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『ぶらっと橋めぐり』その7。今回は隅田川に架かる永代橋を渡る。永代橋は中央区新川と江東区佐賀・永代を結ぶ。上を通るのは永代通り、つまりこの橋の名前が付いている。
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歴史は古く、江戸時代の中期1698年に徳川綱吉50歳の誕生日を記念に隅田川4番目の橋として作られた。当時は最も下流にある橋で満潮時にも橋脚が3mあり、比較的大きな船舶の通過も可能であった。
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名前は徳川の世が永代に続くようにという説と江東区佐賀が永代島と言われていたからとする説がある。かなり、立派な橋ではあったが、江戸幕府の財政悪化により、補修が十分行えず享保年間に一旦は廃橋にしようとしたが、住民が金を出し、通行料を取って補修した。しかし、1807年の深川八幡の祭礼の日に増えた通行人の重量に耐えきれず落橋、1500人もの犠牲者が出た。
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明治になり、1897年我が国初の鋼鉄橋として作り変えられたが、橋底には木材が使われていたため、関東大震災では燃え上がり、再び多数の死傷者が出た。今の橋は1928年に震災復興としてドイツライン川に架けられていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルに作られたものである。2007年には都市の鉄橋として初めて勝鬨橋、清洲橋とともに重要文化財に指定されている。
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ドイツをモデルにしただけあって重厚感がある威風堂々とした橋で下流には高層マンション群、さらにハープ橋なども見ることができ、中々の景観を作っている。日中の交通量は多く、また、夜はライトアップされることでも有名である。
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忠臣蔵では吉良邸(両国)に押し入り、吉良の首を刎ねて主君の仇を取った赤穂浪士が渡った橋としても有名。また、今も深川八幡の祭礼で神輿が通過する際が最も賑やかになると言われている。もちろん、鉄橋のため、落ちる心配はないが。
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