hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

五島軒本店〜函館グルメ

2019-08-31 05:32:52 | グルメ

函館に来たならば一度は行きたい老舗レストラン五島軒本店にお邪魔した。創業は1879年、今年で140周年を迎える。二十間坂を登ると左側に1932年に建てられた大きな店舗が見える。

ドアを開けるとすぐに人数を聞いて左側にある大広間に通してくれる。平面には創業当時の写真、与謝野晶子も訪れたこともあるようである。ただ、それほどフォーマルでもなく、函館市民がハレの日に家族で行くような店である。


メニューはコース、アラカルトとも豊富で、カレーやシチュー、ボルシチなど煮込み料理が得意なようである。今回はシチューのコースと単品でカニクリームコロッケをお願いした。


サッポロクラシックで乾杯、最初にカニクリームコロッケが運ばれてくる。二つに割るとクリームがトロリと出てくる。塩味は控えめで添えられたトマトソースを絡めて頂くがさすがの美味さである。

次いでコーンクリームソース、北海道産のトウモロコシを使っていて素材の甘さが引き立っている。また、量的にもたっぷりあるのが嬉しい。


赤ワインをいただきながら次のビーフシチューを待つ。ビーフシチューは洋皿に盛られていて、トロトロに煮込まれた牛肉とシイタケ、玉ねぎなどが入っている。とろけそうな肉とご飯の組み合わせはまさに洋食。至福のひとときとなった。サラダでさっぱりとする。


デザートはティラミスとイチゴ、コーヒーとゆったりと頂く。全体的に調和がよく取れたディナーとなった。ご馳走さまでした。

また、これでR1夏旅行は終了、ご愛読いただきありがとうございまーす。
五島軒本店
函館市末広町4ー5
0138231106


函館の坂道

2019-08-30 05:00:00 | 旅行

『東京の坂、日本の坂』番外編。函館に旅行に来ると函館山に向かって坂道が並んでいる。十字街に近い方から『二十間坂』がある。道幅が20間、つまり36mあるからついたもので坂道の上には五島軒があるため、前日に登ることができた。

今日はその隣の『大三坂』、これは石畳の坂道である。この辺りの坂道は3つに分かれていて勾配が若干違う。周りには函館らしい洋館が立ち並び、有形文化財になっているものもある。


坂の頂上近くには元町教会、さらにその上には聖ハリストス教会。


聖ハリストス教会はロシア正教の教会の横、大三坂の延長上にあるのが『チャチャ登り』、チャチャはアイヌ語でお爺さんという意味であり、あまりの急坂のため、腰を曲げて登るところからついたらしい。

聖ハリストス教会、遺愛幼稚園の前を通ると有名な『八幡坂』。函館のガイドブックの表紙に乗るビュースポットである。かつては坂の上に八幡神社があったと言われている。


左手先に船魂神社があるのが『日和坂』、旧函館桟橋まで伸びる坂道である。かつては広い港を一望でき、空模様が判断できたためついた名前である。


旧函館公会堂は改築中であるが、元町公園などの下に伸びるのが『基坂』、これはマイル元標が明治時代に作られたことからついた名前であり、街の主要な建物が並んでいた。その一つが旧英国領事館でこの辺りからの眺めは素晴らしい。


この先にも『東坂』『弥生坂』『常盤坂』『姿見坂』などが並んでいるが、今回はここで断念、基坂を下り、港まで歩いた。


五稜郭と恵山岬〜R1夏旅行⑨

2019-08-29 05:00:30 | 旅行

R1夏旅行、その9。いよいよ最終日、宿を出てまずは五稜郭に向かう。公園には何回も行ったことはあるが、五稜郭タワーに登るのは初めて。106mの高さから見ると五角形の城郭がはっきりわかる。階上のフロアを一周回り、反対側も見ていると急に雨が落ちてきているのがわかる。


仕方なく車に戻り、傘を持って五稜郭公園に入る。意外に城壁は高く、歩いて真ん中の方に行くと箱館奉行所が再興されていた。


五稜郭の中もグルグルと歩いているうちに雨も止む。ただ、やはり五稜郭は上から見た方がいい。


函館駅から赤煉瓦倉庫の方に行き、車を止めて付近を歩く。ベイエリアは以前にも来たことがあったが、ますます賑やかになり、ガラス細工や烏賊墨で染めた袋物、箸、アクセサリー、キャラクター物といったお土産物を売る店が増えていた。他にも北海道らしいチョコレートやキャラメルなどももちろん並んでいて特にチーズケーキの試食には中国人が並んでいた。


函館山方向に歩くと日本で最も古いコンクリート製の電柱がある。電柱だから分からないかなと思ったが、この電柱だけは四角でしかも上ほど細くなっている。1923年から100年近く現役であるのは素晴らしい。


電車通りからは急に坂道が函館山方向に伸びている。(坂道歩きのレポートは次回)恵山に向かう。恵山は湯の川温泉や函館空港の先にあり、海岸沿いを走る。途中の道の駅『なとわえさん』で車を停めて見るが、海岸の向こうに見える火山である。

次は恵山岬灯台を目指す。実は恵山温泉から恵山岬に続く道はなく、裏の山の周囲を回っていかなくてはならないのである。一旦、山中の道を走り、海岸に出て、右折して岬に到着。


広々とした芝生の中に無人の灯台はあり、天気が良ければ本州も見ることができる。しかし、残念ながらあまり人気はなく、私たち以外は3組程度しか観光客はおらず、喧騒の函館とはかなり違う。
ここから函館空港までまた来た道を戻り、今回の旅を終えた。
走った距離が1006km、通過した道の駅は19とよく走ったものである。最終日に少し雨には降られたが殆ど晴天、美味いものも食ったし、綺麗な海も観れたし、いい夏旅行と自画自賛である。

青函トンネル関連の施設を巡る〜R1夏旅行⑧

2019-08-28 05:00:56 | 旅行

R1夏旅行、その8。松前を出て津軽海峡を臨みながら車を走らせる。まずは白神岬、本土と最も距離が短い岬で波の少ない海岸からは本土がうっすら見ることができた。この地は伊藤整の出生地である。


吉岡集落の高台に津軽海峡線開通記念のモニュメントがある公園を発見。小高い公園からは海峡がよく見える。ただ、モニュメント以外はそばに錆びた機械が一つあるのみであった。


福島町が生んだヒーロー、千代の富士・千代の山両横綱の記念館、道の駅が併設されているので降りる。現在、九重部屋は夏のキャンプを行っていて、朝稽古も見れるようだが、記念館はスルー。


青函トンネル記念館に入館。この建物の隣に九重部屋の宿舎があるようでお相撲さんが洗濯物を干していた。記念館の造りはシールド工法のシールドのような格好で中ではトンネル建設の発端となった洞爺丸台風の記事や各種の工作機械、さらにトンネル開通までの記録フィルムを見て感動する。しかし、観客は我々以外はカップル1組。


次の『道の駅しりうち』には新幹線展望塔があり、青函トンネルに入る直前の新幹線を見ることができる。時計を見ると1502、通過時間が1507と5分前であったため、慌ててエレベーターに飛び登り、屋上で東京行き『はやぶさ』を待つ。

すぐに新函館北斗方面からE2型がやって来た。何とラッキー、1時間で3〜4本しかないのに待ち時間なしとはついていたようである。


函館方面に車を進めるが、木古内駅に立ち寄る。ここの道の駅は北海道人気No1らしい。さらにJRと3セクの道南いさりび鉄道の駅が同居している。立派な駅ではあるが、中はがらんとしていて両方の駅に行ったがその寂れようには驚いた。

今回の旅行では廃駅も含め、新十津川駅、増毛駅、留萌駅、木古内駅と色々な駅を歩いたが共通しているのは人がいないということ。これではJR北海道の経営が苦しいのも止むを得まい。その後、湯の川温泉の宿でゆっくりしたが、ここまでの累計走行距離は950kmとなっていた。

手打ちそばおぐら〜松前町ランチグルメ

2019-08-27 05:00:05 | グルメ

『にしんそば』の本場は京都なのかもしれないか、北海道も江差や松前でも名物である。江差の『やまげん』『磯屋』あたりに行くかと思っていたが、昼飯には早いので松前城そばの『手打ちそばおぐら』にお邪魔した。

駐車場も満杯で恐る恐る入店すると何とか1席空いている。お茶を持って来てくれたご主人が『少し、時間がかかりますけど大丈夫でしか?』と聞かれた。こういう時は早く頼むが勝ちと『にしんそば2つ』というと若干嬉しそうに『わかりました』と返答。周りを見るとまだ注文が出て来ていないテーブルが2つもある。私と同時に入った6人家族にはご主人が『そばを茹でるから30分はかかります。』というが、お客さんは待つとの返事。

こりゃ長く待たされると覚悟はしたところ、わずか7分ほどでそばは到着。見た目はややつゆの色は濃いが、飲んでみるとどちらかといえば甘めでコクがあり、美味い。

かかった海苔は香ばしく、もちろんふっくらと炊いた身欠きにしんはほろっとなるほど柔らかく、味もいい。また、付け合わせには小さな昆布巻きと漬物。コシのあるそばもやや太いが悪くない。大満足で食べ終えた。

金を払おうとすると厨房はご主人と奥さんらしき人の2人。しかも、メニューも多く、天ぷらを揚げたり、そばを茹でたり。待たされてもやむを得ない。大変丁寧な接客に恐縮するほどでした。そうか、私たちの注文は比較的手がかからないメニューだったのかと後で思う。因みにあと1組入ったところで昼の部は終了でした。まだ、12時半なのに。


おぐら
松前町松城60
0139422128

江差と松前〜R1夏旅行⑦

2019-08-26 05:00:06 | 旅行

R1夏旅行、その7。4日目は江差、松前を通り函館まで走る。あわび山荘で江差から松前は交通量が少ないのでスピードの取締りに気をつけてと言われ、70km/hは超えないように走る。さすがに4日目ともなると日本海側のゴツゴツした海岸にも飽きてくる。


江差までは60km、1時間程度で到着。前日に鰊御殿を見学したため、旧横山家などはスキップ、江差沖に沈没した旧江戸幕府の戦艦開陽丸を見に行く。


この船は外国船の脅威に対抗してオランダに発注した当時最先端の軍艦ながら、日本に戻ってきた頃には倒幕、榎本武揚が新たな政権を作るために旧幕府軍と北海道に渡った。


しかし、新政府軍と戦うべく江差まで来て海上から攻撃したが台風により座礁、あえなく沈没したものである。この船を再建し、当時の遺品を飾っているのだが、170年以上前の船とは思えない規模である。沈んだ際に榎本武揚が大きく落胆したのもわかる気がした。

開陽丸は地下1階と2階は展示室となっていて当時の大砲を撃つこともできる。甲板に上がると大きな3本のマストがあり、威風堂々とした船であった。

江差を出て、海岸線を通り昼前には松前に到着。北方警備のため江戸後期安政時代に築城を許された松前城(福山城)は日本最北にして最後に旧形式で作られたもの。


残念ながら戦後火事により焼失したが、これを再建していて中に入ると残念ながらコンクリートの城ではあるが、在りし日の写真やアイヌの指導者の肖像画などがある。前側の芝生からは小さいながら立派な松前城の姿を望むことができた。


松前を立つ前にJR松前駅のあった場所に行く。今は花壇の真ん中に石碑があるのみだが、観光案内所の遺構もあり、しばし感動。

(以下、次回)

あわび山荘

2019-08-25 05:00:46 | 旅行

3泊目の国民宿舎あわび山荘は1977年10月開業で今年10月には42年になるが、ここで宿泊部門は閉館してしまうためか、とにかく施設が古く、更新されていない。部屋だけでなく、どこにもクーラーすらなく、トイレも共同と今の時節には全く合っていないが、温泉と夕食は素晴らしい。

まずは温泉だがナトリウムー塩化物炭酸水素泉で赤褐色の湯は温度も高く、身体の芯から温まることができる。改修がなった露天風呂でさえも熱くて中々長くは入れない。今から17年前までは混浴だった痕も残るレトロな湯船が面白い。また、近所からも入浴の人が数多く、地元の言葉を聞くことができる。

着いた時はブヨが多いと言われたが、翌朝入った露天風呂も最高である。温泉を出たところにある休憩所も時が止まっていて、昔ながらのインベーダーゲームやクレーンゲームなどが並びあんま機も完備、昔の盛況が偲ばれる。

夕食は部屋食であり、ホテルの名前に恥じないアワビを中心に海鮮が並ぶ。まずはボタン海老とアワビの地獄焼き、いずれも香ばしい。アワビ・サーモンなどの刺身、冷しゃぶ、天ぷら、茶碗蒸し、さらにアワビの釜飯も付いている。


アワビの出汁がよく出た釜飯は秀逸。ただ、7時を回ると生ビールの注文は出来なくなるなど町の公社が運営している弊害はあるが、仲居のおばちゃんもフロントのおじさんも人がいい人ばかりでほっこりできる宿であった。

鰊御殿と岩内の寺を巡る〜R1夏旅行⑥

2019-08-24 05:00:58 | 旅行

R1夏旅行、その6。3日目は地味な行程、積丹町を8時にスタート。第101回全国高校野球大会も始まり、ラジオを聴きながら進む。西積丹も学生時代にはバス路線がなく、初めて通るが、やはりトンネルだらけ。その合間に海を見ながら進む。


最初に車を停めたのがオスコイ西積丹という道の駅。さらに走ると泊村に入る。この村は昔はニシン、今は原発で有名である。


立派な鰊御殿があるというので訪問した。鰊御殿とまりは旧河村家の御殿を旧武井家の客殿(今で言うゲストハウス)隣に移築したものだ。まずは鰊御殿から見せて貰うが規模はもちろんその造作、例えば家の梁や屋根瓦、廊下の隠し細工(廊下の一部を掘り、同じ型の別の木材を埋め込む)など贅を尽くしたものである。


また、泊の鰊御殿が尤も立派で有名な小樽の鰊御殿も旧武井家の建物を移したことを知り、驚く。目の前には泊漁港、ここに鰊を上げて加工するだけで莫大な資産が作れたとは想像もできない静けさである。


次に泊原発のPR施設である『とまりん館』を見に行く。入口には風力発電用の羽があり、大きさに驚く。現在は泊原発自体は休止中だが、内部にはその仕組みを始め、安全性確保の施策などを丁寧に説明してくれる。反対ばかり言わないで是非こういう施設で改めて勉強する必要性を感じた。

岩内市内に入る。道の駅が中心部にあり、かつては岩内線岩内駅跡でたぶん街の中心部と思われ、店も複数あり、軽食を取る。


次に向かったのが帰厚院、ここには東京以北で最も大きな大仏があると知り、訪問。1856年にできた岩内最古とも言われる立派なお寺で大正10年に作られたもうすぐ100年となる金箔で覆われた6.8mの大仏が迎えてくれる。

ご住職にお話を伺うと普段は朱印は出さないのだが、令和となり50万枚限定で御朱印を作ったと言われ、分けて頂く。住職のお話は面白く、ついつい長居してしまった。ちなみに宗派は浄土宗で芝増上寺の末寺にあたる。


岩内を後に蘭越の道の駅に隣り合った貝の博物館でクリオネを見る。お隣の寿都では町役場にある旧寿都鉄道の寿都駅の駅名標を見に行く。昔のことだから右から書くのはわかるが、なぜか『すっつ』ではなく、『すつ』とあった。


この先は島牧村、旧大成町などを通過して『国民宿舎あわび山荘』に到着したのはいいが、このあたりにしては驚くほど気温が高く、ブヨが大発生。黒い車には集まりやすいため、這々の体で建物に入る。この国民宿舎は施設が古いことは知っていたが、クーラーが全くない。いまどきかなり珍しいが、これも旅、なんとか扇風機にお世話になって凌いだ。(3日目は207km)

恵比寿付近の坂道(4)

2019-08-23 05:00:02 | 坂道

『東京の坂、日本の坂』その116。前回に続き、恵比寿付近を歩く。和田坂を歩き、しばらくいくと信号があるが、これを右に曲がる。しばらく緩やかな下り坂で渋谷川がまた現れた。新豊澤橋は1934年に整備された橋である。

明治通りに出て右方向に歩き始める。かなり川より大回りしているため、歩く距離は長くなる。途中、ガソリンスタンドの隣に時代がかった古家を発見、よく倒れないと気になる。


左に行く道を歩くとまた渋谷川の橋、『新橋』がある。1980年4月に架橋された比較的新しい橋のため、この名前がついた。


さらにその先にはスタートの時に渡った恵比寿橋、また最初に訪れたビール坂はこの辺りから坂が始まる。


明治通りを渡って、左に向かう。2本目を右にいくと細くて比較的急な短い坂道が現れる。名前は『ネギ山坂』、もちろん昔この辺りがネギ畑の真ん中にあり、俗称でネギ山と呼ばれていたのだろう。今は邸宅や贅沢な低層マンションが軒を連ね、昔の名残があるのは頂上には墓地くらいである。

坂を下りて明治通りを越え、渋谷川を渡ると公園、その先を右に曲がるて恵比寿駅、恵比寿像は昔のままであった。

麺くま〜冷やし坦々麺第3弾

2019-08-22 05:00:07 | グルメ

冷やし坦々麺第3弾。京王井の頭線久我山駅北口下車1分のところにある『ラーメン麺くま』、まだオープンから2年であるが、久我山の人気店となって来ている。

昨年から夏の時期の新メニューが冷やし坦々麺である。もちろん醤油ベースの冷やし中華もあるが、私は冷やし坦々麺のファンである。

店に入ると食券の自販機、冷やし坦々麺(900円)を選択して席に着く。日曜日の12時頃はほぼ満席、ようやく2席を見つけて座る。周りではあまり冷やし系を注文する人は多くない。やはりスープを売りにしているからかもしれない。

5分くらいで冷やし坦々麺が到着、見た目は白っぽく地味である。まずは麺を一口、この店の麺は細くてよく冷えている。また、上に乗せられているそぼろは暖かい。辛味はラー油がかかっているが、それほど強くなく、おいがけしてしまう。

クリーミーなタレは豆乳ベースなのか、あっさり。しかし、ゴマの風味に加え、色々なナッツなどが入っていて食感もツルツルの中にカリカリが入っていて面白い。他の麺同様、少なそうに見えてちゃんとお腹が膨れるようにできている。暑い時には嬉しい冷やし坦々麺です。もちろん、普通のラーメンもあっさりしていながらスープの美味い一押し店。ご馳走さま。

勝手な評価・温度A、量A-、辛味B、風味A、全体A-位でしょうか。かなり好みです。

ラーメン麺くま
杉並区久我山5ー7ー19
0359413735