hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

レインボーブリッジ(2)

2017-01-31 05:00:19 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その28。レインボーブリッジの前回の続き。はじめから4番目の橋脚P30までで285m、かなり上り坂を歩いたつもりだが、まだ吊り橋部分までも半分程度にしかならず、全て歩ききるまでは何と1238m残っていることが判明する。やはり、大きな構築物である。


左手下には第三台場(台場公園、現在は陸続き)が見える。よくみると人が散歩しているのが小さく見え、そんなに高いのかと改めて認識する。因みに橋桁の高さは52mなので、この辺りでも30mはある計算になる。また、第三台場の先には旧防波堤が小さな無人島のように残されている。

この辺りからだんだん風が強くなり、左側から転落防止のネットに囲われるが、ネットの風切り音がうるさい。


さらに10分程度写真を撮りながら歩くとようやく台場側のアンカレッジに到着する。一瞬、室内に入ると風がないことのありがたみを感じる。かつて有料だった頃には展望施設にも入れたらしいが、今は閉鎖されている。

吊り橋部に入ると次第に揺れているのに気がつく。右手にはゆりかもめ(鉄道)と車が通るが、一瞬何もいないこともある。するとミシミシという音が聞こえる。


吊り橋部も真ん中あたりに来ると対岸が開けて海の科学館の向こうに大きなブイ、さらにその先に房総半島であろうか、低い山が連なるのが肉眼でもわかるようになる。そして、芝浦側の車道部分がループになっているのがよく分かる。鉄道やマイカーでは全く見えない絶景を見ることができるが、ここで初めて人とすれ違う。ただ、彼はランニングをしていたが。


ただ、だんだんこちらも同じような風景に飽きて早足になる。そして芝浦側のアンカレッジに到着。こちら側はエレベーターで降りることができて楽ちん。もう少し長いかと思ったが、芝浦側はダラダラ坂がない分は楽である。


そして、地上に降り立ち、レインボーブリッジを見上げるとまた、橋やアンカレッジなどの大きさに感動する。5分も歩けば芝浦ふ頭駅。

完歩は其れ程大変ではないが、真夏はやめた方が良さそう。橋は歩いて渡るのが一番を実感することができるオススメスポットである。

選抜高校野球と地域性を考える

2017-01-30 05:00:25 | 日記

選抜高校野球の話題が出始めるともう春も近い通り感じるのは私だけではないはずである。ただし、夏の全国高校野球は地区予選から始まるのでその段階から盛り上がり、自分や子供たちの母校の趨勢が気になる。しかし、センバツは急に出場校が決まるのでやや唐突感があるし、代表選定の過程がよく分からないがどうなっているのだろう。

公式には各都道府県の高野連推薦校から秋季地区大会などの実績と地域的なバランスから決められるとしている。通常大会(大会数末尾が5か0の大会は記念大会で規模が大きくなる)は北海道1、東北2、関東6(東京1〜2、それ以外4〜5)、東海2、北信越2、近畿6、中国・四国5(中国2〜3、四国2〜3)、九州4、これ以外に21世紀枠3の計32校が選抜されることになっている。

このため、同県から2校が選出される(除く、21世紀枠)こともいくつかあり、例えば前回の第88回大会も青森、福井、高知、87回大会は東京、京都、奈良、86回大会は栃木、京都、沖縄と各3都県で2校出場している。(因みに内規で3校は出ないようになっているらしい)

しかし、今回の89回大会はこの状況が一変した。というのは同一県から2校が出るのが、群馬、東京、奈良、大阪、兵庫、福岡、熊本と7都県にも増加している。さらに21世紀枠まで考えると岩手、高知も2校が選出されている。代表校が出る県はいいが、全く出場校が無いのでは盛り上がらないことこの上ない。では出場校がない府県は、青森、秋田、山形、茨城、埼玉、神奈川、山梨、長野、新潟、石川、三重、和歌山、滋賀、京都、鳥取、島根、徳島、愛媛、佐賀、大分、宮崎、長崎、鹿児島、沖縄24府県。つまり、半数以上の府県は出場校なしということになる。

新聞には実力で選出とは書いてあるが、今年から急に宗旨替えして、地域性を無視、それでいて全国を冠に付けるのは如何なものかと考えるのは私だけだろうか。神奈川県は2回連続出場校なしなのだが。

北千住駅(1)

2017-01-29 05:00:14 | 日記

『メトロに乗って』その47。今回は東京メトロ千代田線、日比谷線、半蔵門線が通る交通の要所と化した北千住駅から歩いて見る。

北千住駅に地下鉄が初めて通ったのは1962年5月に日比谷線北千住〜中目黒が開業した際で、その後、1969年に千代田線、さらに2003年に東武スカイツリーライン経由で半蔵門線が乗り入れるようになった。現在は日比谷線・千代田線の乗降客数は一日平均58万人となるが、それでもTX開業、半蔵門線乗り入れなどにより減少傾向にある。


急激に拡大した乗降客の影響もあり、駅前ビルは充実、さらにペデストリアンデッキも整備されているが、駅前には細い片道1車線の道しかなく、始終都バスや東武バスを先頭に渋滞が繰り返され、駅周りのみ開発しても追いつかない典型例である。

一方、駅前通りには古くからの八百屋や酒屋など昔ながらの店も残り、風情がる。さらに少し先には旧日光街道があり、これを右折する。

現在は千住宿場町商店街として発達する旧日光街道を少し行くと旧本陣跡を示す説明板。現在は名残もない。


さらに行くと大正時代の古い建物に『千住街の駅』と書かれている。中に入ると案内所となっており、ここで案内地図をもらい、先に進む。この辺りの路面には当時の風景が描かれたタイルが埋め込まれ、これを見ながら歩くのもいい。


この辺りの旧日光街道はまっすぐ伸びてかなり先まで見通すことができるが、その先を左に。するとまっすぐな杉の木の先に千住本氷川神社がある。

正月の七福神巡りの名残の大黒天が描かれた看板の横にある鳥居を抜けて正面が旧本社、右が新本社である。



見ると白梅がほころびかけてもう春がじきに来ることを語りかけてくれた。(以下、次回)

レインボーブリッジ(1)

2017-01-28 05:00:12 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その27。橋めぐりを始めてかれこれ4ヶ月。やっぱりと今回から2回にわたりレインボーブリッジを渡ってみる。といっても車やバス、ゆりかもめで渡るのではなく、歩いて渡ろうとするものである。

レインボーブリッジはご存知の通り、台場と芝浦を結ぶ吊り橋で2層構造になっていて2階は首都高速台場線、1階はゆりかもめ、一般道、歩道という区分になっている。では、歩道はというとゆりかもめのお台場海浜公園駅を降りて歩く。


駅前の高層アパートの階段を降りて、次の交差点を左折、まずはお台場海浜公園に向かう。お台場海浜公園は前にお台場、これを取り囲むように人工の砂浜が作られ、眺めがいい。


海にはゆりかもめが浮かび、とても東京とは思えない風景である。これを左に見ながら砂浜に沿って歩く。すると目の前に台場小学校、今年で20周年になるという。


その前を通り歩くとレインボープロムナード、つまり歩道の入口に到着する。今は無料、自転車は乗っては渡れない。緩やかな坂を上がって行くと二又に出くわす。左がサウス、右がノースで途中1ヶ所しか行き来できない。今回は日が当たるサウスを選択する。

レインボーブリッジは2つに分けられ、いわゆる橋脚のある橋と中央部の吊り橋、まずは橋脚のある方を歩き始める。右は車道、そしてゆりかもめの軌道のため、反対側はのぞむことはできない。左手には先ほどの海浜公園の砂浜と陸続きになった台場、さらに先には観覧車やフジテレビの社屋を臨むことができる。かなり歩いたつもりだが、橋脚が7本あってまだ4本目、先は長い。(以下、次回)

昭和館

2017-01-27 05:00:51 | 日記

昭和館をご存知であろうか。九段下の交差点、旧日債銀本店の向かいにある国立の博物館である。開館は新しく1999年3月、戦中戦後の国民生活を中心に資料が展示されている。外から見ると立派な銀色のビルだが、初めて中に入る。

まず、1階から。1階は『懐かしのニュースシアター』といって戦前から戦後にかけてのニュース映画を流している。私が見た時には日本海軍が船上で物資の補給をしているところのニュースらしいのだが、ほぼ真っ黒で映像は何が何だかわからなかった。次に流れたのが、戦後すぐの片山哲内閣の組閣の様子、かなり質素な服を着ていたのが特徴的。画像は大きいが、音が割れて聞き取りにくく、画像は暗い。

次に7階の常設展示を観る。戦中の様子、学童疎開、銃後の暮らし、物資統制、出征など胸が痛くなるような展示が並ぶ。我々の世代はかなり親から聞かされていて身につまされる。しかし、見に着ていた小学生にはそんなことはとても伝わりそうもなかった。

6階に降りると戦後といっても戦後すぐの外地からの引き揚げ、戦争未亡人の厳しい生活、電化製品と家庭の変化、新たな動きなど珍しく懐かしいものが並んでいた。ただ、7階から一変明るいかというとあまり娯楽的な側面がないからか、少し暗い気がした。

5階には資料室があり、写真や映像、レコードなどを見たり聞くことができるようになっている。結構ブースには人が多い。
私も時間があればゆっくり見たいものばかり、真面目だが、意外に面白い博物館である。常設展のみ入場300円である。

明大前駅(2)

2017-01-26 05:00:02 | 日記

『井の頭線気まぐれ各駅停車』その6。前回に続き、明大前周辺を歩く。築地本願寺和田堀廟所から明大の和泉校舎まで戻る。大学の門の先に左に向かって伸びる細長い公園がある。

これが杉並区立玉川上水公園。その横に橋の欄干のような石があり、そこには明大橋と彫られている。


つまり、今は公園となっているこの辺りにはかつて玉川上水が流れていてその上に明大橋が架けられていた痕跡なのであろう。


公園に沿って歩くと井の頭線の上を越すが、隣には太い導水管、さらに井の頭通りの直前に九右衛門橋が出てくる。

そしてその先が東京都水道局和泉水圧調整所の丸いタンクが2つ見える。これを右に曲がると松原交差点、甲州街道と井の頭通りが交差する。


甲州街道を再度渡り、細い道を真っ直ぐ行き、右に曲がると京王線の踏切に。これを渡らず線路に沿って行くと階段。おりて右に行くと明大前の商店街に出る。この辺りは学生相手の値段が手頃な食堂や飲み屋が立ち並ぶ。


さらに井の頭線の上を通ると元の明大前駅前。京王が駅ビルが作れない中で駅の向かい側に作った商業ビルのフレンテがある。

明大前駅周辺を改めてぐるっと回るとあまり大きなマンションもなく、庶民的、学生相手の懐かしい街並みが広がることに気づかされる。ただ、小ぶりな一戸建てが最近増加しつつあるようである。

変わったポストを訪ねて(2)

2017-01-25 05:00:23 | 日記

『切手シリーズ』番外編2。東京中央郵便局から東京駅丸の内南口に戻る。改札の外に丸い大正時代のポストが置かれている。これは東京駅開業100年記念として元々茨城波崎郵便局に置かれていたポストが贈られてきたもので2014年12月15日に設置されたもの。

このタイプに似た丸ポストは見ることがあるが、投函口の下の部分が金色に塗られていてかなり目立つ。残念ながらトイレの入り口にあるため、ポストに関係なく色々な人が座り込んでいる。

私がiPhoneを向けても知らん顔で写真が撮りづらく、外人男性は去ることもなく、やむなく腕が写ってしまった。

次は品川駅構内にある湘南電車を模したポスト、すぐ隣には品鶴線と山手線の『ゼロキロポスト』も並べられている。

このポストは2005年10月に品川駅改良ならびにecute品川開業を記念して作られたものだが、電車とポストがコラボした中々の出来栄えで今にも動きそうなそのフォルムが可愛らしい。


ただ、『郵便ポスト』と『ゼロキロポスト』を掛けていることは中々気づかないのではないかな。

風邪を引いた午後に

2017-01-24 05:00:39 | 日記

ついに風邪を引いてしまった。年末より義父の葬式を始め色々な行事が多かったこともあるが、毎年緊張していた年末に比べ緩みがちな年始にはよく風邪を引くことが多い。

風邪を引くときはなんとなく嫌な予感がして喉の奥の方がイガイガというか、少し引っかかる感じがする。すぐに常備している風邪薬とビタミン剤を夜中でも明け方でもすぐ飲むことにしている。年末からの危機は何回もこの方法で回避してきたのだが、今回はそれをしても体が重い。

これはまずいと思いながらも風邪薬や葛根湯を飲んだが、やはり効果なし。それでも昨夜6時には平熱だったので安心していたのだが、夜になって悪寒が始まった。これが来るともうだめだなあと感じる。昨夜10時には体温が39度、インフルエンザの可能性も出てきた。しかし、夜明けに体温を測ると38度ほど。それでも悪寒は止まらない。

やむなく会社を休む羽目になる。朝9時に近くのクリニックに行くとそんな風に熱がすぐ下がったり、節々が痛くないならインフルエンザの可能性は低いと言われ、風邪薬を処方された。でも、体はなんとなく重く、気力もない。やはり風邪はゆっくり直すしかないらしいと実感、もう目の前に還暦が来ていることもあるのか。ただ、また明日からは仕事である。

シウマイBAR〜東京駅ランチグルメ

2017-01-23 05:00:11 | グルメ

昨年暮れに東京駅地下の一番街に『横浜崎陽軒シウマイBAR』がオープン、崎陽軒の大ファンを自負する私としてはもっと早く行きたかったのだが、ようやく今回お邪魔することができた。

店は左半分がシウマイの販売店、右半分はオープンキッチンとなっている。奥のテーブルに陣取り『横濱チャーハン』(880円)をお願いする。

するとあっと言う間にチャーハンは運ばれてきたが、チャーハン、シウマイ3個、搾菜、わかめスープが付いている。シウマイは小さな蒸籠に入り、蒸し立てである。

チャーハンを一口、味は悪くないが、作り置きのジャーから盛られた感じでパサパサしている。まあ、弁当にある横濱チャーハンと同じと言えば同じだが。シウマイはアツアツで美味い。


特に感動もなく食べ終えたが、やはり横浜駅地下の崎陽軒中華食堂の方が遥かにいい。あだ、気になったのはシウマイカレーである。


まあ、夜飲む際にシウマイ弁当のマグロのネギ和えや筍煮などをつまみながら、また、蒸したてのシウマイを食べながら、ビールを飲むというパターンならば良いかもしれないが。

シウマイBAR
千代田区丸の内1ー9ー1東京一番街Aー5
0332015600

変わったポストを訪ねて(1)

2017-01-22 05:00:57 | 日記

『切手シリーズ』番外編。今回は切手ではなく、郵便ポストの話。街を歩いていると色々なポストに出会える。

まずは日本の郵便局発祥の地である日本橋郵便局から。ここは1871年4月に日本近代郵便制度創設とともに駅逓司と四日市郵便役所(のちの東京中央郵便局)が設置された。その記念として発祥の地の記念碑と郵便の父と呼ばれる前島密の銅像がある。

さらに1971年に郵便創業100年を記念したポストがおかれている。『郵便は世界を結ぶ』とメッセージが書かれた金属製の本体の上に大勢の人達が地球を支えるデザインの像が置かれている。

ただ、このポストが使いにくいのか、分かりにくいのか、そばには普通の赤いポストもしっかりおかれているのだが。

次に東京駅周辺のポスト。丸の内中央口の改札内にあるものでポストの上に東京駅舎のドームを思わせる飾りが付いている。その形自体も面白いが、中々粋なサービスが付いている。

というのはこのポストに投函すると風景印にて消印をしたうえで配達するサービスを受けることができる。(希望しないこともできる。)


東京観光の際にわざわざ窓口に行かなくても風景印が押してもらえるとは切手マニアには嬉しいサービスである。

つぎに改札を出て、中央郵便局に向かう。実は現在の前の建物の頃には正面に万国郵便連合加盟75年を記念したポストがあったのだが、今はない。

その代わりと言ってはなんだが、普通の赤いポストと郵便局のシンボルツリーである『多羅葉』の木が植えられている。(続く)