hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

浅草駅(2)

2018-06-30 05:00:06 | 日記

『メトロに乗って』その86。浅草駅の続き、雷門の前から観音通りに向かって少し行くと地下鉄の1番入口がある。

ここには浅草寺『宝蔵門』の大屋根に置かれていた鬼瓦を2009年に取り替えた際、ここに飾られたもの。屋根の上で浅草の街を見下ろしていただけあって、流石に大きい。そして隣が地下鉄入口だが、浅草駅のマークが提灯というのも中々いい。


地下に降りて少し歩くと立派な神輿が出迎えてくれる。この神輿は三社祭の際に実際に担がれるものだが、ケースの高さが足りず、鳳凰を擬宝珠に変えて展示している。外国人には珍しいらしく、一緒に写真を撮る人も多い。

そのまま真っ直ぐ行き、階段をまた登る。2番出口から出て江戸通りを少し歩くと都営浅草線浅草駅のA3入口がある。

降りると目の前の黒い板に浅草行事カレンダーがある。このカレンダーは初詣から始まり、隅田公園さくら祭り、早慶レガッタ、三社祭、ほおづき市、隅田川花火大会、浅草サンバカーニバル、羽子板市など主な行事が並んでいる。

さらにホームの方向に進んで行くと左側に銀座線浅草駅の入口、右側には都営浅草線浅草駅の通路となっていて、銀座線浅草駅一番線に降りれば外にでることなく、都営浅草線に乗り換えられる。実は銀座線から都営浅草線に地上に出ずに乗り換えられることを始めて知った。

都営地下鉄浅草駅の改札口を入るとこちらにもやや小さめの神輿が飾られている。これは浅草おかみさん会所有のものである。ちなみに都営地下鉄浅草駅はほぼ駒形橋のたもとに位置する。

さすがに地下鉄浅草駅は歴史もあり、神輿や鬼瓦を始め、レトロな商店街、提灯など色々なものを見ることができる。ただ、全てが繋がっている訳ではないので駅巡りは構内図を見てから行かないと階段の登り降りで汗を掻く羽目にはなるが。

浅草駅(1)

2018-06-29 05:00:32 | 日記

『メトロに乗って』その85。今回は浅草駅を歩く。浅草は随分とこのブログで触れているため、主に地下鉄の駅を中心に歩いてみる。

東京メトロ銀座線浅草駅の歴史は古く、開業は1927年12月で90年以上にもなる。何しろ東洋で最初の地下鉄駅として上野・田原町・稲荷町各駅とともに開設された。この浅草駅は難しい、というのも左右対称でないからである。銀座線の終点のため、1番線と2番線に代り番に入線するが、2番線に入るとホーム中央に出口があり、雷門には近道となる。

一方、1番線は田原町駅寄りに歩いて行くと都営地下鉄浅草線に外に出ずに乗り換えることができる。もちろん、相対ホームであるから反対側には前側の階段を上ってもう一つのホームに降りなければならない。

2番線に着いたので前方の出口を上り、改札口を出る。改修しているため、ライトが以前と比較してかなり明るい。二又になっていて、左側がレトロ通りと銘打った『浅草地下商店街』になる。


とば口の店は焼きそばなどを食べさせる飲食店『福ちゃん』、隣はコイン・切手の『メトロコイン』、向かいは電気カミソリや傘、サングラスなどの安売り『Jプライス』と中々渋いラインナップ。700円の床屋やまだ開いていない立ち飲み屋など空き店舗もなく並んでいる。その先を左に上がると新仲見世の途中に出ることができる。

向かいに渡ると東武鉄道浅草駅、開業時は浅草雷門駅と称した。その先にも地下鉄に向かう8番出口、ガタガタの階段を降りると立食い蕎麦屋の前に出る。左に行くと浅草松屋の地下に直結している。


右に行き、左側に降りる階段を行くと吾妻橋交番横に出る。浅草通りを向かいに渡ると赤い屋根の入口となる。結構凝っていて、鉄の丸い枠をよく見ると『地下鉄出入口』と読むことができる。


江戸通りを渡り、雷門の真ん前の信号を向かいに渡り、次の入口に向かう。(以下、次回)

cinnabar〜高井戸ランチグルメ

2018-06-28 05:00:23 | グルメ

高井戸駅から北に歩いて5分ほど、スーパーオオゼキの先に気になる中華料理店がある。街の中華屋とは一線を画すお洒落な雰囲気。数年前から興味があったが、初めていくチャンスを見つけてまずはランチからチャレンジ。

店の名前は『cinnabar』、店を開くと左手に大きなバーカウンターとボックスが3つ。カッコいいバーカウンターにはウイスキー、焼酎などならび、黒服を着たマスターがお出迎え。メニューをいただくが、土日はランチがないので悩んだ挙句、『肉細切りと高菜入り汁そば(980円)、五目チャーハン(900円)、餃子2個(250円×2)』を注文する。

厨房はカーテンの向こうで時々中華鍋で炒める音や油で揚げている音は聞こえるが、全般に静かでジャズがかかる。こんなホテルの中華のような店も珍しい中々の異空間。

まずはチャーハンから登場、連れ合いが食べるが、大きめなエビがいくつものっていてよい香り。

餃子も次いで登場するが、大きめの皮が薄く、よく焼いてある。一口食べると肉汁がダラダラとこぼれ、口の中がジンワリと旨さに包まれる。

そして汁そばは細麺を使い、細切り牛肉と筍、青梗菜、百合の花、椎茸など具がふんだんにあり、これにカタクリでとろみをつけたものがたっぷり乗っている。上品だが食べではある。また、スープも穏やかだがしっかりと旨味がのっている。


チャーハンも交換して食べたが、高級中華の味。あとで聴くとシェフはホテルオークラで25年、料理長も務めた人物らしい。このクオリティの高さはそこから来ているのか。フカヒレや北京ダックもあるとのこと。次回は夜来たいな。
cinnabar
杉並区高井戸西2ー18ー28
0332478013

せとうち旬鮮館

2018-06-27 05:00:24 | 日記

『アンテナショップ巡り』その29。今回は新橋にある『せとうち旬鮮館』にお邪魔する。新橋駅前ビル(SL広場の反対側)に隣接しているビルの1〜2階。


このアンテナショップは珍しく香川・愛媛の共同出店で、同様のアンテナショップは岡山・鳥取であるのみ。開設は2003年、15年が経過していてアンテナショップでは老舗の部類である。

店は1〜2階の部分を使っていて1階が特産品の販売、2階が観光案内所と郷土店が営業をしている。
1階は販売する特産品を県毎に分けていて店の入口に近い方には香川県、隣は愛媛県となっていてわかりやすい。

香川県は何と言ってもうどん県、色々な種類のうどんやかけつゆなどが多い。他にもオリーブ油や実、希少糖などもある。一方で愛媛県はやはり柑橘系、私の好きなピールだけでも甘夏、夏みかん、デコポン、日向夏、レモンなどたくさんの種類がある。とくにじゃばらという柑橘はガンに効くとの噂もある。他にもじゃこ天やタルトなどのお菓子などが並ぶ。

酒も梅錦、松山三井、悦凱陣、川鶴など有名どころは揃っていて宇和島のお祭り牛鬼を模したボトルもある。

食べ物以外もミニチュアの畳や焼物、今治タオルなどが揃っている。


2階に上がると左側には観光案内所、みきゃんの蛇口からみかんジュースも置いてあったが、今は使えないらしい。

また、食事処は『かおり姫』、これはたぶんだが、香川県の香(かおり)、愛媛県の媛(ひめ)から付けたものだろう。中では香川県の讃岐うどん、愛媛県の鯛めしの両方をセットにしたランチも食べることができる。

せとうち旬鮮館
港区新橋2ー19ー10
0335747792

天津飯店〜東京駅ランチグルメ

2018-06-26 05:00:45 | グルメ

東京駅八重洲口にある黒塀小路は名店揃いで『方舟』『繁の井』『ハゲ天』『黄木』『YEBISU BAR』などが地下一階に並んでいる。その中で『天津飯店』の前を通りかかった時、ついつい香りに誘われて入店した。

ランチは4種類、Aランチはラーメンと麻婆豆腐丼、Bランチは中華プレート、Cランチは本日のチャーハンと半ラーメン・春巻、Dランチは回鍋肉・エビチリ・青椒肉絲・酢豚から1品、スープ、ライス。これは悩むが、最終的には本日のチャーハンが『高菜とエビチャーハン』と聞いてCランチ(1200円)にしてしまった。

その後から次々に1人のサラリーマンが来店するがAかCで悩むようである。厨房では鍋を振る音がしたかと思うと私のランチが運ばれてきた。


まずは半ラーメンから、ちゃんとした中華料理店のラーメンといった風情で細い麺、チンゲンサイがたっぷり、トロトロの煮豚はさすがといった感じ。こういうセットの場合は、まずは麺を食べ、スープがわりにツユを残すことにしている。

チャーハンは主に高菜かな、と思ったが、中にエビがゴロッと3尾。写真では1尾しかないが、さすがに1200円取るだけのことはある。あっさりしているが、量もそれなり。また、春巻きは中身がたっぷり、添えられたカラシを付けて美味しくいただく。

最後に杏仁豆腐、手作り感満載で添えられた枸杞の実がアクセントとなり、さっぱり最後を締めてくれた。高いものには理由がある、外はバタバタしている八重洲口もここではゆっくりできる。

天津飯店 東京駅黒塀小路店
千代田区丸の内1ー9ー1
05058697826


岩本町・神田岩本町

2018-06-25 05:00:21 | 日記

『神田をぶらり』その18。今回は岩本町を歩いて見た。実は岩本町の住居表示は面倒くさい事情がある。というのは岩本町1〜3丁目は住居表示実施地区に対し、神田岩本町は住居表示未実施となっている。昭和通りを挟んで西側に神田岩本町、東側は岩本町となる。

繊維メーカーのビルが立ち並んでいるが、これは明治初期に『吊るしんぼう』と呼ばれた古着の露天商が始まりと言われ、その後大規模な古着市場に発展、現在も岩本町から馬喰町、横山町あたりには繊維関係の会社が多い。


江戸時代、この辺りには大きな池があり、お玉ケ池(於玉が池)と呼ばれていた。その由来は池の近隣に美貌な娘『お玉』がいて、この娘を2人の男がいいよった。2人は人柄も品形も似ていたため、お玉は悩み、池に身を投げてしまう。この死を悼み、元は桜ヶ池と呼ばれたこの池をお玉ケ池と呼ぶようになったというもので、その後埋め立てにより池はなくなったが、その跡が岩本町2丁目にあり、パワースポットとして知られている。


また、亡くなった於玉の霊を供養するお玉稲荷もその近くに現存する。さらに江戸時代後半には蘭方医による種痘館(東京大学医学部の前身)があったり、佐久間象山や東堂一堂など多数の儒者や漢学者なども住み、江戸の学問の中心地であった。


岩本町交差点から一八通りと呼ばれる道を少し行くと北辰一刀流の免許皆伝、千葉周作道場『玄武館』跡が残されている。


元々小学校跡に記念碑が建てられていたのだが、工事のため見ることができなかった。しかし、ようやく工事も完成に近づき、碑にお目にかかれた。なお、千葉周作はお玉ケ池の先生とも呼ばれていたそうである。

また、岩本町交差点は靖国通りと中山道、水天宮通りが交わっているが、ちょうどこのあたりで東北や房総方面から物資の輸送のために荷車を引く牛馬の水飲み場が設けられていた。

その跡が中央分離帯のような場所に残されていて、記念碑もある。芝生が敷き詰められていて、ちょうど旅人のような御仁が寝っ転がっていた。

橋を渡ればすぐ先が秋葉原、高速道路も走り、昔の姿の面影はあまり残されていないように見えるが、調べてみると歴史的なものは残されていた。

ヴェネリアハーベスト吉祥寺〜吉祥寺グルメ

2018-06-24 05:00:23 | グルメ

吉祥寺のイタリアンを新規開拓。4月のHanakoに載っていた『ヴェネリア ハーベスト』というこじんまりとしたお店に初めて訪問。場所は中道通り沿いの地下一階、マスターに聞くと開店から約1年、前はおでん屋さん、その前は居酒屋だったとのこと。


土曜日の6時に予約、店に入るが、我々が最初の客であった。店はカウンターと4人のボックス席1つのみ。メニューは飲み物だけであとは大きな黒板を見て考える。字は大きいが上を長く見るのも結構くたびれる。


暑い中入店したのでハートランドの小瓶を1本、まずは『セロリとミョウガの酢漬け』『パテドカンパーニュ』を注文。すぐにサーブされた。


暑い日のビールは美味い、これにさっぱりとしたセロリとミョウガの酢漬けがよく合う。パテドカンパーニュは500円とは思えない完成度の高さ。また、添えられているクミン風味の赤キャベツも素晴らしい。


本日のおすすめにある『酔っ払いエビ』と赤ワインを追加。グラスワインが売りのようでメニューには白赤合わせて8種類程度載っているが、面倒なので軽めの赤ワインをボトルで頂く。酔っ払いエビはイタリアの地酒に漬け込んだ『中華の酔っ払い蟹』のイタリア風、身の殻は剥いてあるが、頭を外してミソを吸うとこれが絶品、大好きです。
まあ、酒に弱い人は人間も酔っ払いになるかも。

すると3人の予約客、2人のフリの客と立て続けに入店。マスターはフリの客には少し料理に時間がかかるかもしれないと一言。何しろマスター1人で切り盛りしているのだからやむを得ない。

つまみも無くなったので『フォアグラと穴子のキャラメリゼ』『白魚とそら豆のオムレツ』を追加。他の人たちの料理をこなしながらもちゃんと料理は出てくる。フォアグラと穴子のキャラメリゼはフォアグラと穴子を味付けした後、ミルフィーユにしてキャラメリゼにし、冷たくしたもの。これも酒がよく効いていて珍味。
一方、白魚とそら豆のオムレツは去る春を惜しむようなメニューでアッサリ。バターの香りを楽しむ。

さらに来店客が2組4人になり、満員となったため、『レモン、ナンプラー、カラスミパスタ』を締めにオーダー。これが驚くほどレモンのパスタ、酸っぱいわけではないが、風味はレモン、これにナンプラーとカラスミの塩分が程よく絡み実に美味い。
なお、隣に座った常連さんが最初にオーダーした前菜盛り合わせ(一人前1300円)は種類も多くお得感満載、これを頼んで置けばかなりの前菜を網羅できることに気づいた。次回は頼むことにしたい。

7時半からはホールの女性が1人加わり、ゆったりとしたムード。ただ、手際の良いマスターの腕はなかなかのもの、4300円の赤ワインを込みで1万円はリーズナブルで充分満足できた。

ヴェネリア ハーベスト
武蔵野市吉祥寺本町2ー10ー2
0422276808

中川大橋、番所橋、平成橋

2018-06-23 05:00:20 | 川と橋とダム

『ぶらり橋巡り』その72。中川川の駅の向かい側には中川大橋が架けられている。船堀橋の架け替えの際の迂回路として機能したもの。1975年に完成した3径間鋼製ガーター橋で旧中川に架けられ、江東区大島と江戸川区小松川を結んでいる。


橋の中央からは東大島駅がよく見える。以前は駅に窓がなかったが、現在は太陽光を取り込めるようになっていて電車が到着する様子がよく見える。


もう少し下流に向かうとかつて番屋があった辺りに到着。右手に小名木川が分かれるが、小名木川は運河であり、江戸時代は水運の要衝として色々な荷物が行き交った。


小名木川に沿う道は塩の道と呼ばれている。その先には番所橋、小名木川最初の橋で長さは29mある。


番所橋を渡り、パラマウントベッド本社の先を左に曲がるとまた旧中川に架けられているのが平成橋である。

名前の通り1994年に作られた鋼製アーチ橋で左側には荒川ロックゲートが見える。

欄干の意匠もかなり凝っていて、橋の中央からは先程の川の駅がよく見える。


橋を渡り終えると左側に大島小松川公園。丘のようになっており、登ったところには旧小松川閘門がオブジェとして飾られている。閘門とは水位の異なる水面を調節して船の通行を可能にする特殊な門であり、明治時代の荒川の改修工事により水位差が出てしまった障害への対応として1930年に完成した閘門の一方である。

草深い公園を通り、階段を降りると再び中川大橋の袂に出る。中心部から僅かな距離だがなかなかダイナミックな風景が存在する。

ちょうどSkyDubk号がいたのでパチリ。乗ってみたいもの。

チキンプレイス〜日本橋ランチグルメ

2018-06-22 05:00:46 | グルメ

少し暑くなり、冷やしたぬき蕎麦ばかり食べていたが、少し飽きたので事務所の近くの店を新規開拓。我が事務所の一本裏にある『チキンプレイス』というお店。造りは洋風だが、夜は焼き鳥が美味しいと評判、しかし、ランチはチキンカレーのみという変わったお店。東京東部には数店あるらしい。

入口に赤っぽいのぼりが出ていて『チキンカレー680円』とある。1人なのでカウンターに座るが11時45分のため、まだガラガラ。

盛りにより値段が異なり、普通・680円、中盛・730円、大盛・780円、特盛・880円と4段階。今回は中盛にしてみる。また、サラダなどもあるが、今回は頼まなかった。お店はおじさんとおばさんの2人で作るのはもっぱらおじさん、おばさんはホールをやっている。

5分程度でカレーが到着。メニューにはヨーグルトとトマトに特製スパイスを加えて水なしで煮込んだとあるが、なるほど味がこなれていて美味い。

骨なしのチキンもホロっとしているが、肉の量も多い。辛味はあまり強くないが、バリエーションを付けるのも大変なんだろう。

付いてくるスープはやはり焼き鳥屋だけにチキンコンソメ、深くてこれも美味い。来店客も慣れた人が多く、『大盛り2つ』『今日は普通にしておくわ』という声が聞こえる。

味わいながらも結構早く食べ終わる。添えてあるのが大根なますなのが面白い。結構ハマる人が多いようであった。ご馳走さま。なお、夜の部も日本酒や焼酎の銘柄のラインナップも中々でこちらも行ってみたいものである。


チキンプレイス小舟町店
中央区日本橋小舟町9ー2
05055908795

地震と塀の怖さについて考える

2018-06-21 05:00:25 | 日記

大阪で震度6弱の地震が発生すること自体、5年半も大阪で生活したものからすると青天の霹靂である。私が大阪で過ごしたのは1997年4月〜2002年8月、その間になかったものは大きな地震と大雪である。それでも雪は2回程度は多少積もったが。

少し調べてみると大阪で地震の大きな被害が確認されているのは1854年に頻発した安政大地震、1944年東南海地震、1946年南海地震、1995年阪神淡路大震災などの影響はあったものの、直下型地震の震源が大阪であったものは少ない。

そんな地震の影響で高槻市では塀が崩れ小学生が、また東淀川区では80歳の男性が同じく塀が崩れ亡くなってしまったことは大変痛ましい。ただ、以前に熊本地震でも塀が崩れ、犠牲者が出ているし、実は我々の通勤路などにもこうした危険な塀はあるはずである。

だからと言うのも何だが、自分の通勤路を歩きながら見てみるとやはり杉並区は古い家屋が多く、塀が張り巡らされているものが多い。

そのなかでも最も恐ろしいと思われるのは『ブロック塀』である。これは高度成長期にコンクリート塀が高価であったため、モルタルを充填しながらブロックを積み上げた工法で作られた。さすがに事故も多く、現在の法律では高さは2.2mに制限されている。基礎の作り方などはI形、逆T形、L形などがあるが、一定の太さ以上の鉄筋を入れることも義務付けられている。しかし、これら規制は1981年以降新たに作る場合に適用される。また、同じように大谷石の塀にも気をつけなければならない。(東淀川区の事件は大谷石の壁である。)


同じように怖いのが『万年塀』、これは両側に支柱を立てて、その間にコンクリートパネルを嵌め込むものでお寺や墓地の周囲に多く見かける。しかし、我が家のそばの万年塀は少し傾いていて、さらに支柱との結合部が外れかけている。これらの改修に自治体が補助金はだしているが、あくまで私有地のため、強制的に改修を強いることは今の法律では難しい。

もちろん、新たに作られた家はブロックは低く積みその上に金網にしたり、生垣にしたりする対策を取っている家屋が多いのだが。昔からの家はなかなか対策が取れていないのが現実である。

そうした現実を目にすると学校や会社に行く際に通るルートは出来るだけ塀がない方を使うしかないのかもしれない。ただ、高槻市の案件の場合は壁側を通るように指導していたのだからさらに問題が深刻なのかもしれない。とにかく、子供を守るべき小学校が違法建築状態のまま放置して結果こうした結果になったことは罪が重いと言わざるを得ない。
いざとなった時に塀が崩れて行くのを回避することは難しく、やはりどのような塀がどこにあるか、それが崩れた際に被害を受けないためにどう歩いたらいいのかを改めて検証するべきではないかと考える。