hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

甲斐善光寺に参拝する

2020-02-29 05:00:00 | 旅行


山梨県は我が家から比較的近いが、それが故にあまり丁寧に見て回ったことがない。勝沼のワインや都留市でゴルフをすることはあるが、それ以外はかつて一宮の桃源郷公園に桃の花を見に行ったことくらいである。今回はまず、甲斐善光寺まで車を走らせた。


新型肺炎の影響か中央道は空いていて一宮御坂ICまで土曜日だというのに事故渋滞で少し待たされたくらい。ここから甲州街道を使い甲斐善光寺に1時間30分くらいで到着。




甲斐善光寺は武田信玄が川中島の合戦の際に信濃善光寺の火災により寺宝が失われるのを恐れ、1558年に寺を建て、移したことに由来する。ただ、信玄が建てた七堂伽藍は1754年に焼失、金堂や山門は1796年の寛政年間に再興されたものである。駐車場は参道途中にあるため、少し戻るが、山門は信濃善光寺同様、重層建築の立派なもの。仁王像も腕はないが迫力満点。




金堂は善光寺建築に特有の撞木造りで信濃善光寺によく似ている。山門、金堂とも国の重要文化財に指定されている。


山門入ってすぐのところに『お咳婆さんの石』という大きな石がある。この石に咳が治れば飴を奉納することを約束して祈願すると効能があるとされている。昔も今も咳に苦しむものはいたのである。


500円払い金堂内部を見学、天井板には鳴き龍の巨大な絵が書かれていて中央部に立ち、手を合わせると大きな音が響く構造。さらに仏像が並ぶ奥の通路の先には信濃善光寺同様にお戒壇巡りをすることができる。


細い階段を降りると真っ暗だが、左へ周り、2つ目の先の腰の位置にある鍵に触れることによりご本尊と縁を結べるとのこと。なんとか鍵を見つけて無事完了した。


御本尊は阿弥陀三尊であり、信濃善光寺の絶対秘仏である像のお前だちと作られたもの。こちらは7年に1度のご開帳で拝むことができるが、次回は5年後ということになる。




万世飯店〜日比谷ランチグルメ

2020-02-28 05:00:00 | グルメ


久しぶりに内幸町に仕事で行く。ちょうど昼前になり、ガード下の『坂内』もいいし、たまには『大戸屋』はたまた『リンガーハット』、懐かしいところでは『スマトラ』のカレーもと思いを巡らしたが、やはり『万世飯店』のパーコーメンが食べたくなり日比谷シティまで足を伸ばす。




まだ早いこともあり、店はガランとしている。券売機で食券を買うが、よくもこれだけパーコーメンの種類があると感心。悩んだ末に『普通』と『ダブル』の間の『ビッグパーコーメン』(980円)にして入口のお姉さんに食券を渡すと『麺大盛り無料ですが』と言われて『大盛』にしてしまう。


4人席を独り占めで待つこと5分、来ました大丼にパーコーが一列半。小松菜、もやし、メンマもたっぷりと配され、ついてくるレンゲもビッグサイズ。

まずはスープから、とても熱いが、やや甘口の飲みやすい醤油味。麺は中太ストレート麺、ちゃんぽん麺風にツルツルと喉越しよし。

メインのパーコー(排骨)は甘辛く味つけた豚ロースに衣を付けて揚げた当店名物。新宿の系列店ではカレーに乗ってくる。これがジューシーでボリュームがあり、私は揚げたてトンカツ同様に大好きな味❤️。



パーコーは1.5枚、麺も1.5倍、とにかく食べても中々無くならないが、うまさは続く。さらにパーコーの衣もブヨブヨになりにくく、最後まで美味しい。たまにはいいが、事務所の近くにあると危険な食べ物である。因みにこの店は夜飲みもいい、焼きそば、パーコーなどをつまみにビールが進みすぎる。本当にご馳走様でした。

万世飯店日比谷シティ店
千代田区内幸町2ー2ー3日比谷シティB2
0335952929


四谷〜曙橋の坂巡り②

2020-02-27 05:00:00 | 坂道



『東京の坂、日本の坂』その122。新宿通りと並行する道を行くと右に弧を描きながら緩やかな坂道となっていく。四谷はもともと寺院が多いが坂の名前にも寺の名前が多い。この坂も『円通寺坂』、少しいくと左手に今も円通寺はある。






新宿通りに出る直前を左に行くと細い道にぶつかるがこの坂道が『女夫坂』。坂道が一旦下り、その先で上り坂になるものを『夫婦坂』、『薬研坂』などと付けることがあるが、その類である。


新宿通りに出て、右折、次の信号を反対側に渡る。すると緩い、しかしバスも通るような坂道だが、これが『津の守坂』。由来は坂の上に『松平摂津守』の屋敷があったが、気の短い江戸の人が最後の2文字『津守』のみを取り、『つのかみさか』としたもの。




坂の途中を左に曲がり、2本目の階段坂が『仲坂』である。階段を降りると二等辺三角形のような土地が見えてくる。




広い方の道を行くとその先には『津の守弁天』が祀られている。小さな祠の横にはちゃんと池があり、『策(むち)の池』と名付けられている。




荒木町の谷の底に位置する池はかつて馬の鞭を洗ったから名付けられたとも言われている。今は亀がいるのんびりした池である。




その横から細い坂道が綴れ折れのように続き、少し歩くと車力門通りにぶつかる。これを左に曲がると荒木公園、その隣に『金丸稲荷神社』のところで左に曲がる。その横にはとんかつの名店鈴新がある。いかにも花街という路地の塊の町である。




路地を抜けて柳新道通りを歩く。夜はよく来るが昼は雰囲気が違う。外苑東通りを越えてゆるりと降る坂道が『新坂』。荒木町と舟町の間の切通しのような坂道はこの辺りにあった全勝寺の地所を削って新たにできた坂のためついた名前であり、新と付いてもできたのは江戸時代である。




坂を下ると靖国通り、右に折れると都営地下鉄新宿線曙橋駅はすぐのところにある。









小諸そばで信州肉味噌そばも食べる

2020-02-26 05:00:00 | グルメ


先日頂いた小諸そばの『山ワサビそば』、もう一つのメニュー『信州肉味噌そば』が気になり、人形町の店を見るとまだやっている。どうしても気になり、訪問した。


このメニューは完売かと思ったらまだいくつかの小諸そばで限定的にやっているらしく、この日はなぜか頼む人が多い。前回、山ワサビそばだけでは後で腹が減ったため、今回はいなり寿司も注文。因みに何故か山ワサビそばより10円高い330円である。


出てきた信州肉味噌そばは写真と同じく真ん中に肉味噌、周りを斜め切りにした白ネギが取り囲み、味噌を溶いて食べてくださいと言われた。


その通りにしてツユを一口、なるほどしっかり味の蕎麦になっていて、これはうどんもありだなあと感じる。ただ、ネギ入れ放題の小諸そばのため、小口切りのネギも投入、七味をたっぷり振って食べるとなんとなく坦々麺を和風にしたように感じる。まあ、中に入っているものが同じだからしょうがない。


茹で麺の割にはコシがある小諸そばだからかもしれないが、やや濃い目の出汁にコクが出て、麺も負けていない。これは山ワサビそば同様かなり美味いメニューである。


新たなメニュー開発に積極的な小諸そばに感謝。次は穴子天蕎麦が今からたのしみである。


四谷〜曙橋の坂巡り①

2020-02-25 05:00:00 | 坂道


『東京の坂、日本の坂』その121。今回は四谷駅から曙橋駅まで坂道を歩きながら散歩してみた。東京メトロ丸の内線四谷駅の記憶は多分幼稚園頃、荻窪から乗った地下鉄が真っ暗いなかから急に地上に出て、なぜ地下鉄の駅が地上にあるのか、という疑問を持ったというものである。


四谷駅を降りて外堀通りを渡り、新宿通りを行く。左手のファミレス・ジョナサンを左折すると急に住宅街になる。少し先にはソロバンで有名なトモエそろばんの本社、今年で100周年らしい。




突き当たりは西念寺というお寺、この寺には服部半蔵が家康より拝領した槍があると言う歴史のある寺院。




右に曲がると左手に坂道が現れるがこの坂が『観音坂』、お隣の真成院との境の道で、真成院は潮踏観音で有名であったため、名前がついたもの。


坂を降りて右に曲がるが、この新宿通りに並行する道は比較的広い。次の交差点を左に行くと四谷の総鎮守『須賀神社』の階段下に出る。そのまま登る階段が男坂、先の踊り場のある坂が女坂である。




須賀神社は須賀大神と稲荷大神が祀られた神社。1634年に赤坂の稲荷神社を江戸城の外堀普請の際にこの地に移し、さらに大伝馬町の総鎮守で神田明神の摂社に祀られていた牛頭天王と合祀、明治初めに今の名前となったのが由来である。祭りが有名であり、神輿の倉が並び、新しい所ではアニメ映画『君の名は』の舞台の一つにもなった場所である。




私は女坂を上り、参拝し、境内の梅をめでた後、男坂を下り、元の道まで帰る。反対側に上る坂が『東福院坂』、これは坂の途中にある寺の名前に由来するが、別名が天王坂。これは須賀神社に祀られた牛頭天王に由来する名前である。(以下、次回)






江戸橋 松月庵〜日本橋ランチグルメ

2020-02-24 05:00:00 | グルメ


日本橋に行った帰りに昼が過ぎたので店を探すとビルの地下にある蕎麦屋さんを発見、メニューを見ると『カツカレー丼』(1050円)という珍しいメニューを発見し、地下に続く階段を降りてみた。




案の定、店は満員だったが、すぐ空きますよと待つことにする。メニューは渡されたがもう決めているので見ることもなくぼんやり。すると2人席の女性が帰ったので席に座る。すぐに隣の2人席も空き、カツカレー丼を待つ。


すると次々にお客さんがやってきて次のお客さんは3人。何となく嫌な予感がしたが、私の席はほぼ4人席に1人座る形となっていたのである。店の人が『3人の方がお待ちになってますが、ご相席はいいですか?』と聞かれ、断る理由もなく3人に囲まれてしまう。そこにカツカレー丼が登場。しかし、上から見るとカツの姿はなく、ルーの奥底にあるようだ。


相席してきた3人も気を遣いながら小さな声で喋るし、こちらはカツカレー丼のルーが熱く、一口目が食べられない。ようやく一口、熱くて堪らないが味はいい。銀色の匙で浅く、カツを掘りながら食べ進める。


やはり、蕎麦屋のカレー丼は絶品、かえしとカレー粉の相性が抜群、さらに微かに残るカツのパリパリ感も相まっていい。しかし、なかなか冷める状態でもなく、ゆっくりと食べる。


するとラッキーなことに隣の4人席が空き、相席解消。見られることを気にすることなく味わいながらカツカレー丼を完食、一気に暖かくなりました。店の人は勘定の際に恐縮していたが、蕎麦屋の相席は常識、ただ、熱いカレー丼を食べているのに三方を囲まれるのはもう勘弁ではあるが。因みにこの日はカレー丼が大人気でした。ご馳走様でした。

江戸橋 松月庵
中央区日本橋1ー14ー5
0332811588



南砂緑道公園に城東電車の面影を探して

2020-02-23 05:00:00 | 日記


旧葛西橋から葛西橋と巡り、階段を降りてしばらく葛西橋通りを日本橋方向に歩くことにする。最近できたみたいだが、葛西橋の高架の下の部分は都バスの転回場となっていた。


散歩にはもってこいの平らな道を歩くと右手には大きな団地の建物が並んでいるのが見えてくる。これだけ同じような団地が並ぶと間違えそうなほどである。イオンショッピングセンター、丸八通りを通過して明治通りの南砂4丁目交差点を左折。




都電38系統は錦糸町〜日本橋を走った路線で水神森〜洲崎は城東電車を都電が買収したもの。旧路線はこの道を走っていて、次の信号を右折し路線専用軌道に入っていた。今は南砂緑道公園として整備されている。


公園に入るとトンネルのようになっていて、すぐに高架線の下を通るが上には先日亀戸から路線に沿って歩いた越中島線(貨物線)が通っている。少し上って覗くと踏切が見えて、現役であることを実感。




ガードをよく見ると『城東電軌こ線ガード』と書かれている。城東電車は1938年と80年以上前に無くなっているにも関わらず、今もしっかりと名前が残されているのには驚く。




その先、左側に電車の動輪が2つ、オブジェのように展示されている。城東電車のものでそばの掲示板には昭和47年まで走っていたことが書かれている。


緑道には梅の木もあるが、殆どがソメイヨシノで満開になるとさぞ素晴らしいだろう。緩やかに左に弧を描きながら遊歩道を行く。




左側に小さな大砲の模型。1854年に長州藩が幕府の承諾を得て佐久間象山の指導の元、屋敷内に作った鋳造場で作った大砲(模型)である。ここに鋳造場があったなど今では想像もつかない。




その先で永代通りにぶつかる。かつてここに南砂四丁目電停があり、路線も右に曲がっていた。その先には地下鉄東西線東陽町駅があるがら都電洲崎電停はさらに先にあった。


少し離れてはいるが、プロ野球創成期に使われた洲崎球場や歓楽地の洲崎パラダイスなどあり、栄えた場所である。


韓丼〜渋谷グルメ

2020-02-22 05:00:00 | グルメ


井の頭線渋谷駅西口を出たすぐのところにカルビ丼とスン豆腐の店『韓丼』が新たに開業、元は古くからある居酒屋でじめっと暗い店であったのが、一気に明るくなった。


韓丼は京都が発祥のチェーン店で関西・中京地区を中心に既に40店舗以上あるが、関東地区には亀有、東大宮とこの渋谷店しかない。売りは高温調理機で香ばしく仕上げたカルビ丼と辛さが選べるスン豆腐の二大メニューでこれにキムチや温玉などをトッピングしていく。カルビ丼は肉普通が550円、肉1.5倍が760円、肉2倍が960円。純豆腐(スン豆腐)は海鮮とホルモンがいずれも700円である。


入口に券売機があり、食券を買い、店員に渡して席で待つシステム。私は肉普通をチョイスして様子を見ることにした。


カウンターは厨房のまわりにあり、目の前には純豆腐を作るガスコンロが9穴、奥では時折炎が上がるが、ここでカルビを炙り焼きしている。


カルビ丼は割にすぐに提供されるが、丼は小さめ、ただ、肉は十分な量が乗っており、他には刻みキャベツと刻みネギが添えてある。作り立てのため、少し焦げたカルビ肉が香ばしく、ご飯が進む。周りを見ると肉1.5倍が人気があることに気づく。


肉は甘辛い味付けだが、辛味は弱く、上に一味を振ってコントロールする。ご飯にタレが染み込み、これがまた美味い。わかめスープは50円、キムチは110円だが、これは味に変化が付けられる点からもつけることをオススメする。(今回は私は頼まなかった)


店内ではずっーと『さっちゃんのカルビ丼』という歌が流れ続けていて、ついつい口ずさみたくなっかしまう。また、脂っこい丼だからお客は男性ばかりかと思ったが、意外に若い女性2人連れや子供連れもいた。私は5分ほどで完食できたが、食券制のため、追加注文がしにくいのが難かもしれない。ご馳走さまでした。

韓丼
渋谷区道玄坂2ー8ー9市橋ビル
0364525767



旧葛西橋を目指して

2020-02-21 05:00:00 | 川と橋とダム


『ぶらり橋巡り』その98。色々と街歩きをしている中で『旧〇〇』という構築物や川、橋などにぶつかると唆られる。JRの駅名にも旧が頭につくのは廃止されてしまった石北本線の『旧白滝駅』ひとつだけだったことを思い出した。


その流れで今回は『旧葛西橋』を訪れてみる。行き方は都バス秋26系統秋葉原駅〜葛西駅に乗る。今回は清澄白河駅から乗車、清洲橋通りをひたすらまっすぐ走る。




途中、白河、境川、亀高橋などを通過、旧葛西橋交差点を右に曲がったあたりがバス停。




少し戻り、右に曲がるが、4車線が2車線になる。周りはやはりハゼ釣りに来る人が多いのか、釣具屋が急に増える。




その先は土手になっていて越えると広々とした荒川が見える。対岸には高速道路が走り、雄大な風景だが、実は先ほどの清洲橋通りの延長上に1963年までは葛西橋が存在していたのである。


前の葛西橋つまり旧葛西橋は1928年に荒川放水路完成と同時に作られた片道1車線の橋長549.5mの橋であったが、橋脚が木製のために1950年に一部損壊し、300m下流の新橋完成後取り壊されたのである。




そのため、かつてあった橋のことを偲び、さらに都電29系統の終点があったことから旧葛西橋という地名となり、現在に至る。交差点やバス停には名前が残されている。



荒川の土手に沿って川下の葛西橋に向かう。葛西橋は全長727m、幅員15mの桁橋(吊橋のように見えるが吊材は補鋼材である。)の大規模かつ美しい形状の橋である。


さらに下流には清砂大橋という美しいハープ橋を臨むことができる。天気も良く、やはり橋の近くには魚が多いからなのか大勢の釣り人が竿を垂れていた。






かくれん坊〜明大前グルメ

2020-02-20 05:00:00 | グルメ


井の頭線沿線で意外に行かないのが明大前駅、学生街ということもあり、大学生の時に安い居酒屋には行ったことがあるが、最近は串揚げを食べる『かくれん坊』という店のみである。


この店を知ったのは京王電鉄の月刊紙『あいぼりー』。昨年8月以来2回目の訪問である。場所は明大前駅から5分ほど、マンションの1階にある。


外は甲州街道など車の音がうるさいが、店に入ると静か。カウンターに通され、生野菜が出される。前回同様にお好みで順番に揚げてもらう。まずは生ビールで乾杯、外は寒くともやはり冷えたやつは美味い。




1串目は海老紫蘇巻、レモンを絞り、塩で頂く。甘みが引き立つ。さらに牛肉、辛子とソースで頂くが柔らかい。




椎茸は挽肉を乗せて揚げ、上にマヨネーズと細かく切った玉ねぎ。さらに凝っているのはカニ肉をサヨリで巻いて、ホイル巻きにして揚げたもの、これを塩とレモンで。このあたりはもう日本料理の域。(カニ肉のサヨリ巻きはかつて新宿ハルクにあった五味八珍の名物であった。)




さらに豚ヒレ、レンコンのカレー肉詰め、山芋、アナゴを牛蒡に巻いたもの、キス、子持ち昆布をフライにしてウニソースを掛けたもの、と凝った串揚げの連続。




酒は赤霧島のロックに変わる。やはり盛り上がるのはクルマエビ、これが大きい。さらに定番のアスパラの肉巻き。




季節を感じたのはタラノメ、最高級山形産で春の香満載。最後はセロリと鶏肉、なぜか好きな串揚げである。昔ならもっといけたのにと思いながらギブアップ。


口直しの黒糖ゼリーを頂き、お茶を飲んでご馳走さま。本当に旨くて後味のいい串揚げでございました。

かくれん坊
世田谷区松原2ー40ー7
05055965895