある船宿がいくつも残り、『御宿かわせみ』を彷彿させると思ったら、神田川周遊の観光船かわせみが遡って行った。


橋のことに話を戻すと初めて橋が架かったのは1698年。その後、鋼鉄橋となったが、関東大震災に被災。現在の橋は1929年にドイツライン川のデザインから作られた永代橋を参考に作られたもので、小ぶりだが美しい人車橋である。

また、この橋から京葉道路に出ると旧跡 両国広小路の碑が建てられ、かつての隆盛のことが書かれている。


柳橋にも両国広小路にもそれぞれに色々な時代、色々な人たちの数多くの物語があったが、今はあまり振り返られなくなってしまった場所なのかもしれない。

酒龍馬〜京橋ランチグルメ

2016-09-27 05:00:11 | グルメ

最近、ランチで塩サバ(鯖塩焼き)に凝っている。事務所の近くでは以前に飲み屋としてご紹介した『三代目 魚真』の塩サバはかなり水準が高かった。ただ、ケチなことを言うようだが、2切れ足しても半身には少し足りず、やはり半身は欲しいなというのが感想、ちなみに味はランチ満員だけあって極めて美味かったが。

今日は日本橋で昼前になったため、お隣の京橋まで急いで歩き、以前に同期のkくんとチャレンジして入れなかった『酒 龍馬』にお邪魔した。

この店のランチメニューは4つ(鯖塩焼き、煮込みハンバーグ、男爵コロッケ、メンチカツ)各950円である。
店はカウンターとボックスが2つというこじんまりしているが、陸奥八仙などの前掛けが飾られて銘酒居酒屋の創り。奥のカウンターに座り、『塩鯖』というと奥にそれを伝える。

さらにすぐに御膳を用意、切り干し大根、茹でトウモロコシ、白菜の漬物が並んでいる。5分ほどしてチリチリと音のする鯖が運ばれ、同時に味噌汁とご飯を乗せて前に置かれる。普通は味噌汁からいくが、やはり鯖に手が伸びる。

頭のついた鯖は結構大きい。もちろん、半身はまるまる。箸でつつくと脂がでてきてパリパリの皮と身を一口、あまり塩が強くなく美味い。大根おろしに醤油を少々、これと共に食べるのも美味い。

合間に切り干し大根や白菜の漬物を食べるが、これももちろん自家製。バランスよく食べるが、箸が止まらない。最後に茹でトウモロコシに手を出そうとすると主人が『これは青森の蔵元から頂いた“嶽きみ”という種類で甘いよ。』と説明を受ける。一口食べるが、確かに甘い。主人の話によると、青森の岩木山麓でしか取れないトウモロコシで市場でも一本500円は下らないそうだ。また、わずか2週間しか取れないとのこと。(ネットで見たら5本で2800円)珍しいトウモロコシも食べられ、満点ランチであった。

酒龍馬
中央区京橋2ー7ー5
0335641171

世界報道写真展2016へ

2016-09-26 05:00:52 | 日記

東京もようやく日差しが戻り、ずっと延期していた東京都写真美術館へ。実は2014年から改装の為、休館していたが、ようやく9月に完成、その最初の展覧会である『世界報道写真展2016』に足を運ぶ。

恵比寿ガーデンプレイスの中にあるこの美術館まで恵比寿駅からは約10分、しかし、歩く歩道があり、それも冷暖房完備のため、比較的楽に現地に到着。外観はそれほど変わっていないが、中は明るくなっていた。

地下1階まで階段を降り、展覧会に行く。以前に来た際にはガラガラだったが、今回はかなり出足がいい。入ってすぐにシリア難民、IS、ハンガリーに入国できない難民の姿とかなり重いテーマが続くが、カラー写真で現実を直視することが、最大のインパクトのような気がする。他にもリベリアの少年や北朝鮮の風景、ダラスの人種差別に抗議する少年と警官の睨みあいなど政治的なテーマに加え、オーストラリアの巨大な雹を降らせる雲やメキシコ コリマ山という火山の爆発、ネパールの地震など自然災害を扱ったものも目を引く。
さらに中国の天津市のスモッグ、天津市のコンテナ爆発による大きな穴など中国の報道されない事実も写真が事実を伝える。

自然の部では、オランウータンとカメレオン。その絶滅危機もあるが、写真の瞬間を捉えた技術と色の鮮やかさに暫く足を止めて見入ってしまう。この辺りは素人ゆえかも。

新聞やテレビには流れない事実を知ることの大切さ、カメラマンの勇気は見るべきもの。特にポスターに乗せられた『セルビアとハンガリー国境を越えようとする難民男性と子供』という作品、有刺鉄線ができる前に生への脱出を試みる姿には絵では描けない強いメッセージを感じることができた。全てで62作品、流石に何も秀作である。

両国橋

2016-09-25 05:00:20 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その5。今回は両国駅から歩いて橋を巡る。両国駅は1904年に開業、かつては両国橋駅と呼ばれ、房総方面への起点であった。



そのため、JR両国駅には房総方面への急行の始発が出ていた3番線を昔のまま保存し、途中をミュージアムにしている。


さらに改札に向かう途中には大相撲の優勝額がいくつも飾られ、雰囲気を醸し出している。駅前は場所中ということもあり、普段より人が多い。

そのまま道を渡り、まっすぐ行くと隅田川にぶつかる。階段を上り、下って隅田川テラスに降りると目の前に総武線隅田川橋梁、川上には蔵前橋を望むことが出来る。


そのまま川沿いを歩くと秋めいた風が心地よいが、川は台風の影響か濁った茶色をしている。護岸には両国橋の浮世絵がいくつも並べられ、川を見ると最新型のスケルトンの遊覧船が川を下っていく。


神田川の合流点の先には両国橋。上に京葉道路(国道14号)が通り、交通量も多い。千住大橋についで2番目に架けられた隅田川の橋で江戸初期に作られた。名前は当初『大橋』と付けられていたが、西側が武蔵国・東側が下総国の2つの国に跨ることから両国橋と呼ばれるようになった。


今の橋は1932年に竣工したゲルバー式鋼板桁橋で言問橋・天満橋とともに日本三大ゲルバー橋と言われている名橋。渡ると途中に2箇所突き出た部分があり、そこからのスカイツリーは中々のもの。


欄干も丸い立派な物で風格を感じる。渡ると中央区東日本橋、かつて江戸時代には両国広小路と言われた火除け場であり、見世物小屋などで大変栄えたが、日本橋両国の名前は明治には廃れ、反対側が両国、こちら側は東日本橋となってしまったのである。

やはり、隅田川に架かる橋は川幅が広いこともあり、立派な物が多い。

果物の切手

2016-09-24 05:00:02 | 日記

『切手シリーズ』その63。食欲の秋に因んで果物、それも秋冬が季節の果物の切手を紹介したい。実は日本の切手には記念切手・普通切手を問わず花や鳥、昆虫などの図案の切手は明治時代からあるが、果物の切手は少ない。

初めて登場したのは1975年9月に発行された『りんご100年記念』の切手。これは堂々と真ん中に赤いリンゴの実が描かれ、周囲にリンゴの木のシルエットが描かれている。ではリンゴ100年とはと調べると『明治8年に内務省勧業寮よりリンゴの苗木が青森県に配布された記念』。つまり、青森県リンゴ100年記念の切手である。その記念碑は青森県庁前に12種のリンゴの木と共にあるとのこと。

他にもリンゴの切手は結構ある。いずれもふるさと切手だが、まずは1989年10月青森のふるさと切手。赤と黄色のリンゴの実にリンゴの花が添えられている。2002年10月青森のふるさと切手として岩木山とリンゴの図案の切手が出ている。

2005年5月の東北のふるさと切手で青森県と岩手県からリンゴの図案の切手が出ている。また、2006年9月の関東のふるさと切手として群馬県のリンゴの切手が発行されている。

次に梨はやはり鳥取県のふるさと切手としてニジッセイキナシの切手が1991年8月に発行。さらに2006年9月に埼玉県のふるさと切手として発行されている。

柿はというと2001年9月に岐阜県のふるさと切手として富有柿と名鉄の路面電車が描かれた切手。2003年7月に福島県のふるさと切手として鶴ヶ城と柿の切手が出されている。


さらに2009年9月の愛媛県のふるさと切手では正岡子規の名句と共に柿が描かれている。

ブドウは2007年4月に山梨県から勝沼ぶどう郷とブドウの切手が出されているのみである。

最後に番外編。同じ秋の味覚のきのこだが、これも1974年11月に第9回国際食用きのこ会議記念の切手として栽培シイタケの図案が出されたのみで、なぜか松茸の切手は出されていない。わずかに風景印や記念印にある程度である。


どうも日本では花屋に並ぶものを切手にはしても、八百屋やくだもの屋に並ぶものはあまり切手の図案にしないようである。

秋の七草

2016-09-23 05:00:03 | 日記

七草には春の七草と秋の七草がある。七草粥は春の七草の方で『セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ』と覚える。

しかし、正式な呼び名とかなり乖離しており、実際の名前は『セリ、ナズナ(ペンペン草)、ハハコグサ、ハコベ、コオニタビラコ、カブ、ダイコン』のことである。これは粥に入れるくらいだから、全て食用となる。

しかし、秋の七草は観て楽しむ、いわば観賞用の野草で『オミナエシ、ススキ、キキョウ、ナデシコ(カワラナデシコ)、フジバカマ、クズ、ハギ』となる。これらは観賞用というだけに様々な色の花を付ける。手に入れにくいかと思っていたが、農協にいくとこのうちススキ、ハギ、キキョウ、ナデシコはしっかり売っている。折角だからとナデシコを買ってみたりした。


秋の七草の花の色だが、イネ科のススキを白とすると、キキョウは紫、ハギとナデシコはピンク(ハギは白もある)、フジバカマが白(蕾の時は薄いピンク)、クズは赤または紫、オミナエシは黄色(白はオトコエシ)とバラエティに富んでおり、これらを一緒の花瓶に入れても面白い。

秋の七草は春の七草のように1月7日に七草粥を食べるといった行事はなく、秋の野原を見ながらそこに咲く野草の花をみて俳句や短歌を詠むなどの風流を楽しむ目的で定められたようだ。また、草花のチョイスは山上憶良の歌から取ったものと言われている。

暑さ寒さも彼岸までとは上手くいったもので、暑さもひと段落し、月見とともに自然を愛でるのには秋は良い季節なのかもしれない。ただ、今年は台風と長雨のおかげで楽しめない所も多いようではあるが。
(出てきた花の写真はキキョウ、ナデシコ、ハギ、ススキ、オミナエシ、フジバカマ、クズの順です。)

茅場橋・鎧橋

2016-09-22 06:00:03 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その4。どうしてもまずはご近所からと第1回第2回に続き日本橋川に架かる茅場橋から渡ってみる。

日本橋より下流の橋は昭和通りが上を走る江戸橋、その次が鎧橋、さらに新大橋通りが上を走る茅場橋となり、海までにあと橋は2本しかない。

(鎧橋から望む)

茅場橋はその名前の通り茅場町交差点のそばにある橋であり、どうも初めて架けられたのは関東大震災後の復興時のようである。

現在の橋は1992年と比較的新しく、高速道路の下にある57mほどのいわば普通の橋である。やはり雨がしのげるからか、昼間も寝ているおじさんが結構いる。


その隣は鎧橋だが、江戸時代には橋がなく渡船『鎧の渡し』で結ばれていた。その由来だが、源為義が奥州征伐の際にこの場所で暴風雨に遭い、自らの鎧を海中に投げ入れ、海神に祈りを捧げたところ、収まったとする説、平将門が兜と鎧を奉納したとする(兜は兜神社)説などある。橋が初めて架けられたのは1872年のことで三井ら豪商が金を出し合い建設され、路面電車も走っていた。

しかし、1946年に老朽化のため都電の通行は中止され、1957年に今のゲルバー桁橋に架け替えられた。

証券取引所のすぐ手前にある橋で、他の橋に比べて欄干も低く、モダンな感じがする橋であり、小網町側には小さな園地もある。

上を通る道は平成通りと名付けられているが、江戸橋(昭和通り)や茅場橋(新大橋通り)に比べると車の通行量も少なく、比較的静かな橋である。

蕎庵あおい〜練馬ランチグルメ

2016-09-21 05:00:57 | グルメ

いわゆる名店を探してうろうろ、ようやくお目あての店を探したが、思いの外好みではなかったり、値段の割にはこの程度などと感じることはしばしばある。しかし、ちょうど昼飯時に立ち寄った店が好みにぴったりあったりした場合には思いの外嬉しいものである。まあ、滅多にないが。

しかし、先日母親を見舞った帰りに蕎麦屋に立ち寄った時のこと。練馬区氷川台と桜台の中間あたりのあまりレストランのない地域で車を駐めるスペースがある蕎麦屋を発見、店の名前は『蕎庵 あおい』、取り敢えず入店した。土曜日の昼少し前にドアを開けると其れ程広い店ではないが、ボックスが4つ、カウンターがほぼ満員、カウンターに一席のみ空いていた。驚いたことに白金の利庵同様殆どの人が酒を飲んでいるのだ。

メニューを見るとかなり蕎麦にこだわりがあるようだ。『香味おろし』に目が止まり『香味薬味(青ネギ、ショウガ、ミョウガ、大葉)と大根おろし、鰹節をかけたぶっかけ蕎麦』とある。それならと小エビ天付き香味おろしそば(1080円)をお願いする。

偶然にも隣の女性も同じものを頼んでいたらしくすぐに登場するが、中々のボリューム。揚げたての天ぷらの良い香りがする。反対側の夫婦は出し巻き卵でビールを飲んでいるが、追加注文が天ざるそばで先に天ぷらのみ欲しいとのワガママを言うが、それが当たり前のようだ。

厨房は男性が1人、あとはホール兼任の女性とホール係の女性の3人でテキパキと動いている。それにしても追加のつまみを注文する人が多い店で、メニューを見ると小左衛門や幻舞など銘酒揃い。どおりで車で来店する人がいないわけである。

かなりの待ち時間を覚悟したが、7〜8分で到着。香味おろしにつけ汁を掛けて混ぜて食べるが、蕎麦も美味いし、香味おろしも中々いい。もちろん揚げたての小エビも3匹乗っているが、サクサクして美味い。

ワサビもおろしわさびで少しとって蕎麦に合わせるがこれもいい。周りを見ると食事のみのお客はすぐ帰るが、気がつくと外には人の列。なるほどの繁盛店であった。近くにあれば夜の部に来たい店である。

蕎庵 あおい
練馬区桜台3ー42ー24
0359992480