hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『秋の甲斐路へ』⑩終〜富士山と別れて勝沼のワイナリーへ

2024-12-06 05:00:00 | 旅行
『秋の甲斐路へ』⑩、最終日の11月3日は晴天に恵まれ、目の前に驚くほど大きな富士山が現れた。前々日に博物館で言われた通り、初冠雪が遅れ、いつもの雪を被った富士山ではなく、真っ黒な夏山のままである。

しかし、夜明けの富士山は私のような者には宿泊しないと見ることができない。朝日を浴びて微妙な色の中にある姿はどれだけ見ても見飽きることはなかった。



前日が雨だったこともあり、朝食後、外に出てようやくホテルの外観を見ることができたが、なかなかおしゃれな南欧風、見下ろすと河口湖も良く見え、カメラスポットも沢山ある。いわゆる映えるホテルである。

湯船のあるバルコニーもよくできていて真ん中あたりが窓のように開く。湯船な座ったまま富士山を眺めることができる。自分で挽いたコーヒーを湯船でゆっくり頂く、こんな贅沢もすることができる。

朝、9時に出発して下道を走る。気がつくと左右とも桃や葡萄の畑の中を通る道となっていて40分ほどで勝沼に到着。まずは老舗の勝沼醸造に向かう。1937年創業の老舗ワイナリーで駐車場のサインまでおしゃれ。



有料試飲を始めたのも最も古く、もちろんアルガブランカを始めとするワインも素晴らしい。





数年ぶりの訪問でワイン試飲スペースも広くなり、さらに葡萄畑を一望できる展望テラスが2階に設置されていた。





前々回に購入したカードを有料試飲の機械に差し込んで新酒やアルガブランカ、アルガブラン、アルガーノなどを試飲したいところだが、車のため、相方に飲んでもらい、3本購入した。



続いて距離はすぐだが、甲州市のお隣、笛吹市一宮町にあるルミエールに向かう。創業130年の歴史のあるワイナリーで石蔵発酵槽は国登録有形文化財に指定されている。初めてお邪魔してから20年以上経過、昔は事務所横にある小さな試飲室で飲ませてもらっていた。





今は新たにワインの展示スペース、試飲コーナー、ゼルゴバというレストランなどが作られ、当時からはまるで規模も変わっている。白ワインも地元南野呂で取れるデラウェアを使った一升瓶ワインから1万円を超えるシャトールミエール、また、スパークリングやオレンジワインなど種類も多く、楽しめる。

こちらではオレンジワインと新酒の計2本を購入。私の持っていた有料試飲カードはかなり古いもので今はやり方が変わっていた。しかし、古くからの顧客を大切にしてくれ、お勘定の際にこのカードを見せるとさらに5%引きにして頂いた。

最後に地元の農協がやっている『JAフルーツ山梨の店』でお土産を購入、帰途についた。ワインもいいが、そのツマミとして巨峰のレーズンは素晴らしい。我が家に戻ったのが、昼過ぎ。タイミングを外すと渋滞なしで帰れた。僅か2泊2日半の甲州路だったが、富士山にワイン、河口湖、さらに古墳色々楽しむことができた。
ご愛読ありがとうございました。




『秋の甲斐路へ』⑧〜甲斐善光寺と武田神社

2024-11-30 05:00:00 | 旅行
『秋の甲斐路へ』⑧、銚子塚古墳を堪能した後、ファミレスでランチ。雨も完全に止まないので昇仙峡を諦め、甲斐善光寺へ。
甲斐善光寺は元は武田信玄が川中島の戦いを考え際に信濃善光寺に戦火が及ぶことを恐れて創建した寺院。

1555年第三次川中島の戦いを和睦するとこの寺を建て、その3年後に信濃善光寺の本尊の善光寺如来を移した。



しかし、信玄の死後、1582年武田勝頼は織田・徳川連合軍に敗れ、善光寺如来は織田信雄により岐阜に移され、さらに清洲城、徳川家康により吉田、浜松を経て甲斐善光寺に戻される。しかし、豊臣秀吉が方広寺大仏損壊を受けて善光寺如来を京都に移されるが、秀吉が病となり、善光寺如来の祟りと噂されたこどあり、1598年に信濃善光寺に戻された。



甲斐善光寺の伽藍はほぼ信濃善光寺と同じ大きさがあった。しかし、1754年の火災で焼失、1766年から30年かけて1796年に完成した物が残されている。



本堂の内陣に入ると天井の鳴き龍2頭が手を叩くと反射が起こり、共鳴して大きな音が出る。

また、本尊の裏に行くと信濃善光寺同様に『お戒壇巡り』があり、真っ暗な中で鍵(錠前)を触れることにより本尊と縁が結ばれるとされる。もちろんチャレンジしたが、降りていく階段の高さが異なり、怖い。さらに壁に沿い、腰の高さを探るが、一度突き当たり、右に曲がったのち、ようやく見つかるもので結構時間がかかる。

今の本尊は銅造阿弥陀三尊像で写真も飾られていた。この像はかつては御前立で、秘仏ではあるが、7年毎に開帳されている。



次は武田神社に向かう。この土地に武田信虎、信玄、勝頼の3代がこの地を治めた時の躑躅ヶ崎館(武田館)の跡地であり、明治・日露戦争後信玄祭祀神社創設の機運が盛り上がり、1919年に完成した。

甲府城もあるが、これは武田氏滅亡後に秀吉・家康が築城、江戸時代は当初は幕府直轄、その後、徳川義直(家康の9男)が初代城主となり、その後も親藩系大名が続いた。

武田神社は坂を登った突き当たりにあり、以前来た時は左の第二駐車場に向かって停めたが、あまりに遠く、辟易した。今回も左に一旦は曲がったが、雨が強くなってきたこともあり、近い駐車場に再チャレンジ。停めることができた。

すぐ階段下まで行き、橋を渡って境内に入る。激しい雨にも関わらずちょこちょこ歩く七五三の女の子が大変そう。我々も本殿に参り、御朱印をもらったのち、急いで車に戻った。
最後は降りしきる雨の中、本日宿泊する富士吉田へ一気に走り出した。(以下、次回)

『秋の甲斐路へ』⑦〜丸山塚古墳・銚子塚古墳に登る

2024-11-28 05:00:00 | 旅行
『秋の甲斐路へ』⑦、山梨県立考古博物館を出て大きな象の像の横を抜け、日本庭園を通過する。ようやく雨も小降りになり、小さな橋を越えると目の前にこんもり盛り上がった円墳が見えてきた。やはり山頂には桜の木が植えてあり、階段を登り頂上に行くことができる。



これが『丸山塚古墳』であり、山梨県最大の円墳で5世紀初めに作られたもの。規模は直径72m、高さ11mで明治40年に墳頭から石室が見つかり、先ほど博物館で見た四神四獣鏡、鉄斧、鉄鎌、鉄剣、鉄銛などの副葬品が発見された。また、墳丘は2段築成で埴輪が並べられ出ていた。





階段を登るが足元が降り続いた雨のため水が溜まり歩きにくい。気をつけながら墳頭まで辿り着いたが、11mの高さがあるため、上からの眺めは見事である。また、前を見ると前方後円墳(銚子塚古墳)の四角い部分が目の前に見えてくる。


丸山塚古墳をまずは降り、小さな川を渡ると銚子塚古墳の下に到着。四角い方から登るがこちらは高さ8.5m、そのまま行くと後円部につながり、さらに6.5m登る。つまりもっとも高いところは15mの高さがある。







全長は169mと東日本では最大級の大きさを誇る。こちらの副葬品も三角縁神獣鏡、勾玉、管玉などが発掘され、先ほどの博物館と国立博物館に収蔵されている。



小雨の中、古墳の周りを歩くが、距離は相当ある。これだけのものを手作業で作った人々の苦労も偲ばれる。





最後に岩清水遺跡のなかにある円墳を見て車に戻る。あまり熱心に見ていたからか、気がつけばもう昼を過ぎていた。それにしても古墳の写メを撮るのは難しい。(以下、次回)


『秋の甲斐路へ』⑥〜雨の中、山梨県立考古博物館へ

2024-11-25 05:00:00 | 旅行
『秋の甲斐路へ』⑥、一夜明け、外は激しい雨。温泉に泊まると朝は早起きしてしまう。昨晩とは異なる露天風呂に行くが、朝だからなのかも知れないが、湯の温度が熱く感じられる。ただ、顔に当たる外気と温泉の湯の熱さのギャップが心地よい。



旅館の朝ごはんはよくできている。小鉢がたくさんあって悩むのがまた楽しい。社員旅行があった頃に朝からビールを喜んで飲んでいた今はもう鬼籍に入った上司のことをふと不意に思い出した。





昨夕からの雨は強くなり、旅館の人に聞くと県道は降雨量が80mmを超すと通行見合わせになるという話を聞き、出発を急ぐ。



県道はリニア新幹線工事があるため、山の中の道なのだが、2車線が整備されている。それでも路盤が削られた所には水たまりができていてダンプカーとすれ違うたびに大きく水を浴びる。それでも殆ど信号なしで下部温泉まで戻り、ここからは中部横断道の下部温泉早川ICを目指す。

中部横断道はすでに中央道より南側は静岡県まで開通済。下部温泉早川IC〜六郷ICは無料区間となっていて、SAは設置されていないが、増穂PAに道の駅富士川が隣接していて野菜や花卉、果物などを販売している。私も庭に植えるビオラを購入した。再び車に乗り、南アルプスICで降り、新山梨環状道路に乗り継ぐ。知らなかったがこの道路を経由すると目的地である銚子塚古墳には早く到着できる。





甲府南ICから5分程度にある山梨県考古学博物館は甲府風土記の丘・曽根丘陵公園の中に位置し、奥には古墳群がある。

まずは博物館から見て回る。通常の入場料は600円だが、山梨県の宿泊施設を利用すると480円に割引される。現在は『縄文時代の不思議な道具』という企画展を開催、中を見る。すると入口に石棒という長い削られた石器。これが多少細工されていて、長いものは2m以上、小さいものは5cm程度。はっきり分からないが、子孫を残すための祭式、つまり男根を摸したものらしい。とにかく、実用性はなく、僅かに一つだが女性器を表したものもあった。
次のコーナーにはまるでままごとに使うようなミニチュアの土器が並んでいる。壺や器だけでなく、縄文式土器や土偶のようなものもある。撮影が許されなかったが、かなり面白い。



次は常設展、こちらは写メ可である。ナウマンゾウの歯の化石からスタートして山梨県の遺跡から出土した土器が多数展示されている。棺に使われた大きな土器が、もとは米を炊くために使われ、その再利用だったことを初めて知る。



中には今でも片口として使えるような土器もあり、加工の巧さに感心する。もし、この頃に私が生まれていたとしても不器用な人と言われ、苦労したであろう。

(いっちゃん)

小さな土偶もあり、いっちゃんと名付けられた土偶(模造品)は愛らしかった。
他にも鏃や勾玉なども展示され、特に瑪瑙の首飾りは素晴らしい。



最後のコーナーには銚子塚古墳や小平沢古墳、丸山塚古墳など博物館近くの古墳から出土した土器や鏡などが並べられている。



外の雨も少し小ぶりになり、いよいよ古墳に向かう。(以下次回)








『秋の甲斐路へ』④〜ふじさんミュージアムと富士山レーダードーム館

2024-11-17 05:00:00 | 旅行
『秋の甲斐路へ』④、古民家カフェで食事をしたのち、ふじさんミュージアムに向かうのだが、まずはその少し奥にある『鐘山の滝』に向かう、鐘山の滝は落差が10mで2筋に分かれており、富士山の伏流水も含まれる桂川にある。



紅葉はまだ一部に限られていたが、水量も多く、見事なもの。名前の由来は滝の上に鐘撞堂があり、静岡側から敵が攻め込んだ際にこの滝を鳴らしたと説明板にあった。

少し戻り、『ふじさんミュージアム』に入る。富士吉田市立の博物館で中に入ると大きな金属製の鳥居をくぐる。これは吉田にある金鳥居の2分の1スケールのレプリカであるが、富士山信仰の世界への入口である。

富士登山口の一つである吉田口の一つ目の門で鳥居の間に富士山が収まる光景が再現されている。

他にも『吉田の火祭り』『富士登山の今昔』『富士吉田の歴史』『富士信仰の起源と変遷』などを最新機器を使い、立体的な画像を見ることができる。スクリーンが大きいので大迫力であった。

(富士講の富士山)

次いで『富士山レーダードーム館』に行く。最上階には1964年に富士山頂測候所に設置した気象レーダーの実物(1999年運用終了)をこの地に展示した気象の博物館である。

中に入ると富士山で見ることのできる様々な気象現象を丁寧に説明したり、色々な器具の使い方などを展示したりしている。



特に富士山頂上での厳しい状況を再現した部屋があり、体験することができる。気温は零下10℃、風は20m近くまでなり、中に入ると寒さで一気に目が覚める。零下20℃は冷凍倉庫で体験したことがあるが、風があるとここまで厳しくなるのかということを身をもって体験できる。



また、ホールではNHK制作の富士山頂に気象ドームを運ぶ時のドキュメンタリー、いわばプロジェクトXのような番組を見ることができる。少し見るつもりが結局最後まで見て、60年も前の技術でここまでの事業をやり遂げ、台風観測の飛躍的向上に繋げた人々の偉業に感動した。因みにナレーターは久保純子アナウンサーだった。



最後に屋上にあるドームとレーダーを見てこの日のスケジュールは終了した。もう雨も降り出し、慌てて西山温泉に向かった。(以下、次回)

『秋の甲斐路へ』②〜急いで富士パノラマロープウェイに

2024-11-12 05:00:00 | 旅行
『秋の甲斐路へ』②。新倉富士浅間神社を後に富士パノラマロープウェイを目指す。河口湖畔から標高1075mの展望台まで3分で登ることができる。湖畔の無料駐車場に車を停めてロープウェイまで行くが、やはりこちらも外国人でいっぱい。



1台待ってすぐに登ることができたが、ゴンドラは満員、周りの景色を楽しむ余裕はない。



山はカチカチ山と呼ばれていてロープウェイにはウサギとタヌキの人形が乗せてある。とにかく富士山が雲に隠れないことを祈りつつ、曇天のなか頂上に到着するとなんと富士山全景が望めるようになっていた。

地元の人に聞くと山にこの時期雪がないこと自体が不思議だそうだが、今年はまだ雪が降っておらず、みる限りは黒っぽい山頂しかない。しかし、ロープウェイで登った分だけ左右に長く伸びる稜線、左側にある広いゴルフ場、これだけ観にくる価値がある。

さらに左側にある道を歩いて行くと右側の眼下に河口湖が広がる。もちろん晴れていればそれに越したことはないが、風景としては十分である。





山頂駅の前にはかわらけ(土器)投げやうさぎ神社、さらにたぬき茶屋、まるでカチカチ山である。たぬき茶屋でお土産を買うが、店のおじさんが英語で話しかけてきたのには驚いた。少し話したが、インバウンドが90%らしい。日本人の観光客は珍しい方のようだ。



ロープウェイを降りてから河口湖の湖畔を歩くがもうドウダンツツジが赤く色づき、秋らしくなっていた。



次は道の駅富士吉田まで車を走らせる。規模の大きな道の駅であり、向かい側には『ふじさんミュージアム』、隣には『富士山レーダードーム館』を擁する。また、敷地内にはモンベルなど商業施設もある。昼前になり、取り敢えず昼食場所を探すことにした。(以下、次回)


『秋の甲斐路へ』①〜新倉浅間神社の映えスポットへ

2024-11-08 05:00:00 | 旅行
『秋の甲斐路へ』①。滅多に秋に旅行をすることはないが、結婚記念日も兼ねて小旅行に出た。3連休の手前の1日の休みをもらい、家を6時半に出る。『女心と秋の空』とはよく言ったもので、今回の旅行も天気に大きく左右された。


平日ということもあり、スムースに調布ICから中央自動車道に乗り、取り敢えず河口湖ICに向かう。渋滞もなく、富士山が大きくなってはくるが、雲が徐々に増えてくるのが気になる。

0740に談合坂SAで休息、0830には最初の目的地、新倉富士浅間神社に到着する。この神社は外国人のガイドブックの表紙を飾ったことから有名になり、外国人が富士を訪れると必ず来ると言われている。

ちなみに『浅間神社』は富士信仰に基づき富士山を神格化した浅間大神、または浅間神を記紀神話に現れる木花咲佐久夜毘売命とみてこれを祀る神社である。



富士山の周りには富士山本宮浅間大社(富士宮市)、静岡浅間神社(静岡市)、富知六所淺間神社(富士市)、浅間神社(笛吹市)、河口浅間神社(河口湖町)、一宮浅間神社(市川三郷町)、北口本宮富士浅間神社(富士吉田市)などたくさんある。

新倉浅間神社は富士急行線下吉田駅下車5分と便利なところにあり、歩いてやってくる外国人も多い。駐車場に車を停め、まずは神社に参拝をする。御朱印も色々あり、人気がある。



その横から階段を登り、まずは忠霊塔を目指す。忠霊塔は戦没者の慰霊塔として地元の人々が資金を出し合い、1958年に作られたものである。周りには桜の木が植えられている。



さらに登ると展望台。目の前に富士山、その横に忠霊塔、春には桜(秋には紅葉)とザ・日本の風景を一度に撮す、映えのよいポイントとなっている。



このため、比較的広いスポットも外国人がたくさんいて、しきりにシャッターを押している。



まだ、山頂の部分は出ていて私もシャッターを切ることができた。早く次のスポットへと車に急いだ。(以下、次回)

『夏旅2024』⑰〜琵琶湖大橋と琵琶湖博物館

2024-09-10 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑰終、安曇川の道の駅を出て再び湖西道路を走る。真野ICで降りて琵琶湖大橋方向に走るが、快適な4車線道路で渋滞もない。

琵琶湖大橋は未だに有料だが、その手前側には『道の駅 びわ湖大橋米プラザ』がある。橋を渡るすぐ手前だが、割にわかりやすい。

駐車場に車を停めて建物の中に入るが、冷房が効いていて快適、名前の通り大橋のすぐ横にある。バルコニーに出ると橋の橋脚や全貌がよく見える。周りではモーターボートでスキーを履いた人を引っ張ったり、ヨットに乗ったりと真夏の琵琶湖を楽しんでいる姿が見える。道の駅にも船着場も備えていた。

米が名前に入っているだけあって地元産米の販売やお酒など多くの地元物品が販売されていた。

道の駅を出て左折するとすぐに橋の取り付け道路に合流する。琵琶湖には『大津市と守山市を結ぶ』琵琶湖大橋と『大津市と草津市を結ぶ』近江大橋があるが、琵琶湖大橋は1400m(上り、下りは1350m)に対し、近江大橋は1190mとわずかに琵琶湖大橋の方が長い。快適な4車線道路であり、橋の横に遮るものがないため、ドライブには快適である。

橋を渡り、湖岸道路を経由して琵琶湖博物館に行く。道の駅草津と反対側に曲がると長い取付道路を走り、広大な有料駐車場(博物館利用者は無料)に到着。外はドンピカのため、少しでも博物館に近い方に停めようとはするが、どちらがベストなのかはよく分からなかった。

ほぼ正午、帽子を被り、日陰を探しながら博物館に行くが、途中木に琵琶湖に関するクイズがぶら下げてあり、ついついこれを考えたりするから遅くなる。

入口まで行き、入場券800円を支払い入る。規模は予想よりかなり大きい。まずはエスカレーターに乗り2階の展示からみる。展示は3つに分かれているが、A展示室は『湖の400万年と私たち』と題して今までの琵琶湖の歴史と棲んでいた生物を学ぶ。驚いたのは琵琶湖が440万年前にできた頃には三重県伊賀市あたりにあり、これが断層活動で何回も動き、湿地を中心とした小さな湖が多くあったが100万年前には南湖の堅田湖とよばれる小さな湖となる。その後山地の隆起などもあり、43万年前に今の琵琶湖に近い形となったらしい。

また、180万年前にはアケボノゾウがセコイヤの林の中で生きていた、証拠としてたくさんの象の化石が発掘されていた。




B展示室は『湖の2万年と私たち』というテーマで縄文時代の船や漁の道具、木器など沢山の展示。例えば海老を捕まえるエビタツベなど珍しい道具などもある。



C展示室は『湖の今と私たち』がテーマで世界の湖と比較した琵琶湖の規模や内湖の移り変わりなど知らないことだらけである。因みに琵琶湖の広さはもちろん日本一、でも世界では168番目と意外に小さい。



最後に水族展示室、トンネル水槽など淡水の魚や生物がたくさん展示されていて子供たちに大変な人気。ビワコオオナマズは大きかった。

(オオサンショウウオ)

その中で最初に訪れた赤目水族館では顔が見れなかったオオサンショウウオに対面、展示がわかりにくいところにあるため、我々だけが盛り上がっていた。

結構な時間をかけて博物館を右へ左へ行きながら堪能、これだけ真剣に見たのは昨年のウポポイ以来であった。外に出ると琵琶湖の湖岸が美しい。

車に乗り、イオンに停めてランチ、夕方ののぞみで帰途にはついたが、宮崎県で発生した震度6弱により、名古屋駅を出たところで停電。一時は冷房も止まったが20分後に復帰、無事東京に戻りました。長い旅行記、ご愛読ありがとうございます。(了)


『夏旅2024』⑯〜白鬚神社・藤樹神社

2024-09-03 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑮、琵琶湖プリンスホテルで美味い朝食を食べた後、8時半に出発。東京のアンテナショップで教えてもらった白鬚神社に向かう。



浜大津あたりまでは朝の渋滞もあったが、湖西道路に入るとさすが高規格道路(2005年から無料解放)なので走りやすいが、無料だけあって標識が掠れ、路盤もところどころガタガタ。まあ、ただなんだから文句も言えないが。湖西道路、国道161号線を乗り継いで白鬚神社に到着したのが9時半。なにしろ国道沿いに神社があり、ひっきりなしに車が通るが、信号等はなく歩行者が渡るのは危険である。



駐車場は本殿のお隣、本殿は改修工事中である。有名な鳥居はまさに琵琶湖の湖面、少し離れたところにあり、夕日と共に鳥居を入れた写真が人気がある。



相変わらずの晴天続きで駐車場は埃が舞う状態、まだ朝早いのに結構な圏外ナンバーの車で混んでいる。

白鬚神社と付く神社は多いがここが総本宮で近江国最古の神社と言われる。由緒は垂仁天皇25年(西暦BC2000年頃)に皇女倭姫命(やまとひめみこと)が社殿を造られたのが創始である。また、ご祭神は猿田彦命である。分霊社は292にも上る。





階段を上ると外宮、内宮、3社が並び、さらにその上には右から天満宮、稲荷社、寿老人、弁財天、一つ奥に岩戸社が祀られている。上まで登ると湖面がよく見えてなかなか壮観である。

社務所まで周り、御朱印をもらいながら話を伺う。滋賀県のガイドブックに写メで映えると書かれているため、人気が上がることは嬉しいが、前の道路を無理に渡ろうとして事故が起きないかハラハラするとのこと。



その対策ではないが、少し高いところから湖内大鳥居が眺められるようにと展望台も造られたようだ。

あまり足を踏み入れたことのない湖西に来たので少し車を走らせて安曇川(あどがわ、かつての町、2005年の町村合併でマキノ町、今津町など4町1村と合併して現在は高島市安曇川町)に行くことにした。全国的に名が知られているとも言えないが私としては有名人である江戸時代の儒学者、陽明学者である中江藤樹の故郷である。

私が中江藤樹のことを初めて知ったのは小学生の頃に読んだ絵本に『武士の子として生まれた藤樹は祖父に付いて9歳の時米子へ。さらに10歳の時に藩主の国替により伊予大洲に移り、朱子学を学ぶ。母親は夫を失い、安曇川で一人暮らしていたが、冷たい冬の水を使ううちにひどいアカギレになったことを聞き、薬を持って1人で雪道を歩き、母を訪ねる。懐かしい母の顔を見た時に母に追い返される。その際、母が織っていた布を織り機から外して二つに裂き、学業を中途でやめて帰ってくるのはこれと同じことだと教えた。藤樹は泣く泣く大洲に戻って行った。』この物語には他にも新井白石などのエピソードが載っていたが、なぜかよく覚えている。

さらに明治時代に内村鑑三が外国人向けに書いた『代表的日本人』という本に取り上げた5人の日本人の中に西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、日蓮と共に藤樹が入っていて驚いたこともある。



この近江聖人が育った安曇川には中江藤樹記念館、藤樹神社などもある。記念館を訪れたが残念ながら改修中。

しかし、すぐのところに藤樹ゆかりの神社として大正11年に敬慕する人たちにより造られた藤樹神社があり、手を合わせることができた。
すぐそばには『藤樹の里あどがわ』という道の駅もあり、立ち寄った。旅から戻ったら久しぶりに『代表的日本人』を読み返してみることにしたい。(以下、次回)

『夏旅2024』⑭〜ラ・コリーナのソフトクリームは絶品

2024-08-31 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑭、善水寺を出て昼時になったが、あまり店もない。悩んだ挙句、道の駅を探すことにした。近くにあったのが、『アグリパーク竜王』。

アグリパークというだけあってぶどう狩りなど農業体験や農業の資料館などを備えている。レストランもあるが、周囲に飲食店が少ないこともあり、周辺で働く人や車で移動する営業マンも多く来ていて混んでいる。



私は和食続きということもあり、カツカレーを食べたが、カツは揚げたてで満足。
続いて向かったのは近江八幡市、市内を流れる堀を舟で回ることもでき、昔の問屋が並ぶ街並みを見ながら散歩したいところだが、あまりの暑さに降りることを断念。メンソレエタームで有名な近江兄弟社の本社の前も通過した。

向かったのは東京でも有名デパートに出店している『たねや』『クラブハリエ』などを経営しているたねやがやっているラ・コリーナは有名である。たねやが作った施設であり、中では焼きたてのパンやバームクーヘンなどが買えたり、お茶を飲みながら大自然を堪能できる施設である。地元では近江八幡市で最も集客力があるとタクシーの運転手さんに聞いた。



巨大な駐車場に車を停めるとバンとカステラ工場へ。沢山の車が暑さを物ともせず停まっていて、緑に覆われた施設に向かう。快晴の日差しにジリジリ焦がされながら、施設に入ると涼しい。バターや香料の良い香り、多くの人が店に列を作る。



リング状の施設は回廊のようになっていて、真ん中の部分には稲が植えられ、小さな家などオブジェが並ぶ。こちらにはギフトショップもあり、中には車のディスプレイ、リーフパイやジャムを買うことができる。



以前来た時よりはバージョンアップしていてお菓子や飲み物を買い、すぐそばで飲んだり食べたりできる店もふえている。また、ここでしか買うことが出来ない品物が多く、観光客がお土産の品定めをしている。



緑が溢れていて土色の塀のような回廊、ギフトショップ、バームファクトリーを順に回る。バームファクトリーの2階には喫茶があり、ここでアイスコーヒーとソフトクリームを頂くが、ソフトクリームの旨さには感嘆する。



もちろん、お土産をたくさんゲットすることも忘れなかった。



1時間近く立ち寄った後に車に戻り湖岸道路を走る。左側には琵琶湖がずっーと見え、草津の道の駅に入る。お土産を探していると『とびだし坊や』関連の物が多い。

というのは交通事故増加への対策として1973年に滋賀県八日市社会福祉協議会が作ったのが嚆矢とされていてそのため、滋賀県の名産となっている。普通の飛び出し坊やも多いが、先ほどのクラブハリエにもコック姿や和菓子職人の飛び出し坊やがいたことを思い出した。



今日の宿泊は琵琶湖プリンスホテル、泊まるのも20年ぶりだが、遠くからその姿は見ることが出来た。

部屋への到着時間はまだ早く、キラキラ光る湖面と先ほど通過した近江大橋などを眺めることができた。(以下、次回)