東京の地名は1964年のオリンピック直前に行われた住居表示の変更(1962年5月住居表示に関する法律)により、わかりやすく変えられ、それと合わせて小さな町自体も統合し、新たなものとなった。もちろん、新地名も杉並区の『西荻北』『西荻南』といつの間にか『窪』が消えて地名の意味がわからなくなったり、墨田区『文花』や『八広』のように旧町名がまるで消えた町もあるのだが。
しかし、住民が長く慣れ親しんだ名前を変えることを反対し、未だに住居表示が行われていない地区が東京にもいくつかある。これは『東京の坂道巡り』を始めて強く実感するようになったが、今回は東京23区の住居表示実施状況について改めて調べてみた。
まずは千代田区。区全体面積の74%は住居表示済みだが、26%は未実施で特に神田地区のかなりの部分は昔ながらの町名のままである。今も『神田◯◯町』といった町が26もあるが、神田鍛冶町のように1~2丁目は住居表示が行われて『鍛冶町』となった。
しかし、3丁目は住居表示未実施で今も『神田鍛冶町3丁目』ままである。さらに『神田司町』『神田多町』のように一部のみが住居表示未実施のため、1丁目はないが、2丁目はあるといった不思議なことが起きているのだ。
また、『神田岩本町』(住居表示未実施)と『岩本町』(住居表示実施済み)が併存するといったところすらある。
新宿区は少し事情が違い、小さな町であっても住居表示を行なった地区と未実施の地区が混在しているため、余計にややこしい。また、未実施地区が25%程度ある。
そのため、『市谷◯◯町』であっても市谷山伏町や市谷台町のように住居表示をした町もあるが、市谷船河原町や市谷薬王寺町など未実施の町も9カ所ある。そのため、この辺りを散策していると昔ながらの地番と住居表示後の番地がごちゃまぜになり、分かりにくい。
また、港区には僅かながら住居表示未実施の地区がある。これは『麻布永坂町』『麻布狸穴町』であり、実にこの2つの町合計0.31%以外はすべて完了している。
江東区はつい最近住居表示が完了した。これも変わっていて行われていなかったのは2つの埋立地、『夢の島』『若洲』であり、2009年にようやく完了した。しかし、新たに埋立てた中央防波堤内側埋立地と外側埋立地は江東区青海地先と暫定的に表示はしてはいるが、未だその区の所属すら決まっていない。
それでは現在の勤務地がある地元の中央区はというと『日本橋◯◯町』といった小さな町が19もあるのだが、何とすべて1980年代までに住居表示を実施済みなのである。そして先ほどの3区以外の20区は同様に全て終わっている。
つまり、こうして見ると新住居表示にできた区ともう50年以上できていない区が混在していることになるのだが、なぜこんなことになるのか、実に不思議なことである。