バスシリーズ その1。鉄道マニアほどではないが、バスの愛好家も結構いて、小生もその一人である。マニアには色々なタイプがいてバスの車体の種類、バス路線乗りつぶし、中には車内アナウンスを記録する人々すらいる。(1月22日朝日新聞夕刊にも記事がある。)また、路線バスも見捨てられてきて久しいが、TVでは太川陽介と蛭子能収が全国を走り回る番組が大変ヒットしている。
このブログでは、数あるバスの中でまずは都バスについて触れていきたい。都バスは関東大震災後の復興の遅れを補うものとして1924年に渋谷~東京駅、巣鴨~東京駅で開業したものが最初であり、当初は期間限定で営業を始めた。しかし、利用客がそれなりに付いてきたことと、買った車両の使い道に困ったことから、取り敢えず運行を続けた。しかし、戦争が近づくにつれて燃料を手に入りにくくなり、戦争末期には旧東京市街地からは姿を消した。
戦後は路線も徐々に増加したものの、中心部は都電の補完的な存在であった。しかし、1963年~1972年にかけて都心の交通渋滞解消のために段階的に都電が廃止された。代替手段として都バスの路線拡充が始まり、その頃に開設された路線が今の都バスの主要路線となっている。
しかし、その繁栄も長く続かず、新たに開通した東京メトロや都営地下鉄との競合から乗客減が加速した。これに対し1984年に都市新バス(愛称、グリーンシャトル)が新橋~渋谷間で運行、成功を収め、また、24時間バスやアクセスラインバス、フレキシブルバス(臨時系統)などきめ細かいサービスを打ち出したり、『みんくる』(都バスのゆるキャラ)、運行状況を携帯で分かるサービスを提供するなどソフトの充実も図りつつあるが、正直なかなか苦戦しており、乗客減が運行回数減や路線短縮、廃止などにつながる悪循環を来している。
小生が初めてバスに乗ったしっかりとした記憶にあるのは1964年頃、関東バスの荻窪駅~下井草駅だと思うが、当時と荻窪駅の乗り場はあまり変わっていない。しかし、殆どのバスがボンネット型で車掌が乗っていたことを覚えている。さらに都バスに乗車したのはその直後くらいに新宿駅東口~野沢龍雲寺(世田谷野沢)に乗り、バスの車窓からまだ残っていたトロリーバスを見たことを記憶している。
勿論、1人でバス路線の乗りつぶしを始めたのは中学生になった1971年ころでまだ系統番号が数字だけであった。都電が廃止されて500番台の系統が代替バスとして運転を始め、516番が大塚駅前~上野広小路~錦糸町駅、517番が池袋駅~文京区役所~有楽町駅、520番が早稲田~上富士前~上野広小路になり、これらが乗りつぶしで最初に乗った路線である。なお、当時の大人のバス料金が30円であった。
その後、高校生の頃はバスで通学し、その後バスで予備校に通い、大学に入りバスで家庭教師のバイトに行くといった具合に都バスにはよく乗ったものである。
これからは今のバス路線のレポートだけでなく、昔乗ったバスの思い出、かつては埼玉県や神奈川県まで路線が伸びていた都バスの路線網、羽田空港までの路線バスが首都高速を走っていたことなど色々なテーマでブログを書いていきたい。